2022.02.28
山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第18回「アスリートの放つ言葉の力~松田瑞生選手、ルイス、冬季オリンピアンらに学ぶ~」
先月のコラムを校了した直後に、大阪国際女子マラソンで見事優勝した松田瑞生選手(ダイハツ)の「悔しいです」のインタビューを聞いた。
好記録で優勝した直後に感想を聞かれ「悔しいです」とはこれいかに? と思われるかもしれない。実の所、わたしも一瞬「エッ!」と思ってしまった。
目標としていた2時間20分が切れなかった思い、さらには東京オリンピック代表に手が届く位置にいながら、スルリとこぼれ落ちていった悔しい日々を積み重ねてきたことを思ってのことなのだろう。そんなふうに腑に落ちるまで少しの間があった。
本心本気の心から絞り出したコメントは、松田選手と山中美和子監督が、これまでの「悔しい」を晴らすための積み重ねた時間。そして、これからの「悔しい」を晴らすための日々を、結ばれた信頼関係で歩み続ける決意と思いを込めたコメントだと受け止めた。
指導にあたっている山中監督とは1996年にシドニーで開催された世界ジュニア選手権で、当時山梨学院大学から3名の選手を引率していた事もあり、毎朝一緒にあれやこれやと話しながらシドニー市内をジョギングしたことを思い出す。
この時のインタビューを思い起こしていると、「冗談には本気が交じり、言い訳には嘘が交じる」という格言をふと思い出した。すべての場合でそれが当てはまるわけではないかもしれないが、あながち的外れでもないだろう。
レース後のコメントが印象的だった松田瑞生選手(ダイハツ、右)と指導する山中美和子監督
指導の現場では選手と真剣に向き合い、とことん本気モードで諭す時もあれば、ちょっとしたタイミングで絶妙なウィットを効かせて本気のアドバイスを滲ませることだってある。いずれも受け取る側に、話の真意を汲み取ってほしいがための手段である。
選手の心に届く言葉であってほしいと願うことは当然としても、伝える側はそれなりに感情を超えた冷静な言葉選びが必要だ。さらには声のトーンや表情で伝わりかたもグッと違ってくる。受け取る側の相槌や頷き、視線や表情・態度でどのように伝わっているかを察知できるので、そこから次の言葉を選ぶこともできる。
また、言葉を受け取る選手も、指導者の言葉だけではなく、声や表情などから答え方(応え方)をそれなりに考えるだろう。場の雰囲気を察知して気配り・心配りができることは良い事ではあるが、あまり行き過ぎると本音が覆い隠されてしまうこともあるのが難しい。
指導や教育の現場であっても、職場や友人関係に至るまでコミュニケーションの難しさは嫌というほど実感することが多い。
本気と本音が伝わらない会話は、もはやコミュニケーションとは呼べず、徒労と疲労が蓄積するばかりとなる。あげくの果てに、互いの共通理解は「自分のことを理解してもらえない」という笑えない現実も積み重なってしまう。そのようなコミュニケーションの澱のような消化不良感は、コロナ禍でますます膨らんできているのではないだろうか。
そんな閉塞感の中、スッキリさせてくれたのが、冬季オリンピックで選手たちの語ったコメントの数々である。
コミュニケーションと呼ぶにはいささか一方通行ではある。しかしながら、テレビの画面越しに捉えられたレースや演技の直後のコメントは、選手や関係者の喜怒哀楽を伝えるには十分であった。また、スポーツ新聞記者がそのコメントの背景を解説し、まとめた記事を見て「なるほど」とうなずく自分がいた。
この様にレース後のコメントに興味を抱くようになったのには、経緯がある。
私が1991年に東京で開催された世界陸上で、各国選手のフィニッシュ直後のコメントを聞く「フラッシュインタビュー」を担当した記憶に遡る。
男子5000mで優勝したケニア代表のヨベス・オンディエキ選手が、酷暑の中400mを60〜61秒のハイペースで押し通し、後半ペースを落としたものの大会新記録で優勝。その直後の第一声が、
「なんだこの重苦しい暑さは! アフリカやケニアの選手はみんな暑さに強いなんて思い込んでいろいろ質問してくるけど、実はケニアが涼しいところだってことを伝えてくれ。それにしても東京は暑くてスティミーだ! それでも、この環境の中、ハイペースをなんとか押し通して勝つ事ができてとてもうれしい!」
と荒い息を吐きながら答えてくれた事を思い出す。
そして、カール・ルイスという名前を聞くと、我々の年代は「オッ、あの伝説のスプリンター!」と、華麗なランニングフォームを思い浮かべる方もいることだろう。30歳で迎えた東京世界選手権の100mでは、ルイスの世界記録を破った若きライバル、リロイ・バレル(米国)とのスプリンター対決が注目されていた。
注目の勝負は、後半抜け出たルイスが9秒86の世界新記録で制した。直後のコメントでは「素晴らしいライバル、良きチームメイト、そして友人としてのバレルがいた事で今日の今がある……」と、世界記録達成の興奮と決勝レースを終えた安堵とが入り混じった表情で語った事も印象に残っている。
