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【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第2回「With CORONA に思う 〜共創なればこその競走〜」


山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第2回「With CORONA に思う 〜共創なればこその競走〜」

 10月17日、午前9時30分。陸上自衛隊立川駐屯地。

 幅50mの滑走路のスタート地点には、箱根駅伝本戦出場を目指す選手たちが大学間横2m、前後の選手間1mの距離を保ちスタートラインに整列を終えている。

 感染症予防のため会話は禁止されている。それ故に大会の熱気を秘めた選手たちの静寂は、心臓の鼓動が増幅されて聞こえてくるようだ。

 午前9時35分、雨が小降りとなる。気温13度、無風のコンディション。

 高速レースとなる予感が覚悟に変わった瞬間、関東学生陸上競技連盟の有吉正博会長がスタートの号砲を打ち鳴らした。約550名の選手達が一斉に走り始める。その足音は、ひたふる雨をかき分けるように遠ざかってゆく。1周2.6km弱の周回コースは、8分前後で再び大集団を形成してスタート地点を通過する。回を重ねるごとに集団は淘汰されてゆく。チームの順位情報が把握できてくる頃には、それぞれのチーム関係者の表情が刻々と変化する(レースの詳しい状況は当サイトの記事や11月13日発売の月刊陸上競技12月号で確認できるので割愛する)。

46大学547人のランナーが雨の陸上自衛隊立川駐屯地を駆け抜けた

 ここでは、史上最速の予選会を支えた関東学生陸上競技連盟の山田幸輝幹事長をはじめ、約25名の学生幹事たちの奮闘ぶりを紹介したい。

 10月14日 午後6時30分 web箱根駅伝予選会代表委員総会
(参加大学の主務など代表者と主催者とのテクニカルミーティング)

 感染症予防のため各大学待機場所テントを主催者で準備予定であるが、参加大学より、雨の予報があるため仕切りを三方向につけても良いかの質問を受ける。気温の低下も予報されているので、設置しても良いか、直ちに感染症対策班がドクターに確認。その後、ドクターの許可を得たことにより業者に発注。

 10月16日 午前8時 駐屯地に仕切り用テント素材到着。

 業者から設置の人材派遣ができないということを受け、学生幹事が協力して出場校46校と報道・記録など運営用のテント合わせて60張りに仕切りの設置開始。

 同日 午後8時30分 テントの仕切り設置および翌日の機材設置のための準備完了。

 10月17日 午前4時

 昨夜から降り始めた雨はその勢いを弱めることなく降り続いている。雨の中でも選手がソーシャルディスタンスを保ちながら、整然かつ迅速にスタートラインに整列できるように、暗がりの中で学生幹事たちは東京陸上競技協会審判員の立ち合いのもと、一人ひとりの立ち位置をマーキングしてゆく。その後、大会運営に必要な資材や給水テーブル・公式計時のためのタイマーの設置などを開始。設置準備が終われば、6時半より受付業務などに移る。

 午前6時30分〜  大学毎に検温・健康チェック等を確認後待機場所テントに移動

 午前10時59分 レース終了
 午前11時10分 結果発表
 午前11時30分 各大学の駐屯地からの退出が始まる
 午後0時30分 各大学の駐屯地からの退出終了
 午後7時00分 テントおよび各機材完全撤収作業終了

結果発表のアナウンスをする関東学生陸上競技連盟の山田幸輝幹事長

 そもそも、今回はコロナ禍にあって駐屯地内の無観客レースとしたが、駐屯地を統括する自衛隊の許可がなければ実現しなかった。公認コースの計測まで許可していただき、今後の大会開催に前向きに協力していただけるようで誠にもってありがたいと思う。毎年特別に利用させていただいている国営昭和記念公園、道路使用許可を申請し補助員の配置など検討した上で受理・交通規制をしていただく立川警察署、これらの協力がなくてはコースの設定すらできない。それと同時に立川市の商工会や通過する自治体の協力関係も得られなければ、ロードレースは運営できない。その交渉のほとんどを学生幹事が中心となって進めてくれている。

 今年もコロナ禍の中ではあるにせよ、年度が変わる以前から、通常開催で行うことを念頭に関係各所に依頼や申請書の提出等を行っていた。夏を超えてからでは、とてもこれらの許可や協力を取り付けることはできないからである。そのようなタイムラインの中、より安全かつ感染症対策を講じながらの開催の方法として、駐屯地内での無観客開催を決定したのは8月の半ばを過ぎた頃であった。日本陸上競技連盟からロードレース再開に関するガイダンスが提示(かなり厳しい条件)され、その基本方針に従って開催する道筋が出たことも参考となった。

「する・みる・支える」の視点から、今回の箱根駅伝予選会をそれぞれの立場で俯瞰してみた。

 レースの目的は予選会であるから実力を競う競争である。その競争を支えるための審判や補助員をはじめ、大会開催に向けて様々な準備を推し進める連盟の学生幹事たちとの関係性が見えてくる。する側と支える側との関係性は協力しながら新たな形を作り上げる「協創」である。

 今回無観客という形で実施させていただき、大会観戦を楽しみにしていた駅伝ファンの皆様方や、大学のOB・関係者の皆様には声援を直接送れないストレスの中、テレビなどで見守っていただき、とても感謝している。応援団やチアリーデイングなどの鳴り物応援も当然なく、選手たちの足音が印象に残る過去になく静かなレースだった。

 しかしながら、皆様方の声が届いているような熱い戦いを展開してくれた。共に汗を流した陸上部員にも自粛していただき(各大学選手指導者含めて20名のみ入場)、現地で声をかけることすらできなかった。それでも互いの心象風景は共有されていたと思う。これも、「する・みる」の互いが協力し合い新たな形を作り上げた「協創」であったと感じた。当然、「みる・支える」の関係性も、無観客という中で準備から退場・機材撤収完了まで粛々と滞りなく終了できたのも「協創」の賜物である。

 これらのすべての輪を重ね合わせると、共に新たな形を作り出そうとする心のつながりとして「共創」というものが生まれた気がする。With CORONAの新時代にこそ、新たなスポーツ文化や価値観を生み出すことが望まれるとすれば、競走⇄協創⇄共創へと、思いと行動をともにすることにあると思う。

上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。

上田誠仁コラム第1回「する・見る・支える Withコロナ」



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