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2023.11.13

やり投世界一・北口榛花インタビュー「ジェットコースター」状態の不安を抱えていたブダペスト世界陸上
やり投世界一・北口榛花インタビュー「ジェットコースター」状態の不安を抱えていたブダペスト世界陸上

女子やり投世界一の北口榛花

女子やり投の北口榛花(JAL)が激動のシーズンを終え、オフ期間を経てパリ五輪に向けて冬季練習をスタートさせた。

今年のブダペスト世界選手権で日本女子トラック&フィールド種目において、初の金メダルを獲得。さらに、世界最高峰の選手のみが出場できるダイヤモンドリーグ(DL)ファイナルでは、日本人初優勝の快挙を成し遂げた。

記録的にも2度も日本記録を更新し、DLブリュッセルで投げた世界リストトップの67m38をはじめ、トップ10に5つも記録がランクイン。まさに、「世界女王」として君臨した。「スマイル・シンデレラ」としてさらに注目を集めたが、特にブダペスト世界選手権の大逆転劇は日本中を熱狂させた。シーズンを終え、改めて大会を振り返ると、実はブダペストに向けて不安を抱えた状態で臨んでいたと明かす。

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「最終調整がうまくいかなかったんです」

大会前週の水曜日。「最後の刺激入れとして段跳びをしたら右脇腹がピリピリしました。走るのは問題なかったのですが、捻るのがダメで……」。東京五輪の予選で左脇腹を痛めて長期離脱した経験もある。緊張が走った。

予選5日前の金曜日に予定していた最後の投てき練習ができないまま、トレーニングの拠点としているチェコからディヴィッド・セケラック・コーチの運転でブダペストに入った。「脇腹がずっとピリピリしていて、消えたと思ったら痛くなる。箇所も一貫していなくて」。そうした状態もあり、「ディヴィッドも焦っていたと思いますし、全員がジェットコースターに乗っているみたいにモヤモヤしていました」と振り返る。

トレーナーがホットタオルやオイルマッサージで患部の循環を促し、「だいぶ和らいできました」。ただ、投てき練習ができなかったこともあり、予選を前に「ちゃんと投げられるのかな」という不安は大きかったという。

そうした状況に加え、スタジアム入りからベンチで用意している時まで、ずっと場内ビジョン用のカメラが自分を追いかけてくる。これまでにないプレッシャーがあり、「練習の1回目に助走の歩数を間違えたんです。保持走が1、2歩足りなくて、『かなり前から投げたな』って思いました」。

ただ、その違和感よりも脇腹の痛みがなかった安堵が勝った。第一投てき者のキャスリン・ミッチェル(豪州)が62m10を投げて一発で決勝を決めたこともあり、「それなりにプレッシャーがありました」。1回目は力みを感じて59m04。寝転んだり、逆に力んでみたり。硬さは完全に抜けなかったが、2回目に63m27を投げたのは地力の証明だった。

予選翌日は助走練習とウエイトトレーニングで刺激を入れた。次の日の決勝に備えて昼寝をしようにも、なかなか寝付けず。「どんな試合でも、勝って喜んでいるところまで想像しているのですが、そうしているうちに、そこ(イメージ)から抜け出せなくなっちゃって」。シャワーを浴びたりアイシングバスに入ったりして、心身をクールダウンしようと試みたが、「1人だったのが逆に落ち着かなかったのかも」。高揚感はありつつ、「悪い方向に想像するというのはなかったです」。

決勝に向かうとスタンドに見知った顔がハッキリとわかって驚くほど落ち着いた。しかし、「プレッシャーをかけたい」と考えていた1投目で61m78。実は右足のふくらはぎがケイレンしていたことは報じられているとおりだ。

「今まで陸上をやっていて脚がつったことがなかった」ため、「それがつっているのかどうか」もわからなかったという。「とりあえずストレッチしたり走ったり、水をしっかり飲むようにしました」。普通に走れて、トレーナーからも「大丈夫だから、落ち着いて」と声をかけられている。

