2019.11.10
【Web特別記事】
やり投・北口榛花インタビュー前編
世界選手権の〝追試〟で日本新
「間違いじゃなかった」チェコでの3ヵ月
10月27日の北九州カーニバルで、女子やり投の北口榛花(日大)が66m00の日本新記録を樹立。今季自身2度目の日本記録は、世界大会のメダルが狙えるビッグスローだった。飛躍し続ける北口に、世界選手権から日本新記録までを振り返ってもらった。

世界選手権で予選敗退
ケア不足と〝甘く見ていた〟61m
日付が変わって10月1日の深夜。北口榛花(日大)の姿がテレビの画面に映し出された。涙が溢れ出て止まらない。
「映っているから泣かないで、って日本で見ている知人からたくさん連絡が入って来て、それを見て余計に泣いちゃいました」
ドーハ世界選手権で敗退してから約1ヵ月後、そう言って照れ笑いを浮かべる。どちらも北口らしい表情だ。
5月に64m36の日本新記録を樹立。6月の日本選手権で初優勝を果たし、ドーハ世界選手権の代表をつかみ取った後は、イタリア・ナポリでのユニバーシアード(銀メダル)を経て、帰国せずにチェコに渡りそのままドーハへと向かった。
昨年冬に自分で交渉してやっと見つけた、より高みを目指せる練習拠点。世界記録保持者のB.シュポターコヴァらトップ選手を次々輩出するやり投王国で、冬の1ヵ月よりさらに長い3ヵ月間、デヴィッド・シェケラック・コーチとそのクラブの仲間たちとトレーニングに励んだ。
「ドーハで65mを投げようと目標を立てていました。チェコではスピード強化とウエイトトレーニングが中心に取り組みました。助走スピードも日本記録(64m36)を出した春よりも上がりました。現地で出場した試合では60mを超えるのがやっとでしたが、手応えはつかんで世界選手権に臨めたと思います」
決勝進出を目指した北口は、予選A組に入った。1投目に57m34。誤表示されるアクシデントもあった。そして2投目に60m84、3投目は60m54。一発通過記録の63m50には届かず。
A組・B組を合わせて決勝に進めるのは12人。A組で通過記録を超えた選手はおらず、北口はその時点で7番目。12番目に入るかどうかを待つだけ。ただ祈ることしかできなかった。
そして、約1時間後。B組の予選3回に入り、北口の記録は12番目に下がった。あと少しで決勝――その夢を打ち砕いたのは、女王・シュポターコヴァだった。最終的に北口は13番。あと6cm足りなかった。
シュポターコヴァも、12番目で決勝に進んだB.セディヴァもチェコ出身。チェコでこれまで以上に成長した北口だが、奇しくも王国の底力を改めて見せつけられ、予選敗退となった。
スタンドでは、シェケラック・コーチや仲間、かつて練習を積んだフィンランドの関係者ら、みんなに慰められた。セディヴァからは「ごめんね」と、男子やり投世界記録保持者のJ.ゼレズニーからも「決勝はチェコががんばるから」と声をかけられた。悔しくもあったが、「戦った選手もスタンドにいるコーチ、関係者も、みんな知っている顔ばかり」というのが、少しうれしくもあった。
「コーチからは〝61m50で決勝に行ける〟と言われていました。何を根拠に? と思いましたが、経験を元に言っていて、実際にそれを投げれば行けました。65mを投げる準備もできていたのに、〝約束〟の数字も出せなかったのが悔しくて。
普段から緊張しないタイプなので、ドーハでも緊張は感じませんでした。周りからは『表情が怖かった』とは言われましたけど……。これまで『目一杯で臨んで予選を突破しないといけない』という状況を経験したことがありませんでした。手応えをつかんでいたので、61mくらいは投げられるだろう、と少し甘くみてしまっていたかもしれません。
いい練習ができて技術面では状態が良かったですが、3ヵ月チェコにいたことで、身体のケアの部分で少し足りていなくて思い切って動けない状態だったことも影響しました」
悔しさでいっぱいだったが、その時の状況も、原因も今ではハッキリと分析できる。
世界選手権では悔しい予選落ちに終わった北口榛花
追試に〝一発快投〟
