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2025.04.27

【“陸女”インタビュー】テレ東期待のアナウンサー・山本倖千恵さん リレー全国3位も経験「負けん気が身についた3年間」
【“陸女”インタビュー】テレ東期待のアナウンサー・山本倖千恵さん リレー全国3位も経験「負けん気が身についた3年間」

バトンを持つと「懐かしい!」

短距離から800mに挑戦してインターハイ出場

自分の記録が載る月陸を見る山本アナウンサー。当時の思い出が蘇る!

――日々の練習の質も高かったのではないですか。

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山本 強い選手がたくさんいて、一番近くで動きを見られるのは本当に貴重でした。男子選手に何としても食らいつこうと思ったり、他の選手の倍以上の練習をすれば成長できるんだと思ったりしていました。

中学の時はリレーを組めなかったですが、今度はメンバーに入るのが難しくてリレーをなかなか走れなくて…(苦笑)。そうした状況で、東京高のスローガンでもある『負けん気』が身についていきましたね。

特に大変だった練習は年末の「砂山合宿」です。千葉県館山にある砂浜の坂道を延々と駆け上がるんです。他にも、ダイナマックス・メディシンボールを投げながら走るラグビーパスも…。落としたら最初からなんです。本当にきつかったですね。

――初めて800mに出場したのは高1の新人戦ですね

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山本 2分20秒もかかって、もう少し速く走れるはずなのに悪すぎましたね。短距離とは走り方が全然違っていて、全力ダッシュしたら後半落ちてしまうので、どこでリラックスして、どこでギアを上げるのか計算しないといけない種目です。

高2の新人戦で、東京で2位になりました。記録も決勝では自己ベストを3秒くらい更新する2分14秒が出ました。ちょうど800mのおもしろさもわかり始めてきていましたし、最後のインターハイに向けて全国を狙えるタイムでもあったので、「この種目でいくんだ」と覚悟を決めた瞬間でもありました。

その大会では4×400mリレーでも優勝しました。新人戦なので同級生と組んだのですが、先輩がいなくても「東京高校は名前も通っている」「プライドを持たないと」という雰囲気がみんなにあったように思います。

一番印象に残っているという高3の南関東大会の800m決勝

――3年間で思い出に残っているレースはありますか。

山本 3年生の時のインターハイ南関東大会です。800mで決勝に進出できて、6位以内に入れば全国に行けるレース。最後の直線に入った時に、私は7番手だったんです。「終わったな」と思ったのですが、不思議なものですごく応援の声が聞こえて「今日は家族も来ているし良いところを見せたい」「ここで終わったら何のためにやってきたのか」と“負けん気”がこみ上げてきました。

最後の100mで、がむしゃらに走っていたら、3番になっていたんです。すごく神経も研ぎ澄まされていて、今まで以上の力を発揮できたレースでした。

オリンピックの花形である陸上競技! 球技に比べると、すこーし“地味”な印象があるかもしれない……。しかし、中高生合わせて、なんと約30万人以上が「陸部」なんです。 実は芸能界で活躍するあの人も、この人も、結構、陸上経験者が多いらしい……。そんな「元陸部」の方々へのインタビュー企画! きつかった練習は!? 楽しかった思い出は!? 陸上を通して学んだことは!? 昨年10月にテレビ東京のアナウンサーとなった山本倖千恵さんは、実は高校時代に全国的な超強豪校の一員として活躍していました。800mで全国インターハイに進み、4×400mリレーでは全国3位になって銅メダルも獲得。「自分自身に向き合っていた」と語る陸上部時代の思い出を聞きました!

中学で陸上部、強豪校に進学して続けた理由は…?

