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「中距離のヤクルト」から「マラソンのヤクルト」へ! 東京マラソンで躍進した高久龍と小椋裕介のストーリー

【Web特別記事】

「中距離のヤクルト」から「マラソンのヤクルト」へ!
東京マラソンで躍進した高久龍と小椋裕介のストーリー

3月の東京マラソンで好走したヤクルト・コンビ。左が高久龍。右が小椋裕介

男子マラソンで日本新記録(2時間5分29秒)が誕生した今年3月1日の東京マラソン。世間からの注目は大迫傑(NIKE)の快挙に集まったが、その陰で存在感を強めたチームがある。日本歴代4位の2時間6分45秒で日本人2番手(8位)に食い込んだ高久龍と、2時間7分23秒で同6番手(12位)の小椋裕介が所属するヤクルトだ。

同一レースで同じチームの選手が複数2時間7分30秒切りを果たすのは史上初の快挙。さらに、高久は3分以上、小椋は4分以上の大幅自己新で、初のサブテン(2時間10分切り)だったことも話題に華を添えた。

昨年9月に行われた東京五輪のマラソン代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ」(MGC)は高久が途中棄権、小椋は出場資格さえ手にできなかった。2人はいかにしてマラソンで実力を開花させたのか。

マラソンで世界を狙うチームへ

「ヤクルト」と聞くと、往年の陸上ファンなら男子中距離のイメージを持つ人がいるかもしれない。

それもそのはず。日本選手権の1500mにおいて、ヤクルトは奥山光広(1991、92、94年/現・チーフアドバイザー)、柴田清成(97年)、辻隼(2003、04年)が1990年代から2000年代前半にかけて計6度も制した実績があるからだ。

ところが、2016年の東京マラソンで高宮祐樹が日本人トップ(8位)の快走を見せたように、チームは徐々にマラソン色を強めている。

そして、その勢いは2018年の本田竹春監督就任を機に加速した。19年に高久がMGC出場を果たすと、今年1月は全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)で14年ぶりの入賞(7位)、2月には小椋がハーフマラソンで日本新記録(1時間0分00秒)を樹立し、そして3月の東京マラソンへとつながった。

NEC・HE時代の1993年に世界選手権出場の経験がある本田監督のように、ヤクルトは「マラソンで世界を狙うチーム」へと変貌を遂げている。

好成績の要因となったウエイトトレーニング

東京マラソンの表彰式にて。前列中央の高久は日本実業団連合のマラソン特別強化プロジェクト 「Project EXCEED」の日本記録挑戦奨励賞A(選手1000万円、監督・チーム500万円)を手にした

そんなチームを牽引しているのが27歳の高久と、その1学年後輩の小椋だ。

高久は東洋大時代、1学年上の設楽啓太(現・日立物流)・悠太(現・Honda)兄弟らとともにチームの主力として活躍。3年時には箱根駅伝8区で区間賞を獲得して総合優勝に寄与している。

小椋は青学大の主軸として、1年時に出雲駅伝、3年時は箱根駅伝の初優勝に貢献。箱根では3年時と4年時に7区区間賞を獲得し、4年目にはユニバーシアードのハーフマラソンで金メダルを獲得するなど、主にロードで存在感を示した。

鳴り物入りで入社した2人だったが、最初の2年間はケガに苦しんだ。ともに大学時代からマラソンへの挑戦を胸に秘めていたが、初マラソンに挑んだのはお互い入社3年目。最初に頭角を現したのは高久だった。

2月の別府大分から翌年4月のハンブルクまでの1年2ヵ月間でマラソン5レースをこなし、そのうち4大会で2時間13分切り。9月のMGC出場権も獲得し、瞬く間にチームの出世頭となった。

一方で小椋は2019年3月のびわ湖毎日で2時間12分12秒の自己新を出したものの、翌月のハンブルクでは2時間40分50秒と失速。MGCの出場権を逃し、苦しい時期を過ごした。

「今思えば、あの時はマラソン選手としての“準備“ができていませんでした。高久さんにも大差をつけられ、『今までの自分は捨てなきゃダメだ』と思ったんです」と小椋は当時を振り返る。

そうして新たに取り入れたのがウエイトトレーニングだった。青学大時代は「青トレ」と呼ばれるコアトレーニングが中心で、26歳にして「初めて本格的に取り組み始めた」という。

実は、このウエイトトレーニングはすでに高久が前年から取り入れており、それに触発されて始めたものだった。

「初マラソンを終えて、身体が未熟だったことを思い知らされたんです。そこで通っていたトレーナーさんに相談してウエイトトレーニングに着手するようになりました」(高久)

そんな先輩の後を追うように、小椋も同じトレーナーのもとでイチから鍛え始めた。はじめは重りを持たないところから、背中やハムストリングス、臀部など。地道な取り組みだったが、その成果は前述の結果として表れた。

ウエイトトレーニングの具体的な効果として、高久は「脚に負担がかからないフォームにつながり、疲労が溜まりにくくなっている」と分析。小椋も「一度きつくなってから身体が持ちこたえてくれる。最後にもう一度出力できるところが今までと違うところ」と話し、お互い「やってきて良かった」と声をそろえている。

お互いの活躍を刺激に

1993年世界選手権出場経験のある本田竹春監督(左)のように、マラソンで世界を目指す

もうひとつ、2人の躍進を支えた練習が普段のジョグだ。長距離では一般的に質の高い練習(ポイント練習)を中2日程度の間隔で行い、その間をジョグでつなぐことが多い。ヤクルトは本田監督就任以降、朝練習も含めてジョグを各自で行っている。

そんな中、昨年度より主将を務める高久は、他のチームメイトに見せつけるかのように誰よりも多くジョグをこなしてきた。朝練習ではノルマの「60分」を大きく超える90分間も走り込み、ポイント練習以外の日に180分のジョグを1人で行うことも。

「主将として言葉で(他のチームメイトに)伝えることは少ないですが、普段から『自分はこれだけ練習しているんだぞ』と背中で見せてきたつもりです。私たちの練習はジョグが大半を占めているのですが、私自身が実践することで、ジョグの大切さがチームに浸透したかなと思います」(高久)

そんな主将を小椋は「結果と過程の両方で示してくれている。ジョグの量やウエイトトレーニングなどは高久さんが通ってきた道を後ろから追いかけている状況ですので、道を切り開いてくれる頼もしい先輩です」と話す。

高久の背中を追いかけ、小椋は昨年11月に10000mで大幅自己新(28分08秒80)を叩き出すと、今年2月の丸亀ハーフで日本記録保持者となった。

そして、そんな後輩の活躍に高久は「もっとがんばらなきゃ」と身を引き締め、相乗効果をもたらした。東京マラソンでの快走は、そうした2人の良きライバル関係がプラスに働いた結果でもあった。

2人に次の目標を聞いてみると、それぞれ別の答えが返ってきた。

「東京の結果は自信になったので、もう一度(2時間)6分台を出し、『たまたまの6分台』だと言われないようにしたいです。1つひとつの大会で6分台、5分台を出していけば当然オリンピックや世界選手権の選考にかかると思うので、自分の中のベストな状態を1年間キープしていきたいです」(高久)

「まだ自分は1年間にマラソンを2回、3回チャレンジできる身体作りが完成していません。そこに挑戦していき、その過程で10000m27分台も狙いたいので、ハーフマラソンや駅伝でも好成績を維持していきたいです」(小椋)

今後もお互いを高め合い、日本マラソン界を牽引する存在となるべく、“ヤクルト・コンビ“は走り続ける。

松永貴允/月刊陸上競技



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