2021.04.30

山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第8回「サテンでレスカ ~名作マジックランナーとともに回想~」
今なら困惑してしまう言葉。もはや使われなくなった表現というものがある。
1970年に大阪で開催された日本万国博覧会の年が小学6年生、そこから大学を卒業するまでの10年間を思い起こすだけでもそのような言葉が飛び出してくる。
「サテンでレスカでもどう?」訳1
「いいね!その時にこの前ダビングしたカセットのB面の感想聞かせてよ」訳2
訳1 喫茶店でレモンスカッシュでもどう?
訳2 音楽はもっぱらカセットテープに録音していた。元のテープから新たに複製録音をすることをダビングと言っていた。カセットテープは表がA面、裏がB面と言っていた。
今ならば、
「カフェでアートカプチーノでもどう?」
「いいね!この前紹介したアーティストをダウンロードして聞いてみた? 感想聞かせてよ」
となるのかな?
40~45年ほど前なら普通に日常会話として成立していた若者の会話だが、今の大学生にはちんぷんかんぷんかもしれない。
自宅の物置の整理をしていたら「サテンでレスカ」の時代に履いていたOnitsuka Tigerのマラソンシューズ『マジックランナー』が出てきた。
さっそく学生に見せたところ
「体育館シューズですか?」とか「昔の上履きですか?」との反応。
「いやいや、これは昔のマラソンシューズだよ」と答えると、皆一様に
「……」言葉が出ない。
厚底シューズが駅伝マラソン界を席巻する時代にあって、マラソンシューズとして認知するのに感覚が追い付かないのを責められない。
かつて一世を風靡したマラソンシューズ「マジックランナー」
真逆の現象として、数年前にケニアに行った時の話である。マサイ族が、あのご存じの民族衣装のまま携帯電話で会話していた。それが大きな違和感もなく受け入れられている自分がいた。変化や進歩の波の中にいると、そんなものかと驚くべき事象もそうでないように感じるのかもしれない。
しかしながら今回のシューズのように、近年はその変化の振り幅が思ったよりも大きく、過去と比較するとその驚きは先ほどの学生の反応のごとく「……」となってしまう。
先月はオツオリに思いを馳せ、記憶の襞を広げてコラムを書いてみたので、連なるようにさまざまな思い出が蘇った。その勢いで古いアルバムやらダンボールを開けたりしていると、先ほどのマジックランナーの登場となったわけである。
元来、雑種の犬的な性格の私であるので、あちらこちらで何か物珍しいものを咥えて帰ってきては庭に埋めて、その存在を上書き消去してしまうところが多々ある。
上書き消去とは言ってもシューズを手にするとあの時代の感覚がありありと蘇る。初めてマジックランナーを履いた時の素足感覚の心地よさと、ロードからの衝撃を吸収してくれるソールにとても感動したものだった。(今の選手たちは信じてもらえないかもしれないが……)
時代の変化を辿るには、公衆電話からスマートフォンへの変遷に着目するとわかりやすい。
大学生の頃の故郷への連絡手段は黄色い100円の公衆電話であった。教員生活2年目の1982年に緑色のカード式公衆電話が登場し、山梨学院大学に赴任した85年頃は街の至る所に設置されていた。夕食後の時間帯は合宿所近くの電話ボックスには順番待ちをする列ができたほどだ。
大学時代や山梨学院での創部当時は、合宿所に設置した着信可能なピンクの公衆電話があった。もっぱら電話当番が時間を決めて常駐しており、着信があれば部屋まで呼び出しに行き、不在であれば要件をメモにして受け渡すなどの仕事が割り振られていた。
その後、間もなくしてPHS携帯電話が普及し始めると、各自が持っても良いものかどうかの話し合いが部員たちとたびたび開かれ、紛糾した思い出がある。
そうこうしているうちに、あっという間に1人1台携帯電話を持つ時代が訪れた。
今なら携帯を持つかどうかなんて話し合う時代ではなく、SNS利用上のコンプライアンスの遵守や規制に関わる話し合いとなるのだろう。
