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2021.12.24

男子短距離・桐生祥秀の2022年へ新たな決意「自分が陸上界を変えていかないと」
男子短距離・桐生祥秀の2022年へ新たな決意「自分が陸上界を変えていかないと」

 2021年、東京五輪という日本のスポーツ界にとって大きな、大きな目標だった大会が開催された節目の年となった。陸上競技は競歩や中長距離を中心にメダル2、入賞7という戦後最高成績を収め、地元五輪で確かな足跡を残している。
 ただ、2016年リオ五輪の男子4×100mリレーで銀メダルを獲得して以降、常に日本陸上界をリードしてきた男子スプリント勢は、厳しい現実を突きつけられた。4継決勝の途中棄権をはじめ、100m、200mともに3人のフルエントリーをしながらもラウンド突破者はゼロ。近いと思っていたはずの世界との距離は、思いのほか遠かった。

 その中でも、東京五輪開催が決まってからフラッグシップとして日本陸上界をリードしてきた桐生祥秀(日本生命)は、思い描いていた1年とは程遠いものとなった。決勝進出を目指していたはずの100mではその舞台に立つことすらできず、リレーの決勝では3走で待つ自分のところまでバトンが届かなかった。
 それでも、五輪後の8月末には再始動し、この冬は陸上教室や、自身が手掛けるプロジェクト「Sprint 50 Challenge」など活発に活動している。アシックスが展開する「アシックス未来チャレンジキャンペーン キッズレポーターコースオンラインイベント」で、小学生たちに運動を教え、直撃インタビューにも応じた桐生に、東京までの思い、来季への意気込みを聞いた。


アシックス未来チャレンジキャンペーン キッズレポーターコースオンラインイベントで小学生たちと交流するなど、積極的に普及活動を進める桐生

「現役の間にやりたいことを全部やりたい」

「アシックス未来チャレンジキャンペーン」は、トップアスリートがそのすごさや身体を動かす楽しさを子供たちに伝えるイベント。そこで桐生は、5人の小学生とオンラインで自身がウォーミングアップなどで取り組むバランストレーニングを伝授し、「どうやったらそんなに足が速くなれますか?」「好きなスポーツを見つけるにはどうしたらいいですか?」といった質問に時に笑顔で、時に真剣なまなざしで答えた。

オンライン上でのやり取りがスムーズにできるようになって、東京じゃなくてもいろんな人たちに出会えるというのは僕たちが子供の頃にはなかったこと。すごくいい企画だったと思います。小学生たちとこうやって密に話すことってなかなかないので、すごく楽しかったです。

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(陸上教室やイベントなど)現役の間にやりたいことを全部やる、というのが僕の陸上生活。これからもいろんなことをやっていくと思いますし、今、それを実現できているという実感があります。

こういった活動は、東京五輪の前から考えていました。陸上教室を定期的にやりたいと思っていましたし、大会を自分で作ることも考えていました。それをどこでやったらインパクトがあるのかをみんなで考えた結果、今年の8月末に福井(Athlete Night Games in FUKUI)で「Sprint 50 Challenge」を実現することができました。

やっぱり東京五輪が終わったら、(陸上界は)変わっていかないといけないと思っていましたし、そこは自分がやらないといけないことだと思っています。


日本選手権で5位にとどまり、大きな目標だった東京五輪100mファイナルへの道を絶たれたが、「次」へと気持ちを切り替えた

「次にできることは何だろう」という思考

 1年延期で迎えた東京五輪イヤーは、桐生にとっては苦難の道のりだった。3月の日本選手権室内60mの決勝を左膝裏の違和感で回避した影響から本格的なシーズンインが遅れ、5月9日のREADY STEADY TOKYOは予選でフライング失格。そして6月末の日本選手権は直前に右アキレス腱を痛めたことも響き、100mで5位にとどまった。レース後、「東京が決まってからの8年、そこを目指してきた中でそこまでいろいろありました。(その目標がこれで)ひと区切りかなと思います」と話したその言葉に、背負ってきたものの大きさが垣間見えた。

今季は、ケガなく出られた試合が1試合もありません。何も東京の年に……と思いましたけど、それを思ったところでどうしようもない。じゃあ、次にできることは何だろう、という気持ちのほうが大きかったですね。気持ちを切り替えていくのは慣れています。これまで順風満帆に来たわけじゃないので、勝手にそういう思考になっているのかもしれませんね。

だから、東京五輪は、自分の中では完全に「終わったもの」となっています。それはもしかしたら、(個人と、4×100mリレー決勝を)走っていないからかもしれないですね。もし決勝を走って順位がついていたら、どうなっていたかわかりませんが、個人だけで見ると何もできなかった部分が大きいので、それを振り返ることもなかったです。

それこそ(洛南高3年だった2013年に)10秒01を出してから、プレッシャーがない大会なんてありません。10秒0台でも(観客からは)ため息が聞こえます。たぶん、そうじゃなかったのは9秒台(9秒98)を出した日本インカレ(2017年9月)と、4×100mリレーで銀メダルを取ったリオ五輪ぐらいしかなかったかもしれません。東京が終わったからといって、プレッシャーがなくなるというわけではない。競技を続けていく限りは、プレッシャーを感じながら走っていくことになります。

