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2023.04.14

日本気圧バルク工業スペシャルトレーニングアドバイザー・ 高橋尚子さん(シドニー五輪女子マラソン金メダリスト)に聞く「勝つためのO2Room®活用術」 
日本気圧バルク工業スペシャルトレーニングアドバイザー・ 高橋尚子さん(シドニー五輪女子マラソン金メダリスト)に聞く「勝つためのO2Room®活用術」 

〝酸素の力〟でアスリートを支えて20年の実績を誇り、O2Room®を導入した方々から絶大なる信用を寄せられている日本気圧バルク工業。製品のすばらしさを高橋尚子さん(左)と天野英紀社長がアピールした

Vol.1 低圧低酸素ルーム編

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本チームの活躍に熱狂した3月。世界の強豪を相手に躍動する選手たちのハイパフォーマンスが私たちに、感動とともに勇気と元気を与えてくれた。その主役たるトップ選手の競技力を支えているのが、たゆまぬ努力に加え、「運動」「栄養」「休養」の3つの要素だと言われている。21世紀に入って医科学が急速に発達し、ITが進歩する現在、科学的なトレーニングと合わせ、これら3大要素をテクノロジーによってさらに高度化する動きに拍車がかかっている。

世の中の変化およびスポーツ科学の発展に対応し、日本気圧バルク工業株式会社が注目したのが、運動(トレーニング)と休養(リカバリー)に深く関わるとされる〝酸素〟の存在だった。同社は、試行錯誤を繰り返すなか、科学的知見に基づいた酸素ルームを独自に開発。自社で企画・開発から製造までを行い、大学・病院など各種研究機関と連携を図りながら信頼のブランドとして国内外に広く展開している。

ここでは、昨年、同社のスペシャルトレーニングアドバイザーに就任した2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストで、日本の高地トレーニングのパイオニア的存在でもある高橋尚子さんに、低圧低酸素および高気圧酸素の効果や活用法、酸素ルームの効果的な使い方やその未来などについてうかがった。

アフリカ勢の活躍で
一躍脚光を浴びた高地トレーニング

東アフリカの標高2000mあたりの高地で暮らし、トレーニングを積むケニア人選手、エチオピア人選手の活躍もあり、今では長距離ランナーを中心に心肺機能の強化などを目的に一般化している高地トレーニング。

日本でも、標高約2300mの高地での開催だった1968年のメキシコシティ・オリンピックを契機に高地トレーニングの研究が進められるようになったが、本格的にアメリカのボルダーやアルバカーキ、スイスのサンモリッツ、中国の昆明など標高1500mから2000mの高地で合宿が行われるようになったのは1980年代になってから。1990年代に入るとより活発になっていった。

2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんも名将・小出義雄監督(故人)のもと、時には富士山(3776m)よりも高い〝超高地〟でトレーニングを積むなど「世界一」を自認する厳しいトレーニングを行なって世界の頂点に立った。

そんな高橋さんにとっての高地トレーニングとは、いったいどのようなものだったのか――。
さらに、その高地トレーニングや高地での滞在を日本に、そして平地にいながらにして気軽に体験できる日本気圧バルク工業の酸素ルームとはどんな存在であり、どんな使い方が有効なのか――。

平地にいながら標高3000mの高地と同じ環境(気圧と酸素濃度)を実現する日本気圧バルク工業の低圧低酸素ルームを絶賛する高橋さん

高地トレーニングのメリットとデメリット ~デメリットを解消してくれる酸素ルームの効用~

私が最初に高地トレーニングを行なったのは大学生(大阪学院大)の頃です。当時から箱根駅伝で活躍していた山梨学院大なども合宿地として利用していた長野の霧ヶ峰高原、車山でトレーニングをしたのが最初です。標高1500mぐらいのところでジョグやクロカン走などを行なっていました。その頃は、高地トレーニングの効果などはまったく知らず、普段学校で行う練習よりタイムが遅いので不思議に思っていたぐらいです。

本格的に高地トレーニングに取り組むようになったのは大学を卒業して実業団に入ってからです。4月1日の入社式を終え、3日にはボルダーに出発していました。それまでは有森(裕子)さんなど、世界で活躍するランナーが練習する場所というぐらいの認識で、まさか自分がそこでトレーニングするようになるとは思ってもみませんでした。

