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2025.10.30

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【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第62回「伝統の火を灯し続ける~ある記念品と箱根駅伝予選会~」


山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第62回「伝統の火を灯し続ける~ある記念品と箱根駅伝予選会~」

1959年~62年まで4年間の箱根駅伝出場記念の品(ベルトのバックルだと思われる)が目の前にある。

59年と60年の裏には読売新聞と刻印されており、61年と62年には関東学生陸上競技連盟・読売新聞社・報知新聞社と刻印がされている。私が生まれた年が1959年であるので66年前から4年間の記念品ということとなる。

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箱根駅伝予選会の3日ほど前に、私の義父でもある秋山勉氏の奥さんが「昔の記念品がこんなにたくさん引き出しから出てきたのでちょっと見てくれる?」と、ネクタイピンやらバッチ類が大きなお盆に載せられてテーブルに置かれた。

何の気なく分類していると、大阪・東京間駅伝の記念品のバックル(1960年第2回大会・1962年第3回大会)や箱根駅伝の記念品が紛れ込むように埋もれていた。

最初は何だろうと目を凝らして見ると、箱根駅伝の文字と年号が記載されており、その瞬間手が震えた。

第35回箱根駅伝から第38回大会の記念品がなぜそこにあるかと言うと、秋山氏が東農大在籍中に4年連続で箱根駅伝を走ったからだ(1年8区・2年3区・3年2区・4年10区)。

1920年(大正9年)に箱根駅伝が創設され、太平洋戦争で計5回中断されながらもその歴史を継承してきた先人の努力は、大会の運営に携わらせてきた身として染みるほど理解している。それゆえに、歴史と伝統の重みを感じて手が震えたのだ。

秋山勉氏が所蔵する箱根駅伝と大阪・東京間駅伝の記念品

少し歴史を紐解くと、箱根駅伝が戦後再開されたのが終戦の翌年1947年の第23回大会であった。予選会は終戦を迎えた1946年の12月に第1回関東大学高専10マイルが開催されている。

箱根駅伝の復活にはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から占領第1国道となっていた走路の利用許可などを得なければならず、当時の学連幹事の奔走なくしては成しえなかったと想起する。

先述の秋山氏が第35回大会から走ったということは、幼少期に戦後を迎え、陸上競技と出合い、走り続けた過程があってのことと思いを馳せて手が震えたのだった。

「伝統とは火を守ることであって、灰を崇拝することではない」と、作曲家のグスタフ・マーラーが語っている。だからこそ、箱根駅伝は伝統の火を守りつつ、その時代であればこその叡智と新たな知見と技術を導入し、その火に活力を与えながら伝統を築き上げてきていると確信している。

そして、迎えた第102回箱根駅伝予選会が10月18日に東京・陸上自衛隊立川駐屯地をスタートし、立川市内を駆け抜けて昭和記念公園をフィニッシュとする公認ハーフマラソンコースで行われた。

今年の参加大学は42校。出場権を獲得できるのは予選会上位10校のみだ。年々レベルの向上が見られ、スピードとスタミナのバランスを保ちつつ、どのようにレースを組み立ててくるのかに注目が集まる大会となった。

出場チームの平均タイム1番目・10番目・15番目で見てみると、5000mは13分53秒78、14分07秒89、14分15秒64、10000mが28分39秒76 、29分07秒25、29分21秒19、ハーフマラソンは1時間2分48秒6、1時間3分36秒9、1時間4分13秒1となる。

チームによりスピードタイプやスタミナタイプなど様々な個性はある。それでも昨年のような高温多湿の気象条件下でのアクシデントや、後半の失速を懸念する。気温17度のスタート時点の気象条件は後半の気温上昇を予測し、自重傾向になることは否めないだろう。

今回は日本テレビの中継にあたり、関東学連副会長の大後栄治氏と解説を担当させていただいた。元神奈川大駅伝監督として采配を振るった経験ゆえに、静かな語り口ながら的確にレースの流れを解説されていた。その横で、なるほどとうなずきながら、時折鼓を鳴らすように話を挟ませていただいた。

