2019.10.10
【Web特別記事】
佐久間滉大の現在地
歴史が動く日本走幅跳で
1351日ぶりの〝自分超え〟
次々と歴史が動いている日本の男子走幅跳。だが、その中心に佐久間滉大の姿はなかった。世界ジュニア入賞、インターハイ優勝と実績を残し、ダイヤモンドアスリート1期生に選出。将来を嘱望された佐久間だが、大学1年の秋から長く自己ベストを更新できずにいた。
しかし今年、その殻を破って日本選手権で約3年半ぶりの自己新。たった2cmの更新だったが、彼にとっては大きな一歩だった。
横浜リテラに所属する男子走幅跳の佐久間滉大
かつて走幅跳の将来の期待を一身に背負っていた男がいた。
佐久間滉大。
インターハイを大会記録(当時)で制し、高3時代は無敵を誇った。世界大会も経験し、日本陸連ダイヤモンドアスリートの1期生にも選出。彼がU20日本記録を更新し、長く止まっていた歴史を動かす1人になる――誰もがそう期待し、彼自身もそう信じて疑わなかった。
だが、大学タイトルとは無縁のまま4年間が過ぎ去った。はたから見れば「あっという間」だったが、大学1年の秋から自己ベストが更新できない日々は、おそらく経験したことのない「長い長い暗闇」だった。
輝いた高校時代から一変した4年間
神奈川・豊田中時代は走高跳が専門。全中7位、ジュニア五輪4位と全国トップクラスの実績を持っていた。その勢いのまま、法政二高に進学してからも、1年目からインターハイへ出場している。
その頃、跳躍力の強化が目的で走幅跳に挑戦すると、思っていた以上に手応えがあった。運命が変わった。
秋の県新人戦で走高跳と走幅跳の2冠。翌年には激戦のインターハイ南関東大会の走幅跳を2年生優勝して、全国でも決勝進出。秋には国体、日本ユース選手権と連勝した。
3年目にはインターハイの主役候補としてシーズンを過ごし、南関東大会は走高跳と走幅跳で2冠。インターハイ直前の世界ジュニア選手権では5位入賞を果たし、過密日程で臨んだ山梨インターハイで、7m80で制し、4×100mリレーも全国制覇を果たした。
日本一のリレーの2走を務めるスピードと、走高跳で磨かれた持ち前の跳躍技術。大会記録更新にも、「高校生初の8mを狙っていた」と悔しがった。
同学年でライバルの松添基理(藤沢西高)とともに全国で神奈川県ワンツー。秋の日本ジュニア選手権、国体を制して高校3冠を取った。
「8mはいつでも跳べる感覚はある」
何度も口にしていた言葉。だが、目標としていた森長正樹(太成学院)が1989年に樹立した7m96の高校記録、高校生初の8mジャンパーに届くことはなかった。
早生まれの佐久間にとって、次なる記録的な目標は8m10のU20日本記録(下仁/1991年)、そして学生、シニアの大会での活躍だった。
松添とともに法大に進学した佐久間。ここから、長い4年間が始まった。
長い間自己ベストを更新できずにもがき苦しんだ
大学1年目の秋の日本ジュニアこそ自己ベストを2cm更新する7m82をマークしたが、その後は7m中盤を行き来する。「200mを中心にスピードを磨く」と強化したが、なかなか跳躍と噛み合わずにいた。
高校時代細身だった身体は、学生の間ほとんど変わることはなかった。「ウェイトトレーニングよりスピードと技術」という確固たる信念があった佐久間は、まずは自分の長所を伸ばすことに専念。
米国への遠征などいろいろ試したが、ケガもあり、8mどころか6m台で終わる試合もあった。
その間、1学年下の足達一馬(現・関学大)と遠藤泰司(現・立命大)という大阪桐蔭高コンビがインターハイ路線で活躍し、橋岡優輝(八王子高→日大)が輝き始め、酒井由吾(南多摩中等→慶大)も記録を伸ばしてきた。彼らもまた「高校生として8mを跳びたい」と目標に掲げた。
「いつでも跳べると思っていましたが、簡単じゃなかった。そこからが、なかなかうまくいかないんですよ」
大学2年目。そうポツリとこぼした言葉には重みがあった。
最終学年。関東インカレ前にケガをして春シーズンはほとんど戦えず、最後の日本インカレは7m10でトップ8に残れず終わった。
