2021.09.05

昨年9月の日本選手権・混成競技で、ヘンプヒル恵(アトレ)は日本記録更新を目前にしながらも膝を痛め、そのまま戦線離脱した。2度目の大ケガで一時は引退するつもりだったという。それでも今年、競技場にその姿はあった。どんな思いで現役続行を決め、戻ってきたのか。
日本記録目前に右膝十字靱帯断裂
ヘンプヒル恵(アトレ)が帰ってきた。6月の日本選手権。東京五輪トライアルという独特の緊張感が漂った大阪・ヤンマースタジアム長居。女子走幅跳のピットにその姿はあった。
「え? 本当に跳ぶの?」。コーチ・関係者席にいる、昨年の大ケガを知っている人からはこんな声が漏れたという。まだ助走も踏み切りも恐る恐る。それでも、3回目に5m97(-0.4)を跳んだ。9位でトップ8には残れなかった。悔しかった。
昨年9月の日本選手権混成競技・七種競技。ヘンプヒルは日本記録を更新しようかというペースで試合を進めていた。残り2種目。やり投の1回目を投げようとした瞬間、膝から崩れ落ちた。起き上がろうとするが力が立てない。車椅子で運ばれた。
その後、テーピング姿でやり投のピットに戻る。投げようと足を着く。踏ん張れない。最後は片脚で投げた。最終種目の800mにはスタートラインに。走れないのはわかっていた。号砲と同時にトラックから離れた。泣きながらライバルたちとの集合写真に収まる。軽いケガではないのは自分でもわかった。「もう待つのは飽きました」。そう苦笑いして再び車椅子を押されて競技場を後にした。
右膝前十字靱帯断裂。ヘンプヒルは2017年にも練習中に同じケガをしている。その時は左膝だった。3年間かけて100mハードルで自己ベスト(13秒37)マークし、日本記録が見えるところまでせっかく戻ってきたのに、またあの厳しいリハビリの日々を過ごさなくてはいけない。一度経験しているからこそ、一歩目が踏み出せなかった。手術も躊躇。「普通の会社員になったほうがいいのかな」。チームスタッフにそう漏らした。
京都文教中時代に四種競技を制し、同・高校の時には七種競技でインターハイ連覇。不滅とも言える5519点の高校記録を打ち立てた。中大でも圧倒的な力を誇り、日本選手権を3連覇。17年に当時日本歴代2位の5907点をマークし、中田有紀が2004年に樹立した日本記録5962点の更新、そして日本女子初の6000点超えを担う一番として期待を集めた。ずっと日本女子混成界を牽引してきた “女王”の心は、2度目の大ケガで限界を超えてしまう。

今年の日本選手権走幅跳で復帰したヘンプヒル
引退を考えながらも身体を動かす日々
現役を続けるかどうか関係なく、日常生活のためにも手術をしておいたほうが良いという判断。10月28日に手術し、1ヵ月間の入院生活を送った。前と違ったのは、半月板が損傷していなかったことと、コロナ禍で家族さえ対面できなかったこと。
競技から離れる。その決断に大きく気持ちが傾いていた。実際、同期の仲間たちにもそうやって相談。「これ、もういらんし置いていくわ」。ユニフォームやスパイクを実家のクローゼットに押し込んだ。
「心が壊れそうだった。壊れる前に陸上を辞めようと思いました」
部屋に一人でいると何も手につかず、無気力になる。自分が「陸上をする」と言うことで、周囲はまた大変な思いをする。それならいっそのこと、離れればいい。そう思うのも無理はなかった。
だが、心とは裏腹に、入院時からリハビリを怠ることは一切なかった。それどころか、なぜか身体は自然と動こうとする。「少しずつできることが増えてきた」。その喜びを一つずつ噛みしめた。
リハビリ以外は塞ぎ込んでいたある日、友達から急きょ連絡が来て会うことになった。「私たちは恵がいるだけで元気をもらっているんだよ」。救われた気がした。前を向きたい。競技への火種は消えてはいなかった。
1月には「競技を続ける方向で」と少しずつ前向きに。自分がどうなりたいのか、「今までで一番本気で、自分の将来のこと、陸上人生について考えました」。リハビリをしながら徐々に練習も再開。3月、自らのSNSでケガのこと、辞めようと思ったこと、そして現役続行の決意を綴った。「きっと陸上が好きなんだと思います」。
5月23日。25歳の誕生日だったこの日は忘れられない日となる。七種競技でそれまで日本歴代3位の5873点がベストだった山崎有紀(スズキ)が5975点の日本新記録を樹立。同日、関東インカレでは大玉華鈴(日体大)がヘンプヒルの持っていた大会記録を更新。立て続けに2つの記録を上回られた。ライバルであり仲間からの「戻ってこい」と言わんばかりの特大の“誕生日プレゼント”。心を揺さぶられないはずはなかった。

100mHにも復帰。予選で敗退して悔しがった
再び世界を目指し、完全復活の時は近い
