2021.08.07
東京五輪の陸上競技、最終種目は8月8日朝7時にスタートする男子マラソン。陸上競技の最終種目でもあり、東京五輪最終日の午前中という、まさに大会のフィナーレを飾るレースとなる。今回、初の日本代表として出場するのが服部勇馬(トヨタ自動車)。早くからマラソンへのあこがれと挑戦を公言してきた男が、ついに日の丸を背負ってマラソンを走る。
早くから「マラソン」を意識
服部勇馬(トヨタ自動車)は、仙台育英高(宮城)時代から全国区で名前を知られ、東洋大在籍時には箱根駅伝のエース区間2区で2年連続区間賞を獲得するなど華々しい活躍を見せてきた。
だが、存在感を放ってきた一方で、意外にも、これまで日本代表の経験は少ない。仙台育英高2年時に出場した世界クロスカントリー選手権や、大学2年時に日本学生選抜の一員で出場した国際千葉駅伝ぐらいしかない(ちなみに、この駅伝には、日本選抜として大迫傑も出場していた)。
シニアの日本代表として日の丸を着けるのは、今回の東京五輪が初めて。2013年に2020年オリンピックの開催地が東京に決まった当時から、服部は“東京オリンピックに出場したい”という思いを持ち続けてきた。その悲願が叶う時がきた。
もともと長い距離を得意としてきた服部は、学生時代から酒井俊幸監督のもとでマラソントレーニングを始めていた。大学の先輩の設楽悠太(Honda)や大迫のように、まずはトラックを主戦場とし、そこから距離を延ばしてマラソンに移行する選手も多いが、彼らとは対照的に、早くからマラソンで五輪出場を志していた。
初マラソンは大学卒業前の16年の東京マラソン。40㎞過ぎに失速し、日本人4位に終わったが、リオ五輪の選考が懸かった一戦で一時は日本人トップを独走する場面もあり、インパクトあるレースを見せた。2時間11分46秒の好記録だったが、同じ学生の下田裕太と一色恭志(ともに青学大出身)に敗れて“失敗レース”と言われたのは、その期待の高さゆえだっただろう。
2回目のマラソンは17年東京。2時間9分46秒とサブ10(2時間10分切り)を達成した。しかし、記録だけを見れば順調なようでも、初マラソンに続き終盤に失速しており、またしても大きな課題を残した。
課題と実直に向き合い、冷静に対処できるのがこの男の強みでもある。単に走る距離を増やすだけでなく、自身の走りを分析し課題克服に努めた。3レース目に選んだ18年5月のプラハマラソンは、記録は2時間10分26秒だったが、35kmも踏ん張り、課題克服への兆しをみせた。
18年の福岡国際では14年ぶりの日本人優勝
そして、18年12月の福岡国際マラソンでは、12月にもかかわらずスタート時の気温が20℃を超える悪条件下だったが、日本歴代8位(当時)となる2時間7分27秒の好記録で、14年ぶりの日本人優勝。レース内容も圧巻で、35~40kmの5kmを14分40秒とペースアップし外国人勢を突き放した。課題だった終盤で、勝負を決することができたのは大きな成長の証だった。
19年の五輪代表選考レースマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)では、「最後は無我夢中だった」というが、大迫との競り合いを制して2位を確保し、夢の舞台への切符をつかんだ
「(優勝よりも)2位、内定ということに意識が向いていた。自分で仕掛けて勝ちに行くレースができず、見せ場がなかった。良い意味で言えば冷静だったが、強気な姿勢はあまり見せられなかった。それが負けにつながった」
中村匠吾(富士通)には敗れ、レース後には反省も口にしていたが、事前に入念にコース試走を行うなど、準備をきっちりと行って臨んだことが結果に現れた。臨機応変にレースに対応できるのも服部の大きな武器だろう。
入念な準備で本番へ
こうしてレースを重ねるたびに、課題を克服し、強さを増してきた。昨年は10000mで立て続けに27分台をマークするなど、代表決定後はスピードに磨きをかけ、本番に備えていた。
昨冬にはケガもあったが、今年5月にはテスト大会の北海道・札幌マラソンフェスティバル2021(ハーフマラソン)で、コースチェックを重視しながらも、1㎞3分ペースを切る1時間2分59秒で走り切った。
