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【誌面転載】追跡 箱根駅伝/相澤晃 学生最強ランナーが振り返る4年間

学生最強ランナーが振り返る4年間
「2区区間新」の背景と成長の要因

 正月の箱根駅伝では2区(23.1km)で圧巻の区間新記録(1時間5分57秒)を樹立。3年時の駅伝シーズンから学生相手に圧倒的な力を示していた相澤晃(4年)が、最高のかたちで東洋大での4年間を締めくくった。入学時から潜在能力は高く評価されていたが、同学年に実力者も多く、決して抜きん出た存在ではなかった。そんな相澤が4年間でどのような成長を遂げ、学生長距離界の歴史に名を残す存在へと進化したのか。本人と酒井俊幸監督から4年間の軌跡と未来への可能性について聞いた。

箱根駅伝の2区(23.1km)で1時間5分57秒の区間新記録を樹立した相澤晃(東洋大)

20kmは日本記録より速い通過
偉大な先輩超えも果たす

 箱根駅伝が終わり、約1ヵ月。時間が経った今、相澤晃は好記録の要因をレースの展開にあったと振り返る。

「一番は伊藤君(達彦/東京国際大4年)と競れた点だと思います。チームが出遅れ、前に選手がいたため、それを抜かすためにいいペースで入ったことも要因の1つですが、きつくなっても伊藤君と競って粘れたので、記録を出せたと考えています」

 大会前の目標は、1年前に塩尻和也(順大/現・富士通)が樹立した日本人最高タイムを15秒上回る1時間6分30秒。これはどの位置でタスキをもらっても出せると想定していたものだった。具体的に言えば、先頭でタスキをもらい、1人でペースを刻んでいったとしても狙えたと考える記録だ。だが、実際は先頭から2分02秒差で14位での中継。「この位置であれば、もっとタイムを出せるかもしれない」との思いで走り出したという。

 5kmの通過は14分11秒。この時点での動きは決して良くなかったと言うが、〝ペースを維持していけばいい〟と考えを切り替えたことで、リズムをつかんでいく。ちょうどこのあたりから伊藤との並走も開始。10㎞の通過は28分22秒と、設定の28分30秒よりも速いタイムを刻んでいる。

 そこからも相澤の意識は〝ペースを維持すること〟にあった。「映像を見返すと、権太坂(14.6㎞付近)では伊藤君を引き離そうとしているようにも見えますが、そのつもりはありませんでした」と本人は言う。15㎞からは脚に疲労が出たものの、ペースダウンを最小限に抑え、20㎞は日本記録(現56秒52秒/当時57分24秒)を上回る56分51秒。この時点で区間記録が狙えると感じた。

「(20㎞通過は)予定では57分30秒だったんです。身体はだいぶきつかったんですけど、これはいけるなと」

 ラスト3.1㎞は本人の計時で9分06秒。これも2年前よりも12秒速い。ラストまですべてが完璧に進んだレースだった。

「あれ以上は無理です」と笑う一方、東洋大の先輩である「(服部)勇馬さん(現・トヨタ自動車)を超えられてうれしいです」と相澤は言う。服部が2区でマークした1時間7分04秒(16年)の更新こそ、相澤が東洋大入学時に立てた目標。それを果たしたことに素直に喜びを見せる。

1年目から距離に適応
「押していく練習」で急成長

 福島・学法石川高時代はインターハイには出場できなかったが、11月に5000mで13分54秒75をマーク。全国高校駅伝には3年連続で出ているものの、顧問の先生の方針としてロードの練習はほとんどなく、トラックを得意とするスピードランナーという印象が強かった。だが、東洋大入学時に立てた目標は「箱根駅伝」だった。

「箱根駅伝の2区で区間賞が目標でした。設楽啓太さん(現・日立物流)、服部勇馬さんなど偉大な先輩を超える選手になりたいと思い、東洋大に入ったんです」

 高校時代の練習の傾向からか、1年目はトラックのほうが得意だったと振り返る。前半戦は6月に5000mでアジア・ジュニア選手権に出場(2位)。夏に故障したこともあり、ロード対応は遅れ気味だったが、それでもロングジョグや固定式バイクトレーニングなど地道な練習を重ねた。酒井俊幸監督もまずは身体作りを優先させた。

 ところが、秋になると本人の想定以上の成長を遂げる。出雲駅伝の直後、メンバーから外れた選手で行われた10㎞のトライアルで相澤はチームトップでフィニッシュ。さらには駅伝対策として実施するレースペースに近いペース走、いわゆる「押していく練習」が継続できたことで一気にロードの長距離へ対応力を上げていく。

「16000mをトラックでやる練習が多かったです。これができるようになってから一気に長い距離が走れるようになりました」

 11月の上尾ハーフ(5位)ではU20日本歴代3位となる1時間2分05秒の快走。箱根駅伝は12月下旬にノロウィルス感染症にかかった影響でメンバーから外れたが、2月の丸亀ハーフでも1時間2分59秒(31位)にまとめた。酒井監督もこの時点で相澤の長距離への適性に確信を抱いたと話す。