――実は高校時代に取材しているはずです! インターハイでの活躍はもちろん、学校にも何度もおじゃましていますよ。 山本 先輩や同世代にも強い選手がたくさんいたので、メディアの方もたくさんいらっしゃっていました。取材されている同期を見て羨ましいなって思っていました。 ――800mでインターハイ出場など、たくさん実績をお持ちなので、それは後でうかがうとして…いつから陸上を始めたのですか。 山本 中1からです。絵を描くのが好きだったので美術部を志望していたのですが、陸上部に熱心に勧誘されて入部しました。練習見学の際に陸上部と卓球部、そして美術部に回ろうと思ったのですが、その日に見学できたのが陸上部だけでした。 小学校の時はスイミングやダブルダッチ、フリスビーなどをしていた経験もあって、運動は好きでした。でも、特別、足が速かったわけではありません。子どもながらに、中学の先輩が歓迎してくれたのがうれしかったんです。 ――中学はどんな雰囲気でしたか。 山本 実は女子の部員がほとんどいなくて、リレーも組めない状況でした。個人種目で頑張るしかないって思って、100m、200mに取り組んでいました。 ――中学は兵庫県、高校は超名門の東京高校ですよね? 山本 もともと東京出身で、中学の2年間を兵庫で過ごして、中3の時に関東に引っ越しました。兵庫時代の同級生に全国大会に出ているような選手がいたのですが、引っ越してからは「同じ舞台に立ちたい」「再会したい」という思いがあったんです。 夏休みにテレビでインターハイを見ていたら、東京高の先輩が男女100mで優勝していたんです。インターハイで優勝したり、総合優勝を目指したりするようなチームで、「ここなら強くなれる」と思いました。 [caption id="attachment_166994" align="alignnone" width="800"] 陸上部時代を振り返る山本アナウンサー[/caption] ――東京高校といえば、リオ五輪リレーメダリストのケンブリッジ飛鳥選手の母校でもあり、先日、走高跳で1m92を跳んだ髙橋渚選手なども在籍していました。同期にも強い選手がたくさんいましたね。 山本 渚は同期です! 短距離にも強い選手がたくさんいて、インターハイ路線に登録できる3人(1校1種目)に入るのも厳しい状況でした。彼女たちを超えようと、練習でも動きを見て取り入れようと頑張っていたのですが、どうしても勝てなくて。 高2の時に種目を変更しようと決意して、800mに挑戦しました。最初は同級生と再会したいという思いでスタートした高校の陸上でしたが、やっぱり走っているうちにシンプルに“好き”だと感じていました。せっかく家族のサポートを得て強豪校に進んだので、何か結果を出して恩返しをしたいと思っていました。

短距離から800mに挑戦してインターハイ出場

[caption id="attachment_166995" align="alignnone" width="800"] 自分の記録が載る月陸を見る山本アナウンサー。当時の思い出が蘇る![/caption] ――日々の練習の質も高かったのではないですか。 山本 強い選手がたくさんいて、一番近くで動きを見られるのは本当に貴重でした。男子選手に何としても食らいつこうと思ったり、他の選手の倍以上の練習をすれば成長できるんだと思ったりしていました。 中学の時はリレーを組めなかったですが、今度はメンバーに入るのが難しくてリレーをなかなか走れなくて…(苦笑)。そうした状況で、東京高のスローガンでもある『負けん気』が身についていきましたね。 特に大変だった練習は年末の「砂山合宿」です。千葉県館山にある砂浜の坂道を延々と駆け上がるんです。他にも、ダイナマックス・メディシンボールを投げながら走るラグビーパスも…。落としたら最初からなんです。本当にきつかったですね。 ――初めて800mに出場したのは高1の新人戦ですね 山本 2分20秒もかかって、もう少し速く走れるはずなのに悪すぎましたね。短距離とは走り方が全然違っていて、全力ダッシュしたら後半落ちてしまうので、どこでリラックスして、どこでギアを上げるのか計算しないといけない種目です。 高2の新人戦で、東京で2位になりました。記録も決勝では自己ベストを3秒くらい更新する2分14秒が出ました。ちょうど800mのおもしろさもわかり始めてきていましたし、最後のインターハイに向けて全国を狙えるタイムでもあったので、「この種目でいくんだ」と覚悟を決めた瞬間でもありました。 その大会では4×400mリレーでも優勝しました。新人戦なので同級生と組んだのですが、先輩がいなくても「東京高校は名前も通っている」「プライドを持たないと」という雰囲気がみんなにあったように思います。 [caption id="attachment_166999" align="alignnone" width="800"] 一番印象に残っているという高3の南関東大会の800m決勝[/caption] ――3年間で思い出に残っているレースはありますか。 山本 3年生の時のインターハイ南関東大会です。800mで決勝に進出できて、6位以内に入れば全国に行けるレース。最後の直線に入った時に、私は7番手だったんです。「終わったな」と思ったのですが、不思議なものですごく応援の声が聞こえて「今日は家族も来ているし良いところを見せたい」「ここで終わったら何のためにやってきたのか」と“負けん気”がこみ上げてきました。 最後の100mで、がむしゃらに走っていたら、3番になっていたんです。すごく神経も研ぎ澄まされていて、今まで以上の力を発揮できたレースでした。

