HOME バックナンバー
箱根駅伝 優勝&準優勝監督 スペシャル対談 大八木弘明×榎木和貴 名将が語る指導術
箱根駅伝 優勝&準優勝監督 スペシャル対談 大八木弘明×榎木和貴 名将が語る指導術

正月の箱根駅伝でドラマチックなレースを演じた駒大と創価大。創価大は4区でトップに立って初の往路優勝を飾ると、駒大は10区で創価大を逆転。13年ぶりの総合優勝に輝いた。1995年に母校・駒大のコーチに就任して以来、学生三大駅伝で最多「V23」をもたらした大八木弘明監督(62歳)と、就任2年目にして創価大を箱根駅伝往路優勝、総合2位へと導いた中大OBの榎木和貴監督(46歳)。年齢もキャリアも異なる2人の指導者はいかにしてチームを、そして〝人〟を育てているのか。箱根駅伝『優勝監督』の2人が指導法について語り合った。

広告の下にコンテンツが続きます

◎構成/酒井政人 撮影/船越陽一郎

〝初共演〟は1996年の箱根駅伝

―― 正月の箱根駅伝は駒大と創価大が激闘を演じました。駒大・大八木弘明監督と創価大・榎木和貴監督はいつから面識があるのでしょうか。

大八木 いつからだろう。

榎木 私が中大の3年生だった時(1995年)に大八木さんが駒大のコーチに就任されました。学生時代に面識はなかったのですが、駒大が年々強くなっていたので「すごい指導
者が来られたんだな」と感じていました。

広告の下にコンテンツが続きます

大八木 榎木君と言えば復路のイメージがあるんだよね。

―― 榎木監督は1・2年時に箱根駅伝の8区、3・4年時には4区で区間賞を獲得しています。

榎木 3年時は山梨学大と神奈川大が4区で途中棄権した年です。

大八木 その年に中大が総合優勝したんだよね。復路で活躍したイメージが強いのは、私がコーチ就任前にテレビで見ていたからかな。

中大時代は箱根駅伝4年連続区間賞など輝かしい実績を残した創価大の榎木和貴監督

――実際に話すようになったのはいつからですか?

榎木 私がコーチとしてトヨタ紡織に入ってからですよね。トヨタ紡織の監督時代は駒大の選手をスカウトに行って、そこで大八木さんと話す機会が増えてきたという感じです。監督として駆け出しだったので、「大八木さんから何か学ぼう」と通わせていただき、多摩川会(都内近郊の主に多摩川沿いに拠点を置く大学駅伝チームのコミュニティ)の研修にも参加しました。私はまったく多摩川沿いではなかったんですけど(笑)。

大八木 そういえば菅平合宿の時は宿舎が一緒で、夜はよく飲みながら話したよね。

――箱根駅伝1位と2位の監督対談は珍しいと思います。

大八木 私もやったことがない。ただ、榎木君とはだいぶ歳も離れているし、がんばっているからね。

榎木 大八木さんは箱根駅伝で終わるのではなく、マラソンで世界と戦うというのが最終目標になっているのがすごいなと思います。藤田敦史君(マラソン元日本記録保持者、現・駒大ヘッドコーチ)もそうでしたけど、学生時代からマラソンに挑戦しているのを見てきて、大学陸上界の域を超えた取り組みをしていると感じていました。

どう自信をつけさせるか

――大八木監督が駒大のコーチに就任された時は、「マラソンで世界を目指す」というよりも、まずは「箱根駅伝で結果を残す」という部分が大きかったと思います。

大八木 私がヤクルトから駒大に招しょう聘へいされてコーチになったのが36歳の時です。当時は箱根駅伝予選会を通過するのもやっと、というチームでした。本戦に出場できるのが15校で、シード権は9位まで。予選会は6位以内に入らないといけません。私がコーチに入る前は予選会が6位通過で、連続出場が危ぶまれていたんです。就任1年目もギリギリの6位通過でホッとしていたくらいなので、まずは箱根駅伝で上位に入れるチームにするのが使命でした。

