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【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第14回「歴史と伝統の継承~箱根駅伝予選会の激戦を振り返って~」


山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第14回「歴史と伝統の継承~箱根駅伝予選会の激戦を振り返って~」

山梨県甲府市は葡萄や桃、サクランボなど果物の栽培が盛んで、葡萄酒(ワイン醸造)も地場産業として定着している。このいずれをピックアップしても何かしらの話題が豊富に育まれている。と言いつつ、この時期は新蕎麦が美味しくいただけることから、今回は蕎麦屋のお話から。

甲府市内に創業350余年を数える老舗の蕎麦店「奥村」がある。県内には「奥」のつく屋号を持つ蕎麦店が多数あり、この「奥」がつく蕎麦店は「奥村本店」から『のれん分け』をして県内に広まっていったといわれている。

歴史を遡れば江戸時代(寛永年間)、徳川家綱の時代に、長野県南佐久郡川上村御所平の名主・由井家が年貢で苦しむ村人のため父兄と弟(新七)が江戸に直訴に行ったそうだ。死罪を覚悟の旅であったため、途中で弟の新七を甲府に残し、生活をしていけるようにと蕎麦屋を開かせたのが始まりだそうだ。山奥の村から来たので屋号を「奥村」としたという。

その歴史と伝統の継承者である16代店主である「七代目・由井新兵衛」さんに歴史と伝統の継承者として老舗の暖簾を守る意識について尋ねてみた。

「老舗と言っていただけることは気恥ずかしい気もしますが、来ていただけるお客様に対して恥じないような仕事をしようと心がけています。大したことはないと思われてもいけませんし、ご贔屓にしていただいているお客様が誰かをご紹介していただいても、恥をかかせない仕事を日々心がけています」

まぎれもなく蕎麦職人である由井さんとて、生まれつき職人であろうはずはない。職人には下積みと言われる修行時代があったはずだ。先代から何を教えられたのかを尋ねた。

「基本に忠実であることと、その上で応用をどうするか意識しながらやらないと覚えられません。工夫を施しながら、試行錯誤を重ねる。それを繰り返し積み重ねてゆくうちに、無意識に体が動くようになる。そうならないと、そばを打つ職人とは言えません。それでも工夫を無意識でしてしまうのが今の私です」

その言葉には、職人としての重みを感じた。

四季により気温や湿度も変わり、蕎麦をのして行く工程で水の量とかの加減はどうされるのか。

「それすらも身体が自然に反応するんですよ。もし後から水を足そうとしても手遅れだし、多すぎても引き算で元に戻すことはできませんからね。でも、一番大事なのは体調です。言い換えれば体調が蕎麦に現れる。蕎麦の打ち方がどうのこうのではなく、一番気を使うのが日々の体調です」

こうしたお話を伺っていると、時間がタイムスリップして順天堂大学のグラウンドの片隅で、沢木監督から薫陶を受けていた学生時代の自分に戻っているような気持ちになった。

そう言えば、1985年に初めて山梨学院大学に赴任したとき、甲府市内の食堂でカツ丼を注文して出てきた丼の蓋を開けて驚愕したことがある。そこには卵とじされたカツではなく、刻んだ千切りキャベツと揚げたての豚カツが載っているだけのものだった。山梨では卵でとじたカツ丼は『煮カツ丼』と言って注文しなければならないのを知って2度驚いた。

山梨独自のカツ丼文化は、この「奥村」の十三代当主、「五代目・由井新兵衛」が明治30年ごろ発案したそうだ。ハイカラな洋食風の豚カツを、和食の蕎麦屋でも気軽に食べられるように、との思いで考案したという。それが年月を経て、山梨県内に定着したということらしい。

『伝統とは伝承と革新の連続から築き上げられる』とすれば、まさにこのことであろう。既知と既知との融合や刺激から新しいものが生まれるのであれば、「歴史と伝統」を継承しながらも未来に向け「創造と挑戦」し続けねばならないのかもしれないと感じた。

歴史と伝統を紡ぎながら迎える98回目の箱根駅伝

あと2ヵ月後には歴史と伝統を継承する箱根駅伝が98回目を迎える。

10月23日には箱根駅伝予選会が感染症対策のため、昨年同様に無観客で陸上自衛隊立川駐屯地の滑走路を利用した周回コース(ハーフマラソン)で行われた。41大学が参加し、上位10校が来年の1月2~3日に行われる本戦への出場権を獲得した。また予選会を通過できなかった大学の記録上位者で編成する関東学生連合チームも出場する。

箱根駅伝は「11」という数字が本戦も予選会にも重くのしかかる。シード権獲得か否か、または本戦出場か否かを懸けた戦いの先にある順位である。特に予選会において出場権を逃すチームは必ずあるわけで、各大学に振り分けられた待機テントの雰囲気の明暗は隔絶の違いがある。山梨学院大学は連続出場を逃した2年前のこともあり、昨年の中央学院大学、今回の拓殖大学の無念は痛いほどわかる。

対照的に、その雰囲気を乗り越えて初出場を果たしたチームの歓喜の大きさも如何程であろうか。私自身が35年前に体験しているので、その湧き上がるようなチームが一体となった喜びの渦が手にとるように理解できる。

自分自身を振り返っても、選手としてこの大会に挑み続けた学生時代やチームを率いてこの大会で戦い続けてきた経験、さらには全ての選手にエールを送る立場となった関東学連駅伝対策委員長として、その場に佇んでいるとシンパシー(Sympathy)としての感情的共鳴だけではなく、エンパシー(Empathy)として感情移入してしまい、それぞれの監督の心象風景を垣間見たような気持ちになる。

今回はまさにそのチーム一体となった喜びの渦を巻き起こしたチームがあった。徳本一善監督が就任10年目で初出場を決めた駿河台大学である。過去2回の大会は、あと少しのところで出場権に手が届かぬ歯痒い思いを噛みしめていただろう。今回は何としても掴み取ろうとする気迫に満ちた走りが印象的であった。歴史と伝統を紡ぎながら迎える98回目の箱根駅伝に向かって、10年という歳月をかけ「創造と挑戦」をし続けてきた結果であろう。

既知と既知との融合や刺激から新しいものが生まれるのであれば「歴史と伝統」を継承しつつ、未来に向け歩んできたこの大会は、日本テレビが完全生中継を始めた第63回大会(1987年)以降、山梨学院大学の初出場を皮切りに、今回の駿河台大学まで9大学の箱根駅伝出場校を加えたこととなる。

箱根駅伝が老舗の看板を掲げるわけにはいかない。しかしながら、100回大会をいよいよ迎えるにあたって、謙虚にその歩んできた歴史を振り返りたい。

その上で前述の蕎麦屋の店主が語ってくれた、伝統を守る職人の心意気のようなことを5年後も10年後も、さらにはもっと先まで、大会に関わるすべての人たちとともに時の流れの中で紡いでいければと思う。そうすれば渋くて粋な柄が仕上がるのではないかと思いを馳せた。

これまでに大会を支えていただいた、すべてに方々に感謝を込めて――。

上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。

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