2025.10.15
穏やかな笑顔で静かに、地元・山口でスパイクを脱いだ。
男子100mの元中学記録保持者・宮本大輔(山口フィナンシャルグループ)が現役生活にピリオドを打った。9月の全日本実業団対抗は、地元・山口。「夏くらいには一旦、区切りをつけていたのですが、最後に地元でもう一回走ってもいいかなって」。26歳。少し早い気もするが、他の人よりもちょっとだけ長く、濃密な時間を過ごしてきた。
「社会人になってからは苦労もしましたが、最後までしっかり走り切ることができました」
その表情はすがすがしかった。
まるで一人だけ少し浮いているかのように滑らかに、軽々と加速していく。その姿に誰もが目を奪われた。周陽中時代に出した中学初10秒6切りとなる10秒56の中学新。これは9年間、中学記録として残った。全中も制し、秋の国体B100mでは1学年上のサニブラウン・アブデル・ハキーム(城西高、現・東レ)との初対決も大きな注目を集めた(2位)。京都の名門・洛南高へ進み、柴田博之先生のもとで、同期の井本佳伸らとともにその走りに磨きをかける。
柴田先生は中学記録保持者を特別扱いしなかった。腕振りからみっちりと基礎を固め、3年間いつも先頭に立ってホウキでグラウンド掃除をした。その姿勢を恩師は称えていた。
「中学、高校と自分の長所で戦えていました。中学の時も国体で流さなければもっと記録が出せていたな、とか、高校時代もケガをしながらの10秒23だったので、出し切れた感じではなかったんです」
高校の先輩、桐生祥秀(現・日本生命)の後を追うように東洋大へ。1年目にはU20世界選手権の100mで8位に入り、4×100mリレーでも2走を務めて4位に貢献。19年には4×200mリレーで世界リレー代表となり、7月のナポリ・ユニバーシアードでは100mで7位、4×100mリレーは1走で金メダル獲得。ただ、自己ベストだけがなかなか更新できなかった。
チャンスは何度もあった。2年時は春から好調で、織田記念は10秒27(+1.2)、関東インカレは予選で10秒29(+1.6)、決勝は10秒02をマークしたが追い風参考(4.3m)となる。6月には自己記録にあと0.01秒に迫った。その後はケガもあったが、4年時には出雲陸上で10秒23(+4.0)。2度目の世界リレーを経験し、関東インカレは予選を10秒29(+1.7)、準決勝10秒20(+3.4)、決勝も10秒11(+5.5)とハイパフォーマンスながら、風に阻まれている。
「良い感じに歯車が合ってきたと感じていたのですが、5月に左膝を痛めてしまったんです。そこから純粋に楽しめたレースがなかったように思います」
ケガをしたことで「恐怖心がありました。それに打ち勝ちたくてもがいていました」。地元企業に就職し、引き続き関東で勤務しながら大学で練習に励んだ。1年目は社業との両立に汗をかいた。
「うまくいかなくなってからは、自信が持てなくて」。どんな大会でも、「良くも悪くも」その名前は誰もが知っている。応援されていることを力に変えつつ「自分を誰も知らないところで走りたい、何もないフラットなところで走りたい」という思いがあったという。
22年に10秒33をマークしたが、その後は10秒5を切ることができず。日本選手権は23年を最後に出場にこぎ着けなくなった。
中学記録保持者、高校ナンバーワンの肩書きが重たくなかったと言えば嘘になるが「逃げられるものじゃないんです。腹をくくるしかない」。記録を出さなければ良かった、と思ったことは「ない」。それよりも「伸びしろは感じていたので、それを出せなかったのが残念です」と語る。
思い出のレースは「各年代であるので…」ときりがないが、快走を見せた関東インカレなどが思い浮かび、「1年生の時の関東インカレの4×100mリレーで41年ぶりに優勝できました。そこが東洋大として上昇していくスタートになったのならうれしいです」。
宮本は過去の自分、“早熟”というレッテルと常に戦い、逃げずに向き合い、打ち勝ってきた。これからも、スーパー中学生、スーパー高校生が誕生し、その記録は塗り替えられていく。それでいい、と宮本は言う。
「これまで記録を出してきた方々も、“早熟だ”と言われてきたと思うんです。でも、そんなことは気にせずに、記録は出せる時に出せばいいと思う。そして、また超えればいいんです。僕は最後つまずいてしまったけど、各カテゴリーでそれなりに戦ってきました。早い年代で良い記録が出たからって、その先がないわけではない。暗いものじゃないよって伝えたいです。もっと記録で示せたら良かったけど」
今後は競技生活をずっと支えてくれた会社に貢献するため、社業に専念する予定。「いずれ地元の業務で関われたらうれしいなと思っています」。奇しくも、盟友・井本も今季限りでの引退を決めた。山口ではサブトラックで一緒に身体を動かした。
心残りはもちろんある。「みなさんの記憶に残るようなレースができたら良かったなって思うんです」。例え歴代記録がどんどんと下がっていこうとも、本人が思っている以上に、そのパフォーマンスは人々の心に深く刻まれている。走り慣れたスタジアムに目をやる。「気が向いたらまた走ろうかなって思っています」。ずっと変わらないあどけない笑顔に、中学・高校時代のくりくり頭の姿とあの美しい走りが鮮明に蘇った。
