2021.04.24
大阪・太成学院大高を拠点にトレーニングを重ねている女子走幅跳の秦澄美鈴(左)と中野瞳(和食山口) ※3月中旬に撮影
4月25日に行われる兵庫リレーカーニバルの女子走幅跳に、室内から好ジャンプを見せてきたジャンパーが出場する。3月の日本選手権室内1、2位の秦澄美鈴(シバタ工業)と中野瞳(和食山口)だ。
ともに2月末の2021 Japan Athlete Games in Osaki(鹿児島県大崎町/室内)で今季初戦を迎え、秦が6m35で制し、中野は6m08で2位に続いた。日本選手権室内でも秦は大会新の6m33、中野は6m21。ともに、昨年のシーズンベスト(秦6m25、中野6m18)を早くも上回り、屋外初戦も同じ舞台・兵庫を選んだ。
今年、まったく同じスケジュールで跳び続ける秦と中野は、この冬から同じ場所で、同じようなトレーニングをこなしてきた。ライバルであり、トレーニングパートナーでもある2人。これまでほとんど交わることがなかった道が、「走幅跳」という共通項によって重なり合った。
トップジャンパー同士の切磋琢磨。その先に見据えるのは、もちろん大ジャンプだ。
この冬、大阪・太成学院大高でともに練習
24歳の秦と30歳の中野。出身こそ秦が大阪、中野が兵庫と隣県ではあるものの、秦は山本高から武庫川女大、中野は長田高から筑波大。1度も同じチームになったことはない。もちろん、競技会で何度も顔を合わせてはいるが、一緒にトレーニングをしたということもない。
「私がまだ走幅跳をやっていなかった学生の時に、1度大学でお会いしましたよね」(秦)
「会ってる(笑)。私、いろんなところで練習させてもらっていたから。ヒントを得たくて、国内どこでも」(中野)
お互いの面識としてはそのレベルだった。
そんな2人は今、大阪・太成学院大高を拠点にトレーニングをしている。指導を受けるのは、太成学院大高陸上部顧問の坂井裕司先生(64歳)。男子走幅跳で高校記録(7m96)、日本記録(8m25)を長く保持していた森長正樹(現・日大コーチ)をはじめ、数々のトップジャンパーを育ててきた名コーチだ。
なぜ、太成学院大高で練習をともにするようになったのか。
秦は大学卒業を機に専門種目を走幅跳に決め、専門家から学ぶために。中野は自身の走幅跳を長く模索し続けた末に、ようやくたどり着いた場所だった。
秦は日本選手権室内優勝(写真)をステップに、五輪標準を目指す
「ロングジャンパー」としての覚悟決めた秦
太成学院大高に通い始めたのは、秦のほうが1年半ほど早い。武庫川女大を卒業する2019年春、「新しい環境、新しいコーチのもとでやりたい」という思いがきっかけだった。
高校時代は走高跳、大学では走幅跳、三段跳を含む跳躍3種目に取り組んだ。いずれもハイレベルな成績を残し、大学時代の自己ベストは走高跳が1m82(1年)、走幅跳が6m24(4年)、三段跳が12m64(4年)。走高跳では大学3年だったアジア選手権に出場し、走幅跳では4年時に日本インカレを制している。
マルチジャンパーとして能力を発揮してきた秦が、19年春の大学卒業を機に走幅跳に絞った理由を、「三段跳はもともとそれほど力を入れる予定はなかったですし、走高跳も伸び悩んで何をしたらいいのかもわからなくなっていました。どっちつかずの状態になるよりは一本に絞って『これで生きていく』と決めたほうがいいなと思ったんです。それで、勢いのあった走幅跳に決めました」と明かす。
それならば、走幅跳を追求できる環境でやりたい。そんな時に、太成学院大高出身の大学の先輩を通じて、練習に参加させてもらう機会が得られた。すると、坂井先生から言われた言葉に、ハッとさせられたという。
「踏み切りは中学生レベル。最後にちょこちょこと踏み切りを合わせていたら、せっかく助走で作ったスピードがパアになってるで」
坂井先生がこれまで高校生たちに伝えてきたのは、「しっかり走って跳ぶ」ということ。もちろん、秦自身もその考えを持っていたし、「しっかり走る」の部分に「踏み切りまで」が含まれていることを理解はできていた。それでも、それを実現できるだけの技術はまだなかった。