チームの拠点が標高1600mの所にあり、そこで2日〜3日かけ60~90分ジョグなど軽めの練習で身体を高地に慣らした後、本格的なトレーニングに入るというのが通例でした。練習場所としては標高1600mから上は2500mあたりまでのコースを中心に使っていました。2500m以上に上がるとやはり少し呼吸がきつくなるなどの変化を感じます。また、標高が高くなればなるほど乾燥しており、喉が渇くというのが高地の特徴です。ですから常に水分補給には気を配っていました。

その後、シドニー五輪の前などは標高2600mの場所を拠点にして、そこから3500mを超える場所で練習をしていたので、さらに乾燥がひどく、洗濯したジーパンがほんの2~3時間で乾いてしまうほどで、小まめに給水をとるようにしていました。また、1600mぐらいではあまり感じなかったのですが、2600mまで上がって生活するようになると最初は眠りが浅くなるという感覚がありました。

私自身、〝高地順応〟が早く、生活していても苦にならない方なのですが、さすがに2600mから3500mや超高地の4300mまで上がっていくと、気圧の関係で耳が痛くなったことも一度だけ経験があります。長く高地に滞在すると空気の軽さや希薄さで空気がサラサラしているように感じます。平地に戻った際にまとわりつくような空気の重さや酸素のありがたみなどを実感できるようになり、その分、練習でも身体が楽に 動いてくれる感覚がありました。

心肺機能の強化に加え、私は現役時代から貧血傾向にあったので、高地に滞在することで、平地に戻った後もヘモグロビン量などを高い数値で維持することができ、その面からも高地トレーニングは有効だったと感じています。

そういう意味では、アドバイザーを務めるようになり、日本気圧バルク工業の酸素ルームを体験させていただき、低圧低酸素ルームでほんの20分ほどトレーニングをしただけでヘモグロビン量がアップしたのを見て、高地に行くことなく気軽に高地の効果を体験できるのに驚きました。貧血には苦しんだので、現役時代に酸素ルームがあれば、絶対に常用していたと思います。

また、先ほどもお話した通り、一気に1000m以上標高を上っていくと、どうしても気圧の関係で耳が痛くなるなど身体に変調をきたす場合もあります。しかし、日本気圧バルク工業の酸素ルームの場合、耳抜きの機能も付いており、徐々に気圧を変化させることで、身体への負担を減らし同等の効果を得られるので、まさに一石二鳥だと感じました。

私は、高地合宿に行って体調を崩したことはありませんが、チームの中には到着後、何日も練習ができない選手や途中で不調になる選手もいました。国内ならまだしも、一度海外に来てしまうとチームで行動しているので気軽に帰国することもできませんし、狙ったレースから逆算して合宿やトレーニングを組んでいるので、その計画が狂ってしまうことになります。

もし私が現役の時に、こうした酸素ルームがあれば、事前に体調の変化を確認することもできますし、高地合宿に出かける前に利用することで、身体を慣らしてから合宿地に赴くことができ、あちらでの慣らし期間を 短縮することができるなど、いいことずくめだと感じています。

日本気圧バルク工業の酸素ルームは、高気圧酸素、低圧低酸素のそれぞれのタイプに加え、その両方を切り替えて使用できる2WAYタイプがそろっており、使用者のニーズに応えている。また、高地トレーニングのメッカであるボルダーやアルバカーキ、サンモリッツ、中国の昆明などはいずれも標高の高い高地のため、極寒の冬場を除く春から秋に練習期間が限られる。南半球と北半球を使い分ければ年間を通じてトレーニングは可能だが、移動や使用する季節・期間に制限があった。

低温によるケガのリスクなどを含め、そうした課題も、酸素ルームなら室内のエアコンを活用して気温・湿度の調整も可能で、大会が行われる場所の気候や時期に合わせて調整することもできるメリットがある。

現役時代、米国コロラド州ボルダーでの合宿では標高3500mを超える〝超高地〟で高地トレーニングも敢行したことがある高橋さん。
「誰もやったことがないハードトレーニング」が五輪の金メダル獲得や世界記録樹立につながった 
撮影/北川外志廣