マイルリレーで全国3位!立教大でも競技継続

[caption id="attachment_166992" align="alignnone" width="572"] 高3のインターハイでは4×400mRで銅メダルを獲得[/caption] ――山形インターハイでは800mは予選落ちでしたが、4×400mリレー(マイルリレー)の一員として3位に入られました。 山本 実は私はインターハイ路線で一度もマイルリレーを走っていませんでした。それが、最後の最後でメンバー入りしました。800mが終わった後は応援しよう、と思っていました。大会最終日のマイルリレー決勝当日に、先生から「一応、ユニフォームを持って来るように」と言われていたので、正選手の着替え用かな、くらいに思っていました。 そうしたら、「2本流しをしてみよう」と言われて走ったところ、起用が決まって驚きました。もちろん、リレーに対する思いは強かったです。ただ、これまでずっと走っていたメンバーもいますし、その選手たちのご家族が応援に来ているのも知っていました。 複雑な思いもありましたが、走る以上は「絶対に下手な走りをできない」と思ってスタートしました。この大会は同期も含めて強い選手がなかなか結果を出せないインターハイでした。そうした中で、当時の顧問の先生も4×100mリレーでは優勝を経験していても、マイルリレーではメダルを取ったことがなかったので、初めて取れて良かったです。 ――高校3年間、振り返るとどんな時間でしたか。 山本 元々、へこたれやすい性格だったのですが、負けん気が身につきました。自分のためではありますが、1人で競技をしている感覚はありませんでした。記録が出なくて落ち込んだ時もありましたが、絶対にあきらめたくなかったです。自分のために、そして誰かのために頑張りたいという気持ちが培われた3年間でした。 [caption id="attachment_166996" align="alignnone" width="800"] バトンを持つと「懐かしい!」[/caption] ――大学でも陸上を続けられていますね。 山本 高校は教えてもらう陸上をしてきましたが、立教大では自分で考える陸上にチャレンジしました。最初の2年は環境や体型の変化に苦労しました。 中距離ブロックのパート長を務めるようになってからは、いろいろな選手のレース動画や練習をチェックして、自分なりの練習方法を考えていこうと頑張っていました。コロナ禍も重なったので、どうやって練習すべきか、後輩たちがどうすれば記録を伸ばせるか。いろいろ考える時間でした。大変でしたが、ダメな理由を自分で解き明かして、自分と向き合っていくのが本当に楽しかったです。