移り行く練習環境、変わらない人の本質
さらに想いを巡らせると、1985年に山梨学院大学の監督としてチームを立ち上げた時の練習場所が甲府市営緑ヶ丘競技場であった。まだアンツーカーのグラウンドで、照明すら設置されていなかった。公営スポーツ施設の問題点でもあるのだが、午後5時には閉門され、中学も高校も、ましてや大学の講義終了後に利用しようにもほぼ不可能な利用規約となっていた。
近隣の中学や高校の顧問先生たちに協力していただき、施設利用時間延長の嘆願書を作成。安全管理方法や利用上の管理責任の代表者を決め、関係する部署にお願いに回った。その甲斐あって時間の延長が可能となったという経緯がある。
最初の年はグラウンドの第1コーナーと第4コーナーの外から車の照明だけで練習をしていた。何年間かは、近くの甲府工業高校の顧問が準備してくれた工事用のライトを延長コードでつなぎ、競技場の柱にくくりつけてなんとか足場を照らしながらの練習であった。マネージャーは登山用のヘッドライトをつけてタイム計測をしていた。
箱根駅伝に参加できるようになると、まず電柱が1本立ち、小さいながらも照明がつくようになった。箱根駅伝の出場回数が増えるごとに毎年1本ずつ照明も増えていき、合計10本となっていった。今も10本の電柱照明を見ると、そのような形で支えていただいた行政の方々の支援に頭が下がる思いである。
不便を嘆くというよりも、グラウンドが使えて練習ができる喜びのほうが大きかった気がする。知恵を出し合い、協力し合って多少の苦労は伴ったにせよ、それを超えて使わせていただけることのありがたさがあった。その気持ちが限られた時間の中で行う練習の濃度を高めたのかもしれない。
今もこの競技場で毎週水曜日には甲斐市陸協の陸上クラブを中心とした練習会が行われている。午後8時30分の消灯時間まで、仕事帰りの社会人から小学生のちびっ子ランナーまで約100名近くが練習に励んでいる。その姿を毎週自チームの練習後に顔を覗かせていただいて元気をもらっている。
行政の方々の支援によって10本まで増えた緑ヶ丘競技場の照明
今では外周1kmのランニングコースが併設された山梨学院大学専用公認陸上競技場があり、南アルプスの絶景と富士山の頂を背景に、何の気兼ねなくトレーニングに励むことができる。
小銭を用意して公衆電話の順番待ちをして故郷に電話をかけた時代から、携帯電話でインターネットや各種連絡ツールなど、SNSで情報を共有できるスーパーコンビニエンス時代の今に至るまで、無情に過ぎてゆく時の移ろいは容赦なく迅速である。
あれやこれやと時の記憶を漂っていると、ある学生と「駅伝で戦うチームとはどのようなチームでなければならないか」という話をしたことを思い出した。千葉県の高校教員採用試験に合格し、卒業後は教師としての第一歩を踏み出す学生であったので、そのような質問をしてみた。
その学生が「駅伝で戦うチームのあり方として、チームを人に例えると健康状態が良くても、奥歯に何かものが挟まった状態や散髪後のシャツ裏に髪の毛があってチクチクするようなこと、またはシューズの中に何か小石のようなものがあり気になる。そのようなチーム状況を作ってはいけないと思います」と答えてくれた。大きくチームの規範やルールを逸脱するのではないが、なんとなく言葉や行動が少しだけ気に掛かる離脱状態をいうのだろう。そこを見逃してはいけないということを語ってくれた。
駅伝から学んだチームワークという本質的な視点と観点を持ち合わせて、現在もなおクラス運営や部活動の指導に従事してくれているのでうれしい限りである。
(1994年卒・森山和幸/現・千葉県立柏南高校教員)
今という時間は淀みなく過ぎて行くからと言って、人の本質が劇的に変化するかといえば必ずしもそうではない。どのような時代の流れがこようとも見失ってしまってはいけない感性であると、自分自身にも再度自戒を込めた。
| 上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。 |