2000年に箱根駅伝で初優勝した時のひとコマ。右端が大八木弘明監督(当時コーチ)。左へ森本葵監督、高岡弘ヘッドコーチ

――1996年大会は当時1年生だった藤田コーチが1区を区間2位と好走し、その後はエースとして羽ばたいていきました。

大八木 当時の1年生はおもしろい選手たちがいたんです。その中で藤田がどんどん能力を発揮してくれました。スピードはなかったのですが、持久的な能力が高かったので、マラソン選手に育てなくてはいけないなと。とにかくエースを育てないとチームはまとまらないと思ったので、最初にエースを育てたいと考えました。エースがいればみんながついていき、チームの方向性が固まる。組織はまっすぐ進んでいきます。

―― 榎木監督も創価大の監督就任時は当時の大八木監督と似たような状況だったと思います。

榎木 私自身は箱根駅伝には出場しましたけど、予選会は経験がありませんでした。いろんな監督さんから予選会の戦い方について聞きに行っても、「レベルが上がっているので、通過するのは簡単ではないよ」ということを言われたんです。難しいことだという覚悟はありました。

この続きは2021年3月13日発売の『月刊陸上競技4月号』をご覧ください。

 

※インターネットショップ「BASE」のサイトに移動します
郵便振替で購入する
定期購読はこちらから

正月の箱根駅伝でドラマチックなレースを演じた駒大と創価大。創価大は4区でトップに立って初の往路優勝を飾ると、駒大は10区で創価大を逆転。13年ぶりの総合優勝に輝いた。1995年に母校・駒大のコーチに就任して以来、学生三大駅伝で最多「V23」をもたらした大八木弘明監督(62歳)と、就任2年目にして創価大を箱根駅伝往路優勝、総合2位へと導いた中大OBの榎木和貴監督(46歳)。年齢もキャリアも異なる2人の指導者はいかにしてチームを、そして〝人〟を育てているのか。箱根駅伝『優勝監督』の2人が指導法について語り合った。 ◎構成/酒井政人 撮影/船越陽一郎

〝初共演〟は1996年の箱根駅伝

―― 正月の箱根駅伝は駒大と創価大が激闘を演じました。駒大・大八木弘明監督と創価大・榎木和貴監督はいつから面識があるのでしょうか。 大八木 いつからだろう。 榎木 私が中大の3年生だった時(1995年)に大八木さんが駒大のコーチに就任されました。学生時代に面識はなかったのですが、駒大が年々強くなっていたので「すごい指導 者が来られたんだな」と感じていました。 大八木 榎木君と言えば復路のイメージがあるんだよね。 ―― 榎木監督は1・2年時に箱根駅伝の8区、3・4年時には4区で区間賞を獲得しています。 榎木 3年時は山梨学大と神奈川大が4区で途中棄権した年です。 大八木 その年に中大が総合優勝したんだよね。復路で活躍したイメージが強いのは、私がコーチ就任前にテレビで見ていたからかな。 中大時代は箱根駅伝4年連続区間賞など輝かしい実績を残した創価大の榎木和貴監督 ――実際に話すようになったのはいつからですか? 榎木 私がコーチとしてトヨタ紡織に入ってからですよね。トヨタ紡織の監督時代は駒大の選手をスカウトに行って、そこで大八木さんと話す機会が増えてきたという感じです。監督として駆け出しだったので、「大八木さんから何か学ぼう」と通わせていただき、多摩川会(都内近郊の主に多摩川沿いに拠点を置く大学駅伝チームのコミュニティ)の研修にも参加しました。私はまったく多摩川沿いではなかったんですけど(笑)。 大八木 そういえば菅平合宿の時は宿舎が一緒で、夜はよく飲みながら話したよね。 ――箱根駅伝1位と2位の監督対談は珍しいと思います。 大八木 私もやったことがない。ただ、榎木君とはだいぶ歳も離れているし、がんばっているからね。 榎木 大八木さんは箱根駅伝で終わるのではなく、マラソンで世界と戦うというのが最終目標になっているのがすごいなと思います。藤田敦史君(マラソン元日本記録保持者、現・駒大ヘッドコーチ)もそうでしたけど、学生時代からマラソンに挑戦しているのを見てきて、大学陸上界の域を超えた取り組みをしていると感じていました。

