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クローズアップ/やり投・北口榛花が目指す場所 五輪のためじゃなく「別世界」へ行くための助走変更


トップ選手たちは短いシーズンを終え、「鍛錬期」と呼ばれる冬季練習に入った。イレギュラーだった“短い”シーズンを終えた今、来年に延期になった東京五輪を目指すアスリートたちの現在地は――。女子やり投で日本記録を持つ北口榛花(JAL)に、新しい助走にチャレンジした今季の振り返りと来年への思いを聞いた。

助走変更に着手し2勝2敗

10月に行われた日本選手権。女子やり投で連覇を期待された北口榛花だったが、59m30と自身の持つ日本記録66m00から6m以上も手前に刺さる記録しか残せなかった。それでも一時はトップに立ったものの、直後に佐藤友佳(ニコニコのり)に2cm逆転を許して連覇ならず。

2cmという差に思わず苦笑い。佐藤と笑顔で健闘を称え合う姿は、コロナ禍にあって負けても試合を楽しんでいるように見えたという人もいたようだ。「今回は泣かなかった?」。そう聞くと、「ちゃんと泣いていましたよ」と笑う。「やっぱり悔しかったですから」。北口は悔しかったらよく泣き、楽しい時はよく笑う。その天真爛漫さが魅力の一つだ。

昨年、日本記録を2度更新し、世界選手権にも初出場。2018年度の終わりからチェコのデヴィッド・シェケラックコーチに師事したことをきっかけに、その才能が一気に開花した。国内では負け知らずの北口だったが、日大を卒業して社会人1年目の今季は4試合に出場して2勝2敗。「62m、63mを安定して投げるという想定で臨んだので、残念な結果だったと思います」と悔しいシーズンを過ごした。

初戦となった8月のゴールデングランプリで初めて国立競技場に足を踏み入れ、59m38で優勝。続く9月の全日本実業団では自己4番目となる63m45をマークした。順調に見えたものの、日本選手権2位、最終戦の木南道孝記念は58m36で3位と、“まさか”の戦いぶりだった。

「世界で戦うことを目標にしている以上、国内で負けちゃいけないと思っています。日本選手権の後に、海老原さん(有希、前日本記録保持者)にも『負けちゃダメだぞ』と言われました」

女子やり投のパイオニアからの一言は、「スッと入ってきました。ありがたいです」。海老原の現役時代は「あまり話ができなかった」が、今では試合の後は自ら話しかけに行くようにしている。「来年から勝ち続けて海老原さんの優勝回数(9)に並びたいです」。記録は追い抜いても、やはりその勝負強さと実績は目指すべき存在だ。

連覇を狙った日本選手権は60mにも届かず2位に敗れた

60m超えが当たり前だった昨年に比べて振り幅が大きいのは理由がある。それが助走の変更。昨年まで16歩のうち、最初の8歩で加速し、残りの8歩でクロスステップ(やりを投げるために身体を横にする)で行っていたが、今季はその歩数を10歩・6歩に変えた。たった2歩だが、これが大きなズレを生む。

「去年は66mを投げて、その時の助走も満足していました。でも、それ以上投げるためには次に何かをしないといけない。目標にしている68mは、このまま行けるほど、そんな簡単じゃない。冬季練習中から何かを変えたいと思っていました」

北口は今年、東京五輪を目標にシーズン前までコーチのいるチェコでトレーニングを積んでいた。シェケラックコーチと選手数名で合宿のためスペインに渡ったのが3月3日。だが、時を同じくして新型コロナウイルスは一気に広がり、同月12日にはチェコがスペインからの入国を禁止した。北口は仕方なく荷物もチェコに置いたままスペインから帰国。2週間は自宅待機をしていたが、その間に東京五輪の延期が決まった。

