HOME バックナンバー
大迫傑 現役ラストインタビュー「一つの物語の終わり」と「新たな夢」。
大迫傑 現役ラストインタビュー「一つの物語の終わり」と「新たな夢」。

「現役ラストラン」を宣言した東京五輪の男子マラソンで6位入賞。常に最短距離でターゲットを追いかけてきた大迫傑の挑戦が幕を閉じた。トラック、駅伝、そしてマラソン。すべてのステージで輝きを放ち、日本長距離界にイノベーションを巻き起こしてきた。強烈な記憶だけでなく、記録も刻んだ稀代のランナーは、9月28日にオンラインでメディア合同の〝現役ラストインタビュー〟に応じた。華麗なる自身のキャリアを振り返り、新たな夢についても語った。

構成/酒井政人

早すぎる「引退」とその理由

東京五輪の最終日を飾る男子マラソン。札幌で行われたレースは過酷なものになった。その中で大迫傑が感動の〝ラストラン〟を見せた。中間点を過ぎてエリウド・キプチョゲ(ケニア)が抜け出したあと、一時は8~9番手に振り落とされたが、終盤に順位を上げていく。メダルを目指し続けたその激走は、日本人の心を揺さぶった。2時間10分41秒の6位でフィニッシュ。2021年8月8日、大迫はシューズを脱いだ。

「東京五輪が終わりましたが、自分が現役を引退したという実感がまだないのが正直なところです。マラソンが終わった後はいつも1ヵ月くらい休暇をとっていましたし、その間はキッズ(Sugar Elite Kids)のプロジェクトをやらせていただいたので、過去を振り返る暇がありませんでした。でも、東京五輪は本当に出し切れたレースになりました。今の段階では完全燃焼できたと思っています。

周囲から『引退が早すぎるのでは?』という声も聞こえてくるんですけど、追求し続けているとキリがないですし、一つの物語の終わりを作るのは大切です。今、終わりと言いましたが、自分ががんばってきたことの延長線上でやりたいことも出てきた。今後はそっちに注力していくのもいいかなと思っています。

東京五輪は自分の中でも大きな目標だったので、そこに向けて全力を尽くしたかった。言い訳が作れてしまう環境を捨てて、オールダイブする。それが自分にとってカッコいいなと思ったのがひとつです。プラスして米国やケニアに行き、現地でいろいろな方に会ったりするなかで陸上競技のフィールドを通して新しい興味も出てきました。いろいろなことを考えた時に、今辞めるのが自分にとってキレイなんじゃないかなと思ったんです。

引退については1年半くらい前から考えていました。最終的に決めたのは、レースの3~4週間くらい前。2020年3月の東京マラソンで代表に内定しました。その時は、あと半年で最後にしようと思っていたんですけど、ほどなくして東京五輪の1年延期が決定。現役生活が1年延びることについては正直、葛藤もありました。でも、世の中に元気がなくなっているというか、ネガティブな雰囲気になっていたので、ポジティブなことを体現したいと思ったんです。昨年の5~6月くらいからは、自分自身のラストを飾るだけでなく、世の中に向けてメッセージを残すというモチベーションで再スタートしたかたちです」

チャレンジの連続でつかんだ栄光

東京・金井中では全中3000mで3位、長野・佐久長聖高では駅伝でその名を馳せた。10000mで世界ジュニア選手権8位(大1/ 2010年)、ユニバーシアード金メダル(大2/ 11年)、モスクワ世界選手権出場(大4/ 13年)と世界へと踏み出した早大を卒業した後、大迫は渡米した。そして、12年ロンドン五輪10000mで1位、2位のモハメド・ファラー(英国)とゲーレン・ラップ(米国)ら世界トップ選手が所属していた『オレゴン・プロジェクト』にアジア人として初めて加入する。15年に5000mで13分08秒40の日本記録を樹立すると、16年の日本選手権で長距離2冠を獲得。同年のリオ五輪では5000mと10000mに出場した。その後はマラソンに参戦。全9戦で最高は3位だったが、日本記録を2度更新するなどすべてのレースで存在感を発揮した。

