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【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第6回「駅伝からマラソンへ ~服部勇馬選手・酒井俊幸監督・佐藤敏信監督が語るマラソンへの道~」


山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第6回「駅伝からマラソンへ ~服部勇馬選手・酒井俊幸監督・佐藤敏信監督が語るマラソンへの道~」

 2月も下旬ともなると三寒四温の寒が緩み、温の到来が事のほかうれしい。冬の厳しい寒気を耐えた者のみが、春到来の気配に歓喜を味わえるのかもしれない。

 日本は四季があり、それを節目として生活や思いを切り替えるという文化が根付いている。それと合わせて、年末年始や新年度、卒業・新学期など、新たなステージへの切り替える節目が存在する。

 大学ではすでに成績処理も終わり、次年度の授業計画を練り直し、新入生を迎え入れる準備に追われる頃である。まさにこれから始まる未来志向のシフトレバーを一段アップする時でもある。

 それと同じくして卒業生を送り出す日が近くなり、あれやこれやと過去を振り返り懐かしくもある。ときには後悔の念に苦慮することを噛み締めたりもする。

 そんな過去と未来の狭間にしばし立ち止まる時を“節目”と言うのだろう。

 スポーツの世界であれば、年次目標とする対校戦や選手権が終了した時点がその節目となる。

 私にとっては箱根駅伝がその節目の大会として存在してきた。節目というからには、そこを起点として何を変え、何を守ってゆくのかが見えてこないと「お前の目は節穴か!」などと誹りを受けかねない。

 ならば、節穴ではなく、節目として何をどう捉えるのか考えなくてはならない。

 長距離選手にとって、マラソン・ロードレース・駅伝の冬季シーズンであったはずが、中止や延期または規模縮小に伴う参加人数制限など、寒さ以上の厳しさをかみしめた方々のなんと多かったことかと心を痛めている。

 そのような情勢下であったにせよ、箱根駅伝が終了し、新たなスポーツ文化の醸成に寄与できたのかを検証する一つの節目を迎えていることは自覚している。

 そんななか、2月23日に山梨学院大学にて、「日本陸上競技学会第19回大会」がオンラインにて開催された。

 テーマは「大学駅伝~過去・現在・未来」。私は大会の実行委員長を務めさせていただくとともに、基調講演を担当した。

 今回は、過去と現在、そして未来へとつないでいくためにも特に重要な現状を考えるために「ウィズコロナ時代のロードレース・駅伝のあり方」と題してお話をさせていただいた。

 また、シンポジウムの企画として「駅伝からマラソンへ」と題し、東京五輪マラソン日本代表の服部勇馬選手(トヨタ自動車)と、大学時代の恩師である東洋大学陸上競技部長距離部門監督の酒井俊幸さん、そして現在の所属先であるトヨタ自動車陸上長距離部監督の佐藤敏信さんに登壇いただいた。

 酒井監督が実業団のコニカ(現・コニカミノルタ)に在籍中は、佐藤監督がコーチとして指導しており、お互いをよく知る存在であった。そのことが選手育成の要である情報共有と連携という点で効力を発揮したことが確認できた。

 酒井監督は、服部選手が1年時にチームテーマとして「東京オリンピック代表を送り出す」と表明して取り組んで来たそうだ。現在も「世界で勝負する」というチームカラーを作り上げようと、その思いを継続しているというお話をうかがえた。その言葉の通り、現時点で競歩の池田向希選手と川野将虎選手、10000mの相澤晃選手(旭化成)、マラソンの服部選手と東洋大関係者4名が東京五輪に内定している。

 高校を卒業してまだ発達段階の選手の先天的な能力を把握し、どのように育ててゆくかを見極めるかが大切であるという話は、結果に裏付けされているだけに説得力のあるものだった。指導方針や心意気などの話をうかがっている私でさえワクワクさせられる内容だった。

 佐藤監督も実業団チームを率いる立場として、駅伝で頂点に立つという使命を果たしつつ、同時に「マラソンでオリンピックの舞台で戦える選手を育てたい」という思いを強く持っておられた。「駅伝を練習の一環で走れるくらいのレベルでないと世界では戦えない」と厳しさを示したうえで、企業人としての自覚、社会人としての人間力の向上なくして、マラソン選手としての成長は望めないと語っていただいた点は充分共感できた。

トヨタ自動車でマラソンランナーとしてのキャリアを磨いている服部勇馬選手(左)と佐藤敏信監督

 両監督が同じように使われたキーワードは「プランニング」「すり合わせ」であった。

 綿密かつ周到なプランニングと情熱。さらには選手の身体的状態や精神的な状況に応じ、適時すり合わせを行いつつ、目標を目指してゆくということである。

 では、そのお二人の指導を受けてきた服部選手がどのように語ったのかが気になるところであろう。驚いたことに成功体験ではなく、初マラソンと2回目のマラソンに関する失敗体験が自分を変えてくれたそうだ。

 箱根駅伝はマラソンに取り組むための基礎を構築してくれて、20kmを3分ペースで楽に通過できる自信ができた。しかしながら初マラソンの後半の失速は、スタミナの問題ではなく疲労などの体調の問題であると過信した自分がいたと反省の弁を語った。2度の失敗により、佐藤監督が事あるごとにスタミナの重要性を言い続けていただいた真意が充分理解できた。

 さらに米国・ボルダーでのマラソン強化合宿で、井上大仁選手(三菱重工/山梨学院大学2015年卒)とトレーニングをともにし、「マラソンへの取り組みの甘さに気づくことができたことが良かった」と語ってくれた。井上選手はトレーニングを消化するのではなく、トレーニングの目的とそれがどのようにマラソンにつながっていくかを理解しており、尋ねるときちんと言葉にして説明できていたと言う。自分の至らない点や精神的な甘さを語りながらも、「マラソンランナーとしてのみではなく、一人の企業人として、さらにはチームの一員として果たすべき使命はしっかりと自覚している」と、きっぱりと語ってくれた。

 そして、マラソンと駅伝は“共存”と捉えるのではなく“両輪”であるとの意識も示してくれた。

 シンポジウムを終えた余韻として、それぞれの語ったことを思い起こしてみた。オリンピアンを育成するということは、特別なことを特別に計らうのではない。至ってシンプルに、人として、学生として、企業人として、競技者として、チームの一員として、あるいは社会の一員としてなど、1人の人間としての立ち位置と物事の本質を見失わない指導があってのことである。

 選手はその指導から多くの気づきを得る感性を持つことが肝要であると感じた。それぞれその時の足場に立ち、自分自身の在り方や周りを見渡した時に、何かに気付く「洞察力」、何かを見抜く「観察力」、何かを察知する「感性」が成長のために必要だということだろう。

 さらに加えるならば、常に現状から脱却・向上しようとする学習意欲を持ち続けることが求められる、と言えるのではないだろうか。3人のシンポジストと語り合うなかでそのように感じた。

上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。

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