どう自信をつけさせるか

――大八木監督が駒大のコーチに就任された時は、「マラソンで世界を目指す」というよりも、まずは「箱根駅伝で結果を残す」という部分が大きかったと思います。 大八木 私がヤクルトから駒大に招しょう聘へいされてコーチになったのが36歳の時です。当時は箱根駅伝予選会を通過するのもやっと、というチームでした。本戦に出場できるのが15校で、シード権は9位まで。予選会は6位以内に入らないといけません。私がコーチに入る前は予選会が6位通過で、連続出場が危ぶまれていたんです。就任1年目もギリギリの6位通過でホッとしていたくらいなので、まずは箱根駅伝で上位に入れるチームにするのが使命でした。 2000年に箱根駅伝で初優勝した時のひとコマ。右端が大八木弘明監督(当時コーチ)。左へ森本葵監督、高岡弘ヘッドコーチ ――1996年大会は当時1年生だった藤田コーチが1区を区間2位と好走し、その後はエースとして羽ばたいていきました。 大八木 当時の1年生はおもしろい選手たちがいたんです。その中で藤田がどんどん能力を発揮してくれました。スピードはなかったのですが、持久的な能力が高かったので、マラソン選手に育てなくてはいけないなと。とにかくエースを育てないとチームはまとまらないと思ったので、最初にエースを育てたいと考えました。エースがいればみんながついていき、チームの方向性が固まる。組織はまっすぐ進んでいきます。 ―― 榎木監督も創価大の監督就任時は当時の大八木監督と似たような状況だったと思います。 榎木 私自身は箱根駅伝には出場しましたけど、予選会は経験がありませんでした。いろんな監督さんから予選会の戦い方について聞きに行っても、「レベルが上がっているので、通過するのは簡単ではないよ」ということを言われたんです。難しいことだという覚悟はありました。 この続きは2021年3月13日発売の『月刊陸上競技4月号』をご覧ください。  
※インターネットショップ「BASE」のサイトに移動します
郵便振替で購入する 定期購読はこちらから

次ページ:

       

RECOMMENDED おすすめの記事

    

Ranking 人気記事ランキング 人気記事ランキング

Latest articles 最新の記事

2025.07.02

アジア選手権女子800m4位・チャウダリーに暫定資格停止処分 アピオは18ヵ月の資格停止

アスリート・インテグリティー・ユニット(AIU、世界陸連の独立不正監査機関)は6月中に、複数の選手に対して資格停止処分または暫定資格停止処分を科すことを発表した。 今年5月末のアジア選手権女子800mで4位に入ったT.チ […]

NEWS HOKAの新作レーシングシューズ「ROCKET X 3」が7月2日に新登場!

2025.07.02

HOKAの新作レーシングシューズ「ROCKET X 3」が7月2日に新登場!

HOKAは7月2日、ランナーが自己ベストを更新できるよう設計された最新レーシングシューズ「Rocket X 3」を7月2日よりHOKA公式オンラインストア、直営店、一部取り扱い店舗にて発売したことを発表した。価格は30, […]

NEWS 三井住友海上の清水萌、小林成美が退部 小林は5月に引退レース

2025.07.02

三井住友海上の清水萌、小林成美が退部 小林は5月に引退レース

7月1日、三井住友海上は、6月30日付で所属する清水萌と小林成美が退部したことを発表した。 清水は2001年生まれの23歳。宮城・西多賀中時代には全中1500mで7位に入るなど活躍し、都道府県対抗女子駅伝にも出場。仙台育 […]

NEWS ダイヤモンドリーグ・モナコに村竹ラシッドと三浦龍司がエントリー!

2025.07.02

ダイヤモンドリーグ・モナコに村竹ラシッドと三浦龍司がエントリー!

世界最高峰シリーズのダイヤモンドリーグ(DL)第10戦・モナコ大会のエントリー選手が発表された。 男子110mハードルには村竹ラシッド(JAL)が登録。村竹は昨年のパリ五輪5位で、13秒04の日本記録保持者。今季DLでは […]

NEWS 愛媛銀行の山中柚乃が現役引退 3000m障害で五輪、世界陸上に出場

2025.07.02

愛媛銀行の山中柚乃が現役引退 3000m障害で五輪、世界陸上に出場

女子3000m障害元日本代表の山中柚乃(愛媛銀行)が自身のSNSを更新し、昨年度で競技から一線を退いたことを報告した。 24歳の山中は大阪・大塚高から愛媛銀行へ。高校時代は1500m、3000mでインターハイ出場はかなわ […]

SNS

Latest Issue 最新号 最新号

2025年7月号 (6月13日発売)

2025年7月号 (6月13日発売)

詳報!アジア選手権
日本インカレ
IH都府県大会

page top