ふくらはぎが気になったこともあり、「少しバタバタしてしまいました」。2回目はやや助走スピードをセーブし、3回目からスピードを上げた。しかし、「2回目のセーブした助走でのタイミングになっていたから合わなくて、突っ込んでしまいました」。

だが、ここから日本中を熱狂させる大逆転劇が始まる。

2位でトップ8に進み、4回目を終えた時点でアネテ・コツィナ(ラトビア)に抜かれて3位となる。「こっちが投げられないわけがない」。6回目にはリトル・マッケンジー(豪州)にも抜かれてメダル圏外の4位にはじき出されたが、「〝火事場の馬鹿力〟じゃないですが、最後の一投に懸ける思いと、そこでの(気持ちや技術の)制御もそれなりに上手にやれるほうだと思っています」

6回目で当時自己2番目となる66m73を放って金メダルをたぐり寄せたのはこちらも周知のとおりだ。

『最終投てきに強い』が北口の代名詞となったように、今季は15試合のうちその日の最高記録が6回目だったのは6試合あった。これは“メンタルの強さ”だけで片付けられるものではない。

「1投目でその日の調子がわかって、2、3投目で修正をかけていきます。その修正がうまくいけば6投目で記録が出る。勝負を懸けるタイミングは、3、5、6投目なんです」。そして、「できれば最後まで結果がわからないのはストレスもかかりますし、6投目に関係なく勝てたらいいなって思っています。これからも6投目に逆転するっていうふうに観ないでほしいなっていうのがお願いです!」と笑った。

すでに来年のパリ五輪代表に内定。「世界チャンピオンですが、オリンピックのチャンピオンではないので、挑戦者の気持ちで臨めればいいなと思っています」。4年に一度、世界中のアスリートが「特別な準備」をしてくる大舞台。厳しい冬季トレーニングの先に、成長した自分がいると信じて、これまでと同じように「しっかり準備していきます」。