アナウンサーを目指したきっかけはテレビ出演

[caption id="attachment_166993" align="alignnone" width="800"] 現在はテレビ東京のアナウンサーとして活躍する[/caption] ――アナウンサーになろうと思ったきっかけを教えてください。 山本 高校生の時にスポーツバラエティ番組にチームメイトと一緒に出演する機会があったのですが、その時に台本を読んだり、撮影現場を見たりして、メディア関係や作り手に興味を持ちました。大学に進学してからは、番組制作会社でアルバイトもして経験も積ませていただきました。 そうした中で、「スポーツをやっているけど、女子選手はなかなか脚光を浴びづらい」という状況があるのではないか、と心に引っかかっていました。高校の同級生が取材を受けていたのを見ていたこともあって、「若い選手のモチベーションになるような番組に携わってみたい」と思ってメディアを志望しました。 ――当初は山形の放送局でアナウンサーとしてご活躍されました。 山本 インターハイに出場した思い出の地で働きたいという思いが大きかったです。きれいな星空が忘れられません。1年目からラジオ番組を担当することになって、陸上をやっている街の方と競走するコーナーもありました。たくさんの経験をさせていただきましたが、より多くの方と接する機会があれば、と思っていたところにご縁があって昨年10月にテレビ東京に入社しました。 1ヵ月ほどの研修期間で勉強して、徐々にMCの代打など、番組収録も増えてきました。現在はニュース番組や「NIKKEI NEWS NEXT(BSテレ東/月曜日、火曜日)」、「スポーツリアライブ(火曜日)」、「おはスタ(金曜日)」などを担当しています。 女子スポーツにもっと光を当てたいという思いや、トランスジェンダー問題にも関心があるので、そういう報道番組を担当してみたいと思っています。 あと、実はアニメが好きで、なかでも『ポケットモンスター』が大好きなんです。テレビ東京で堂々と「ポケモンが好き!」と言えるのがうれしいです(笑) ――今も走られていますか。 山本 何度かマラソンやハーフマラソンを走りました。趣味程度ですが朝に走ることが多いです。いろんな悩みごとがあっても、走ったらスッキリするんです。 ――お仕事をしていて陸上をやっていて良かったと思える瞬間はありますか。 山本 自分が一つ上に成長したいと思った時に、絶対に自分の弱点に目を向けて、穴埋めしないといけないと思っていて、その時に弱さから逃げないでどう頑張るか、というのは陸上を通して学びました。 ――最後に陸上や部活を頑張っている人たちにエールをお願いします! 山本 当時の私は「将来のために」と思って一生懸命練習していたわけではなくて、負けたくないからやる、など心が突き動かされていたように思います。それが本当にいいなって思っていて。後先のことなんて考えなくて、一瞬、一瞬、全力になれる。それは学生時代だからこそだと思っています。 アナウンサーとしては月並みな言葉で恐縮ですが、「今を大切に」。悩んでも、苦しんでも、全力で楽しむのが一番大事だと思います。そうすれば失敗しても後悔はしません! [caption id="attachment_166997" align="alignnone" width="800"] 東京高校伝統のポーズ![/caption] 構成/向永拓史  
やまもと・さちえ/東京都出身。中学で陸上を始め、高校は全国屈指の強豪校・東京高校で800mに取り組み、全国インターハイに出場した。自己記録は2分13秒03。また4×400mリレーでは1走を務めて3位に貢献した。立教大でも競技を続け、卒業後に山形の放送局でアナウンサーとして活躍。昨年10月にテレビ東京に入社した。 公式HPX(Twitter)Instagram
【関連ページ】 朝比奈彩さん(モデル・女優)「練習をすれば少しずつでも力になる!」 仮面ライダーヒロイン役の高田夏帆さん「中学時代の青春は陸上部!」 準ミス青学の新田さちかさん「陸上部で身についたのは集中力!」 =LOVE(イコラブ)野口衣織さん「時間を惜しまずに追求していました!」 注目の若手女優・上原実矩さん「人として大事なことをたくさん学びました!」 話題の映画出演・菊池日菜子さん「ハンマー投に捧げた時間に後悔はありません!」 モデル・女優として活躍する“美しき怪物”優希クロエ「負けず嫌いでコソ練していました!」 『僕が見たかった青空』山口結杏さん「粘り強さは陸上をやっていたから!」

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