それ以降は「菅平で合宿を続けてきたマラソントレーニングを行ってきた」と服部。ケガからの復帰過程ということもあり、「普段のマラソンよりも急ピッチで作った」ことで、トレーニングの幅も広がった。「5月よりはかなり良い状態で臨めると思う」と、事前会見では話している。
合宿の最後の1ヵ月は弟の弾馬(トーエネック)と一緒に練習。「本当は一緒に出ることを目指していましたが、思いを引き継ぐことができました。いいメンタルでオリンピックの舞台に立てると思う」。
15年の全日本大学駅伝1、2区では弟の弾馬にタスキを渡した。今回は弾馬から想いが託された
五輪が1年延期になったことにより、「ものすごく長かった」。そのぶん、「代表としての自覚、覚悟は2年間でついた」。今回、東京五輪の一つのテーマに“復興五輪”がある。高校3年時の2011年、地元新潟を離れ仙台育英高で自らを高めている時に、東日本大震災が起きた。想いは強い。
五輪本番の目標タイムは、暑さを考慮して「2時間8分から10分ぐらい」に設定していたが、五輪本番のコースを走ってみて「ターゲットタイムは修正していかなければならないのかなと感じました」と見直しを図った。服部の頭の中で様々なシミュレーションがなされたのだろう。そして、弾き出されたレースプランを遂行するために、MGCの時のように入念な準備を積んで五輪本番に臨む。
前回リオ五輪覇者で世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)や19年ドーハ世界選手権の金メダリストのレリサ・デシサ(エチオピア)ら東アフリカ勢は強力だが、服部も格段に力をつけており、上位争いに加わるチャンスはある。福岡国際の時のように終盤にペースアップできれば、メダルにも届くかもしれない。
「東京五輪が決まってからこの舞台に立ちたいと思ってやってきた。まずは自分の力を発揮したい。この期間でたくさんの人に支えていただいた。そういた方々に対して少しでも感謝の気持ちを見せられたらと思います」
初めての日本代表が追い求めてきたマラソン、そして地元でのオリンピック。これ以上ない舞台が整った。
文/和田悟志
早くから「マラソン」を意識
服部勇馬(トヨタ自動車)は、仙台育英高(宮城)時代から全国区で名前を知られ、東洋大在籍時には箱根駅伝のエース区間2区で2年連続区間賞を獲得するなど華々しい活躍を見せてきた。 だが、存在感を放ってきた一方で、意外にも、これまで日本代表の経験は少ない。仙台育英高2年時に出場した世界クロスカントリー選手権や、大学2年時に日本学生選抜の一員で出場した国際千葉駅伝ぐらいしかない(ちなみに、この駅伝には、日本選抜として大迫傑も出場していた)。 シニアの日本代表として日の丸を着けるのは、今回の東京五輪が初めて。2013年に2020年オリンピックの開催地が東京に決まった当時から、服部は“東京オリンピックに出場したい”という思いを持ち続けてきた。その悲願が叶う時がきた。 もともと長い距離を得意としてきた服部は、学生時代から酒井俊幸監督のもとでマラソントレーニングを始めていた。大学の先輩の設楽悠太(Honda)や大迫のように、まずはトラックを主戦場とし、そこから距離を延ばしてマラソンに移行する選手も多いが、彼らとは対照的に、早くからマラソンで五輪出場を志していた。 初マラソンは大学卒業前の16年の東京マラソン。40㎞過ぎに失速し、日本人4位に終わったが、リオ五輪の選考が懸かった一戦で一時は日本人トップを独走する場面もあり、インパクトあるレースを見せた。2時間11分46秒の好記録だったが、同じ学生の下田裕太と一色恭志(ともに青学大出身)に敗れて“失敗レース”と言われたのは、その期待の高さゆえだっただろう。 2回目のマラソンは17年東京。2時間9分46秒とサブ10(2時間10分切り)を達成した。しかし、記録だけを見れば順調なようでも、初マラソンに続き終盤に失速しており、またしても大きな課題を残した。 課題と実直に向き合い、冷静に対処できるのがこの男の強みでもある。単に走る距離を増やすだけでなく、自身の走りを分析し課題克服に努めた。