「ちょこちょこっと走ったらブレーキになるのはもちろんわかってはいたんです。でも、『助走が無駄になる』と言われた時に、『そりゃ、そうだな』と腑に落ちました。今まで助走の始めから思いっきり走るスタイルでしたが、それが無駄やったと思ったら、本当にもったいないことをしていたんや、と。その時に、じゃあ一から直そうって思ったんです」
高校生とともに、踏み切り時の姿勢、踏み切りへの入り方、助走の組み立て方など、基本から学び、練習した。当初はスポット的に坂井先生の指導を受けるかたちだったが、その成果はすぐに表れ、その年の日本選手権を自己新の6m43で初制覇。その年の冬季から、本格的に練習拠点とすることに決めた。
昨年はコロナ禍の影響でトレーニングを中断せざるを得なかったことから、ベストは6m25、日本選手権も3位にとどまった。
しかし、「助走の最初にちょっとゆとりを持たせることで、中盤から後半に結構上げやすいということに気づいた。そのイメージでやっていくと、いい方向に進んでいく手応えがあります」。それまでに継続してきたもの、そしてこの冬に取り組み続けてものには自信がある。
「まずは東京五輪の参加標準記録(6m82)を突破することが、大きな目標です。オリンピックに出るぞ! というよりは、標準記録を突破するぞ! という感じです」
自己ベストは2019年の6m45。池田久美子(スズキ)が2006年に作った日本記録(6m86)に迫る五輪標準は、簡単に突破できる記録ではないことは自覚している。
「でも、それに向けてやっていけば、次のオリンピックにもつながると思うし、来年の世界選手権にもつながると思います。今後につなげるために、標準記録に向かって自分のイメージと、自分の動きを合わせていきたい、というのが今季のテーマです」
念願の6m44超えに向けて自然体で臨む中野(写真は日本選手権室内)
中野はまず「14年ぶりの自己新」を求めて
中野は太成学院大高に通い始めたのは、昨年の11月からだった。きっかけは、9月の全日本実業団対抗選手権でのこと。会場で偶然に坂井先生と出会い、話をする機会があった。
高校時代から知らない先生ではなく、先生が出した走幅跳の指導DVDを観て学んだこともあった。「教わりたいな」と心の片隅にあった人との出会いが、思いを大きくした。全日本実業団の後、坂井先生に思い切ってメールを送ってみた。
「その時点で秦さんを指導されているのはもちろん知っていました。なので申し訳ないなという気持ちはあったんですけど、秦さんが一緒にしてもいいと言ってくれたので。明らかに私より踏み切りがうまいのはわかっていたので、そこを学ばせてほしいなと思って決めました」
中野は兵庫・飛松中の時から走幅跳で華々しい活躍をしてきた。全中は3位。高校では2年だった07年に現在も残る6m44のU20&U18日本記録・高校記録を樹立し、インターハイ優勝。3年時は国体を制すると、日本ジュニア選手権は100mとの2冠に輝いた。
その後も筑波大大学院2年で日本インカレを初制覇、全日本実業団も15年、16年と連覇。日本選手権の最高も2位と、まずまずの成績を残してはいる。だが、高2の記録をなかなか超えられていない。
「今は自分のレベルがわかっているので『自己記録』と捉えています。でも、当時は高校記録によっていろんな大会に出させてもらうことができたけど、背伸びをした状態でした。今思うとたまたま出た記録なのに、何もわかっていなかったんです」
18年度、19年度の冬季はドイツを拠点にトレーニングをしたり、いろいろなところにヒントを求めてはそれを吸収しようとしてきた。だが、なかなか結果につながらなかった。
ただ昨年の冬に向けて、「ドイツに戻ろうと思っていたけど、コロナ禍の影響で戻れなくなってしまったんです」。母校の長田高などでトレーニングを続けようとしたが、走幅跳の専門的な技術を磨く環境としては「ちょっと厳しいな」と感じた。そのことも、坂井先生へメールを送る一押しになっている。
いざ太成学院大高に行ってみると、坂井先生からは「小学生レベル」とバッサリ。特に、「走幅跳は踏み切らないといけないんだ」ということを、改めて気づかされたという。