高3の世界ジュニアに一緒に出た城山正太郎(東海大北海道)が16年に8mジャンパーの仲間入りし、17年には橋岡、津波響樹(東洋大)が大台に乗る。
強力なシニア勢も含め、日本の走幅跳が〝大爆発〟しそうな予感が漂う中に、佐久間は入ることができなかった。
5月の東日本実業団でセカンドベストをマークして優勝
自ら動いて大学1年以来の自己新
「悩んで、迷って、メンタルはボロボロ。今のままではダメ。元に戻っても7m後半以上は目指せないと思っていました。どうしたらいいかわからなかったんです」
勝ち負けよりももっと苦しいものがあった。
「高校時代のことなど、ずっと考えてしまって。きつかったですね。自分の頭から〝経験〟を取るのはすごく難しい。結果を残せない、何より長い間、自己ベストを更新できないというのが……」
そう言うと、しばらく言葉に詰まった。
「どんなに練習しても、僕らのやっている陸上競技は記録が出ないと成長じゃない。過去の自分を超えられないというのは本当に苦しかった」
この壁にぶつかった時、人には2つの選択肢がある。やるか、辞めるか。だが、佐久間は「辞めようとは思わなかった」と言う。
「とにかく、強くなりたかった」
その単純で、純粋な思いは佐久間を突き動かした。昨年の冬。短距離の小池祐貴(住友電工)らを指導する元日本記録保持者の臼井淳一コーチを頼った。84、88年五輪代表で、元日本記録保持者。日本史上2人目の8mジャンパーは、神奈川の大先輩でもある。
臼井コーチは高1でインターハイ走高跳3位、高3時には走幅跳3位、三段跳優勝、400m2位。スピードと跳躍技術すべてを兼ね備え、現在はスプリントを指導で成果を出している〝レジェンド〟は、佐久間にとってうってつけだった。
「小池さんのように10秒3の選手が10秒0に入るのはとんでもないこと」(佐久間)。臼井コーチの指導である「力を使わずに楽に力を伝える」スプリントは、「助走で力んで踏み切りで力を使えない」という課題を持っていた佐久間にとって大きなピースになった。
走る量も増え、避けてきたウェイトトレーニングにも励んだ。体型は見違えるようになり、それでも細身だが、やっと〝大人のアスリート〟に近づいている印象だ。
そして、闇を抜け出した。
JOCが実施する就職支援、アスナビを活用して「横浜リテラ」に所属して迎えた今シーズン。5月の東日本実業団で7m81(+1.6)とセカンドベストをマークすると、雨の日本選手権では7m84(+1.2)とついに自己ベストを2cm更新した。1351日ぶりの〝自分超え〟。やっと「成長」を感じられた瞬間だった。
雨の中の日本選手権でついに自己記録を更新
8月の沖縄インターハイ。藤原孝輝(洛南高・京都)が2年生にして8mを超える大ジャンプ。佐久間の大会記録を更新されただけでなく、あれほど苦労して届かなかった高校記録もU20日本記録も簡単に超えていった。
橋岡と城山が日本記録を更新し、津波が東京五輪の参加標準記録を突破した8月の福井の競技会にも出場予定だったが、直前にアキレス腱の痛みで欠場。その輪に加わることができなかった。しかし、それも夏場に強度が高い練習を積めた反動だった。
ドーハ世界選手権には橋岡、城山、津波が初出場した。橋岡、城山と史上初めて2人が決勝に進み、橋岡が初入賞。
まさに日本の走幅跳の歴史が大きく動いた一年だった。
「すごく冷静に見ていました。藤原君もすごいですよね。2年生で。どうやって跳んだんだろうって。橋岡たちは強いですし、今の自分で戦えないのはわかっています。でも、焦りはありません」
走幅跳の歴史が塗り替わったように、佐久間にとっても、このたった2cmは大きな意味を持つ一歩だった。
東京五輪ももちろんあきらめてはいない。だが、「もっと先、ユージンの世界選手権や次のパリ五輪。そういったところを見ています」と長い目で考えている。