「上尾だけでなく、丸亀でも62分台。この時は体調不良と大学のテスト明けでほとんど練習ができていません。もともとのスタミナがあることは間違いないと感じました。最終的に10000m27分台を持つマラソンランナーになってほしいと考えました」(酒井監督)

 1年目は3月の日本学生ハーフマラソン選手権(1時間3分33秒/ 14位)まで含め、3本のハーフを走っている。相澤本人が結果に満足したのは上尾1本だけであり、手応えはなかったようだが、酒井監督にすればまだ基礎固めの時期。その中で結果を残したことを評価した。

フォームに変化が出た2年目
箱根2区で好成績

 2年目は10000mで4月に28分44秒19と自身初の28分台をマークすると、5月の関東インカレ1部ハーフで8位入賞。全日本大学駅伝1区区間賞、箱根駅伝2区区間3位(1時間7分18秒=当時区間歴代12位)とさらなる成長を示した。

 練習自体に大きな変化はなく、スピードとペース走、距離走をオーソドックスにこなしていたという。変化があるとすれば、練習で前に出る局面が増えた点だ。

「チームの中でエースではないにしろ、引っ張る立場になったことは自覚していました」(相澤)

 酒井監督が相澤の走りに変化を見たのは、全日本大学駅伝だ。

「このあたりから走りが変わってきました。腰高になり、ストライドも広くなってきたと思います。チームを引っ張る立場になり、責任も出てきたのでしょう。それが箱根駅伝にもつながったと思います」

 それでも、まだ故障や体調不良が多かったことも事実。2年の関東インカレ後には疲労骨折を起こし、十分なスピード強化はできなかった。また、箱根駅伝後にも胃腸炎を発症し、万全でない中で2月の熊日30キロロードを1時間30分25秒(6位)で走っている。

「勇馬さんは2年の箱根2区を1時間8分43秒で走って、30㎞の学生記録を作りました。自分は(1時間)7分18秒なのでもう少し走れると思ったのですが、甘かったですね」

 もしこの時30㎞を1時間29分台で走っていれば、在学中の「マラソン挑戦の可能性もあったかもしれない」と酒井監督は話す。だが、そこまでのスタミナと練習の蓄積がなかった。2年生では記録こそ伸びていたが、「まだ強さはなかった」と酒井監督は振り返る。

本領発揮の3年目
コンディショニングへの意識も高まる

 3年目は練習でもレースでも変化が生まれた年だ。10000m2分50秒ペースで3000mが押せるようになり、1学年上の山本修二(現・旭化成)、1つ下の西山和弥と3人で別メニューを行う機会も増えた。3000m×3や3000m+2000m+3000m+2000mといった持久系のメニューが多かったという。

 ただ、スピード練習の強度は上がったとはいえ、徹底的にそれを高めたわけではない。3年目の春のターゲットは10000mで28分20秒00をクリアし、日本選手権に出場すること。そのためには高強度のスピード練習は必要ではないと考えていた。

「28分20秒までは押していく練習のイメージで出せると思っていました。実際、4月に28分17秒で走れ、大きな自信になりました」

 一方、酒井監督はさらに別の意図を持って高強度のスピード練習を回避していた。

「彼の良さは柔らかい走り。ショートインターバルで追い込み、フォームを硬くしたくなかったことが理由です」

 代わりにつなぎのジョグのペースを上げた。これは設楽悠太(Honda)や服部以上に酒井監督が意識して取り組ませた点だ。1人でも安定的にハイペースを刻める土台を作るため、ポイント練習以外のところで負荷を高めた。

 この年は出雲こそ1区で区間2位だったが、全日本は8区区間賞、箱根も4区で区間新。ここから学生相手に圧倒的な力を見せるようになる。相澤自身、箱根4区は1つのターニングポイントと見ている。

「走りが変わったと思います。今までは身体がブレたりしましたが、このレースではそれがなく、身体ができてきたなという感覚がありました。精神的にも前年の2区と違ってリラックスして走れましたし、結果も残せて、自分がもっとやれると感じた大会でした」

 3年から故障が減り、大舞台で結果を残すようになった要因は他にもある。相澤の2年時から東洋大ではフィジカルトレーニングも専門のトレーナーからの指導を仰ぎ、強化を進めた。それに伴い、相澤自身、身体への意識が高まったことも大きい。

「それまではなぜケガをするのかわからなかったのですが、身体について知ることで『ここが張ってきたら、どこが痛くなる』といった仕組みがわかり、事前にケアができるようになりました」

 また、食事ではイミダゾールジペプチドを導入。鶏肉由来の自然の成分で、主にリカバリーを目的に摂取を始めた。粉末を味噌汁に入れたり、ドリンクを飲むなど積極的に利用するようになった。