酸素ルームの使用法や用途はさまざま
無限に広がる可能性

私の場合、だいたい狙ったレースの8ヵ月前からマラソン練習を開始するのが通例でした。マラソンを始めた頃は、1~3月のマラソン期に一度レースを走り、あまり練習を落とさずコンディションを維持した状態でトラックレースに挑み、トラック(5000mや10000m)でもタイムを狙っていくというスケジュールを組んでいました。しかし、狙ったマラソンでしっかり結果を出すには、作った器(身体)を一度壊し、さらに強く容量の大きい器(身体)に新たに作り替えるイメージで、マラソン練習に挑むパターンに切り替えました。

一度作った器に付け足したり、それを再度磨くことで結果を残せていましたが、負荷も大きいですし、付け足した部分のもろさもあります。せっかく作った器ですが、それを壊してリセットし、もう一度基礎から作り替える作業から始める感覚で取り組んでいました。マラソン後にしっかり休息を取り、心身ともに栄養を行き渡らせた上で、次へのスタートを切る感じでスケジュールを立てていました。

小出監督の練習メニューは、いま振り返っても「世界一ハードだった」と言っても過言ではないほどきついメニューでした。ですから、いきなりそのメニューに入ってしまうと故障の心配が付きまといます。監督の頭の中には常に、絶好調の時の私のイメージがあるので、これぐらいはできるだろうといきなりきついメニューを渡されても身体が付いていきません。

ですから練習を再開して最初の1ヵ月ほどは必ずウォークから始めて身体を慣らし、体重を少しずつ落として〝器〟の基礎を築き、走れるようになった段階でボルダーに向かっていました。それがマラソンの6ヵ月ほど前になります。そこには監督は来ることはなく、高地で1ヵ月ほど心肺機能を高めつつ脚づくりを行い一度日本に帰国してハーフマラソンで1時間10分程度の速さで走れるほどにして、基礎が築けていることを確認します。

その後、監督のメニューをいただき、本格的なマラソン練習へと移行します。再度アメリカに渡って4ヵ月ほど高地に滞在しつつハードな練習をこなし、大会の2週間前に帰国するというのがパターンとなっていました。最初は標高1600mから1800mで練習を行なっていましたが、先ほどもお話した通り、その後は2500m、さらに3500mと標高の高いところで練習を行うことで、最初きついと思っていた高さを超えていくことで自分の殻を破り、厳しい練習を乗り越えたからこそ結果が出せると思って取り組んでいました。レースの2週間前に帰国するというのは、高地トレーニングの効果が持続するのが2週間から3週間と言われていたからです。

当時は拠点を1600mに置いて、そこから2500mに上がったり、拠点を2500mに移して、そこから3500mまで上がるなどを繰り返しつつ練習を行なっていました。「3500mでの練習はリスクが大きい」とか、「疲れが抜けず結果が出せない」など、周囲からいろいろ言われましたが、常識的な練習をしていては世界一にはなれないと小出監督も私も共通意見だったので、非常識と言われるところまで踏み込んでトレーニングを積むことで金メダルを獲得するという強い気持ちで取り組んでいました。

シドニー五輪の前年の世界陸上(1999年、スペイン・セビリア大会)で(マラソンが開催される)レース当日に棄権をするという悔しい思いをしていたので、シドニーではリベンジしたいという気持ちが強かったですね。標高3500mのコースは、その棄権した世界陸上の直後に見つけたもので、本当にきついコースでした。コースの中では森林限界が3200m近くにあり、草木が生えているところまでは、まだ何とか呼吸も大丈夫なのですが、そこを超える標高になると、タイム的にも1マイル(約1609m)で1分近くタイムが落ち、心臓が握りつぶされそうになる感覚になります。

コースもアスファルトではなくガタガタの砂利道で、バランスの悪いところを走ることで脚力はもちろん、上半身や普段は使わないいろいろな筋肉などを鍛えることができ、その効果は大きかったと感じています。練習をやり切った後は、これだけきつい練習をしたのだから、絶対に負けられないという気持ちが強くなり、メンタル面も鍛えられたと思います。

それだけハードな練習をしていたので、気を付けていたのは疲れをなるべく翌日に残さないこと。練習後のケアであったり、食事、特に睡眠はしっかりとるようにしていました。いくらいいトレーニングをしても、ケガや故障をしてしまっては元も子もありません。トレーニング(運動)と食事(栄養)、睡眠(休養)の適度なバランスを大切にしていました。