「これまで多くの挑戦をしてきましたが、競技人生においては米国に行ったことがターニングポイントになったと思います。ナイキの方々にサポートをしていただきながらでしたけど、あの一歩を踏み出せたことで、世界が大きく変わりました。それまで見えていなかったものが急に見え始めたような気がしています。もちろん大変ではあったんですけど、それ以上に『これをやってみたらどうなんだろう』というワクワクのほうが勝るようになりました。それが新たな出会いや刺激につながり、アウトプットできるような仲間にも恵まれた。いい循環が起きたのは米国に行ってからです。米国じゃなくてもよかったとは思うんですけど、日本を離れて、自分の世界を一歩踏み出せたという感触がありました。

 

この続きは2021年10月14日発売の『月刊陸上競技11月号』をご覧ください。

 

※インターネットショップ「BASE」のサイトに移動します
郵便振替で購入する
定期購読はこちらから

「現役ラストラン」を宣言した東京五輪の男子マラソンで6位入賞。常に最短距離でターゲットを追いかけてきた大迫傑の挑戦が幕を閉じた。トラック、駅伝、そしてマラソン。すべてのステージで輝きを放ち、日本長距離界にイノベーションを巻き起こしてきた。強烈な記憶だけでなく、記録も刻んだ稀代のランナーは、9月28日にオンラインでメディア合同の〝現役ラストインタビュー〟に応じた。華麗なる自身のキャリアを振り返り、新たな夢についても語った。 構成/酒井政人

早すぎる「引退」とその理由

東京五輪の最終日を飾る男子マラソン。札幌で行われたレースは過酷なものになった。その中で大迫傑が感動の〝ラストラン〟を見せた。中間点を過ぎてエリウド・キプチョゲ(ケニア)が抜け出したあと、一時は8~9番手に振り落とされたが、終盤に順位を上げていく。メダルを目指し続けたその激走は、日本人の心を揺さぶった。2時間10分41秒の6位でフィニッシュ。2021年8月8日、大迫はシューズを脱いだ。 「東京五輪が終わりましたが、自分が現役を引退したという実感がまだないのが正直なところです。マラソンが終わった後はいつも1ヵ月くらい休暇をとっていましたし、その間はキッズ(Sugar Elite Kids)のプロジェクトをやらせていただいたので、過去を振り返る暇がありませんでした。でも、東京五輪は本当に出し切れたレースになりました。今の段階では完全燃焼できたと思っています。 周囲から『引退が早すぎるのでは?』という声も聞こえてくるんですけど、追求し続けているとキリがないですし、一つの物語の終わりを作るのは大切です。今、終わりと言いましたが、自分ががんばってきたことの延長線上でやりたいことも出てきた。今後はそっちに注力していくのもいいかなと思っています。 東京五輪は自分の中でも大きな目標だったので、そこに向けて全力を尽くしたかった。言い訳が作れてしまう環境を捨てて、オールダイブする。それが自分にとってカッコいいなと思ったのがひとつです。プラスして米国やケニアに行き、現地でいろいろな方に会ったりするなかで陸上競技のフィールドを通して新しい興味も出てきました。いろいろなことを考えた時に、今辞めるのが自分にとってキレイなんじゃないかなと思ったんです。 引退については1年半くらい前から考えていました。最終的に決めたのは、レースの3~4週間くらい前。2020年3月の東京マラソンで代表に内定しました。その時は、あと半年で最後にしようと思っていたんですけど、ほどなくして東京五輪の1年延期が決定。現役生活が1年延びることについては正直、葛藤もありました。でも、世の中に元気がなくなっているというか、ネガティブな雰囲気になっていたので、ポジティブなことを体現したいと思ったんです。昨年の5~6月くらいからは、自分自身のラストを飾るだけでなく、世の中に向けてメッセージを残すというモチベーションで再スタートしたかたちです」