3レース目に選んだ18年5月のプラハマラソンは、記録は2時間10分26秒だったが、35kmも踏ん張り、課題克服への兆しをみせた。 18年の福岡国際では14年ぶりの日本人優勝 そして、18年12月の福岡国際マラソンでは、12月にもかかわらずスタート時の気温が20℃を超える悪条件下だったが、日本歴代8位(当時)となる2時間7分27秒の好記録で、14年ぶりの日本人優勝。レース内容も圧巻で、35~40kmの5kmを14分40秒とペースアップし外国人勢を突き放した。課題だった終盤で、勝負を決することができたのは大きな成長の証だった。 19年の五輪代表選考レースマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)では、「最後は無我夢中だった」というが、大迫との競り合いを制して2位を確保し、夢の舞台への切符をつかんだ 「(優勝よりも)2位、内定ということに意識が向いていた。自分で仕掛けて勝ちに行くレースができず、見せ場がなかった。良い意味で言えば冷静だったが、強気な姿勢はあまり見せられなかった。それが負けにつながった」 中村匠吾(富士通)には敗れ、レース後には反省も口にしていたが、事前に入念にコース試走を行うなど、準備をきっちりと行って臨んだことが結果に現れた。臨機応変にレースに対応できるのも服部の大きな武器だろう。入念な準備で本番へ
こうしてレースを重ねるたびに、課題を克服し、強さを増してきた。昨年は10000mで立て続けに27分台をマークするなど、代表決定後はスピードに磨きをかけ、本番に備えていた。 昨冬にはケガもあったが、今年5月にはテスト大会の北海道・札幌マラソンフェスティバル2021(ハーフマラソン)で、コースチェックを重視しながらも、1㎞3分ペースを切る1時間2分59秒で走り切った。 それ以降は「菅平で合宿を続けてきたマラソントレーニングを行ってきた」と服部。ケガからの復帰過程ということもあり、「普段のマラソンよりも急ピッチで作った」ことで、トレーニングの幅も広がった。「5月よりはかなり良い状態で臨めると思う」と、事前会見では話している。 合宿の最後の1ヵ月は弟の弾馬(トーエネック)と一緒に練習。「本当は一緒に出ることを目指していましたが、思いを引き継ぐことができました。いいメンタルでオリンピックの舞台に立てると思う」。 15年の全日本大学駅伝1、2区では弟の弾馬にタスキを渡した。今回は弾馬から想いが託された 五輪が1年延期になったことにより、「ものすごく長かった」。そのぶん、「代表としての自覚、覚悟は2年間でついた」。今回、東京五輪の一つのテーマに“復興五輪”がある。高校3年時の2011年、地元新潟を離れ仙台育英高で自らを高めている時に、東日本大震災が起きた。想いは強い。 五輪本番の目標タイムは、暑さを考慮して「2時間8分から10分ぐらい」に設定していたが、五輪本番のコースを走ってみて「ターゲットタイムは修正していかなければならないのかなと感じました」と見直しを図った。服部の頭の中で様々なシミュレーションがなされたのだろう。そして、弾き出されたレースプランを遂行するために、MGCの時のように入念な準備を積んで五輪本番に臨む。 前回リオ五輪覇者で世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)や19年ドーハ世界選手権の金メダリストのレリサ・デシサ(エチオピア)ら東アフリカ勢は強力だが、服部も格段に力をつけており、上位争いに加わるチャンスはある。福岡国際の時のように終盤にペースアップできれば、メダルにも届くかもしれない。 「東京五輪が決まってからこの舞台に立ちたいと思ってやってきた。まずは自分の力を発揮したい。この期間でたくさんの人に支えていただいた。そういた方々に対して少しでも感謝の気持ちを見せられたらと思います」 初めての日本代表が追い求めてきたマラソン、そして地元でのオリンピック。これ以上ない舞台が整った。 文/和田悟志
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