2022.06.28
山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第22回「1980年のヘイワード・フィールド~思い出のオレゴン留学~」
東京2020オリンピックはコロナ化の影響を受け、1年遅れの昨年開催された。残念ながら無観客開催ではあったが、陸上競技は男女合わせて2個のメダルと6人の入賞者を輩出したことは記憶に新しい。
特に世界との力の差を大きく縮めてくれたのが女子1500mの田中希実選手(豊田自動織機)だ。準決勝で日本人初の3分台(3分59秒19)に突入し、決勝進出。決勝でも再度3分台で走破して8位入賞。このシーンはまさに全身が泡立つような感覚を覚えた。
女子オリンピック中距離種目で入賞したのは、今から1928年のアムステルダム大会800mにおいて人見絹枝さんが達成(銀メダル)して以来であり、1500mでは男女合わせて初の快挙であった。
さらには、男子3000m障害の三浦龍司選手(順大)の圧巻の走りに度肝を抜かれた。中長距離の専門家として度肝を抜かれるという表現はふさわしくないのでは、とお叱りを受けるのを覚悟でこの言葉を使わせていただく。予選で8分09秒92の日本記録を樹立し決勝へ進出。これは1972年ミュンヘンオリンピックにて同種目決勝進出を果たした、小山隆治さん以来49年ぶりの快挙でもある。決勝では最後の水濠を越えてからの猛烈なラストスパートで感動の7位入賞を果たした。トラック種目において、リレー以外の個人種目での入賞も、シドニー大会10000mにおいて高岡寿成さんが7位に入賞して以来21年ぶりであった。
陸上通の読者の皆様方にとっては釈迦に説法の、既にご存知の話題かもしれないが、この2人を含むアスリート達が先日行われた日本選手権にて存分に世界を意識した走りを披露してくれている。
そして、いよいよ世界選手権が7月に米国のオレゴン州ユージーンにあるヘイワード・フィールド(オレゴン大学/U B C)にて開催される。世界ジュニア選手権や全米オリンピックトライアル、全米学生選手権も行われるような競技場が大学校内にあるのもアメリカらしいと言える。
2016年リオ五輪の代表選考トライアルでも使用されたヘイワード・フィールド 写真提供/University of Oregon
全米陸上競技の聖地とも言えるこの競技場を舞台に、日本代表選手がどのように戦いを挑むのか待ち遠しいかぎりである。
実は、私自身にとってオレゴンはとても深い思い出が刻まれた場所でもある。
順天堂大学4年生になる前の春休みを待って、私にはある決心を固めていた。この思い出を語るには、自分の心の中にある思い出の巻尺を1979年の梅雨時まで引き戻さなければならない。
当時・習志野市にあったキャンパスの黒いシンダートラックで、練習を終えた私達に沢木啓祐監督から衝撃の知らせがあった。日本オリンピック委員会のスポーツ指導者海外研修事業の第1回目の派遣が決まり、研修先はオレゴン大学に決まったということであった。期間は2年ということだったが、なんとか1年で帰国できるとも伝えられた。
沢木監督不在の1年間は、当時千葉県立佐倉高校で教鞭を執っていた小出義雄先生にお願いしていると言われた。思えば小出監督に1年間指導していただいたことは後々の財産であり、まったくタイプの違う指導者の薫陶を受けたことは、その後の私の人生やコーチングスタイルにも大きな影響を授けてくださったと感謝している。
小出監督は講談師のような名調子と、冗談か本気かわからないような会話で、煙に巻かれたようにいつの間にかきつい練習も乗せられてこなしてしまう不思議さが常に漂う人であった。学生気質や若者の興味を熟知していて、どんな話が飛び出すのやらとハラハラしつつも、期待感を込めて話に聞き入っていたことを思い出す。
(スピンオフ企画でもやっていただければ、あれやこれや話題に事欠かない)