当時は、こうしていろいろ工夫しながら高地トレーニングを行なっていましたが、それが酸素ルームを活用すれば、平地にいながらにして拠点を移すこともなく、同じ環境でトレーニングを積むことができます。移動の手間や環境への順応のことを考えれば、そうしたストレスを感じることなく効率的に高地トレーニングができる酸素ルームは本当に便利だと感じます。さらに高気圧酸素を活用すれば、睡眠の質も確保できますし、疲れを取るなどの効果があり、故障の心配もかなり軽減されます。

また、先ほどもお話した通り、高地トレーニングの効果は平地に下りて2週間ほどだと言われています。私は、それに合わせて帰国していました。高地では心肺が苦しくなる分、日本で出すトップスピードと比べるとスピードレベルが若干落ちます。女子の場合は、マラソンではそこまでハイペースになることはないのでまだ大丈夫ですが、男子の場合は5㎞を14分台で刻むなどスタミナに加えスピードも求められます。

ですから、男子チームは女子とは異なり1ヵ月前ぐらいに平地に戻ってくるケースもあるように見受けられます。しかし、高地で高めた心肺機能が薄れてしまう恐れがあります。そうした場合でも、平地でスピード練習を行いつつ、酸素ルームを活用して高地の環境下に身体を置くことで、その効果を持続されることができ、選手に合った調整法の幅が広がると考えられます。

いろんなチームを取材するなかでも、高地トレーニングや酸素ルームの活用法はさまざまだとお聞きしています。なかにはチームではなく個人で酸素ルームを購入して活用している選手もいるほど、陸上界では酸素ルームが広がっています。個人で購入している選手などは、トレーニングで強化した心肺機能をさらに定着させるために、自宅では高地で生活している環境を求めて活用しているということでした。ケニアやエチオピアの選手が強いのは、質の高いトレーニングもありますが、高地で生まれ育ったことも深く関係していると思います。

最近では、実業団チームはもちろん、トレーニング施設や接骨院など治療院にも酸素ルームが普及してきていると聞いています。酸素ルームの用途は、トップアスリートをはじめ、トップアスリートになるための土台を築くため、健康のため、病気・ケガなどからの回復やリハビリに至るまで、使う人のニーズによって幅広いと感じており、その可能性は無限に広がっているのではないでしょうか。

脚などの故障中も低圧低酸素ルーム内でバイクを漕ぐことで、心肺機能の低下を防ぐ効果が期待できる

※次号では、高気圧酸素ルームの使い方や効果などについてのお話となります。

構成/花木 雫、撮影/樋口俊秀

Vol.1 低圧低酸素ルーム編

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本チームの活躍に熱狂した3月。世界の強豪を相手に躍動する選手たちのハイパフォーマンスが私たちに、感動とともに勇気と元気を与えてくれた。その主役たるトップ選手の競技力を支えているのが、たゆまぬ努力に加え、「運動」「栄養」「休養」の3つの要素だと言われている。21世紀に入って医科学が急速に発達し、ITが進歩する現在、科学的なトレーニングと合わせ、これら3大要素をテクノロジーによってさらに高度化する動きに拍車がかかっている。 世の中の変化およびスポーツ科学の発展に対応し、日本気圧バルク工業株式会社が注目したのが、運動(トレーニング)と休養(リカバリー)に深く関わるとされる〝酸素〟の存在だった。同社は、試行錯誤を繰り返すなか、科学的知見に基づいた酸素ルームを独自に開発。自社で企画・開発から製造までを行い、大学・病院など各種研究機関と連携を図りながら信頼のブランドとして国内外に広く展開している。 ここでは、昨年、同社のスペシャルトレーニングアドバイザーに就任した2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストで、日本の高地トレーニングのパイオニア的存在でもある高橋尚子さんに、低圧低酸素および高気圧酸素の効果や活用法、酸素ルームの効果的な使い方やその未来などについてうかがった。

