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偉大なるレジェンドの言葉 福島千里「セカンドキャリアも私らしく走り続けていきたい」
偉大なるレジェンドの言葉 福島千里「セカンドキャリアも私らしく走り続けていきたい」

女子100m、200mの日本記録保持者・福島千里(セイコー)は1月29日、都内で記者会見を開き、「小学校3年から陸上競技を始めて23年。この度、私は引退することを決めました」と、現役生活に別れを告げたことを報告した。後日改めて時間をもらって福島さんにインタビュー。第一線から退いた今、どんな気持ちでいるのかをうかがった。
構成/小森貞子

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ここ数年は「引退」と隣り合わせ

──引退はいつ頃から考え始めていたのでしょうか。

福島 私は2018年から今の会社でお世話になっているんですけど、2019年も2020年も全然走れなくて……。やはり「引退」というのは常に隣り合わせにあったというか。多く
のサポートを受けながら企業でスポーツをやらせてもらっている意義を考えると、「こんな結果じゃいけないな」というのが常に自分の頭の中にありました。ただ、東京オリンピックという大きな目標がありましたからね。1年1年、あるいは1試合1試合、「これが最後になるかもしれない」という覚悟を持ってやっていました。

──最終的な決断はいつでしたか。

福島 選手はオリンピックサイクルで考えるので、東京オリンピック後に引退を決めて、秋の全日本実業団対抗選手権を最後の試合にする選手の話も耳に入りました。結局、
私もそこが現役最後のレースになってしまったのですが、「全日本実業団で引退」と事前に決めて試合に出ると、本当に寂しくなって、もしかしたら泣きながらレースをすることになるかもしれない。「だったら、終わってから決めよう」と、ここ数年お世話になってきたコーチの山崎一彦先生(順大監督)と話し合いました。引退は頭の隅に置いて、最後まで勝負に徹したかったのです。せっかくここまで練習してきたので、最後までやり切りたかったという思いでした。

──ここ数年は苦しいシーズンでした。

福島 そうですね……。苦しかったんですけど、山崎先生と新しいことに挑戦したり、いろいろと試行錯誤して練習で工夫したり。そうやってモチベーションは維持できていた
かなと思います。まずは一つひとつ手応えをつかむこと。経験はあるほうなので、何かきっかけをつかめば、という期待は少なからず持っていたんです。先生やトレーナーさんと一緒に、(東京五輪に)近づく努力はやれたかなと思います。だからこそ去年、日本選手権に出るための標準記録を切れたのだと思います。

──2020年は、年次ベストが中学時代以来の12秒台でした。

福島 アキレス腱の痛みもありましたから、やっていることがすべて〝途中〟だったんです。「今の段階で11秒台を出すには、こことここが必要だね」というぐらい。足りないところは明確だったので、そこはやりやすかったです。常に「1日、1日」という感じでした。これがダメだったらあれをやってみよう、とか。これも、支えてもらいながらだったので、本当に助かりました。

──物事をとことん突き詰めて考えて、できなかったらさらに別のものを追求する探究心は、北海道にいる時から変わりませんね。

福島 そうですね。競技に関しては絶対に満足しないタイプの人間だったので、苦しかったのかもしれないです。本当にたくさんの方に迷惑をおかけしました。

2015年の「11秒23」の違い

2008年の織田記念で11秒36の日本タイ記録をマーク

── 北海道ハイテクACに入って2年目の2008年に早くも100mで日本タイ記録(11秒36)を出し、同年の北京五輪に同種目では56年ぶりとなる日本人出場を果たした時は、
まさに「彗星のごとく」でした。

福島 当時も言っていたかもしれませんけど、北京五輪に出させてもらったことで、世界の中での自分の位置がわかったんです。その先にすごく明確な目標ができたことは、
自分にとって大きなことでした。あの世界観を肌で感じて、またエンジンがかかりましたね。

── 初めてのオリンピックは一次予選を1本走って終わってしまいましたけど、得るものは大きかったのですね。

福島 そうです。自己ベストを出せば一次予選を突破できる。次のラウンドに進むことが夢のまた夢ではなくなったので、そこをわかってからの練習は質が全然違いました。
── そこからの快進撃はすごかったです。2009年のベルリン世界選手権で、100mは早くも二次予選進出を果たし、09年、10年は100m、200mで日本新を何度も出しました。

