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【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第17回「白バイ先導と箱根駅伝 〜大会を支え続けてきた警察官の皆様に敬意を込めて〜」


山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第17回「白バイ先導と箱根駅伝 〜大会を支え続けてこられた警察官の皆様に敬意を込めて〜」

第98回箱根駅伝が無事終了した。

この3週間の間に監督会議・実行委員会議・学生連合チーム意見交換会・駅伝対策委員会議・強化委員会議を終え、神奈川県警察本部にて県内の交通規制及び警備の振り返りも済ませた。

すでに来年の99回大会へとシフトレバーを切り替えたように感じてしまう。

年末の第16回のコラムでは、10000m平均タイムの著しい向上の背景と、指導者の情熱と献身が箱根駅伝のレベル向上へとつながっていると述べた。

いざ蓋を開けてみれば、青山学院大学がエントリー選手16人全員28分台という史上最強の布陣で他校を圧倒する力強さを発揮。驚異的な大会新記録で完全優勝を果たした。

惜しくも11位でシード権を逃した東海大学でさえ、総合タイムは11時間を切るなど凄まじいレベルアップを物語っている。
(詳しい分析は「月刊陸上競技2月号」の特集記事をご覧いただきたい)

100年の歴史を積み重ね、新春の風物詩としても定着してきた箱根駅伝は、俳句の季語としては認められていないものの、「箱根駅伝」又は「駅伝」で検索してみるといくつかの句が掲載されていた。

・初春の 箱根駅伝 命燃ゆ (ゆきの)
・駅伝や 天下の嶮に 玉の汗 (芳村翡翠)
・往路5区 箱根駅伝 壁登る(長岡帰山)
・駅伝や 韋駄天走り 権太坂(山口月山)
・北斎の 富士堂々と 駅伝路(岡村一道)

いずれも箱根駅伝をつぶさにご覧になり、感じたままに表現されていると感じた。
では私の視点で一句。
・左手の クラッチワークで 先導を (誠仁)

何だ、この俳句は……などとお思いの方々であろうかと拝察。箱根駅伝の中継や現地でご覧になった方々ならお気づきだろう。箱根路を疾走するランナーたちの安全と交通規制を受け持つ、警視庁・神奈川県警の白バイに乗務されている方々である。卓越した運転技術と気配り・目配り・心配りに敬意を評し、季語のない俳句をしたためさせていただいた。

白バイの先導は、時速20km前後で走るランナーを背に、一定の距離を保ちながら安全を確保し、なおかつ対向車両や沿道の観衆の動向にも注視しつつ安定走行を心がけなければならない。

ランナーのペースが落ちるとそれに合わせ、さらに低速で先導しなければならず、箱根の山中はさらに難易度が上がることを神奈川県警察本部交通部交通規制課の藤下信氏からお聞きした。

「学生ランナーの多くは箱根駅伝の中継等を観て、箱根駅伝を走ることを夢見て進学していると思う。実は白バイ隊のほとんどの方々も、箱根駅伝の先導をしたいと希望して神奈川県警に入ってくるんです」(藤下氏)

1993年の69回大会で先頭を走る早大の4区花田勝彦(現・GMOインターネットグループ監督)を先導する藤下氏(左)

とは言え、神奈川県内の2ヵ所にあるうちの「第二交通機動隊」に配属されるまでには6年かかったそうだ。昭和63(1988)年の第64回箱根駅伝から今回の98回箱根駅伝まで白バイ先導と交通規制などの陣頭指揮を述べ20回以上司ってこられている。

今春ご退職の年を迎えるとのことで、暫しお時間をいただき、箱根駅伝を振り返っていただいたわけである。

「昭和の時代の白バイはクラッチも重く、低速伴走はいわゆる半クラッチで対応することもしばしば。往路の山上りを終えて芦ノ湖の駐車スペースに着いた時には、左手の指が伸びないほど固まっていた」と語ってくれた。

選手のシューズも進化を遂げているが、白バイ隊の服装も昭和の頃は黒い革製の上下で大層重いもので、特に指先も凍える痛さに難儀したらしい。令和の現在はグリップヒーターが装備され暖かいグリップになっており、ウェアも軽く暖かい化学繊維のものとなっている。

とは言え、先頭の白バイから最後尾の白バイまで常に無線で交信しながら、凍結や水溜りなど道路状況から沿道でのペットや雑踏状況などを常に共有しながら伴走している。かなりの集中力を持続させていることに今も昔も変わりない。

12月31日の大晦日の日には白バイのすべてのカバー等を外し、歯ブラシなどを駆使して細部までピカピカに磨いて新年と箱根駅伝を迎えることが慣しという。

「選手もコンディション調整に苦心している同じ時間に、白バイの乗務員とバイクも万全の状態に仕上げています」と誇らしげに語っていただいた。

さらには選手を伴走するだけではなく、スタートより遥か以前の夜明け前には、コースの確認走行で白バイが山を下ってチェックしている。レースが始まれば交通規制が始まり、高速道路やバイパスの出入口や主要交差点付近には渋滞が発生する。毎年の箱根駅伝開催にあたって引き起こされる渋滞や停滞を当然とせず、「次回は少しでも発生規模を縮小もしくは早期解消できるよう対策を立てている」と色々な事例を交えて説明していただいた。

藤下さんが見守ったおよそ30年を超える箱根駅伝の歴史は、各大学が陸上自衛隊のジープに乗車し、大学の幟旗を取り付けて選手の後ろを遂走していた昭和の時代から、ジープが廃止され5校ほどが3台のワゴン車に同乗して選手の走列の間を追走した“呉越同舟形式”の時代。

それらの時代を経て、現在の運営管理車となるまでを、私達とはまったく違った視点で箱根駅伝を見守り支えていただいてきたことに感嘆の息を吸うのみである。

神奈川県警交通管制センターにてインタビューをしたときの写真。右が藤下氏

神奈川県内の交通規制など大会に関わる警察官は、往路・復路とも1400人だそうだ。東京都内で大会運営を支えてくださる警視庁の警察官を合わせると往路107.5km、復路109.6kmそれぞれに2000名以上の警察官の方々が、安全な走行を守るための交通規制とともに、選手たちが思い切り駆け抜けるためのステージを準備していただいていることになる。

当たり前の光景として白バイの伴走とランナー、そして運営管理車が通過してゆく光景の裏には、このように支えていただける方々の献身があるこことに改めて心からの感謝を申し上げたい。

コラムを書きつつ思いを馳せていると、こんな句が思い浮かんだ。
※何だか標語みたいになってしまったがご容赦を。

・箱根路に 懸けた青春 つづら折り
・補助員の 背が支えたる 箱根路を
・アクセルは ミラーに映る 君のため

来年の大会もどうかよろしくお願いいたします。

<追記>
帰りがけに藤下さんが
「初めて白バイ先導をさせていただいた1月3日の早朝。芦ノ湖畔の白バイを駐車しているスペースの前に陣取っていた山梨学院の応援団とチアリーダー・ヴラスバンドの皆さんが一列に並んで『ご苦労様です、今日も一日よろしくお願いいたします!』と爽やかに白バイ隊を激励していただいた。そのときの感動を胸に今日まで務めてきました」と過去を振り返るように話してくれた。

来年は、すべての大学の応援団やチアリーダー、ブラスバンドがそろう以前のような大会に戻ることも願いつつ……。

上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。

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