「これまでは走って、踏み切らずに脚を(踏み切り板)に置いて前に抜けることしかできなかったんです。自分でも薄々、踏み切れてないってわかってたんですけど……。ごまかしてやっていたのを見抜かれました。先生の前で初めて跳んだ時に『今、逆脚で跳んだの?』って言われたほどでした」
そこから、「今の自分の考えは一回捨てよう。太成の1年生になったつもりでやろう」と決めた。冬季中も跳躍練習を繰り返し、「基礎の基礎から」技術を作り直す日々。それを重ねていくうちに、いつしか思い出してきたことがある。
「自分の持ち味はパワー。これまで無理に動きを変えていた部分がありましたが、パワーを使いやすい自然な動きができるようになってきました」
思い悩む日が多かったが、この冬は「めちゃくちゃ楽しい」と、自然に笑顔になることが増えたという。
太成学院大高の坂井裕司先生(左)の元で「日本女子走幅跳を再び世界へ」と誓い合う(3月中旬に撮影)
トップジャンパーが切磋琢磨することの意味
前述した通り所属チームは違うし、学校の先輩・後輩の関係でもない。これまで接点が深かったわけでもない。
そんなトップアスリートが、同じ場所で切磋琢磨する今を、お互いにどう思っているのか。
秦は、「先生から聞いた時は一瞬、どうしようって正直思いました」と明かすが、「でも……」と言葉を続ける。
「中野さんはやっぱり、自分にないものをたくさん持っています。私と中野さんはタイプが真逆なので、一緒にトレーニングをすることで得られるものは絶対にいっぱいあると思いました。それに、高校、大学と、自分と同じレベルで活躍している選手が周りにあまりいなくて、どこかいい気になっている自分をずっと感じていました。だから、その『いい気になっている自分』を水に流す機会なのかなと思ったんです、競い合いながら練習をやっていける、この冬練習楽しみだな、という気持ちになりました」
中野も「最初は、お願いしたものの、迷惑じゃないかな」と遠慮はあったが、思いは同じだった。
「『世界を目指したい』と思った時に、一人でやっている場合じゃない、と。競い合いながら一緒に目指せる仲間が見つかったので、私はすごく助かりました。この冬は充実した練習ができているのかなと思っています」
ライバルなのは間違いない。しかし、自分に足りないものを相手が持っている。自分が成長するための見本が隣にいる。力を合わせれば、遠くにあった「世界」が近づくかもしれないと感じた。
そこには、坂井先生の思いもあった。
「パワーと技術は未完成な秦選手にとっては、強烈なトレーニングパートナーが必要。中野選手は長年の力を生かしつつ技術を完成させるには、太成でのトレーニングが必要。トップジャンパー2人が競い合うことで、その相乗効果は絶大になります。それは、日本の女子走幅跳のレベルを、世界に近づきつつある男子並みに引き上げることにもつながるはずです」
秦と中野が目指すのは、2000年代に数々の名勝負を繰り広げた池田、花岡麻帆の「2強時代」を再現し、「競り合いながら、女子走幅跳を世界で戦える種目に」(中野)することだ。6m86を持つ池田と、6m82を持つ花岡は歴史に残る激闘を何度も繰り広げ、花岡が04年アテネ五輪に、池田は08年北京五輪に出場した。
「もう1度、その時代を私たちで」――。
ともに「地元」で迎える屋外初戦、兵庫リレーカーニバルが、その第一歩となる。
ライバルとして、練習仲間として、女子走幅跳の新たな時代を築こうと誓う秦(左)と中野
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はた・すみれ/1996 年5月4日生まれ、24 歳。大阪・山本高→武庫川女大卒。高校は走高跳、大学は走高跳、走幅跳、三段跳の3種目に取り組み、走高跳ではアジア選手権出場(17 年)、走幅跳では日本インカレで4年時に初制覇。社会人になってから走幅跳に絞り、1年目は日本選手権で初優勝を果たした。自己ベストは走幅跳6m 45(19 年)、走高跳1m 82(15 年)、三段跳12 m 64(18 年)