以前は「なぜ跳べないのかわからない」だった感覚が「足りないところがわかっている」。だから、「苦しくても楽しい」という。「スピードとパワーをつけて、ゆっくり速く走る。その感覚をつかめれば、良い踏み切りができる」と未来が開けている。
「やっと練習を積むことができています。絶対に成長できると思っているから焦りません。少しでも早く戦いに加わっていけるようにしたい」
もう誰かを意識し、大きな数字を追いかけることはない。強くなって、自分の持ち記録を常に超えていくだけ。それが〝成長〟であり、いずれ数字につながる。佐久間滉大はそう信じている。
文/向永拓史
輝いた高校時代から一変した4年間
神奈川・豊田中時代は走高跳が専門。全中7位、ジュニア五輪4位と全国トップクラスの実績を持っていた。その勢いのまま、法政二高に進学してからも、1年目からインターハイへ出場している。 その頃、跳躍力の強化が目的で走幅跳に挑戦すると、思っていた以上に手応えがあった。運命が変わった。 秋の県新人戦で走高跳と走幅跳の2冠。翌年には激戦のインターハイ南関東大会の走幅跳を2年生優勝して、全国でも決勝進出。秋には国体、日本ユース選手権と連勝した。 3年目にはインターハイの主役候補としてシーズンを過ごし、南関東大会は走高跳と走幅跳で2冠。インターハイ直前の世界ジュニア選手権では5位入賞を果たし、過密日程で臨んだ山梨インターハイで、7m80で制し、4×100mリレーも全国制覇を果たした。 日本一のリレーの2走を務めるスピードと、走高跳で磨かれた持ち前の跳躍技術。大会記録更新にも、「高校生初の8mを狙っていた」と悔しがった。 同学年でライバルの松添基理(藤沢西高)とともに全国で神奈川県ワンツー。秋の日本ジュニア選手権、国体を制して高校3冠を取った。 「8mはいつでも跳べる感覚はある」 何度も口にしていた言葉。だが、目標としていた森長正樹(太成学院)が1989年に樹立した7m96の高校記録、高校生初の8mジャンパーに届くことはなかった。 早生まれの佐久間にとって、次なる記録的な目標は8m10のU20日本記録(下仁/1991年)、そして学生、シニアの大会での活躍だった。 松添とともに法大に進学した佐久間。ここから、長い4年間が始まった。 長い間自己ベストを更新できずにもがき苦しんだ 大学1年目の秋の日本ジュニアこそ自己ベストを2cm更新する7m82をマークしたが、その後は7m中盤を行き来する。「200mを中心にスピードを磨く」と強化したが、なかなか跳躍と噛み合わずにいた。 高校時代細身だった身体は、学生の間ほとんど変わることはなかった。「ウェイトトレーニングよりスピードと技術」という確固たる信念があった佐久間は、まずは自分の長所を伸ばすことに専念。 米国への遠征などいろいろ試したが、ケガもあり、8mどころか6m台で終わる試合もあった。 その間、1学年下の足達一馬(現・関学大)と遠藤泰司(現・立命大)という大阪桐蔭高コンビがインターハイ路線で活躍し、橋岡優輝(八王子高→日大)が輝き始め、酒井由吾(南多摩中等→慶大)も記録を伸ばしてきた。彼らもまた「高校生として8mを跳びたい」と目標に掲げた。 「いつでも跳べると思っていましたが、簡単じゃなかった。そこからが、なかなかうまくいかないんですよ」 大学2年目。そうポツリとこぼした言葉には重みがあった。 最終学年。関東インカレ前にケガをして春シーズンはほとんど戦えず、最後の日本インカレは7m10でトップ8に残れず終わった。 高3の世界ジュニアに一緒に出た城山正太郎(東海大北海道)が16年に8mジャンパーの仲間入りし、17年には橋岡、津波響樹(東洋大)が大台に乗る。 強力なシニア勢も含め、日本の走幅跳が〝大爆発〟しそうな予感が漂う中に、佐久間は入ることができなかった。 5月の東日本実業団でセカンドベストをマークして優勝自ら動いて大学1年以来の自己新