「特に合宿で効果が出ましたね。合宿の後半は疲労感で常にしんどいんですが、これを飲むと和らいでくる感覚がありました。こうした取り組みも故障予防につながっていると思います」

 身体のリカバリーが早くなれば、それだけ充実したトレーニングが積めるようになる。相澤は練習の継続で培った力をレースで発揮するいい流れが生まれたと話す。

レースがトレーニングの一部に
スタミナ強化で箱根に照準

 最終学年のターゲットは10000mの27分台。11月の八王子ロングディスタンスをその舞台に設定した。準備は3年の箱根駅伝後からスタート。ユニバーシアード出場を目指して3月の日本学生ハーフを近い目標にしていたものの、それが終わった直後から、スピード練習をやれる下地作りのフィジカル強化やクロカン走を徹底した。そして、トラックシーズンは5000mに意識を置いたと酒井監督は話す。

「27分台のみならず、東京五輪の標準記録(27分28秒00)まで見据えるのであれば、10000mでも突っ込んだレースをしないと到達できませんので、5000mの力が必要です。結果として4月に13分34秒94で走れました。もっと5000mに特化していれば13分20秒から25秒は出たと思いますが、そのスピードを持って、駅伝シーズンも27分台を意識しようと考えました」

 ショートインターバルの強度を上げるのではなく、2000m、3000mを軸に全体の底上げをする手法は変わらないが、その質は向上した。1000m2分45秒で押すメニューもあれば、2分50秒で押して、後半を2分45秒まで上げることもあった。日本選手権での2種目入賞(5月の10000m4位、6月5000m5位)もこの取り組みが生きた結果であり、その流れの中でユニバーシアードのハーフは金メダルを獲得している。全日本大学駅伝の3区(11.9㎞)で10㎞を27分47秒(本人計時)で通過したのも、トラックを意識してのことだ。

 しかし、その全日本のダメージが残ったため、八王子ロングディスタンスは回避した。相澤は「次、走ったら故障するなという感じはありました。目標としていただけに悔しかったですね」と言うが、酒井監督は「それでなくても今年はレースが多かったですし、チャンスは今年だけではありません。無理はさせられませんでした」ときっぱり言う。

 この時期に取り組んだのはスタミナ強化のトレーニング。ユニバがあった関係もあり、夏はそこまで距離を踏めていなかった。それを取り戻す時期と考え、距離走やロングのペース走などを行い、箱根駅伝に備えた。

「春から継続してハイレベルなレースを走り、駅伝2戦も区間新を出しています。レースで追い込んでいたので、スピードは練習で入れなくても出せる感覚がありました。さすがに箱根前はレースペースも入れましたが、箱根までの2ヵ月間は基本的にスタミナの強化に充てました」(酒井監督)

 メニューは相澤と酒井監督が相談。相澤は20000mを3分05秒で押していく練習などを好み、多めに取り入れた。

 ここまで触れたように、相澤の4年間のトレーニングの軸は狙うレースの距離に合わせて、いかにハイペースで押していくかにある。その考え方を維持した上でトラックでの延長線上に駅伝を置いたことが奏功し、4年目の箱根の好結果につながったと酒井監督は総括する。

4年目の箱根では東京国際大の伊藤達彦(右)を振り切って区間新。集大成の走りを見せた

箱根駅伝は通過点
伸びしろを残して次のステージへ

 今季は10000mでの東京五輪出場が最大の目標。2月22日の日本選手権クロカン(福岡)で3位以内に入り、日本選手権10000mの出場権を手にするのが最初のステップとなる。その後は春の早い段階で27分台中盤を狙い、日本選手権へ。場合によってはさらにもう1度、好記録を目指してレースに出る可能性があるという。

「全日本大学駅伝の入りの10kmを27分台で走れていますし、トラックレースであればペースメーカーもつきます。出せる自信はあります」

 そのためには1000m2分45秒で押していく感覚をもっと練習でつかみたいと相澤は話す。

 酒井監督はまだ取り組んでいない練習が多いことが相澤の可能性だと見ている。

「高強度のスピード練習もやっていませんし、距離走も30kmまでと、極端に長い距離は踏んでいません。まだ伸びしろを大きく残していると言えるでしょう」

 相澤の5000mのベストは13分34秒94。これは服部弾馬(トーエネック)の東洋大卒業時とほぼ同じだ。だが、彼ほどはスピードに特化したメニューを組んでいない。また、マラソンを見据え、学生時代から40㎞走を行っていた服部勇馬ほど距離も踏んでいない。それでいてスピード、スタミナを備え、試合で強さを発揮し続けた相澤に4年間寄り添ってきた指揮官は明るい未来を見出す。

 箱根2区の1時間5分台はまだ通過点。可能性を大きく秘めた逸材がここから大きく羽ばたこうとしている。

※この記事は2020年2月14日発売の『月刊陸上競技3月号』に掲載されています




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