2020.07.14
日本陸上名勝負
花岡麻帆×池田久美子
4学年違いのライバル物語
「あなたがいなかったら五輪選手になれなかった」
日本陸上界を代表する〝名勝負〟を繰り広げた花岡(右)と池田。写真は2001年日本選手権
日本の陸上競技史に残る名場面として、編集部で真っ先に挙がったのが、2001年と2005年の日本選手権、女子走幅跳で繰り広げられた花岡麻帆(Office24 /現姓・秋葉)と池田久美子(スズキ/現姓・井村)のライバル対決だった。01年はともに日本記録を大幅に上回る特大ジャンプの競演。そして05年は、息詰まるシーソーゲームを展開した末に6m69の同記録で並び、セカンド記録もタイ。池田1位、花岡2位を決めたのは実にサード記録で、それも3㎝差という際どい勝負だった。
2人のライバル物語はそれだけではない。日本選手権は花岡が5回、池田は6回優勝しているが、03年は1㎝、04年は3㎝と僅差の勝負がずらり。そうした戦いを経て、4学年上の花岡は04年のアテネ大会、池田は08年の北京大会と、そろってオリンピアンに。今回、2人のリモート対談を開いてみたら、想像以上のライバル関係が本人たちの口から語られた。
●構成/小森貞子
「中2の日本選手権から花岡さんが目標になりました」(池田)
──対談中は、失礼ですが旧姓で話を進めさせていただきます。お二人の勝負は日本選手権に限って振り返っても壮絶な戦いばかりなのですが、一番印象に残っている試合はどれですか。
花岡 やっぱり2005年の日本選手権ですね。
池田 6m69で同記録だった試合ですよね? 確かに、あれが一番おもしろかったし、一番印象に残っています。とは言え、花岡さんとの試合は、全部楽しみでした。「負けたらイヤだなぁ」とか、「怖いなぁ」とか、いろんな感情を持ちながら試合をして、結局お尻を叩かれるような気持ちで練習していました。
花岡 私は年上だったので、「勝ちたい」より「負けたくない」です。久美ちゃんが小学生の頃から強かったのは知ってるけど、そのうちに「負けそうだ」という危機感がすごくあったんです。常に何と戦っているかと言ったら、「池田久美子に負けないために練習をする」という感じでしたね、私は(笑)。
池田 私が中学2年の時の日本選手権。花岡さんは高校3年で優勝しましたよね。まだ何も知らない子供だったので、私は「6mを跳んで優勝するぞ」と意気込んで出場したんです。そうしたら高校生が6m29で勝って、私の頭の中は花岡さんのフルネームでいっぱいになりました(笑)。ノートにも名前を書いて、「この人に勝つ」というのが目標になりました。
花岡 あの時、久美ちゃんが出ていたのは覚えてるよ。中1で5m97を跳んでたよね?「世の中、すごい選手がいるんだな」と驚いた記憶がある。高3の時は春から調子が良かったから、その勢いで日本選手権も勝っちゃって、その結果舞い上がってね。その後、大学で日本インカレ3連覇しても「とりあえず日本一だからいいや」という思いがあって、世界なんて全然見ていなかった。だから、日本新を出せたのも、オリンピックに行けたのも、久美ちゃんがいたからこそ。池田久美子がいなかったら絶対になかったことなんです。
──では、花岡さんが6m82(+1. 6)の日本新(当時)を出して優勝した2001年の日本選手権から振り返りましょうか。池田さんは4㎝差の6m78(+0.8)で2位。場所は東京・国立競技場でした。
花岡 私が1回目に6m82を跳んで、池田さんが2回目に6m78でしたね。この逆はないです。池田さんが先に跳んで、私がそれに匹敵するような記録を後から跳ぶことは、たぶんなかったと思います。久美ちゃん、すごいですよ。
花岡が1回目に6m82の日本新、池田が2回目に6m78の学生新。両者ともに従来の日本記録(6m61)を大幅に上回った
池田 花岡さんの、あの日本新はすごく覚えています。その前の年に6m61の日本タイ記録を出していたんですよね。
──この結果で、2人はエドモントン世界選手権の代表になりました。それ以降、池田さんは03年パリ、05年ヘルシンキ、07年大阪と4大会連続で世界選手権に出場して、08年には北京五輪の代表になりました。花岡さんは04年の日本選手権で池田さんに3㎝差で勝ち、アテネ五輪の代表権を獲得しました。
花岡 先ほども触れましたけど、私は「池田久美子」という選手に能力以上のものを引き出してもらったなと思います。池田さんがいたからがんばれた。その気持ちは誰にも負けないぐらいあります。
池田 私も、極論すれば「花岡さんに勝つ」ということが目標だったのかなと思います。私はあまり「誰々に勝ちたい」とか言わないほうなんですけど、福島大で練習していても、心の中ではメラメラと花岡さんをイメージしていて、花岡さんが良い記録を出した後に自分が跳ぶことを想定して跳躍練習もやりましたね。