アフリカ勢の活躍で 一躍脚光を浴びた高地トレーニング

東アフリカの標高2000mあたりの高地で暮らし、トレーニングを積むケニア人選手、エチオピア人選手の活躍もあり、今では長距離ランナーを中心に心肺機能の強化などを目的に一般化している高地トレーニング。 日本でも、標高約2300mの高地での開催だった1968年のメキシコシティ・オリンピックを契機に高地トレーニングの研究が進められるようになったが、本格的にアメリカのボルダーやアルバカーキ、スイスのサンモリッツ、中国の昆明など標高1500mから2000mの高地で合宿が行われるようになったのは1980年代になってから。1990年代に入るとより活発になっていった。 2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんも名将・小出義雄監督(故人)のもと、時には富士山(3776m)よりも高い〝超高地〟でトレーニングを積むなど「世界一」を自認する厳しいトレーニングを行なって世界の頂点に立った。 そんな高橋さんにとっての高地トレーニングとは、いったいどのようなものだったのか――。 さらに、その高地トレーニングや高地での滞在を日本に、そして平地にいながらにして気軽に体験できる日本気圧バルク工業の酸素ルームとはどんな存在であり、どんな使い方が有効なのか――。 [caption id="attachment_97659" align="alignnone" width="800"] 平地にいながら標高3000mの高地と同じ環境(気圧と酸素濃度)を実現する日本気圧バルク工業の低圧低酸素ルームを絶賛する高橋さん
[/caption]

高地トレーニングのメリットとデメリット ~デメリットを解消してくれる酸素ルームの効用~

私が最初に高地トレーニングを行なったのは大学生(大阪学院大)の頃です。当時から箱根駅伝で活躍していた山梨学院大なども合宿地として利用していた長野の霧ヶ峰高原、車山でトレーニングをしたのが最初です。標高1500mぐらいのところでジョグやクロカン走などを行なっていました。その頃は、高地トレーニングの効果などはまったく知らず、普段学校で行う練習よりタイムが遅いので不思議に思っていたぐらいです。 本格的に高地トレーニングに取り組むようになったのは大学を卒業して実業団に入ってからです。4月1日の入社式を終え、3日にはボルダーに出発していました。それまでは有森(裕子)さんなど、世界で活躍するランナーが練習する場所というぐらいの認識で、まさか自分がそこでトレーニングするようになるとは思ってもみませんでした。 チームの拠点が標高1600mの所にあり、そこで2日〜3日かけ60~90分ジョグなど軽めの練習で身体を高地に慣らした後、本格的なトレーニングに入るというのが通例でした。練習場所としては標高1600mから上は2500mあたりまでのコースを中心に使っていました。2500m以上に上がるとやはり少し呼吸がきつくなるなどの変化を感じます。また、標高が高くなればなるほど乾燥しており、喉が渇くというのが高地の特徴です。ですから常に水分補給には気を配っていました。 その後、シドニー五輪の前などは標高2600mの場所を拠点にして、そこから3500mを超える場所で練習をしていたので、さらに乾燥がひどく、洗濯したジーパンがほんの2~3時間で乾いてしまうほどで、小まめに給水をとるようにしていました。また、1600mぐらいではあまり感じなかったのですが、2600mまで上がって生活するようになると最初は眠りが浅くなるという感覚がありました。 私自身、〝高地順応〟が早く、生活していても苦にならない方なのですが、さすがに2600mから3500mや超高地の4300mまで上がっていくと、気圧の関係で耳が痛くなったことも一度だけ経験があります。長く高地に滞在すると空気の軽さや希薄さで空気がサラサラしているように感じます。平地に戻った際にまとわりつくような空気の重さや酸素のありがたみなどを実感できるようになり、その分、練習でも身体が楽に 動いてくれる感覚がありました。 心肺機能の強化に加え、私は現役時代から貧血傾向にあったので、高地に滞在することで、平地に戻った後もヘモグロビン量などを高い数値で維持することができ、その面からも高地トレーニングは有効だったと感じています。 そういう意味では、アドバイザーを務めるようになり、日本気圧バルク工業の酸素ルームを体験させていただき、低圧低酸素ルームでほんの20分ほどトレーニングをしただけでヘモグロビン量がアップしたのを見て、高地に行くことなく気軽に高地の効果を体験できるのに驚きました。貧血には苦しんだので、現役時代に酸素ルームがあれば、絶対に常用していたと思います。 また、先ほどもお話した通り、一気に1000m以上標高を上っていくと、どうしても気圧の関係で耳が痛くなるなど身体に変調をきたす場合もあります。しかし、日本気圧バルク工業の酸素ルームの場合、耳抜きの機能も付いており、徐々に気圧を変化させることで、身体への負担を減らし同等の効果を得られるので、まさに一石二鳥だと感じました。 私は、高地合宿に行って体調を崩したことはありませんが、チームの中には到着後、何日も練習ができない選手や途中で不調になる選手もいました。国内ならまだしも、一度海外に来てしまうとチームで行動しているので気軽に帰国することもできませんし、狙ったレースから逆算して合宿やトレーニングを組んでいるので、その計画が狂ってしまうことになります。 もし私が現役の時に、こうした酸素ルームがあれば、事前に体調の変化を確認することもできますし、高地合宿に出かける前に利用することで、身体を慣らしてから合宿地に赴くことができ、あちらでの慣らし期間を 短縮することができるなど、いいことずくめだと感じています。