さて沢木監督はといえば、キレの良い口調で理論や科学的根拠を示しながら、カミソリのようにスパッと切れ味鋭く指導していただいた。大学生としてコーチングを学ぶ自分にとって、学ばなければならないトレーニング科学やコーチング理論のその先にいるような存在だった。順天堂に進学を決めたのも当時教育テレビで放映されていたテレビスポーツ教室の、中長距離編の担当を務めておられて、その明快な解説ぶりに憧れたのがはじめであった。
また高校3年生のインターハイ終了後、スカウトに来てくださり、その時の言葉が今でも脳裏から離れないくらい鮮明に思い出せるからだ。私の巻尺を1976年夏まで少し引き出すとこの日のシーンが蘇る。
沢木監督が「上田君、過去の例を見ても中学記録を出すほどトレーニングをして尚且つ高校でもそれなりに激しいトレーニングを積んだ早熟タイプの選手が大学で力を発揮した例はあまり見受けられない。さらなる成長は周到な科学的アプローチができる場所に来るしかない。私の元に来ることだぞ!」とキッパリ断定的におっしゃった。
この時の感情は冒頭の文章でも述べた田中選手のラストスパートの「全身が泡立つような感覚」と三浦選手の「度肝を抜く感動のラストスパート」が合わさったようであった。
そのような経緯で大学に進学し、上級生にもなったのでさらに色々と吸収し学びたいという思いが強くなった矢先に、オレゴン研修留学で1年間不在の話である。その時の感情を言い得る端的かつ適切な言葉が見つからないが、今風にいえば「えっ、マジか!信じらんねー!」となる。
小出監督のコーチングを受けながらの日々はあっという間に過ぎてゆき、箱根駅伝では小出監督の軽妙な掛け声もあり、5区で2度目の区間賞を獲得。その時を同じくして、日増しに「自分もオレゴンに行ってみたい」という思いが募っていった。
まずはパスポートを作り、親に無理を言って航空券を購入し、オレゴンへ旅立つ準備を進めていった。
初めての海外である。今のように格安航空券がネット予約できる時代ではないので、少しでも安く渡航できる航空券を探してもらい、飛行機は成田発ではなく羽田空港発のチャイナエアラインであった。
出発の準備を整え、背水の陣で沢木監督に「そちらにゆきます。すでに航空券は購入済みです!」と国際電話をかけた(これは結構勇気が必要だった)。
案の定すぐさま帰ってきた返答は「貴様何考えている。バカモーン!」だった(これは想定内の反応だったが膝が震えた)。
しばらく沈黙の後「いつのフライトだ。後で詳しくF A Xしろ。空港に迎えに行く!」と告げられて電話が切れた。気がつけば手のひらと背中は汗でぐっしょりだった。
沢木監督を追って単身オレゴンへ
オレゴンでの日々は沢木先生宅にお世話になり、朝練習の後午前中は市内のY M C Aのボランティアセンターで難民に英語を教えるクラス(ボートピープルと呼ばれていた)に社会勉強になるからということで通うこととなった。
沢木監督とのツーショット。逆光なのが残念……
オレゴン滞在中は沢木監督のご自宅でお世話に。2人の娘さんと
「練習内容はオレゴン大学のクラブハウス前の掲示板を見ろ。ボランティアセンターでもまずインフォメーションボードの掲示物に目を通せ。その上で質問があれば自分で聞いて来い」と毎回言われた。自分の目と耳と言葉で確認できることは自分でやれ!と言われても初めての海外で立ち往生することばかりであった。それを基に沢木監督とのコミュニケーションが始まる。とまあ、こんな有意義(過酷)な日々を送りつつだった。
トレーニング環境は、観客席が木造建築だったヘイワードフィールドトラックと、ユージーン市内の至る所にトレイルと称するウッドチップのコースが整備されており、ランナーにとってはこの上ない環境であった。
なぜ沢木監督がオレゴン大学を研修留学先に選んだのか。それは、ヘッドコーチのデリンジャー氏の存在があったからだ。メルボルン・ローマ・東京オリンピックに出場し、東京では5000mで銅メダルを獲得(https://youtu.be/F1zYmckCaO8)。コーチとしても、かのスティーブ・プリフォンテーン(2000mから10000mまでの全米記録を樹立/1975年の交通事故により全盛期の24歳で故人に)を育て、全米のコーチ・オブ・ザ・イヤーを幾度となく受賞した人物だ。
