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【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第16回「年の瀬を越え、いざ箱根駅伝!〜監督の“みる”力とは〜」


山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第16回「年の瀬を越え、いざ箱根駅伝!〜監督の“みる”力とは〜」

師走である。ただでさえ慌ただしい時期であるが、12月10日の箱根駅伝選手エントリー・記者発表・箱根駅伝監督トークバトルを終えると、一気に年の瀬を越えようとする加速感を感じる。時の流れは迅速で、このコラムが掲載される頃には年の瀬から箱根駅伝の姿が見える頃になっているだろう。

年の瀬が押し迫ったついでにこの一年を振り返ってみた。

コロナ禍は2年越しで収束の気配はなく、依然として不自由を強いられている。不自由であるから尚更不便を感じる。不自由で不便とくれば後は不満が堆積する。不満が積もれば不機嫌になる。

そうなれば愚痴の一つや二つは呟きたくもなるし、虫の居処が悪ければ大声で悪態をついてしまいそうになる。そんなことをして何か解決するかと言えば、何も解決しないことはわかり切っている。それでもそのような思いに囚われてしまうことがしばしばだったのではないだろうか。

だからといって、アスリートと指導者はこの閉塞感に取り巻かれた状況の中でも歩みを止めなかった。創意と工夫、そして信頼の絆を紡いで年の瀬に向かって急坂を登ってきたようだ。途中オリンピック・パラリンピックの熱戦に励まされながら。

箱根駅伝のエントリー336名中10000mの公認記録29分以内は154名。その中で27分台が10名に達している(その他にも順天堂大学の三浦龍司選手などは27分台のポテンシャルを秘めているかもしれない……)。

しかも、各チーム上位10人の平均タイムで28分台が、オープン参加の関東学生連合チームを含む16チームとなり、出場全チームの平均で見ても史上最速のチームを作り上げてきていると言える。

記録向上の要因はシューズなどの開発もあろうが、記録を出すチャンスに恵まれることと,

新記録に挑む身体状況を作り出すことに異存はなかろう。秋以降には毎週のように開催される競技会はナイターの時間設定で実業団・大学・高校生がしのぎを削るようにして記録に挑んでいる。これら競技会の日程とレースのプロモーションがうまく噛み合い、日本の長距離界のレベル向上に大きく寄与していることが要因の一つとして挙げられる。

今から20年前の2001年は、日本ランキングで27分台を出した選手はわずか2名であったが、今年は39名と飛躍的な伸びを示している。中学1500mの日本中学記録更新から高校新記録・日本学生新記録、そしてマラソンの日本記録更新と、陸上競技の醍醐味でもある飽くなき記録への挑戦が結実した年でもあった。さらにその勢いは翌年へと引き継がれてゆく気配すら色濃く漂わせている。

その背景には指導者の献身と探究心、そして普段の努力なくして為し得ないものであることに疑う余地はない。箱根駅伝トークバトルのコーディネーターとして5チームの監督さんたち(青山学院大・原晋監督、創価大・榎木和貴監督、順天堂大・長門俊介駅伝監督、東京国際大・大志田秀次監督、東洋大・酒井俊幸監督)と、いろいろとお話を伺わせていただく中でその想いを確信した。

箱根駅伝で優勝経験をお持ちの監督と、出場経験も浅く新興勢力と呼ばれ、頭角を表してきた監督さんたちとの会話である。

創価大学と東京国際大学は、青山学院大学や東洋大学の練習や合宿に参加させてもらったようだ。「強豪校と言われるチームの胸を借りて、雰囲気を味合わせていただいた」と言う。レースとなればライバルとして火花を散らすわけだが、このように胸襟を開いた交流を箱根駅伝の裏側で為し得ていることもレベルの向上に大きく寄与しているのではないかと感じた。

原監督が、「東京国際の大志田監督は、選手を数日間練習に参加させるだけではなく、自らも一緒に泊まり込むほど熱心なところが凄いですね」と語っていた。強い選手や強いチームはどこが違うのかを、調べたり聞いたりすることも大事だが、選手にとっての一番は、肌で感じる現場の雰囲気であり、言葉以上の納得を生み出すのだと思う。

そう言えば私も、1985年に山梨学院の監督としてチームの指揮を取り始めた最初の5月の連休には、順大時代の恩師である沢木啓祐監督に無理をお願いし、関東インカレ直前の順天堂大学(当時は習志野キャンパス)の研修ハウスに泊めさせていただいた。

その年の暮れには同じく箱根駅伝前のチームの雰囲気を伝えたくて、再度研修ハウスで年を越し、駅伝直前の調整練習や雰囲気を味合わせていただいた。そこから2日間箱根駅伝の見学に行かせた。箱根駅伝の翌日には当時数名だった部員たちを大手町の読売新聞社前のスタートラインに連れて行き、「来年はここに立てるようにがんばろう」と熱く語ったことを思い起こした。そう言えば1982年〜86年の大会はNHKのラジオ解説を担当させていただいていたので、箱根駅伝を1番の特等席から見させていただいたと言える。

話をトークバトルに戻すと、いずれの監督さんたちも選手をよく観察し、それぞれの個性や特性・体調や将来性に至るまで細かく理解している点が挙げられる。それが監督としての資質であり、職務であると言ってしまえばそこまでだが、言うほど簡単でないことと深く理解している。

監督という仕事は“みる”という行為の集合体であると各監督との話の中で思い至った。

練習そのものを「見る」ことは、動きを「視る」ことであり体調を推し量るように「観る」ことも含まれる。さらに選手と向き合った時にどのような心身の状態かを「診る」と同時に悩みや不安などを探り、時には寄り添うように「看る」ことも重要だ。時には対局を見極めるために俯瞰するように「覧る」ことも必要かもしれない。大学は4年周期でチームが入れ替わるので、チームをマネージメントしてゆく「廻る」力も併せ持たなければならない。

そうなると、“みる”力は無限大に広がってゆく。そのようにしてチームを導き選手を育てた先の箱根駅伝が年の瀬の先にある。

トークバトル前の出場大学記者発表では、ほとんどの監督が「このような社会情勢の中で箱根駅伝を開催していただき支えていただいているすべての方に感謝したい」という趣旨の話をされたことも印象深い。不自由で規制が優先するスポーツ運営の中にあってコロナ禍だからこそ、“視点の広がり”として支える力の重要性を感じていただけたのではないだろうか。

箱根駅伝のポスターには読売新聞が「新たな明日へ、つなぎ、走れ」、日本テレビが「感謝。応援したいから、応援にいかない」と昨年の協力に引き続きの協力を求め、もう一枚のポスターには「さぁ、山を越えて。」と題して選手たちの心情を代弁する詩を掲載していただいている。これを読むだけで胸が熱くなる。

私からも年の瀬を超えて学生たちが黄色のジャンパーを着て補助員として協力していただけることの敬意を込めて、昨年末特別寄稿したコラムを付け加えたい。

年末特別寄稿「黄色きウェアーでランナーに背を向けて立つ君たちへ~」

【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/年末特別編「〜黄色きウェアーでランナーに背を向けて立つ君たちへ〜」

上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。

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