「悩んで、迷って、メンタルはボロボロ。今のままではダメ。元に戻っても7m後半以上は目指せないと思っていました。どうしたらいいかわからなかったんです」 勝ち負けよりももっと苦しいものがあった。 「高校時代のことなど、ずっと考えてしまって。きつかったですね。自分の頭から〝経験〟を取るのはすごく難しい。結果を残せない、何より長い間、自己ベストを更新できないというのが……」 そう言うと、しばらく言葉に詰まった。 「どんなに練習しても、僕らのやっている陸上競技は記録が出ないと成長じゃない。過去の自分を超えられないというのは本当に苦しかった」 この壁にぶつかった時、人には2つの選択肢がある。やるか、辞めるか。だが、佐久間は「辞めようとは思わなかった」と言う。 「とにかく、強くなりたかった」 その単純で、純粋な思いは佐久間を突き動かした。昨年の冬。短距離の小池祐貴(住友電工)らを指導する元日本記録保持者の臼井淳一コーチを頼った。84、88年五輪代表で、元日本記録保持者。日本史上2人目の8mジャンパーは、神奈川の大先輩でもある。 臼井コーチは高1でインターハイ走高跳3位、高3時には走幅跳3位、三段跳優勝、400m2位。スピードと跳躍技術すべてを兼ね備え、現在はスプリントを指導で成果を出している〝レジェンド〟は、佐久間にとってうってつけだった。 「小池さんのように10秒3の選手が10秒0に入るのはとんでもないこと」(佐久間)。臼井コーチの指導である「力を使わずに楽に力を伝える」スプリントは、「助走で力んで踏み切りで力を使えない」という課題を持っていた佐久間にとって大きなピースになった。 走る量も増え、避けてきたウェイトトレーニングにも励んだ。体型は見違えるようになり、それでも細身だが、やっと〝大人のアスリート〟に近づいている印象だ。 そして、闇を抜け出した。 JOCが実施する就職支援、アスナビを活用して「横浜リテラ」に所属して迎えた今シーズン。5月の東日本実業団で7m81(+1.6)とセカンドベストをマークすると、雨の日本選手権では7m84(+1.2)とついに自己ベストを2cm更新した。1351日ぶりの〝自分超え〟。やっと「成長」を感じられた瞬間だった。 雨の中の日本選手権でついに自己記録を更新 8月の沖縄インターハイ。藤原孝輝(洛南高・京都)が2年生にして8mを超える大ジャンプ。佐久間の大会記録を更新されただけでなく、あれほど苦労して届かなかった高校記録もU20日本記録も簡単に超えていった。 橋岡と城山が日本記録を更新し、津波が東京五輪の参加標準記録を突破した8月の福井の競技会にも出場予定だったが、直前にアキレス腱の痛みで欠場。その輪に加わることができなかった。しかし、それも夏場に強度が高い練習を積めた反動だった。 ドーハ世界選手権には橋岡、城山、津波が初出場した。橋岡、城山と史上初めて2人が決勝に進み、橋岡が初入賞。 まさに日本の走幅跳の歴史が大きく動いた一年だった。 「すごく冷静に見ていました。藤原君もすごいですよね。2年生で。どうやって跳んだんだろうって。橋岡たちは強いですし、今の自分で戦えないのはわかっています。でも、焦りはありません」 走幅跳の歴史が塗り替わったように、佐久間にとっても、このたった2cmは大きな意味を持つ一歩だった。 東京五輪ももちろんあきらめてはいない。だが、「もっと先、ユージンの世界選手権や次のパリ五輪。そういったところを見ています」と長い目で考えている。 以前は「なぜ跳べないのかわからない」だった感覚が「足りないところがわかっている」。だから、「苦しくても楽しい」という。「スピードとパワーをつけて、ゆっくり速く走る。その感覚をつかめれば、良い踏み切りができる」と未来が開けている。 「やっと練習を積むことができています。絶対に成長できると思っているから焦りません。少しでも早く戦いに加わっていけるようにしたい」 もう誰かを意識し、大きな数字を追いかけることはない。強くなって、自分の持ち記録を常に超えていくだけ。それが〝成長〟であり、いずれ数字につながる。佐久間滉大はそう信じている。 文/向永拓史
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