山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第8回「サテンでレスカ ~名作マジックランナーとともに回想~」
今なら困惑してしまう言葉。もはや使われなくなった表現というものがある。 1970年に大阪で開催された日本万国博覧会の年が小学6年生、そこから大学を卒業するまでの10年間を思い起こすだけでもそのような言葉が飛び出してくる。 「サテンでレスカでもどう?」訳1 「いいね!その時にこの前ダビングしたカセットのB面の感想聞かせてよ」訳2 訳1 喫茶店でレモンスカッシュでもどう? 訳2 音楽はもっぱらカセットテープに録音していた。元のテープから新たに複製録音をすることをダビングと言っていた。カセットテープは表がA面、裏がB面と言っていた。 今ならば、 「カフェでアートカプチーノでもどう?」 「いいね!この前紹介したアーティストをダウンロードして聞いてみた? 感想聞かせてよ」 となるのかな? 40~45年ほど前なら普通に日常会話として成立していた若者の会話だが、今の大学生にはちんぷんかんぷんかもしれない。 自宅の物置の整理をしていたら「サテンでレスカ」の時代に履いていたOnitsuka Tigerのマラソンシューズ『マジックランナー』が出てきた。 さっそく学生に見せたところ 「体育館シューズですか?」とか「昔の上履きですか?」との反応。 「いやいや、これは昔のマラソンシューズだよ」と答えると、皆一様に 「……」言葉が出ない。 厚底シューズが駅伝マラソン界を席巻する時代にあって、マラソンシューズとして認知するのに感覚が追い付かないのを責められない。
かつて一世を風靡したマラソンシューズ「マジックランナー」
真逆の現象として、数年前にケニアに行った時の話である。マサイ族が、あのご存じの民族衣装のまま携帯電話で会話していた。それが大きな違和感もなく受け入れられている自分がいた。変化や進歩の波の中にいると、そんなものかと驚くべき事象もそうでないように感じるのかもしれない。
しかしながら今回のシューズのように、近年はその変化の振り幅が思ったよりも大きく、過去と比較するとその驚きは先ほどの学生の反応のごとく「……」となってしまう。
先月はオツオリに思いを馳せ、記憶の襞を広げてコラムを書いてみたので、連なるようにさまざまな思い出が蘇った。その勢いで古いアルバムやらダンボールを開けたりしていると、先ほどのマジックランナーの登場となったわけである。
元来、雑種の犬的な性格の私であるので、あちらこちらで何か物珍しいものを咥えて帰ってきては庭に埋めて、その存在を上書き消去してしまうところが多々ある。
上書き消去とは言ってもシューズを手にするとあの時代の感覚がありありと蘇る。初めてマジックランナーを履いた時の素足感覚の心地よさと、ロードからの衝撃を吸収してくれるソールにとても感動したものだった。(今の選手たちは信じてもらえないかもしれないが……)
時代の変化を辿るには、公衆電話からスマートフォンへの変遷に着目するとわかりやすい。
大学生の頃の故郷への連絡手段は黄色い100円の公衆電話であった。教員生活2年目の1982年に緑色のカード式公衆電話が登場し、山梨学院大学に赴任した85年頃は街の至る所に設置されていた。夕食後の時間帯は合宿所近くの電話ボックスには順番待ちをする列ができたほどだ。
大学時代や山梨学院での創部当時は、合宿所に設置した着信可能なピンクの公衆電話があった。もっぱら電話当番が時間を決めて常駐しており、着信があれば部屋まで呼び出しに行き、不在であれば要件をメモにして受け渡すなどの仕事が割り振られていた。
その後、間もなくしてPHS携帯電話が普及し始めると、各自が持っても良いものかどうかの話し合いが部員たちとたびたび開かれ、紛糾した思い出がある。
そうこうしているうちに、あっという間に1人1台携帯電話を持つ時代が訪れた。
今なら携帯を持つかどうかなんて話し合う時代ではなく、SNS利用上のコンプライアンスの遵守や規制に関わる話し合いとなるのだろう。
移り行く練習環境、変わらない人の本質