チャレンジの連続でつかんだ栄光

東京・金井中では全中3000mで3位、長野・佐久長聖高では駅伝でその名を馳せた。10000mで世界ジュニア選手権8位(大1/ 2010年)、ユニバーシアード金メダル(大2/ 11年)、モスクワ世界選手権出場(大4/ 13年)と世界へと踏み出した早大を卒業した後、大迫は渡米した。そして、12年ロンドン五輪10000mで1位、2位のモハメド・ファラー(英国)とゲーレン・ラップ(米国)ら世界トップ選手が所属していた『オレゴン・プロジェクト』にアジア人として初めて加入する。15年に5000mで13分08秒40の日本記録を樹立すると、16年の日本選手権で長距離2冠を獲得。同年のリオ五輪では5000mと10000mに出場した。その後はマラソンに参戦。全9戦で最高は3位だったが、日本記録を2度更新するなどすべてのレースで存在感を発揮した。 「これまで多くの挑戦をしてきましたが、競技人生においては米国に行ったことがターニングポイントになったと思います。ナイキの方々にサポートをしていただきながらでしたけど、あの一歩を踏み出せたことで、世界が大きく変わりました。それまで見えていなかったものが急に見え始めたような気がしています。もちろん大変ではあったんですけど、それ以上に『これをやってみたらどうなんだろう』というワクワクのほうが勝るようになりました。それが新たな出会いや刺激につながり、アウトプットできるような仲間にも恵まれた。いい循環が起きたのは米国に行ってからです。米国じゃなくてもよかったとは思うんですけど、日本を離れて、自分の世界を一歩踏み出せたという感触がありました。   この続きは2021年10月14日発売の『月刊陸上競技11月号』をご覧ください。  
※インターネットショップ「BASE」のサイトに移動します
郵便振替で購入する 定期購読はこちらから

次ページ:

       

RECOMMENDED おすすめの記事

    

Ranking 人気記事ランキング 人気記事ランキング

Latest articles 最新の記事

2024.09.13

プーマが長野・菅平に学生駅伝選手向けリカバリー施設を期間限定オープン、前年の2倍以上の1000人近くが利用

プーマ ジャパンは9月13日、長野・菅平で期間限定オープン中(8月15日~9月17日)の学生ランナー向けリカバリー施設「PUMA RUNNING HOUSE SUGADAIRA」をメディア公開した。 プーマは「すべてのラ […]

NEWS 東京世界陸上まであと1年! 北口榛花はすでに代表内定 標準記録突破で出場に大きく前進

2024.09.13

東京世界陸上まであと1年! 北口榛花はすでに代表内定 標準記録突破で出場に大きく前進

2025年の9月13日から21日までの9日間、東京で2度目となる世界選手権が国立競技場で行われる。開幕までいよいよ1年となり、8月にはタイムテーブルや参加標準記録、参加資格などが発表され、開催に向けた機運も高まりつつある […]

NEWS 女子800m久保凛 2分03秒25の大会新V 男子2年200mは安川飛翔が制す/近畿ユース

2024.09.13

女子800m久保凛 2分03秒25の大会新V 男子2年200mは安川飛翔が制す/近畿ユース

9月13日、第57回近畿高校ユース選手権の1日目が滋賀県彦根市の平和堂HATOスタジアムで行われ、2年女子800mは日本記録保持者の久保凛(東大阪大敬愛高)が2分03秒25の大会新記録で優勝した。 7月に1分59秒93の […]

NEWS 【東洋大学】 好調の要因はコンディショニングへの高い意識とトレーニングの継続 
PR

2024.09.13

【東洋大学】 好調の要因はコンディショニングへの高い意識とトレーニングの継続 

若手の成長で戦力充実、「出雲と全日本は表彰台、正月は総合優勝を!! 」 強豪校がひしめく学生長距離界で主役の座を奪還すべく、東洋大学は今季のスローガンを〝鉄紺の覚醒〟と掲げた。トラックシーズンはその思いを体現するように各 […]

NEWS TDKアスリートアンバサダー就任の鵜澤飛羽「19秒台へレベルアップした走りを目指したい」

2024.09.13

TDKアスリートアンバサダー就任の鵜澤飛羽「19秒台へレベルアップした走りを目指したい」

東京世界選手権開幕まであと1年となった9月13日、東京都は「東京2025世界陸上 1 Year To Go!」を東京・文京区の東京ドームシティ ラクーアガーデンで開催した。 イベント内で、世界陸上を1983年の第1回ヘル […]

SNS

Latest Issue 最新号 最新号

2024年10月号 (9月13日発売)

2024年10月号 (9月13日発売)

●Paris 2024 Review
●別冊付録/学生駅伝ガイド 2024 秋
●福井全中Review
●東京世界選手権まであと1年
●落合晃の挑戦

page top