日本気圧バルク工業の酸素ルームは、高気圧酸素、低圧低酸素のそれぞれのタイプに加え、その両方を切り替えて使用できる2WAYタイプがそろっており、使用者のニーズに応えている。また、高地トレーニングのメッカであるボルダーやアルバカーキ、サンモリッツ、中国の昆明などはいずれも標高の高い高地のため、極寒の冬場を除く春から秋に練習期間が限られる。南半球と北半球を使い分ければ年間を通じてトレーニングは可能だが、移動や使用する季節・期間に制限があった。 低温によるケガのリスクなどを含め、そうした課題も、酸素ルームなら室内のエアコンを活用して気温・湿度の調整も可能で、大会が行われる場所の気候や時期に合わせて調整することもできるメリットがある。 [caption id="attachment_97641" align="alignnone" width="2560"] 現役時代、米国コロラド州ボルダーでの合宿では標高3500mを超える〝超高地〟で高地トレーニングも敢行したことがある高橋さん。
「誰もやったことがないハードトレーニング」が五輪の金メダル獲得や世界記録樹立につながった 
撮影/北川外志廣[/caption]

酸素ルームの使用法や用途はさまざま 無限に広がる可能性

私の場合、だいたい狙ったレースの8ヵ月前からマラソン練習を開始するのが通例でした。マラソンを始めた頃は、1~3月のマラソン期に一度レースを走り、あまり練習を落とさずコンディションを維持した状態でトラックレースに挑み、トラック(5000mや10000m)でもタイムを狙っていくというスケジュールを組んでいました。しかし、狙ったマラソンでしっかり結果を出すには、作った器(身体)を一度壊し、さらに強く容量の大きい器(身体)に新たに作り替えるイメージで、マラソン練習に挑むパターンに切り替えました。 一度作った器に付け足したり、それを再度磨くことで結果を残せていましたが、負荷も大きいですし、付け足した部分のもろさもあります。せっかく作った器ですが、それを壊してリセットし、もう一度基礎から作り替える作業から始める感覚で取り組んでいました。マラソン後にしっかり休息を取り、心身ともに栄養を行き渡らせた上で、次へのスタートを切る感じでスケジュールを立てていました。 小出監督の練習メニューは、いま振り返っても「世界一ハードだった」と言っても過言ではないほどきついメニューでした。ですから、いきなりそのメニューに入ってしまうと故障の心配が付きまといます。監督の頭の中には常に、絶好調の時の私のイメージがあるので、これぐらいはできるだろうといきなりきついメニューを渡されても身体が付いていきません。 ですから練習を再開して最初の1ヵ月ほどは必ずウォークから始めて身体を慣らし、体重を少しずつ落として〝器〟の基礎を築き、走れるようになった段階でボルダーに向かっていました。それがマラソンの6ヵ月ほど前になります。そこには監督は来ることはなく、高地で1ヵ月ほど心肺機能を高めつつ脚づくりを行い一度日本に帰国してハーフマラソンで1時間10分程度の速さで走れるほどにして、基礎が築けていることを確認します。 その後、監督のメニューをいただき、本格的なマラソン練習へと移行します。再度アメリカに渡って4ヵ月ほど高地に滞在しつつハードな練習をこなし、大会の2週間前に帰国するというのがパターンとなっていました。最初は標高1600mから1800mで練習を行なっていましたが、先ほどもお話した通り、その後は2500m、さらに3500mと標高の高いところで練習を行うことで、最初きついと思っていた高さを超えていくことで自分の殻を破り、厳しい練習を乗り越えたからこそ結果が出せると思って取り組んでいました。レースの2週間前に帰国するというのは、高地トレーニングの効果が持続するのが2週間から3週間と言われていたからです。 当時は拠点を1600mに置いて、そこから2500mに上がったり、拠点を2500mに移して、そこから3500mまで上がるなどを繰り返しつつ練習を行なっていました。「3500mでの練習はリスクが大きい」とか、「疲れが抜けず結果が出せない」など、周囲からいろいろ言われましたが、常識的な練習をしていては世界一にはなれないと小出監督も私も共通意見だったので、非常識と言われるところまで踏み込んでトレーニングを積むことで金メダルを獲得するという強い気持ちで取り組んでいました。 