なかの ひとみ/1990 年11 月23 日生まれ、30 歳。兵庫・飛松中→長田高→筑波大→筑波大院修了。中学で全中3位。高校では2年時に現在も残るU20 &U 18 日本記録・高校記録の6m 44(自己ベスト)をマークし、インターハイも優勝した。3年では国体、日本ジュニア選手権(100 mとの2冠)を制している。大学では大学院2年の日本インカレで優勝、全日本実業団対抗選手権は15、16年と連覇している。他種目ベストは100 m 11 秒74(08 年)、三段跳13 m 00(18 年)
文/小川雅生
この冬、大阪・太成学院大高でともに練習
24歳の秦と30歳の中野。出身こそ秦が大阪、中野が兵庫と隣県ではあるものの、秦は山本高から武庫川女大、中野は長田高から筑波大。1度も同じチームになったことはない。もちろん、競技会で何度も顔を合わせてはいるが、一緒にトレーニングをしたということもない。 「私がまだ走幅跳をやっていなかった学生の時に、1度大学でお会いしましたよね」(秦) 「会ってる(笑)。私、いろんなところで練習させてもらっていたから。ヒントを得たくて、国内どこでも」(中野) お互いの面識としてはそのレベルだった。 そんな2人は今、大阪・太成学院大高を拠点にトレーニングをしている。指導を受けるのは、太成学院大高陸上部顧問の坂井裕司先生(64歳)。男子走幅跳で高校記録(7m96)、日本記録(8m25)を長く保持していた森長正樹(現・日大コーチ)をはじめ、数々のトップジャンパーを育ててきた名コーチだ。 なぜ、太成学院大高で練習をともにするようになったのか。 秦は大学卒業を機に専門種目を走幅跳に決め、専門家から学ぶために。中野は自身の走幅跳を長く模索し続けた末に、ようやくたどり着いた場所だった。 秦は日本選手権室内優勝(写真)をステップに、五輪標準を目指す「ロングジャンパー」としての覚悟決めた秦
太成学院大高に通い始めたのは、秦のほうが1年半ほど早い。武庫川女大を卒業する2019年春、「新しい環境、新しいコーチのもとでやりたい」という思いがきっかけだった。 高校時代は走高跳、大学では走幅跳、三段跳を含む跳躍3種目に取り組んだ。いずれもハイレベルな成績を残し、大学時代の自己ベストは走高跳が1m82(1年)、走幅跳が6m24(4年)、三段跳が12m64(4年)。走高跳では大学3年だったアジア選手権に出場し、走幅跳では4年時に日本インカレを制している。 マルチジャンパーとして能力を発揮してきた秦が、19年春の大学卒業を機に走幅跳に絞った理由を、「三段跳はもともとそれほど力を入れる予定はなかったですし、走高跳も伸び悩んで何をしたらいいのかもわからなくなっていました。どっちつかずの状態になるよりは一本に絞って『これで生きていく』と決めたほうがいいなと思ったんです。それで、勢いのあった走幅跳に決めました」と明かす。 それならば、走幅跳を追求できる環境でやりたい。そんな時に、太成学院大高出身の大学の先輩を通じて、練習に参加させてもらう機会が得られた。すると、坂井先生から言われた言葉に、ハッとさせられたという。 「踏み切りは中学生レベル。最後にちょこちょこと踏み切りを合わせていたら、せっかく助走で作ったスピードがパアになってるで」 坂井先生がこれまで高校生たちに伝えてきたのは、「しっかり走って跳ぶ」ということ。もちろん、秦自身もその考えを持っていたし、「しっかり走る」の部分に「踏み切りまで」が含まれていることを理解はできていた。それでも、それを実現できるだけの技術はまだなかった。 「ちょこちょこっと走ったらブレーキになるのはもちろんわかってはいたんです。でも、『助走が無駄になる』と言われた時に、『そりゃ、そうだな』と腑に落ちました。今まで助走の始めから思いっきり走るスタイルでしたが、それが無駄やったと思ったら、本当にもったいないことをしていたんや、と。その時に、じゃあ一から直そうって思ったんです」 高校生とともに、踏み切り時の姿勢、踏み切りへの入り方、助走の組み立て方など、基本から学び、練習した。当初はスポット的に坂井先生の指導を受けるかたちだったが、その成果はすぐに表れ、その年の日本選手権を自己新の6m43で初制覇。