「チェコに行って良かった」と証明
北口は世界選手権で今シーズンを終えるつもりだった。しかし、シェケラック・コーチから「3ヵ月でパワーアップしているし、技術も進化している。やってきたことを出すには世界選手権までの試合では足りなかった。最後まで試合に出よう。残りの試合は何がある?」と〝追試〟が与えられた。
帰国してすぐに茨城国体があり、スケジュール的に厳しいが出場するのが不可能ではなかった。だが、世界選手権との兼ね合いで断ったことを伝えると「なぜエントリーしていないんだ」と叱られた。そこで出場を決めたのが10月27日の北九州カーニバルだった。
1週間休養に充て、試合までの3週間の練習スケジュールを細かく出してもらい、それをやり切ることを決意。台風の影響や日大グラウンドの改修もある中、ナショナルトレーニングセンターや他大学を訪れて投てき練習をした。チェコで行ったプルオーバー用の器具に近いウエイトトレーニング器具を購入。調整練習はほぼすべてこなしたが、調子は最悪だった。
「練習でも全然飛ばなくて。それは普段からなんですが、それでも一生懸命投げて52、53mとかしか飛ばない。先生方とは『とりあえず60mは投げて負けないようにしよう』と話していたくらい。
北九州では助走を速くすることがテーマでした。でも、福岡に着いて、当日練習をすると脚が動いているな、と感じたんです。これなら少しは行けそうだな、と。1回目が変な軌道だったのに結構飛んだんです。まさかこんなに出ると思わなかった」
63m47は、1回目としては自己最高の記録。アドバイスを送ってくれていた先輩の小椋健司(日本体育施設)が「もう行っていいよ」と声をかけた。その一言で「来シーズンのために速い助走を試してみよう」と2回目以降に臨んだ。
「思い切って走ったら少し怖くて2回目はタイミングがズレてファウルでした。でも、それで『次はここを直そう』とやれました。3回目は世界選手権と同じで、引っ張る感じ。きれいにまっすぐ飛ぶけど飛距離が出ない。身体が先に開く悪い時のクセが出ていたので、4回目以降はブロックの左足を少しだけ右に着いて右方向へ投げるイメージでいきました」
少しずつ修正を加えると、3回目61m12、4回目63m61と飛距離を伸ばした。
「これなら日本記録まで行けるかもしれないと思って投げていました。今まではスッと投げていた感じですが、5回目は今までで一番、引っかかるというか、身体の中心から出た力を、やりに伝えられたと思います」
〝すごい行ったぽい〟というのはわかった。日本記録の赤いラインの向こう側にやりは刺さる。だが、どれくらい飛んだかはわからなかった。
記録のアナウンスが聞こえる。北口は満面の笑みを浮かべ、飛び跳ねた。これもいつもの光景。頭を抱え、信じられないといった表情を浮かべる。
66m00。自身の日本記録を1m64更新したこの記録は、2001年以降の五輪・世界選手権のすべての大会でメダル獲得に該当するもので、ドーハの銀メダル相当だ。世界を股にかけて活躍する呂會會(中国)のアジア記録まで1m98cm。目の前が大きく開ける一投だった。
記録を確認すると驚きと歓喜を思いっきり表した
北九州カーニバルでの内訳
| 63m47 | 51m68 | 61m12 | 63m61 | 66m00 | F |
「とにかくビックリ。信じられなかったし、本当にうれしかったです。コーチから『65mを投げるまでシーズンオフはないよ』と言われていたんですが、まさか本当にこんなパッと行けるなんて。チェコでやっていたことが間違いではなかった。今まで、試合の調整はとにかく〝疲労を抜く〟ことだけを考えていました。今は投げの日を考えて、これまで苦手だったウエイトで刺激を入れるなど、ちゃんと考えて取り組めています。それで結果が出たので、来季に向けてもこれでいいんだなってホッとしました」
世界選手権で敗退し、その後の大会で日本新。チェコで取り組んだことをかたちとして表現できた。しかし、「大舞台で記録を出せない」、「追い風に乗っただけ」。そんな心ない言葉もあった。