シード権からはじき出されてしまったチームも、今年こそはと“捲土重来”を期して挑戦を重ねるチームも、この予選会はレベルの向上に置き去りにされまいと総力を挙げて挑んでくる大会となっている。

山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第62回「伝統の火を灯し続ける~ある記念品と箱根駅伝予選会~」

1959年~62年まで4年間の箱根駅伝出場記念の品(ベルトのバックルだと思われる)が目の前にある。 59年と60年の裏には読売新聞と刻印されており、61年と62年には関東学生陸上競技連盟・読売新聞社・報知新聞社と刻印がされている。私が生まれた年が1959年であるので66年前から4年間の記念品ということとなる。 箱根駅伝予選会の3日ほど前に、私の義父でもある秋山勉氏の奥さんが「昔の記念品がこんなにたくさん引き出しから出てきたのでちょっと見てくれる?」と、ネクタイピンやらバッチ類が大きなお盆に載せられてテーブルに置かれた。 何の気なく分類していると、大阪・東京間駅伝の記念品のバックル(1960年第2回大会・1962年第3回大会)や箱根駅伝の記念品が紛れ込むように埋もれていた。 最初は何だろうと目を凝らして見ると、箱根駅伝の文字と年号が記載されており、その瞬間手が震えた。 第35回箱根駅伝から第38回大会の記念品がなぜそこにあるかと言うと、秋山氏が東農大在籍中に4年連続で箱根駅伝を走ったからだ(1年8区・2年3区・3年2区・4年10区)。 1920年(大正9年)に箱根駅伝が創設され、太平洋戦争で計5回中断されながらもその歴史を継承してきた先人の努力は、大会の運営に携わらせてきた身として染みるほど理解している。それゆえに、歴史と伝統の重みを感じて手が震えたのだ。 [caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] 秋山勉氏が所蔵する箱根駅伝と大阪・東京間駅伝の記念品[/caption] 少し歴史を紐解くと、箱根駅伝が戦後再開されたのが終戦の翌年1947年の第23回大会であった。予選会は終戦を迎えた1946年の12月に第1回関東大学高専10マイルが開催されている。 箱根駅伝の復活にはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から占領第1国道となっていた走路の利用許可などを得なければならず、当時の学連幹事の奔走なくしては成しえなかったと想起する。 先述の秋山氏が第35回大会から走ったということは、幼少期に戦後を迎え、陸上競技と出合い、走り続けた過程があってのことと思いを馳せて手が震えたのだった。 「伝統とは火を守ることであって、灰を崇拝することではない」と、作曲家のグスタフ・マーラーが語っている。だからこそ、箱根駅伝は伝統の火を守りつつ、その時代であればこその叡智と新たな知見と技術を導入し、その火に活力を与えながら伝統を築き上げてきていると確信している。 そして、迎えた第102回箱根駅伝予選会が10月18日に東京・陸上自衛隊立川駐屯地をスタートし、立川市内を駆け抜けて昭和記念公園をフィニッシュとする公認ハーフマラソンコースで行われた。 今年の参加大学は42校。出場権を獲得できるのは予選会上位10校のみだ。年々レベルの向上が見られ、スピードとスタミナのバランスを保ちつつ、どのようにレースを組み立ててくるのかに注目が集まる大会となった。 出場チームの平均タイム1番目・10番目・15番目で見てみると、5000mは13分53秒78、14分07秒89、14分15秒64、10000mが28分39秒76 、29分07秒25、29分21秒19、ハーフマラソンは1時間2分48秒6、1時間3分36秒9、1時間4分13秒1となる。 チームによりスピードタイプやスタミナタイプなど様々な個性はある。それでも昨年のような高温多湿の気象条件下でのアクシデントや、後半の失速を懸念する。気温17度のスタート時点の気象条件は後半の気温上昇を予測し、自重傾向になることは否めないだろう。 今回は日本テレビの中継にあたり、関東学連副会長の大後栄治氏と解説を担当させていただいた。元神奈川大駅伝監督として采配を振るった経験ゆえに、静かな語り口ながら的確にレースの流れを解説されていた。その横で、なるほどとうなずきながら、時折鼓を鳴らすように話を挟ませていただいた。 シード権からはじき出されてしまったチームも、今年こそはと“捲土重来”を期して挑戦を重ねるチームも、この予選会はレベルの向上に置き去りにされまいと総力を挙げて挑んでくる大会となっている。