福島 いろいろハマっていた、というんですかね。やることすべてが力になっていた気がします。自分に必要なことが、きちんと見えていました。

この続きは2022年2月14日発売の『月刊陸上競技3月号』をご覧ください。

 

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女子100m、200mの日本記録保持者・福島千里(セイコー)は1月29日、都内で記者会見を開き、「小学校3年から陸上競技を始めて23年。この度、私は引退することを決めました」と、現役生活に別れを告げたことを報告した。後日改めて時間をもらって福島さんにインタビュー。第一線から退いた今、どんな気持ちでいるのかをうかがった。 構成/小森貞子

ここ数年は「引退」と隣り合わせ

──引退はいつ頃から考え始めていたのでしょうか。福島 私は2018年から今の会社でお世話になっているんですけど、2019年も2020年も全然走れなくて……。やはり「引退」というのは常に隣り合わせにあったというか。多く のサポートを受けながら企業でスポーツをやらせてもらっている意義を考えると、「こんな結果じゃいけないな」というのが常に自分の頭の中にありました。ただ、東京オリンピックという大きな目標がありましたからね。1年1年、あるいは1試合1試合、「これが最後になるかもしれない」という覚悟を持ってやっていました。──最終的な決断はいつでしたか。福島 選手はオリンピックサイクルで考えるので、東京オリンピック後に引退を決めて、秋の全日本実業団対抗選手権を最後の試合にする選手の話も耳に入りました。結局、 私もそこが現役最後のレースになってしまったのですが、「全日本実業団で引退」と事前に決めて試合に出ると、本当に寂しくなって、もしかしたら泣きながらレースをすることになるかもしれない。「だったら、終わってから決めよう」と、ここ数年お世話になってきたコーチの山崎一彦先生(順大監督)と話し合いました。引退は頭の隅に置いて、最後まで勝負に徹したかったのです。せっかくここまで練習してきたので、最後までやり切りたかったという思いでした。──ここ数年は苦しいシーズンでした。福島 そうですね……。苦しかったんですけど、山崎先生と新しいことに挑戦したり、いろいろと試行錯誤して練習で工夫したり。そうやってモチベーションは維持できていた かなと思います。まずは一つひとつ手応えをつかむこと。経験はあるほうなので、何かきっかけをつかめば、という期待は少なからず持っていたんです。先生やトレーナーさんと一緒に、(東京五輪に)近づく努力はやれたかなと思います。だからこそ去年、日本選手権に出るための標準記録を切れたのだと思います。──2020年は、年次ベストが中学時代以来の12秒台でした。福島 アキレス腱の痛みもありましたから、やっていることがすべて〝途中〟だったんです。「今の段階で11秒台を出すには、こことここが必要だね」というぐらい。足りないところは明確だったので、そこはやりやすかったです。常に「1日、1日」という感じでした。これがダメだったらあれをやってみよう、とか。これも、支えてもらいながらだったので、本当に助かりました。──物事をとことん突き詰めて考えて、できなかったらさらに別のものを追求する探究心は、北海道にいる時から変わりませんね。福島 そうですね。競技に関しては絶対に満足しないタイプの人間だったので、苦しかったのかもしれないです。本当にたくさんの方に迷惑をおかけしました。

2015年の「11秒23」の違い

2008年の織田記念で11秒36の日本タイ記録をマーク── 北海道ハイテクACに入って2年目の2008年に早くも100mで日本タイ記録(11秒36)を出し、同年の北京五輪に同種目では56年ぶりとなる日本人出場を果たした時は、 まさに「彗星のごとく」でした。福島 当時も言っていたかもしれませんけど、北京五輪に出させてもらったことで、世界の中での自分の位置がわかったんです。その先にすごく明確な目標ができたことは、 自分にとって大きなことでした。あの世界観を肌で感じて、またエンジンがかかりましたね。── 初めてのオリンピックは一次予選を1本走って終わってしまいましたけど、得るものは大きかったのですね。福島 そうです。自己ベストを出せば一次予選を突破できる。次のラウンドに進むことが夢のまた夢ではなくなったので、そこをわかってからの練習は質が全然違いました。 ── そこからの快進撃はすごかったです。2009年のベルリン世界選手権で、100mは早くも二次予選進出を果たし、09年、10年は100m、200mで日本新を何度も出しました。福島 いろいろハマっていた、というんですかね。やることすべてが力になっていた気がします。自分に必要なことが、きちんと見えていました。この続きは2022年2月14日発売の『月刊陸上競技3月号』をご覧ください。 
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