「北九州は確かに自分の好きな追い風でしたが、それは向かい風の得意な選手もいることなので……。日本記録2つはグランプリシリーズで投げているんで、決して小さな試合ではありません。世界選手権の敗因もしっかりわかっているので大丈夫です。66mも特別な投げではなく、いつも通り投げました。再現性もあると思います。
『海外に行けばいいってもんじゃない』とか『日本でも同じことをやっている』という人もいるかもしれません。海外に行くことで記録が停滞する選手がいる、ということも聞きます。もちろん、そういう例もあると思いますが、チェコに行ったからといってシュポターコヴァの投げになるわけではない。投げ方に正解はないと思います。本場の力を借りて、そこに自分の良さをプラスしていけば成果が出る。私は行って良かったと証明できました」
高校時代からフィンランドなどに行ったことも、大学での紆余曲折も、そしてチェコでの生活も、世界選手権での失敗も、すべてが線でつながった瞬間。そして、その延長線上に、まだまだ続きがあることを確信した瞬間でもあった。
文/向永拓史
やり投・北口榛花インタビュー後編
自分で行動することの大切さ〝自力〟をつけて東京五輪ではメダルを
北九州カーニバル大会の様子は月刊陸上競技12月号(11月14日発売)で掲載!
世界選手権で予選敗退 ケア不足と〝甘く見ていた〟61m
日付が変わって10月1日の深夜。北口榛花(日大)の姿がテレビの画面に映し出された。涙が溢れ出て止まらない。 「映っているから泣かないで、って日本で見ている知人からたくさん連絡が入って来て、それを見て余計に泣いちゃいました」 ドーハ世界選手権で敗退してから約1ヵ月後、そう言って照れ笑いを浮かべる。どちらも北口らしい表情だ。 5月に64m36の日本新記録を樹立。6月の日本選手権で初優勝を果たし、ドーハ世界選手権の代表をつかみ取った後は、イタリア・ナポリでのユニバーシアード(銀メダル)を経て、帰国せずにチェコに渡りそのままドーハへと向かった。 昨年冬に自分で交渉してやっと見つけた、より高みを目指せる練習拠点。世界記録保持者のB.シュポターコヴァらトップ選手を次々輩出するやり投王国で、冬の1ヵ月よりさらに長い3ヵ月間、デヴィッド・シェケラック・コーチとそのクラブの仲間たちとトレーニングに励んだ。 「ドーハで65mを投げようと目標を立てていました。チェコではスピード強化とウエイトトレーニングが中心に取り組みました。助走スピードも日本記録(64m36)を出した春よりも上がりました。現地で出場した試合では60mを超えるのがやっとでしたが、手応えはつかんで世界選手権に臨めたと思います」 決勝進出を目指した北口は、予選A組に入った。1投目に57m34。誤表示されるアクシデントもあった。そして2投目に60m84、3投目は60m54。一発通過記録の63m50には届かず。 A組・B組を合わせて決勝に進めるのは12人。A組で通過記録を超えた選手はおらず、北口はその時点で7番目。12番目に入るかどうかを待つだけ。ただ祈ることしかできなかった。 そして、約1時間後。B組の予選3回に入り、北口の記録は12番目に下がった。あと少しで決勝――その夢を打ち砕いたのは、女王・シュポターコヴァだった。最終的に北口は13番。あと6cm足りなかった。 シュポターコヴァも、12番目で決勝に進んだB.セディヴァもチェコ出身。チェコでこれまで以上に成長した北口だが、奇しくも王国の底力を改めて見せつけられ、予選敗退となった。 スタンドでは、シェケラック・コーチや仲間、かつて練習を積んだフィンランドの関係者ら、みんなに慰められた。セディヴァからは「ごめんね」と、男子やり投世界記録保持者のJ.ゼレズニーからも「決勝はチェコががんばるから」と声をかけられた。悔しくもあったが、「戦った選手もスタンドにいるコーチ、関係者も、みんな知っている顔ばかり」というのが、少しうれしくもあった。 「コーチからは〝61m50で決勝に行ける〟と言われていました。何を根拠に? と思いましたが、経験を元に言っていて、実際にそれを投げれば行けました。