「その時も今の助走を変えるとかは考えていなかった」と振り返る。4月は自粛生活を送り、グラウンドでの練習を再開した5月頃に、新しいリズムの助走を試してみた。

10歩、6歩の助走の動画をコーチに送り「どう思う?」と相談したつもりだったが、うまく意図が伝わらず、シェケラックコーチは北口が「これでやると決めた」と思ったようだった。「何でチェコにいる間に言わないの? チェコの選手は1年習得までかかるよ、と変更を前提に話しが進みました。でも、反対している感じはなかったので、それならやってみようと思って」と変更に踏み切った。

五輪のためじゃなく上に行くため

肩の柔軟性も含め上半身が北口の武器なら、助走、下半身は大きな課題の一つ。コーチからは「上半身が70mの選手、下半身が50mの選手」と言われたこともある。昨年も助走スピードは上がっているように感じたが、データを見ると一昨年と大きく変わっていなかったという。

「単純に助走距離を延ばす選択肢もあるとは思いますが、クロスステップで減速していたので、それならクロスを減らせば減速率を抑えられると思いました」

助走練習を始めた当初は「そんなに悪い感触ではなかった」が、やはりシェケラックコーチのもくろみ通り習得には苦心。コロナ禍によって遅れたシーズンインが近づくにつれ、不安は大きくなった。

「実は初戦だったゴールデングランプリ前にかなり悩みました。一緒に練習している小椋さん(健司、栃木県スポーツ協会)に相談したら『戻してみたら?』と言われたので、練習してみたのですが……。前の助走に戻らなくてあきらめました」

ゴールデングランプリの前日会見。「もう後戻りできません」と不安をかき消すかのように答えた。「戻れないなら、どうにかして習得したほうがいい」。この姿勢は、北口の強さを支える大きな要因だろう。

結果的にうまくいったのは全日本実業団の1試合だけ。だが、「今年の助走が悪かったとは思っていないんです。慣れていなくて、1回1回違う動きをしてしまった」と分析。今年の日本選手権の分析データでは、投げの最後の局面である、右足→左足と接地する際の低減率が下がっていたという。「そこは狙い通りだったので評価できると思います」と納得している。

あとは、「それに上半身を会わせられるかどうか」。そのためには、「体幹の強さや、下半身など、身体全体の筋力が足りていないと思います」と言う。肩の柔らかさを残したまま、筋力をつける。「それが大変で試行錯誤が必要なんです」と困り顔で言う北口は、その過程を楽しんでいるようだった。

母校・日大には投てきのみならず、棒高跳・江島雅紀、走幅跳・小田大樹、橋岡優輝など、日本トップ選手が同じ空間で練習している

66m00は昨年の世界ランキング7位。アベレージを考えれば、そのままベースアップをするだけで東京五輪入賞、あるいはメダルも十分に期待できるところまできていた。それでも北口は、助走の変更に着手した。

来年、東京五輪でメダルを狙うためか――。その問いには首をかしげた。

「東京五輪だけを考えれば元のままでよかったと思います。もちろん延期が決まったから変えたというのはあるのですが、あまり東京五輪でどうこうというのは考えなかったですね」

ではなぜ、リスクを負ってでも助走を変えたのか。

「ただただ、今より上にいくために。いつかはどうせやらなきゃいけないし、自分はすぐにできるタイプじゃない。それなら早くやったほうが身につくと思って。成功する年が来年かもしれないし、間に合わないかもしれない。でも、もう一つ上のステージに行くために必要なことだと思って挑戦しました」

東京五輪は一つの目標でもあるが、通過点でもある。北口が目指しているのはこれまで日本人が誰も見たことがない「別世界」だと言う。だからこそ、ライバルたちが成長しようとも、国内では競り合ったり、負けたりしてはいけない。そう自分に言い聞かせている。

この冬はチェコに渡ることが難しいため、国内で調整を続ける。8月がシーズンインで試合数も4試合と、いつもと違うシーズンだったが、「疲れも含めて例年と同じ感じで冬季に入りました」と言い、「こんなに日本にいるのは久しぶりです」と笑う。ただ、シェケラックコーチとの“SNS指導”にも限界はあり、「お互いの目標にズレが生じないように」できれば来日してもらい、進むべき道を共有したいと考えている。