文/向永拓史
2014年香川全中男子100mで優勝した宮本大輔[/caption]
高校1年で10秒49(当時・高1歴代4位)をマーク。世界ユース選手権では優勝したサニブラウンとともに決勝へ進んで8位。インターハイでも1年生ながら決勝に進んだ。高2、高3とインターハイ、国体、日本ジュニア・ユースの3冠を達成。3年時には高校歴代6位タイ(当時)となる10秒23をマークした。順風満帆だった。
柴田先生は中学記録保持者を特別扱いしなかった。腕振りからみっちりと基礎を固め、3年間いつも先頭に立ってホウキでグラウンド掃除をした。その姿勢を恩師は称えていた。
「中学、高校と自分の長所で戦えていました。中学の時も国体で流さなければもっと記録が出せていたな、とか、高校時代もケガをしながらの10秒23だったので、出し切れた感じではなかったんです」
高校の先輩、桐生祥秀(現・日本生命)の後を追うように東洋大へ。1年目にはU20世界選手権の100mで8位に入り、4×100mリレーでも2走を務めて4位に貢献。19年には4×200mリレーで世界リレー代表となり、7月のナポリ・ユニバーシアードでは100mで7位、4×100mリレーは1走で金メダル獲得。ただ、自己ベストだけがなかなか更新できなかった。
チャンスは何度もあった。2年時は春から好調で、織田記念は10秒27(+1.2)、関東インカレは予選で10秒29(+1.6)、決勝は10秒02をマークしたが追い風参考(4.3m)となる。6月には自己記録にあと0.01秒に迫った。その後はケガもあったが、4年時には出雲陸上で10秒23(+4.0)。2度目の世界リレーを経験し、関東インカレは予選を10秒29(+1.7)、準決勝10秒20(+3.4)、決勝も10秒11(+5.5)とハイパフォーマンスながら、風に阻まれている。
「良い感じに歯車が合ってきたと感じていたのですが、5月に左膝を痛めてしまったんです。そこから純粋に楽しめたレースがなかったように思います」
ケガをしたことで「恐怖心がありました。それに打ち勝ちたくてもがいていました」。地元企業に就職し、引き続き関東で勤務しながら大学で練習に励んだ。1年目は社業との両立に汗をかいた。
「うまくいかなくなってからは、自信が持てなくて」。どんな大会でも、「良くも悪くも」その名前は誰もが知っている。応援されていることを力に変えつつ「自分を誰も知らないところで走りたい、何もないフラットなところで走りたい」という思いがあったという。
22年に10秒33をマークしたが、その後は10秒5を切ることができず。日本選手権は23年を最後に出場にこぎ着けなくなった。
[caption id="attachment_187099" align="alignnone" width="800"]
宮本は最後の日本インカレは準決勝敗退で涙した[/caption]
中学記録保持者、高校ナンバーワンの肩書きが重たくなかったと言えば嘘になるが「逃げられるものじゃないんです。腹をくくるしかない」。記録を出さなければ良かった、と思ったことは「ない」。それよりも「伸びしろは感じていたので、それを出せなかったのが残念です」と語る。
思い出のレースは「各年代であるので…」ときりがないが、快走を見せた関東インカレなどが思い浮かび、「1年生の時の関東インカレの4×100mリレーで41年ぶりに優勝できました。そこが東洋大として上昇していくスタートになったのならうれしいです」。
宮本は過去の自分、“早熟”というレッテルと常に戦い、逃げずに向き合い、打ち勝ってきた。これからも、スーパー中学生、スーパー高校生が誕生し、その記録は塗り替えられていく。それでいい、と宮本は言う。
「これまで記録を出してきた方々も、“早熟だ”と言われてきたと思うんです。でも、そんなことは気にせずに、記録は出せる時に出せばいいと思う。そして、また超えればいいんです。僕は最後つまずいてしまったけど、各カテゴリーでそれなりに戦ってきました。早い年代で良い記録が出たからって、その先がないわけではない。暗いものじゃないよって伝えたいです。もっと記録で示せたら良かったけど」
今後は競技生活をずっと支えてくれた会社に貢献するため、社業に専念する予定。「いずれ地元の業務で関われたらうれしいなと思っています」。奇しくも、盟友・井本も今季限りでの引退を決めた。山口ではサブトラックで一緒に身体を動かした。
心残りはもちろんある。「みなさんの記憶に残るようなレースができたら良かったなって思うんです」。例え歴代記録がどんどんと下がっていこうとも、本人が思っている以上に、そのパフォーマンスは人々の心に深く刻まれている。走り慣れたスタジアムに目をやる。「気が向いたらまた走ろうかなって思っています」。ずっと変わらないあどけない笑顔に、中学・高校時代のくりくり頭の姿とあの美しい走りが鮮明に蘇った。
文/向永拓史
[caption id="attachment_187097" align="alignnone" width="800"]
盟友・井本とツーショット(本人提供)[/caption] RECOMMENDED おすすめの記事
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