さらに想いを巡らせると、1985年に山梨学院大学の監督としてチームを立ち上げた時の練習場所が甲府市営緑ヶ丘競技場であった。まだアンツーカーのグラウンドで、照明すら設置されていなかった。公営スポーツ施設の問題点でもあるのだが、午後5時には閉門され、中学も高校も、ましてや大学の講義終了後に利用しようにもほぼ不可能な利用規約となっていた。 近隣の中学や高校の顧問先生たちに協力していただき、施設利用時間延長の嘆願書を作成。安全管理方法や利用上の管理責任の代表者を決め、関係する部署にお願いに回った。その甲斐あって時間の延長が可能となったという経緯がある。 最初の年はグラウンドの第1コーナーと第4コーナーの外から車の照明だけで練習をしていた。何年間かは、近くの甲府工業高校の顧問が準備してくれた工事用のライトを延長コードでつなぎ、競技場の柱にくくりつけてなんとか足場を照らしながらの練習であった。マネージャーは登山用のヘッドライトをつけてタイム計測をしていた。 箱根駅伝に参加できるようになると、まず電柱が1本立ち、小さいながらも照明がつくようになった。箱根駅伝の出場回数が増えるごとに毎年1本ずつ照明も増えていき、合計10本となっていった。今も10本の電柱照明を見ると、そのような形で支えていただいた行政の方々の支援に頭が下がる思いである。 不便を嘆くというよりも、グラウンドが使えて練習ができる喜びのほうが大きかった気がする。知恵を出し合い、協力し合って多少の苦労は伴ったにせよ、それを超えて使わせていただけることのありがたさがあった。その気持ちが限られた時間の中で行う練習の濃度を高めたのかもしれない。 今もこの競技場で毎週水曜日には甲斐市陸協の陸上クラブを中心とした練習会が行われている。午後8時30分の消灯時間まで、仕事帰りの社会人から小学生のちびっ子ランナーまで約100名近くが練習に励んでいる。その姿を毎週自チームの練習後に顔を覗かせていただいて元気をもらっている。
行政の方々の支援によって10本まで増えた緑ヶ丘競技場の照明
今では外周1kmのランニングコースが併設された山梨学院大学専用公認陸上競技場があり、南アルプスの絶景と富士山の頂を背景に、何の気兼ねなくトレーニングに励むことができる。
小銭を用意して公衆電話の順番待ちをして故郷に電話をかけた時代から、携帯電話でインターネットや各種連絡ツールなど、SNSで情報を共有できるスーパーコンビニエンス時代の今に至るまで、無情に過ぎてゆく時の移ろいは容赦なく迅速である。
あれやこれやと時の記憶を漂っていると、ある学生と「駅伝で戦うチームとはどのようなチームでなければならないか」という話をしたことを思い出した。千葉県の高校教員採用試験に合格し、卒業後は教師としての第一歩を踏み出す学生であったので、そのような質問をしてみた。
その学生が「駅伝で戦うチームのあり方として、チームを人に例えると健康状態が良くても、奥歯に何かものが挟まった状態や散髪後のシャツ裏に髪の毛があってチクチクするようなこと、またはシューズの中に何か小石のようなものがあり気になる。そのようなチーム状況を作ってはいけないと思います」と答えてくれた。大きくチームの規範やルールを逸脱するのではないが、なんとなく言葉や行動が少しだけ気に掛かる離脱状態をいうのだろう。そこを見逃してはいけないということを語ってくれた。
駅伝から学んだチームワークという本質的な視点と観点を持ち合わせて、現在もなおクラス運営や部活動の指導に従事してくれているのでうれしい限りである。
(1994年卒・森山和幸/現・千葉県立柏南高校教員)
今という時間は淀みなく過ぎて行くからと言って、人の本質が劇的に変化するかといえば必ずしもそうではない。どのような時代の流れがこようとも見失ってしまってはいけない感性であると、自分自身にも再度自戒を込めた。
| 上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。 |
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