1997年には「Prefontaine」、98年には「Without Limits」(上写真)と、プリフォンテーンを題材にした長編映画が公開されている 写真提供/University of Oregon
沢木監督がデリンジャー氏のアシスタントコーチとして打ち合わせをする際には会話に聞き耳をたてた。時には選手たちのタイム計測をする声に気合いを入れられながら日々は過ぎていった(沢木監督に英語でトレーニングのラップ読みをしていただいたO Bは果たしているのだろうか?)。
帰国する前日、デリンジャー氏にコーチングで大切にしていることは何かと尋ねたら、次の5つを念頭にコーチングを行い、トレーニングプログラムを組み立てているよと言っていただいた。
Moderation(適度)
Progression(進歩)
Adaptability(適合)
Variation(変化)
Callousing Effect(適正化)
そういえば、選手たちに「What do you do for?(何のために行おうとしているんだい?) 」と、常に問いかけていたように思い出された。1980年3月のことであった。
思い出の巻尺を引きだして思い出したからには、自分自身に「What do you do for?」と問いかける時間を作らねば!
教えていただいた5つの言葉を胸に。
少々長くなってしまったので、思い出の巻尺を巻き取らねばとクルクル巻き取っていると……
アッ、思い出した。
空港に迎えに来ていただいた直後、高速道路の進入口を間違えた沢木監督の車が、下ってきた車と衝突して後部座で座っていた私は思わず横っ飛びになった衝撃の瞬間を!
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。 |

第22回「1980年のヘイワード・フィールド~思い出のオレゴン留学~」
東京2020オリンピックはコロナ化の影響を受け、1年遅れの昨年開催された。残念ながら無観客開催ではあったが、陸上競技は男女合わせて2個のメダルと6人の入賞者を輩出したことは記憶に新しい。 特に世界との力の差を大きく縮めてくれたのが女子1500mの田中希実選手(豊田自動織機)だ。準決勝で日本人初の3分台(3分59秒19)に突入し、決勝進出。決勝でも再度3分台で走破して8位入賞。このシーンはまさに全身が泡立つような感覚を覚えた。 女子オリンピック中距離種目で入賞したのは、今から1928年のアムステルダム大会800mにおいて人見絹枝さんが達成(銀メダル)して以来であり、1500mでは男女合わせて初の快挙であった。 さらには、男子3000m障害の三浦龍司選手(順大)の圧巻の走りに度肝を抜かれた。中長距離の専門家として度肝を抜かれるという表現はふさわしくないのでは、とお叱りを受けるのを覚悟でこの言葉を使わせていただく。予選で8分09秒92の日本記録を樹立し決勝へ進出。これは1972年ミュンヘンオリンピックにて同種目決勝進出を果たした、小山隆治さん以来49年ぶりの快挙でもある。決勝では最後の水濠を越えてからの猛烈なラストスパートで感動の7位入賞を果たした。トラック種目において、リレー以外の個人種目での入賞も、シドニー大会10000mにおいて高岡寿成さんが7位に入賞して以来21年ぶりであった。 陸上通の読者の皆様方にとっては釈迦に説法の、既にご存知の話題かもしれないが、この2人を含むアスリート達が先日行われた日本選手権にて存分に世界を意識した走りを披露してくれている。 そして、いよいよ世界選手権が7月に米国のオレゴン州ユージーンにあるヘイワード・フィールド(オレゴン大学/U B C)にて開催される。世界ジュニア選手権や全米オリンピックトライアル、全米学生選手権も行われるような競技場が大学校内にあるのもアメリカらしいと言える。
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上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。 |
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