取り組むテーマは昨年の冬と変わらない。基礎体力のアップをベースに、体幹を強化し、ローラースケートや登山で足腰を鍛える。「チェコではトップ選手からジュニアまで、やっていることは毎年同じ。だから、大事なことなんだと思います」。取材日の翌日には、さっそく高尾山へ向かった。

体幹強化や身体作りに励む北口

どんな舞台でも楽しむ姿が胸を打つ

幼い頃は水泳とバドミントンに励んでいた北口にとって、競泳のレジェンド“北島康介”がオリンピックの原点。テレビに釘づけになり、「ボランティアでも何でもいいからオリンピックに関わりたい」という気持ちが芽生えた。

すでに東京五輪の参加標準記録は突破している。国立競技場にも立ったが、オリンピックでの自分の姿は想像できたのだろうか。

「国立競技場に立った時は無観客だったので、『人がいっぱいになったらすごいんだろうな』と思いました。でも、助走路の感覚を確認するだけで終わっちゃいました。来年かーっていう感じにはならなかったです」と北口。「だって、オリンピックに行ったことないから想像できないじゃないですか」と笑い飛ばした。

今、アスリートは難しい状況に立たされている。声高に「オリンピックをやりたい」と言うことはできず、粛々と来たるべき時に備える。それでも案外、多くの選手たちはオリンピックの延期も、取り巻く現状も「自分たちだけではないから仕方ない」と割り切っている。

来年またオリンピックが――。そうなったとしても、「やることは変わらないし、ずっと競技を続けるつもりだからこそ、立ち止まったりはしません。そのまま歩いていくだけです」と話す視線は揺るぎがない。

それでも、「いろいろ大変で、解決しないとけないことがある」ことを十分に理解した上で、「やっぱりオリンピックはやってほしいし、やりたい気持ちはあります」と、言葉を選びながら紡ぐ。

「あくまで個人的な意見ですが、オリンピックは平和の象徴ですし、やることに意義があると思います。自分がアスリートだから、出たいから、ではなく観る側の一人として。やっぱり“楽しみ”があるっていうのは大事だと思いますし、楽しみを分かち合えればいいなって」

北口自身もそうだった。テレビの中で活躍する選手たちにあこがれ、あんなふうになりたいと夢を抱いた。

「北島さんのことは水泳をやっていない人も知っているけど、陸上を知らない人は私のことをほとんど知らないと思うんです。北島さんのようになれるかはわかりませんが……私もその舞台に立って、知ってもらえるような存在になりたいです」

世界選手権に出場しただけでも、友人たちからテレビに映る自分を撮影したメッセージがたくさん届いた。「それだけでもうれしかった」と言う。

背負うものは小さくないが、北口に気負いはない。北海道の進学校・旭川東高校を卒業する前。担任の先生からこう声をかけられた。「これから国を代表することもあるかもしれないけど、オリンピックは“祭典”だから、国のためとか、誰かのためとか思い過ぎず、自分が楽しむために立てばいいんだよ」。

高校生活でどれだけ輝かしい成績を収めても、ほとんど競技の話をしなかった先生だからこそ、その言葉がストレートに伝わった。北口は「今も大きな舞台に行っても、そういう思いで臨むようにしている」という。

来年がどんな年になっても北口はきっと楽しんでいる。たとえそれがオリンピックでも、よく笑い、よく泣くだろう。その姿が「なんか応援したくなる」と人々の胸を打つ。そして子供たちは目を輝かせ、こんな思いを抱く。「あんなふうになりたい」「オリンピックに関わりたい」。北口榛花はそんな存在になれる魅力であふれている。

きたぐち・はるか/1998年3月16日生まれ。北海道旭川市出身。179cm、86kg。旭川東高→日大→JAL。高校時代は、高校記録(58m90)樹立、世界ユース選手権優勝。大学ではU20日本記録(61m38)、日本記録・学生記録(66m00)を更新した。19年はユニバーシアード2位、ドーハ世界選手権初出場。東京五輪の参加標準記録(64m00)を突破済み。

文/向永拓史

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