手術後のリハビリ、復帰までの過程は順調そのもので、半月板が無事だったことや慣れもあり1度目のケガよりも格段にスムーズだった。「膝はまだ痛かったり、痛くなかったり」だが、最初に痛めた左膝も含めて左右のバランスを確認しながらステップアップした。6月の日本選手権で復帰した後は、7月に京都選手権の走幅跳に出場。追い風参考ながら6m19(+3.3)のビッグジャンプを見せて優勝した。
地元京都での復活。表彰式ではいつも気にかけてくれる先生が「ヘンプヒル、大ケガからの復活です!」とアナウンスしてくれた。夏には1度、母校の練習にも参加。「走練習間のインターバルが短くてめちゃくちゃしんどかったです」と、原点に戻って高校生たちと汗を流した。
翌月の東京選手権でも走幅跳で優勝。“東西”選手権を制し、200mも予選、決勝と2本走った。「雨の中で助走と踏み切りは少しずつ改善できたと思います。去年のケガからスタートラインに立てた自分を褒めつつ、今後も自分に厳しくやっていきたいです」。走幅跳は元々、左足踏み切りだったが1回目のケガを受けて右足踏み切りに変更。今回、再び左足に戻して跳んでいる。両足で6mを超えるというのも、ヘンプヒルの能力の高さだろう。
7月に練習を始めていた得意種目の100mハードルは「まだ良い時の感覚を追い求めてしまう」。ハードル復帰戦となった8月のAthlete Night Games(福井)。不安も大きいなか、予選で13秒69(-1.1)をマークした。決勝に進めず「楽しいけど悔しい」。地団駄を踏んで笑った。あとちょっと、の悔しさが、一歩ずつヘンプヒルを突き動かしている。
9月の全日本実業団対抗で100mハードルと走幅跳にエントリー予定で、秋に試合があれば七種競技に出場するプランを明かす。「まだ走高跳はちょっと怖い」。それでも、しっかり2日間戦い抜くことで、あの日から止まったままの時計を動かせる。「また一緒に戦いたい」。仲間たちは心待ちにしている。
2024年パリ五輪、25年の世界選手権まで世界大会が続く。来年のユージン世界選手権の参加標準記録は6420点。いまだ6000点にも届いていないし、簡単に届くとも思っていない。国内でも今は山崎に次ぐ2番手の選手。だが不可能じゃない。ヘンプヒルにはそう思わせる何かがある。
誰もが認める潜在能力は、まだまだ解放できていない。「理性だけじゃなく、本能で自分らしく」。2度のケガを乗り越え、絶対女王から不屈の女王へ。その道のりは決して平坦ではないが、きっと楽しいものになる。

福井では大学の同期・大久保有梨と再開して笑顔を見せた
文/向永拓史
昨年9月の日本選手権・混成競技で、ヘンプヒル恵(アトレ)は日本記録更新を目前にしながらも膝を痛め、そのまま戦線離脱した。2度目の大ケガで一時は引退するつもりだったという。それでも今年、競技場にその姿はあった。どんな思いで現役続行を決め、戻ってきたのか。
日本記録目前に右膝十字靱帯断裂
ヘンプヒル恵(アトレ)が帰ってきた。6月の日本選手権。東京五輪トライアルという独特の緊張感が漂った大阪・ヤンマースタジアム長居。女子走幅跳のピットにその姿はあった。 「え? 本当に跳ぶの?」。コーチ・関係者席にいる、昨年の大ケガを知っている人からはこんな声が漏れたという。まだ助走も踏み切りも恐る恐る。それでも、3回目に5m97(-0.4)を跳んだ。9位でトップ8には残れなかった。悔しかった。 昨年9月の日本選手権混成競技・七種競技。ヘンプヒルは日本記録を更新しようかというペースで試合を進めていた。残り2種目。やり投の1回目を投げようとした瞬間、膝から崩れ落ちた。起き上がろうとするが力が立てない。車椅子で運ばれた。 その後、テーピング姿でやり投のピットに戻る。投げようと足を着く。踏ん張れない。最後は片脚で投げた。最終種目の800mにはスタートラインに。走れないのはわかっていた。号砲と同時にトラックから離れた。泣きながらライバルたちとの集合写真に収まる。軽いケガではないのは自分でもわかった。「もう待つのは飽きました」。そう苦笑いして再び車椅子を押されて競技場を後にした。 右膝前十字靱帯断裂。ヘンプヒルは2017年にも練習中に同じケガをしている。その時は左膝だった。3年間かけて100mハードルで自己ベスト(13秒37)マークし、日本記録が見えるところまでせっかく戻ってきたのに、またあの厳しいリハビリの日々を過ごさなくてはいけない。一度経験しているからこそ、一歩目が踏み出せなかった。手術も躊躇。「普通の会社員になったほうがいいのかな」。チームスタッフにそう漏らした。 京都文教中時代に四種競技を制し、同・高校の時には七種競技でインターハイ連覇。不滅とも言える5519点の高校記録を打ち立てた。中大でも圧倒的な力を誇り、日本選手権を3連覇。17年に当時日本歴代2位の5907点をマークし、中田有紀が2004年に樹立した日本記録5962点の更新、そして日本女子初の6000点超えを担う一番として期待を集めた。ずっと日本女子混成界を牽引してきた “女王”の心は、2度目の大ケガで限界を超えてしまう。