シドニー五輪の前年の世界陸上(1999年、スペイン・セビリア大会)で(マラソンが開催される)レース当日に棄権をするという悔しい思いをしていたので、シドニーではリベンジしたいという気持ちが強かったですね。標高3500mのコースは、その棄権した世界陸上の直後に見つけたもので、本当にきついコースでした。コースの中では森林限界が3200m近くにあり、草木が生えているところまでは、まだ何とか呼吸も大丈夫なのですが、そこを超える標高になると、タイム的にも1マイル(約1609m)で1分近くタイムが落ち、心臓が握りつぶされそうになる感覚になります。 コースもアスファルトではなくガタガタの砂利道で、バランスの悪いところを走ることで脚力はもちろん、上半身や普段は使わないいろいろな筋肉などを鍛えることができ、その効果は大きかったと感じています。練習をやり切った後は、これだけきつい練習をしたのだから、絶対に負けられないという気持ちが強くなり、メンタル面も鍛えられたと思います。 それだけハードな練習をしていたので、気を付けていたのは疲れをなるべく翌日に残さないこと。練習後のケアであったり、食事、特に睡眠はしっかりとるようにしていました。いくらいいトレーニングをしても、ケガや故障をしてしまっては元も子もありません。トレーニング(運動)と食事(栄養)、睡眠(休養)の適度なバランスを大切にしていました。 当時は、こうしていろいろ工夫しながら高地トレーニングを行なっていましたが、それが酸素ルームを活用すれば、平地にいながらにして拠点を移すこともなく、同じ環境でトレーニングを積むことができます。移動の手間や環境への順応のことを考えれば、そうしたストレスを感じることなく効率的に高地トレーニングができる酸素ルームは本当に便利だと感じます。さらに高気圧酸素を活用すれば、睡眠の質も確保できますし、疲れを取るなどの効果があり、故障の心配もかなり軽減されます。 また、先ほどもお話した通り、高地トレーニングの効果は平地に下りて2週間ほどだと言われています。私は、それに合わせて帰国していました。高地では心肺が苦しくなる分、日本で出すトップスピードと比べるとスピードレベルが若干落ちます。女子の場合は、マラソンではそこまでハイペースになることはないのでまだ大丈夫ですが、男子の場合は5㎞を14分台で刻むなどスタミナに加えスピードも求められます。 ですから、男子チームは女子とは異なり1ヵ月前ぐらいに平地に戻ってくるケースもあるように見受けられます。しかし、高地で高めた心肺機能が薄れてしまう恐れがあります。そうした場合でも、平地でスピード練習を行いつつ、酸素ルームを活用して高地の環境下に身体を置くことで、その効果を持続されることができ、選手に合った調整法の幅が広がると考えられます。 いろんなチームを取材するなかでも、高地トレーニングや酸素ルームの活用法はさまざまだとお聞きしています。なかにはチームではなく個人で酸素ルームを購入して活用している選手もいるほど、陸上界では酸素ルームが広がっています。個人で購入している選手などは、トレーニングで強化した心肺機能をさらに定着させるために、自宅では高地で生活している環境を求めて活用しているということでした。ケニアやエチオピアの選手が強いのは、質の高いトレーニングもありますが、高地で生まれ育ったことも深く関係していると思います。 最近では、実業団チームはもちろん、トレーニング施設や接骨院など治療院にも酸素ルームが普及してきていると聞いています。酸素ルームの用途は、トップアスリートをはじめ、トップアスリートになるための土台を築くため、健康のため、病気・ケガなどからの回復やリハビリに至るまで、使う人のニーズによって幅広いと感じており、その可能性は無限に広がっているのではないでしょうか。 [caption id="attachment_97642" align="alignnone" width="800"] 脚などの故障中も低圧低酸素ルーム内でバイクを漕ぐことで、心肺機能の低下を防ぐ効果が期待できる[/caption] ※次号では、高気圧酸素ルームの使い方や効果などについてのお話となります。 構成/花木 雫、撮影/樋口俊秀

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