文/向永拓史 撮影/原田健太

11月14日発売の「月刊陸上競技12月号」では、北口榛花選手(JAL)がより詳しく2023年シーズンや技術を振り返るインタビューを掲載しています。

女子やり投の北口榛花(JAL)が激動のシーズンを終え、オフ期間を経てパリ五輪に向けて冬季練習をスタートさせた。 今年のブダペスト世界選手権で日本女子トラック&フィールド種目において、初の金メダルを獲得。さらに、世界最高峰の選手のみが出場できるダイヤモンドリーグ(DL)ファイナルでは、日本人初優勝の快挙を成し遂げた。 記録的にも2度も日本記録を更新し、DLブリュッセルで投げた世界リストトップの67m38をはじめ、トップ10に5つも記録がランクイン。まさに、「世界女王」として君臨した。「スマイル・シンデレラ」としてさらに注目を集めたが、特にブダペスト世界選手権の大逆転劇は日本中を熱狂させた。シーズンを終え、改めて大会を振り返ると、実はブダペストに向けて不安を抱えた状態で臨んでいたと明かす。 「最終調整がうまくいかなかったんです」 大会前週の水曜日。「最後の刺激入れとして段跳びをしたら右脇腹がピリピリしました。走るのは問題なかったのですが、捻るのがダメで……」。東京五輪の予選で左脇腹を痛めて長期離脱した経験もある。緊張が走った。 予選5日前の金曜日に予定していた最後の投てき練習ができないまま、トレーニングの拠点としているチェコからディヴィッド・セケラック・コーチの運転でブダペストに入った。「脇腹がずっとピリピリしていて、消えたと思ったら痛くなる。箇所も一貫していなくて」。そうした状態もあり、「ディヴィッドも焦っていたと思いますし、全員がジェットコースターに乗っているみたいにモヤモヤしていました」と振り返る。 トレーナーがホットタオルやオイルマッサージで患部の循環を促し、「だいぶ和らいできました」。ただ、投てき練習ができなかったこともあり、予選を前に「ちゃんと投げられるのかな」という不安は大きかったという。 そうした状況に加え、スタジアム入りからベンチで用意している時まで、ずっと場内ビジョン用のカメラが自分を追いかけてくる。これまでにないプレッシャーがあり、「練習の1回目に助走の歩数を間違えたんです。保持走が1、2歩足りなくて、『かなり前から投げたな』って思いました」。 ただ、その違和感よりも脇腹の痛みがなかった安堵が勝った。第一投てき者のキャスリン・ミッチェル(豪州)が62m10を投げて一発で決勝を決めたこともあり、「それなりにプレッシャーがありました」。1回目は力みを感じて59m04。寝転んだり、逆に力んでみたり。硬さは完全に抜けなかったが、2回目に63m27を投げたのは地力の証明だった。 予選翌日は助走練習とウエイトトレーニングで刺激を入れた。次の日の決勝に備えて昼寝をしようにも、なかなか寝付けず。「どんな試合でも、勝って喜んでいるところまで想像しているのですが、そうしているうちに、そこ(イメージ)から抜け出せなくなっちゃって」。シャワーを浴びたりアイシングバスに入ったりして、心身をクールダウンしようと試みたが、「1人だったのが逆に落ち着かなかったのかも」。高揚感はありつつ、「悪い方向に想像するというのはなかったです」。 決勝に向かうとスタンドに見知った顔がハッキリとわかって驚くほど落ち着いた。しかし、「プレッシャーをかけたい」と考えていた1投目で61m78。実は右足のふくらはぎがケイレンしていたことは報じられているとおりだ。 「今まで陸上をやっていて脚がつったことがなかった」ため、「それがつっているのかどうか」もわからなかったという。「とりあえずストレッチしたり走ったり、水をしっかり飲むようにしました」。普通に走れて、トレーナーからも「大丈夫だから、落ち着いて」と声をかけられている。 ふくらはぎが気になったこともあり、「少しバタバタしてしまいました」。2回目はやや助走スピードをセーブし、3回目からスピードを上げた。しかし、「2回目のセーブした助走でのタイミングになっていたから合わなくて、突っ込んでしまいました」。 だが、ここから日本中を熱狂させる大逆転劇が始まる。 2位でトップ8に進み、4回目を終えた時点でアネテ・コツィナ(ラトビア)に抜かれて3位となる。「こっちが投げられないわけがない」。6回目にはリトル・マッケンジー(豪州)にも抜かれてメダル圏外の4位にはじき出されたが、「〝火事場の馬鹿力〟じゃないですが、最後の一投に懸ける思いと、そこでの(気持ちや技術の)制御もそれなりに上手にやれるほうだと思っています」 6回目で当時自己2番目となる66m73を放って金メダルをたぐり寄せたのはこちらも周知のとおりだ。 『最終投てきに強い』が北口の代名詞となったように、今季は15試合のうちその日の最高記録が6回目だったのは6試合あった。これは“メンタルの強さ”だけで片付けられるものではない。 「1投目でその日の調子がわかって、2、3投目で修正をかけていきます。その修正がうまくいけば6投目で記録が出る。勝負を懸けるタイミングは、3、5、6投目なんです」。そして、「できれば最後まで結果がわからないのはストレスもかかりますし、6投目に関係なく勝てたらいいなって思っています。これからも6投目に逆転するっていうふうに観ないでほしいなっていうのがお願いです!」と笑った。 すでに来年のパリ五輪代表に内定。「世界チャンピオンですが、オリンピックのチャンピオンではないので、挑戦者の気持ちで臨めればいいなと思っています」。4年に一度、世界中のアスリートが「特別な準備」をしてくる大舞台。厳しい冬季トレーニングの先に、成長した自分がいると信じて、これまでと同じように「しっかり準備していきます」。 文/向永拓史 撮影/原田健太 11月14日発売の「月刊陸上競技12月号」では、北口榛花選手(JAL)がより詳しく2023年シーズンや技術を振り返るインタビューを掲載しています。

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