2024.11.28

地元・島根でラストランを迎えた青山聖佳。大学から師事した大阪成蹊AC・瀧谷賢司監督と写真に収まった
〔写真/本人より提供〕
10月27日、地元・島根県の松江市営陸上競技場で行われた第3回県陸協記録会の女子400mに、青山聖佳(大阪成蹊AC)が出場した。長年に渡って日本の女子ロングスプリント界を牽引してきた28歳の、“ラストラン”である。
本来であれば1週間前に開催予定だったが、荒天のため延期に。いったん大阪に戻り、再び帰郷するという流れではあったが、地元の関係者たちは、青山を温かく迎えてくれた。
高1(2012年)の秋に初めて400mを走った時のタイム(56秒34)、自己ベストの52秒38からは大きく遅れた。それでも、たくさんの声援のなか、これまでの競技生活とトラックの感触を心に刻むように64秒96で走り切り、中学時代から親しんだ思い出のトラックで、そっとスパイクを脱いだ。
島根県松江市出身。松江一中から陸上を始め、全中200mで3位に入るなど全国の舞台で活躍。松江商高では2年時に世界ユース選手権に出場し、メドレーリレーでは3走として銅メダル獲得に貢献した。3年時(2014年)に200m、400mでインターハイを制覇(100mも3位)したほか、日本選手権の400mで2位に食い込み、アジア大会の代表に選出。その予選で当時日本歴代4位の52秒99をマークし、決勝でも5位入賞を果たしている。
2015年に大阪成蹊大へ進学すると、1年目に世界へと飛躍。北京世界選手権4×400mリレー代表に選ばれ、予選で1走として日本記録(3分28秒91)樹立の原動力に。翌年は日本選手権で初優勝を果たし、秋の日本インカレでは200m、400m、両リレー(4×100m、4×400m)の4冠に輝いた。
その後、一旦調子を崩して引退がよぎった時期もあったが、4年時の秋に現役続行を決意。その冬に選考会を突破してリレーのナショナルチームへの復帰を果たす。
大学卒業後も環境を変えず、大阪成蹊AC所属で活動し、19年の日本選手権で再び日本一の座に。翌年には当時日本歴代2位の52秒38をマークしている。
東京五輪出場は果たせなかったが、パリ五輪に向けて気持ちを切り替えていた矢先に突然、病魔が襲う。約1年間の長期入院生活などを経て、昨年の秋に競技会に復帰。しかし、トップフォームを取り戻すことはかなわなかった。
10月末付で、2019年から職員として勤務した大阪成蹊大を退職。セカンドキャリアに向けて充電中の青山に、15年の競技生活を振り返ってもらった。
◇ ◇ ◇
――最後のレースを終えて率直な心境は?
青山 中学から陸上を始めましたが、一番最初の試合で走った競技場です。もちろん久しぶりの400mできつさもありましたが、思い出のある舞台で、お世話になった関係者の皆様の前で、とても幸せな気持ちで走り切ることができました。走り終えて、「陸上を続けてきてよかった」という気持ちでいっぱいです。
――長い競技生活で、一番思い出に残っているレースは?
青山 一番となると、2019年の福岡であった日本選手権の400m決勝です(53秒68で3年ぶり優勝)。大学3年から2年ほどスランプに陥っていて競技も辞める寸前の状況でしたが、たくさんの人に支えられ、再び日本一になれたことで、恩返しができたと感じました。同時に、自分自身の殻を破れたレースだったと思います。

思い出のレースに挙げた2019年日本選手権400m決勝。3年ぶり優勝にうれし涙があふれた

〔写真/本人より提供〕[/caption] 10月27日、地元・島根県の松江市営陸上競技場で行われた第3回県陸協記録会の女子400mに、青山聖佳(大阪成蹊AC)が出場した。長年に渡って日本の女子ロングスプリント界を牽引してきた28歳の、“ラストラン”である。 本来であれば1週間前に開催予定だったが、荒天のため延期に。いったん大阪に戻り、再び帰郷するという流れではあったが、地元の関係者たちは、青山を温かく迎えてくれた。 高1(2012年)の秋に初めて400mを走った時のタイム(56秒34)、自己ベストの52秒38からは大きく遅れた。それでも、たくさんの声援のなか、これまでの競技生活とトラックの感触を心に刻むように64秒96で走り切り、中学時代から親しんだ思い出のトラックで、そっとスパイクを脱いだ。 島根県松江市出身。松江一中から陸上を始め、全中200mで3位に入るなど全国の舞台で活躍。松江商高では2年時に世界ユース選手権に出場し、メドレーリレーでは3走として銅メダル獲得に貢献した。3年時(2014年)に200m、400mでインターハイを制覇(100mも3位)したほか、日本選手権の400mで2位に食い込み、アジア大会の代表に選出。その予選で当時日本歴代4位の52秒99をマークし、決勝でも5位入賞を果たしている。 2015年に大阪成蹊大へ進学すると、1年目に世界へと飛躍。北京世界選手権4×400mリレー代表に選ばれ、予選で1走として日本記録(3分28秒91)樹立の原動力に。翌年は日本選手権で初優勝を果たし、秋の日本インカレでは200m、400m、両リレー(4×100m、4×400m)の4冠に輝いた。 その後、一旦調子を崩して引退がよぎった時期もあったが、4年時の秋に現役続行を決意。その冬に選考会を突破してリレーのナショナルチームへの復帰を果たす。 大学卒業後も環境を変えず、大阪成蹊AC所属で活動し、19年の日本選手権で再び日本一の座に。翌年には当時日本歴代2位の52秒38をマークしている。 東京五輪出場は果たせなかったが、パリ五輪に向けて気持ちを切り替えていた矢先に突然、病魔が襲う。約1年間の長期入院生活などを経て、昨年の秋に競技会に復帰。しかし、トップフォームを取り戻すことはかなわなかった。 10月末付で、2019年から職員として勤務した大阪成蹊大を退職。セカンドキャリアに向けて充電中の青山に、15年の競技生活を振り返ってもらった。 ◇ ◇ ◇ ――最後のレースを終えて率直な心境は? 青山 中学から陸上を始めましたが、一番最初の試合で走った競技場です。もちろん久しぶりの400mできつさもありましたが、思い出のある舞台で、お世話になった関係者の皆様の前で、とても幸せな気持ちで走り切ることができました。走り終えて、「陸上を続けてきてよかった」という気持ちでいっぱいです。 ――長い競技生活で、一番思い出に残っているレースは? 青山 一番となると、2019年の福岡であった日本選手権の400m決勝です(53秒68で3年ぶり優勝)。大学3年から2年ほどスランプに陥っていて競技も辞める寸前の状況でしたが、たくさんの人に支えられ、再び日本一になれたことで、恩返しができたと感じました。同時に、自分自身の殻を破れたレースだったと思います。 [caption id="attachment_154478" align="alignnone" width="800"]

「ガムシャラに楽しく」から「意味を深く考える」陸上へ
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