当然のことながら、スタート前とゴール後はまるで別人格のような表情である。それだけに集中力と緊張感の高まりを感じ取れた。
その他、断片的にあげればきりがないほど、旧国立競技場の熱狂と興奮それを作り上げた選手たちのコメントの熱感と重みに感動した経験がある。それ以来、スポーツ選手が勝負を決する大会直後に発する言葉に注目するようになった。雄弁に語る時間すらない中で、真の想いが迸(ほとばし)る瞬間でもあると常々思っている。
「真の雄弁とは、必要なことを全部喋らず、不必要な事を一切喋らない事である」とラ・ロシュフコーの箴言集にもあるように、短いコメントながらアスリートの発するその言葉に、真意を汲み取ることができたと感じたのは私だけではないはずだ。
それ故に、冬季オリンピックを視聴して感慨深く思ったことがいくつかあった。今大会での日本人選手の活躍は素晴らしいものがあった。しかしながらそのコメントではなく、優勝候補の日本人選手が苦戦を強いられた場面でのコメントである。
スピードスケート女子1500mで世界記録保持者の高木美帆選手がわずか0.44秒届かず銀メダル。その後の団体追い抜き(チームパシュート)でも姉である高木菜那選手の転倒もあり銀。冬季五輪初採用のスキージャンプ混合団体では、高梨沙羅選手がスーツ規定違反と判断されてまさかの失格に。フィギュアスケートでは羽生結弦選手がショートプログラム冒頭で氷の溝にエッジが挟まり、ジャンプが飛べないアクシデントに見舞われるなど心痛めるシーンが続いた。
そんな中で、どの選手も泣き言や言い訳を口にせず、逆にチームメイトやサポートしてくれているスタッフや仲間への感謝の言葉を忘れないところに〝潔さ〟を感じたからだ。
今、スポーツの世界では「sport integrity」という言葉が多く使われるようになった。スポーツにおける高潔性を保つために使われる言葉だ。スポーツには人々を幸福にし、社会を良い方向に導く力があるとされている。スポーツが本来持つ力を発揮するためには、その前提としてスポーツのインテグリティ(誠実、真摯、高潔)が保たれ、守られていることが重要だからだろう。
選手の発する言葉にはその素晴らしいパフォーマンスのみならず、スポーツにおけるインテグリティをも表現している事も素晴らしい。
コロナ禍の中、間もなく開催される冬季パラリンピックだけではなく、ワールドユニバーシアードゲームやオレゴン世界選手権など、陸上競技でも熱い選手のコメントが聞けるのが楽しみでもある。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。 |
第18回「アスリートの放つ言葉の力~松田瑞生選手、ルイス、冬季オリンピアンらに学ぶ~」
先月のコラムを校了した直後に、大阪国際女子マラソンで見事優勝した松田瑞生選手(ダイハツ)の「悔しいです」のインタビューを聞いた。 好記録で優勝した直後に感想を聞かれ「悔しいです」とはこれいかに? と思われるかもしれない。実の所、わたしも一瞬「エッ!」と思ってしまった。 目標としていた2時間20分が切れなかった思い、さらには東京オリンピック代表に手が届く位置にいながら、スルリとこぼれ落ちていった悔しい日々を積み重ねてきたことを思ってのことなのだろう。そんなふうに腑に落ちるまで少しの間があった。 本心本気の心から絞り出したコメントは、松田選手と山中美和子監督が、これまでの「悔しい」を晴らすための積み重ねた時間。そして、これからの「悔しい」を晴らすための日々を、結ばれた信頼関係で歩み続ける決意と思いを込めたコメントだと受け止めた。 指導にあたっている山中監督とは1996年にシドニーで開催された世界ジュニア選手権で、当時山梨学院大学から3名の選手を引率していた事もあり、毎朝一緒にあれやこれやと話しながらシドニー市内をジョギングしたことを思い出す。 この時のインタビューを思い起こしていると、「冗談には本気が交じり、言い訳には嘘が交じる」という格言をふと思い出した。すべての場合でそれが当てはまるわけではないかもしれないが、あながち的外れでもないだろう。 レース後のコメントが印象的だった松田瑞生選手(ダイハツ、右)と指導する山中美和子監督 指導の現場では選手と真剣に向き合い、とことん本気モードで諭す時もあれば、ちょっとしたタイミングで絶妙なウィットを効かせて本気のアドバイスを滲ませることだってある。いずれも受け取る側に、話の真意を汲み取ってほしいがための手段である。 選手の心に届く言葉であってほしいと願うことは当然としても、伝える側はそれなりに感情を超えた冷静な言葉選びが必要だ。さらには声のトーンや表情で伝わりかたもグッと違ってくる。受け取る側の相槌や頷き、視線や表情・態度でどのように伝わっているかを察知できるので、そこから次の言葉を選ぶこともできる。 また、言葉を受け取る選手も、指導者の言葉だけではなく、声や表情などから答え方(応え方)をそれなりに考えるだろう。場の雰囲気を察知して気配り・心配りができることは良い事ではあるが、あまり行き過ぎると本音が覆い隠されてしまうこともあるのが難しい。 指導や教育の現場であっても、職場や友人関係に至るまでコミュニケーションの難しさは嫌というほど実感することが多い。 