花岡 どちらかと言うと私ばっかりが意識し過ぎて、久美ちゃんはクールに跳んでいる印象でしたけどね。
池田 私は表に出すとそっちに引っ張られちゃうので、心の中で思っていました。
※この続きは2020年7月14日発売の『月刊陸上競技8月号』をご覧ください。
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日本陸上名勝負 花岡麻帆×池田久美子
4学年違いのライバル物語 「あなたがいなかったら五輪選手になれなかった」

「中2の日本選手権から花岡さんが目標になりました」(池田)
──対談中は、失礼ですが旧姓で話を進めさせていただきます。お二人の勝負は日本選手権に限って振り返っても壮絶な戦いばかりなのですが、一番印象に残っている試合はどれですか。 花岡 やっぱり2005年の日本選手権ですね。 池田 6m69で同記録だった試合ですよね? 確かに、あれが一番おもしろかったし、一番印象に残っています。とは言え、花岡さんとの試合は、全部楽しみでした。「負けたらイヤだなぁ」とか、「怖いなぁ」とか、いろんな感情を持ちながら試合をして、結局お尻を叩かれるような気持ちで練習していました。 花岡 私は年上だったので、「勝ちたい」より「負けたくない」です。久美ちゃんが小学生の頃から強かったのは知ってるけど、そのうちに「負けそうだ」という危機感がすごくあったんです。常に何と戦っているかと言ったら、「池田久美子に負けないために練習をする」という感じでしたね、私は(笑)。 池田 私が中学2年の時の日本選手権。花岡さんは高校3年で優勝しましたよね。まだ何も知らない子供だったので、私は「6mを跳んで優勝するぞ」と意気込んで出場したんです。そうしたら高校生が6m29で勝って、私の頭の中は花岡さんのフルネームでいっぱいになりました(笑)。ノートにも名前を書いて、「この人に勝つ」というのが目標になりました。 花岡 あの時、久美ちゃんが出ていたのは覚えてるよ。中1で5m97を跳んでたよね?「世の中、すごい選手がいるんだな」と驚いた記憶がある。高3の時は春から調子が良かったから、その勢いで日本選手権も勝っちゃって、その結果舞い上がってね。その後、大学で日本インカレ3連覇しても「とりあえず日本一だからいいや」という思いがあって、世界なんて全然見ていなかった。だから、日本新を出せたのも、オリンピックに行けたのも、久美ちゃんがいたからこそ。池田久美子がいなかったら絶対になかったことなんです。 ──では、花岡さんが6m82(+1. 6)の日本新(当時)を出して優勝した2001年の日本選手権から振り返りましょうか。池田さんは4㎝差の6m78(+0.8)で2位。場所は東京・国立競技場でした。 花岡 私が1回目に6m82を跳んで、池田さんが2回目に6m78でしたね。この逆はないです。池田さんが先に跳んで、私がそれに匹敵するような記録を後から跳ぶことは、たぶんなかったと思います。久美ちゃん、すごいですよ。 [gallery columns="2" link="file" size="full" ids="9745,9748"] 花岡が1回目に6m82の日本新、池田が2回目に6m78の学生新。両者ともに従来の日本記録(6m61)を大幅に上回った 池田 花岡さんの、あの日本新はすごく覚えています。その前の年に6m61の日本タイ記録を出していたんですよね。 ──この結果で、2人はエドモントン世界選手権の代表になりました。それ以降、池田さんは03年パリ、05年ヘルシンキ、07年大阪と4大会連続で世界選手権に出場して、08年には北京五輪の代表になりました。花岡さんは04年の日本選手権で池田さんに3㎝差で勝ち、アテネ五輪の代表権を獲得しました。 花岡 先ほども触れましたけど、私は「池田久美子」という選手に能力以上のものを引き出してもらったなと思います。池田さんがいたからがんばれた。その気持ちは誰にも負けないぐらいあります。 池田 私も、極論すれば「花岡さんに勝つ」ということが目標だったのかなと思います。私はあまり「誰々に勝ちたい」とか言わないほうなんですけど、福島大で練習していても、心の中ではメラメラと花岡さんをイメージしていて、花岡さんが良い記録を出した後に自分が跳ぶことを想定して跳躍練習もやりましたね。 花岡 どちらかと言うと私ばっかりが意識し過ぎて、久美ちゃんはクールに跳んでいる印象でしたけどね。 池田 私は表に出すとそっちに引っ張られちゃうので、心の中で思っていました。 ※この続きは2020年7月14日発売の『月刊陸上競技8月号』をご覧ください。
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