その年の冬季から、本格的に練習拠点とすることに決めた。 昨年はコロナ禍の影響でトレーニングを中断せざるを得なかったことから、ベストは6m25、日本選手権も3位にとどまった。 しかし、「助走の最初にちょっとゆとりを持たせることで、中盤から後半に結構上げやすいということに気づいた。そのイメージでやっていくと、いい方向に進んでいく手応えがあります」。それまでに継続してきたもの、そしてこの冬に取り組み続けてものには自信がある。 「まずは東京五輪の参加標準記録(6m82)を突破することが、大きな目標です。オリンピックに出るぞ! というよりは、標準記録を突破するぞ! という感じです」 自己ベストは2019年の6m45。池田久美子(スズキ)が2006年に作った日本記録(6m86)に迫る五輪標準は、簡単に突破できる記録ではないことは自覚している。 「でも、それに向けてやっていけば、次のオリンピックにもつながると思うし、来年の世界選手権にもつながると思います。今後につなげるために、標準記録に向かって自分のイメージと、自分の動きを合わせていきたい、というのが今季のテーマです」 念願の6m44超えに向けて自然体で臨む中野(写真は日本選手権室内)中野はまず「14年ぶりの自己新」を求めて
中野は太成学院大高に通い始めたのは、昨年の11月からだった。きっかけは、9月の全日本実業団対抗選手権でのこと。会場で偶然に坂井先生と出会い、話をする機会があった。 高校時代から知らない先生ではなく、先生が出した走幅跳の指導DVDを観て学んだこともあった。「教わりたいな」と心の片隅にあった人との出会いが、思いを大きくした。全日本実業団の後、坂井先生に思い切ってメールを送ってみた。 「その時点で秦さんを指導されているのはもちろん知っていました。なので申し訳ないなという気持ちはあったんですけど、秦さんが一緒にしてもいいと言ってくれたので。明らかに私より踏み切りがうまいのはわかっていたので、そこを学ばせてほしいなと思って決めました」 中野は兵庫・飛松中の時から走幅跳で華々しい活躍をしてきた。全中は3位。高校では2年だった07年に現在も残る6m44のU20&U18日本記録・高校記録を樹立し、インターハイ優勝。3年時は国体を制すると、日本ジュニア選手権は100mとの2冠に輝いた。 その後も筑波大大学院2年で日本インカレを初制覇、全日本実業団も15年、16年と連覇。日本選手権の最高も2位と、まずまずの成績を残してはいる。だが、高2の記録をなかなか超えられていない。 「今は自分のレベルがわかっているので『自己記録』と捉えています。でも、当時は高校記録によっていろんな大会に出させてもらうことができたけど、背伸びをした状態でした。今思うとたまたま出た記録なのに、何もわかっていなかったんです」 18年度、19年度の冬季はドイツを拠点にトレーニングをしたり、いろいろなところにヒントを求めてはそれを吸収しようとしてきた。だが、なかなか結果につながらなかった。 ただ昨年の冬に向けて、「ドイツに戻ろうと思っていたけど、コロナ禍の影響で戻れなくなってしまったんです」。母校の長田高などでトレーニングを続けようとしたが、走幅跳の専門的な技術を磨く環境としては「ちょっと厳しいな」と感じた。そのことも、坂井先生へメールを送る一押しになっている。 いざ太成学院大高に行ってみると、坂井先生からは「小学生レベル」とバッサリ。特に、「走幅跳は踏み切らないといけないんだ」ということを、改めて気づかされたという。 「これまでは走って、踏み切らずに脚を(踏み切り板)に置いて前に抜けることしかできなかったんです。自分でも薄々、踏み切れてないってわかってたんですけど……。ごまかしてやっていたのを見抜かれました。先生の前で初めて跳んだ時に『今、逆脚で跳んだの?』って言われたほどでした」 そこから、「今の自分の考えは一回捨てよう。太成の1年生になったつもりでやろう」と決めた。冬季中も跳躍練習を繰り返し、「基礎の基礎から」技術を作り直す日々。それを重ねていくうちに、いつしか思い出してきたことがある。 「自分の持ち味はパワー。これまで無理に動きを変えていた部分がありましたが、パワーを使いやすい自然な動きができるようになってきました」 思い悩む日が多かったが、この冬は「めちゃくちゃ楽しい」と、自然に笑顔になることが増えたという。 太成学院大高の坂井裕司先生(左)の元で「日本女子走幅跳を再び世界へ」と誓い合う(3月中旬に撮影)トップジャンパーが切磋琢磨することの意味