箱根予選会で注目していた東農大

[caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] 第36回箱根駅伝で3区を走った秋山勉氏(秋山勉氏提供)[/caption] 特に今回注目させていただいていたのが、昨年1秒差で出場権を逃した東農大であった。前述の箱根駅伝出場記念のバックルを手にしたこともあり、その戦いぶりを見守った。 チームマネジメントとして、昨年の1秒差の絶望と後悔、そして挫折感をいかにしてチームの熱量として昇華させてきたのかが注目点でもあった。 事前の分析では総合力にやや難ありとの評価が大勢を占めていた。当然前田君の復帰度合いによってはチームに大きなプラスを生むことも想定できるのだが、夏以降の情報も乏しく未知数であった。ゆえに前田君の快走に頼るわけにはいかない状況は、外から見ている私からも理解するところであった。 となればチームとしての総力戦となるわけだが、長距離は事前の気合とやる気だけで解決できるものではない。その不安材料を見事に吹き飛ばすチーム力を東農大が見せてくれた。 当然、指導スタッフの献身と大学のバックアップ、OBや関係者の熱い思いが結実する時がこの予選会だ。ならば、“たった1秒、されど1秒”の思いを1年間心に据えてトレーニングを積んだメンバーは、なかなか手強いと経験上確信していた。 昭和記念公園内の「みんなの原っぱ」に設置された特設舞台の壇上で、関東学連幹事長の次呂久直子さんが順位を読み上げるごとに、歓声と拍手が鳴り響く。5位以降ともなれば悲痛な思いで発表ボードを見つめる大学がクローズアップされてゆく。 そのような状況の中で、6番目に呼ばれたのが東農大であった。そのレース展開を5kmごとにスプリットタイムとラップタイムでおってみると以下のようになる。      スプリット     ラップ 5km  2:31:16 11位    2:31:16 11位 10km  5:01:12 7位    2:29:42 4位 15km  7:31:14 5位    2:30:02 4位 ゴール 10:34:59 6位    3:03:45 8位 前半の5kmは落ち着いて入り、その後はペースを上げて安定して走り切っていることがうかがえる。 小指徹監督に昨年の1秒差という結果を受けて、学生たちにどのような話をしたのかを伺った。「昨年は前田を欠いた状態での出場となり、選手たちもそれなりに覚悟をして挑んだ。もし出場できない結果だとしても、前田を加えた来年に可能性を示す結果にしよう」と語ったそうだ。 出場できない失望はあるものの、同時に来年に向けての希望も抱けるような話をしておいたという。結果として、1秒差の結果は上出来だと捉えていたそうだ。 このような伏線を引きつつ、選手たちのモチベーションを紡ぎ出し、結果につなげるストーリーは大学対校の予選会ならではだ。 解説の締めのコメントで「普通のレースとは違い箱根駅伝の予選会というのは、負けることの恐怖よりも、出場できないことの絶望を背負う1年間を生んでしまう大会なのです。そういった想像を絶するような絶望を、1年間チームが背負ってきて、それを昇華させるには練習しかなかったと思います」。 「その辛い1年間を過ごした中で、この大会で復活を果たした東海大と東農大を讃えたいです。また惜しくも出場を逃した法大以下もその絶望を背負うこととなりますが、必ず力をつけてこの場所に帰ってくることを信じて、またこの1年間を期待して待ちたいと思います」と語らせていただいた。 102回目となる新春の箱根路は新たな歴史を刻む準備を整えつつ、選手たちを待っている。 歴史と伝統の火を絶やさずに灯し続けるには、参加する20校に加え、新方式で選出される関東学生連合チーム、そして予選会参加校から派遣される走路補助員など関係者を含めた共創により成立する。 まずは来年1月、21チームの激走を期待したい。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。

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