本気と本音が伝わらない会話は、もはやコミュニケーションとは呼べず、徒労と疲労が蓄積するばかりとなる。あげくの果てに、互いの共通理解は「自分のことを理解してもらえない」という笑えない現実も積み重なってしまう。そのようなコミュニケーションの澱のような消化不良感は、コロナ禍でますます膨らんできているのではないだろうか。 そんな閉塞感の中、スッキリさせてくれたのが、冬季オリンピックで選手たちの語ったコメントの数々である。 コミュニケーションと呼ぶにはいささか一方通行ではある。しかしながら、テレビの画面越しに捉えられたレースや演技の直後のコメントは、選手や関係者の喜怒哀楽を伝えるには十分であった。また、スポーツ新聞記者がそのコメントの背景を解説し、まとめた記事を見て「なるほど」とうなずく自分がいた。 この様にレース後のコメントに興味を抱くようになったのには、経緯がある。 私が1991年に東京で開催された世界陸上で、各国選手のフィニッシュ直後のコメントを聞く「フラッシュインタビュー」を担当した記憶に遡る。 男子5000mで優勝したケニア代表のヨベス・オンディエキ選手が、酷暑の中400mを60〜61秒のハイペースで押し通し、後半ペースを落としたものの大会新記録で優勝。その直後の第一声が、 「なんだこの重苦しい暑さは! アフリカやケニアの選手はみんな暑さに強いなんて思い込んでいろいろ質問してくるけど、実はケニアが涼しいところだってことを伝えてくれ。それにしても東京は暑くてスティミーだ! それでも、この環境の中、ハイペースをなんとか押し通して勝つ事ができてとてもうれしい!」 と荒い息を吐きながら答えてくれた事を思い出す。 そして、カール・ルイスという名前を聞くと、我々の年代は「オッ、あの伝説のスプリンター!」と、華麗なランニングフォームを思い浮かべる方もいることだろう。30歳で迎えた東京世界選手権の100mでは、ルイスの世界記録を破った若きライバル、リロイ・バレル(米国)とのスプリンター対決が注目されていた。 注目の勝負は、後半抜け出たルイスが9秒86の世界新記録で制した。直後のコメントでは「素晴らしいライバル、良きチームメイト、そして友人としてのバレルがいた事で今日の今がある……」と、世界記録達成の興奮と決勝レースを終えた安堵とが入り混じった表情で語った事も印象に残っている。 当然のことながら、スタート前とゴール後はまるで別人格のような表情である。それだけに集中力と緊張感の高まりを感じ取れた。 その他、断片的にあげればきりがないほど、旧国立競技場の熱狂と興奮それを作り上げた選手たちのコメントの熱感と重みに感動した経験がある。それ以来、スポーツ選手が勝負を決する大会直後に発する言葉に注目するようになった。雄弁に語る時間すらない中で、真の想いが迸(ほとばし)る瞬間でもあると常々思っている。 「真の雄弁とは、必要なことを全部喋らず、不必要な事を一切喋らない事である」とラ・ロシュフコーの箴言集にもあるように、短いコメントながらアスリートの発するその言葉に、真意を汲み取ることができたと感じたのは私だけではないはずだ。 それ故に、冬季オリンピックを視聴して感慨深く思ったことがいくつかあった。今大会での日本人選手の活躍は素晴らしいものがあった。しかしながらそのコメントではなく、優勝候補の日本人選手が苦戦を強いられた場面でのコメントである。 スピードスケート女子1500mで世界記録保持者の高木美帆選手がわずか0.44秒届かず銀メダル。その後の団体追い抜き(チームパシュート)でも姉である高木菜那選手の転倒もあり銀。冬季五輪初採用のスキージャンプ混合団体では、高梨沙羅選手がスーツ規定違反と判断されてまさかの失格に。フィギュアスケートでは羽生結弦選手がショートプログラム冒頭で氷の溝にエッジが挟まり、ジャンプが飛べないアクシデントに見舞われるなど心痛めるシーンが続いた。 そんな中で、どの選手も泣き言や言い訳を口にせず、逆にチームメイトやサポートしてくれているスタッフや仲間への感謝の言葉を忘れないところに〝潔さ〟を感じたからだ。 今、スポーツの世界では「sport integrity」という言葉が多く使われるようになった。スポーツにおける高潔性を保つために使われる言葉だ。スポーツには人々を幸福にし、社会を良い方向に導く力があるとされている。スポーツが本来持つ力を発揮するためには、その前提としてスポーツのインテグリティ(誠実、真摯、高潔)が保たれ、守られていることが重要だからだろう。 選手の発する言葉にはその素晴らしいパフォーマンスのみならず、スポーツにおけるインテグリティをも表現している事も素晴らしい。 コロナ禍の中、間もなく開催される冬季パラリンピックだけではなく、ワールドユニバーシアードゲームやオレゴン世界選手権など、陸上競技でも熱い選手のコメントが聞けるのが楽しみでもある。上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。 |
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