前述した通り所属チームは違うし、学校の先輩・後輩の関係でもない。これまで接点が深かったわけでもない。 そんなトップアスリートが、同じ場所で切磋琢磨する今を、お互いにどう思っているのか。 秦は、「先生から聞いた時は一瞬、どうしようって正直思いました」と明かすが、「でも……」と言葉を続ける。 「中野さんはやっぱり、自分にないものをたくさん持っています。私と中野さんはタイプが真逆なので、一緒にトレーニングをすることで得られるものは絶対にいっぱいあると思いました。それに、高校、大学と、自分と同じレベルで活躍している選手が周りにあまりいなくて、どこかいい気になっている自分をずっと感じていました。だから、その『いい気になっている自分』を水に流す機会なのかなと思ったんです、競い合いながら練習をやっていける、この冬練習楽しみだな、という気持ちになりました」 中野も「最初は、お願いしたものの、迷惑じゃないかな」と遠慮はあったが、思いは同じだった。 「『世界を目指したい』と思った時に、一人でやっている場合じゃない、と。競い合いながら一緒に目指せる仲間が見つかったので、私はすごく助かりました。この冬は充実した練習ができているのかなと思っています」 ライバルなのは間違いない。しかし、自分に足りないものを相手が持っている。自分が成長するための見本が隣にいる。力を合わせれば、遠くにあった「世界」が近づくかもしれないと感じた。 そこには、坂井先生の思いもあった。 「パワーと技術は未完成な秦選手にとっては、強烈なトレーニングパートナーが必要。中野選手は長年の力を生かしつつ技術を完成させるには、太成でのトレーニングが必要。トップジャンパー2人が競い合うことで、その相乗効果は絶大になります。それは、日本の女子走幅跳のレベルを、世界に近づきつつある男子並みに引き上げることにもつながるはずです」 秦と中野が目指すのは、2000年代に数々の名勝負を繰り広げた池田、花岡麻帆の「2強時代」を再現し、「競り合いながら、女子走幅跳を世界で戦える種目に」(中野)することだ。6m86を持つ池田と、6m82を持つ花岡は歴史に残る激闘を何度も繰り広げ、花岡が04年アテネ五輪に、池田は08年北京五輪に出場した。 「もう1度、その時代を私たちで」――。 ともに「地元」で迎える屋外初戦、兵庫リレーカーニバルが、その第一歩となる。 ライバルとして、練習仲間として、女子走幅跳の新たな時代を築こうと誓う秦(左)と中野 ============================== はた・すみれ/1996 年5月4日生まれ、24 歳。大阪・山本高→武庫川女大卒。高校は走高跳、大学は走高跳、走幅跳、三段跳の3種目に取り組み、走高跳ではアジア選手権出場(17 年)、走幅跳では日本インカレで4年時に初制覇。社会人になってから走幅跳に絞り、1年目は日本選手権で初優勝を果たした。自己ベストは走幅跳6m 45(19 年)、走高跳1m 82(15 年)、三段跳12 m 64(18 年) なかの ひとみ/1990 年11 月23 日生まれ、30 歳。兵庫・飛松中→長田高→筑波大→筑波大院修了。中学で全中3位。高校では2年時に現在も残るU20 &U 18 日本記録・高校記録の6m 44(自己ベスト)をマークし、インターハイも優勝した。3年では国体、日本ジュニア選手権(100 mとの2冠)を制している。大学では大学院2年の日本インカレで優勝、全日本実業団対抗選手権は15、16年と連覇している。他種目ベストは100 m 11 秒74(08 年)、三段跳13 m 00(18 年) 文/小川雅生
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