今年の日本選手権走幅跳で復帰したヘンプヒル
引退を考えながらも身体を動かす日々
現役を続けるかどうか関係なく、日常生活のためにも手術をしておいたほうが良いという判断。10月28日に手術し、1ヵ月間の入院生活を送った。前と違ったのは、半月板が損傷していなかったことと、コロナ禍で家族さえ対面できなかったこと。 競技から離れる。その決断に大きく気持ちが傾いていた。実際、同期の仲間たちにもそうやって相談。「これ、もういらんし置いていくわ」。ユニフォームやスパイクを実家のクローゼットに押し込んだ。 「心が壊れそうだった。壊れる前に陸上を辞めようと思いました」 部屋に一人でいると何も手につかず、無気力になる。自分が「陸上をする」と言うことで、周囲はまた大変な思いをする。それならいっそのこと、離れればいい。そう思うのも無理はなかった。 だが、心とは裏腹に、入院時からリハビリを怠ることは一切なかった。それどころか、なぜか身体は自然と動こうとする。「少しずつできることが増えてきた」。その喜びを一つずつ噛みしめた。 リハビリ以外は塞ぎ込んでいたある日、友達から急きょ連絡が来て会うことになった。「私たちは恵がいるだけで元気をもらっているんだよ」。救われた気がした。前を向きたい。競技への火種は消えてはいなかった。 1月には「競技を続ける方向で」と少しずつ前向きに。自分がどうなりたいのか、「今までで一番本気で、自分の将来のこと、陸上人生について考えました」。リハビリをしながら徐々に練習も再開。3月、自らのSNSでケガのこと、辞めようと思ったこと、そして現役続行の決意を綴った。「きっと陸上が好きなんだと思います」。 5月23日。25歳の誕生日だったこの日は忘れられない日となる。七種競技でそれまで日本歴代3位の5873点がベストだった山崎有紀(スズキ)が5975点の日本新記録を樹立。同日、関東インカレでは大玉華鈴(日体大)がヘンプヒルの持っていた大会記録を更新。立て続けに2つの記録を上回られた。ライバルであり仲間からの「戻ってこい」と言わんばかりの特大の“誕生日プレゼント”。心を揺さぶられないはずはなかった。
100mHにも復帰。予選で敗退して悔しがった
再び世界を目指し、完全復活の時は近い
手術後のリハビリ、復帰までの過程は順調そのもので、半月板が無事だったことや慣れもあり1度目のケガよりも格段にスムーズだった。「膝はまだ痛かったり、痛くなかったり」だが、最初に痛めた左膝も含めて左右のバランスを確認しながらステップアップした。6月の日本選手権で復帰した後は、7月に京都選手権の走幅跳に出場。追い風参考ながら6m19(+3.3)のビッグジャンプを見せて優勝した。 地元京都での復活。表彰式ではいつも気にかけてくれる先生が「ヘンプヒル、大ケガからの復活です!」とアナウンスしてくれた。夏には1度、母校の練習にも参加。「走練習間のインターバルが短くてめちゃくちゃしんどかったです」と、原点に戻って高校生たちと汗を流した。 翌月の東京選手権でも走幅跳で優勝。“東西”選手権を制し、200mも予選、決勝と2本走った。「雨の中で助走と踏み切りは少しずつ改善できたと思います。去年のケガからスタートラインに立てた自分を褒めつつ、今後も自分に厳しくやっていきたいです」。走幅跳は元々、左足踏み切りだったが1回目のケガを受けて右足踏み切りに変更。今回、再び左足に戻して跳んでいる。両足で6mを超えるというのも、ヘンプヒルの能力の高さだろう。 7月に練習を始めていた得意種目の100mハードルは「まだ良い時の感覚を追い求めてしまう」。ハードル復帰戦となった8月のAthlete Night Games(福井)。不安も大きいなか、予選で13秒69(-1.1)をマークした。決勝に進めず「楽しいけど悔しい」。地団駄を踏んで笑った。あとちょっと、の悔しさが、一歩ずつヘンプヒルを突き動かしている。 9月の全日本実業団対抗で100mハードルと走幅跳にエントリー予定で、秋に試合があれば七種競技に出場するプランを明かす。「まだ走高跳はちょっと怖い」。それでも、しっかり2日間戦い抜くことで、あの日から止まったままの時計を動かせる。「また一緒に戦いたい」。仲間たちは心待ちにしている。 2024年パリ五輪、25年の世界選手権まで世界大会が続く。来年のユージン世界選手権の参加標準記録は6420点。いまだ6000点にも届いていないし、簡単に届くとも思っていない。国内でも今は山崎に次ぐ2番手の選手。だが不可能じゃない。ヘンプヒルにはそう思わせる何かがある。 誰もが認める潜在能力は、まだまだ解放できていない。「理性だけじゃなく、本能で自分らしく」。2度のケガを乗り越え、絶対女王から不屈の女王へ。その道のりは決して平坦ではないが、きっと楽しいものになる。
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