65mを投げる準備もできていたのに、〝約束〟の数字も出せなかったのが悔しくて。 普段から緊張しないタイプなので、ドーハでも緊張は感じませんでした。周りからは『表情が怖かった』とは言われましたけど……。これまで『目一杯で臨んで予選を突破しないといけない』という状況を経験したことがありませんでした。手応えをつかんでいたので、61mくらいは投げられるだろう、と少し甘くみてしまっていたかもしれません。 いい練習ができて技術面では状態が良かったですが、3ヵ月チェコにいたことで、身体のケアの部分で少し足りていなくて思い切って動けない状態だったことも影響しました」 悔しさでいっぱいだったが、その時の状況も、原因も今ではハッキリと分析できる。
世界選手権では悔しい予選落ちに終わった北口榛花
追試に〝一発快投〟 「チェコに行って良かった」と証明
北口は世界選手権で今シーズンを終えるつもりだった。しかし、シェケラック・コーチから「3ヵ月でパワーアップしているし、技術も進化している。やってきたことを出すには世界選手権までの試合では足りなかった。最後まで試合に出よう。残りの試合は何がある?」と〝追試〟が与えられた。 帰国してすぐに茨城国体があり、スケジュール的に厳しいが出場するのが不可能ではなかった。だが、世界選手権との兼ね合いで断ったことを伝えると「なぜエントリーしていないんだ」と叱られた。そこで出場を決めたのが10月27日の北九州カーニバルだった。 1週間休養に充て、試合までの3週間の練習スケジュールを細かく出してもらい、それをやり切ることを決意。台風の影響や日大グラウンドの改修もある中、ナショナルトレーニングセンターや他大学を訪れて投てき練習をした。チェコで行ったプルオーバー用の器具に近いウエイトトレーニング器具を購入。調整練習はほぼすべてこなしたが、調子は最悪だった。 「練習でも全然飛ばなくて。それは普段からなんですが、それでも一生懸命投げて52、53mとかしか飛ばない。先生方とは『とりあえず60mは投げて負けないようにしよう』と話していたくらい。 北九州では助走を速くすることがテーマでした。でも、福岡に着いて、当日練習をすると脚が動いているな、と感じたんです。これなら少しは行けそうだな、と。1回目が変な軌道だったのに結構飛んだんです。まさかこんなに出ると思わなかった」 63m47は、1回目としては自己最高の記録。アドバイスを送ってくれていた先輩の小椋健司(日本体育施設)が「もう行っていいよ」と声をかけた。その一言で「来シーズンのために速い助走を試してみよう」と2回目以降に臨んだ。 「思い切って走ったら少し怖くて2回目はタイミングがズレてファウルでした。でも、それで『次はここを直そう』とやれました。3回目は世界選手権と同じで、引っ張る感じ。きれいにまっすぐ飛ぶけど飛距離が出ない。身体が先に開く悪い時のクセが出ていたので、4回目以降はブロックの左足を少しだけ右に着いて右方向へ投げるイメージでいきました」 少しずつ修正を加えると、3回目61m12、4回目63m61と飛距離を伸ばした。 「これなら日本記録まで行けるかもしれないと思って投げていました。今まではスッと投げていた感じですが、5回目は今までで一番、引っかかるというか、身体の中心から出た力を、やりに伝えられたと思います」 〝すごい行ったぽい〟というのはわかった。日本記録の赤いラインの向こう側にやりは刺さる。だが、どれくらい飛んだかはわからなかった。 記録のアナウンスが聞こえる。北口は満面の笑みを浮かべ、飛び跳ねた。これもいつもの光景。頭を抱え、信じられないといった表情を浮かべる。 66m00。自身の日本記録を1m64更新したこの記録は、2001年以降の五輪・世界選手権のすべての大会でメダル獲得に該当するもので、ドーハの銀メダル相当だ。世界を股にかけて活躍する呂會會(中国)のアジア記録まで1m98cm。目の前が大きく開ける一投だった。
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