蘇炳添を参考に、「知らない世界」で再びインパクトを

 幸いなことにアキレス腱の痛みはもうなく、冬季練習も本格的にスタートした。次なる一歩を踏み出した桐生は、12月15日に26歳の誕生日を迎えた。アスリートして、心身ともに充実を迎える時期。この先のキャリアについてどんなイメージを持っているのだろうか。

まずは来年、ケガがないようにという気持ちです。年齢のことを考えると、今後はそのケガが引退へと結びつくかもしれないので。「今年はケガをしたから、来年がんばろう」は、30歳を超えると厳しくなってきますよね。ケガをしない。どんな先輩も、ケガで辞めている人も多いので、そこは気をつけないとなと思っています。

身体のケアもそうですし、身体の内部も大切。食事など身体の中に入れるものは、学生の頃よりもかなり気をつけています。食事は妻が「こういうのがいい」と勉強して作ってくれています。

身体を大事にして、トレーニングもちょっと変えたりしながら、来年のオレゴン世界選手権に向けてという気持ちになっています。

走練習では本数を多く、スピードを落とし過ぎないようにやっています。昨年までは質をちょっと落とし過ぎた感じがあったので。ある程度のスピードでやっています。まだ冬季練習を始めて1ヵ月なので、本当に変えたい部分、変えなくていい部分を、ショートダッシュなどをしながらすり合わせている段階です。

筋力トレーニングはやり方を変えました。ざっくり言うと臀部をどうやって鍛えるか、それをどうやって使うかということがポイント。トレーニングをやった後に、これもショートダッシュなどで(使えているかを)確認しながらやっています。

五輪では海外勢との筋力の差を感じましたが、それを埋めるために、単に身体を大きくすることは考えていません。根本的な身体の作りが違うので、単純に真似をしようとは思わなかった。でも、五輪の準決勝で9秒83のアジア新記録を出した蘇炳添選手(中国)は体格は似ているけど、臀部の大きさがまるで違います。だから、そこは参考にしよう、と。

蘇炳添選手は、日本のみんなが目標に置いていると思います。あそこで(日本人も世界と戦える)可能性を感じた面もありますし、「あそこまで行かれたか」という思いもあります。9秒9前半はちょっと見えていたけど、9秒8台はまだ公認では見えていませんでした。

大学2年の春に追い風参考で9秒8台を1度出していますが(9秒87/2015年3月)、感覚はそれほど覚えていません。でも、あのタイムを風なしで、もっと速くとなると今までとは変えていかないといけないと思っています。


イベントでは26歳の誕生日のお祝いとしてスパイク型のケーキをプレゼントされた桐生。東京五輪後の陸上界を盛り上げるべく、「インパクトのある走り」を誓う

東京五輪の前から考えてきたことですが、東京五輪後に日本のスポーツや陸上競技がどうなるのか、ど真ん中にいる時はわからなかったり、目をそらしがちなものですが、やっぱり危機感を持っていました。

僕は、「東京ブーム」しか知らないんです。開催が決まった2013年は高3で、10秒01を出した年。そこからは、すべての話は東京がらみで、「東京はどうしたいか」が最後の決め文句。東京に向けてスポンサーがサポートしてくださるようになったり、取材をしてくださったりしました。

でも、東京が終わったら取材に来てくださる人の数もどうなるかわかりませんし、顔ぶれもガラリと変わると思います。そうすると、競技はもちろん続けていくのですが、いろんなやり方で陸上を広げていかないといけないと感じているんです。今まで通りの、陸上だけやっていればいいという「東京ブーム」は終わりました。ここから先は、知らない世界が始まるんです。

だから、まずは来年にインパクトを与える走りをしないといけないと思っています。僕が今やっている活動も、僕が活躍することが一番のPRになるので。

来年から世界選手権が2年続くので、まだ3年後のパリ五輪のことは考えられていないというのが正直なところです。2025年の世界選手権までを考えると、これから4年連続で世界大会がある。だから、1年1年やっていくという感じです。

来シーズン、どこからスタートするかについては、コロナ禍の状況次第なので、具体的にはまだ決まっていません。いつも通りであれば3月にオーストラリアから始動という感じですが、国内になるかもしれません。でも、世界選手権とアジア大会を目指していくことに変わりはありません。日本選手権も含めてシーズン全体が早くなりますが、僕は梅雨が好きじゃないから、ちょうどいいかもしれませんね。

◎きりゅう よしひで
1995年12月15日生まれ、26歳。彦根南中(滋賀)→洛南高(京都)→東洋大→日本生命
中学時代から全国に名を馳せ、高3の春に100mで10秒01をマークして世界に衝撃を与えた。大学4年だった17年9月に日本人初の9秒台(9秒98)突入を果たす。
4×100mリレーではいずれも3走として2016年リオ五輪で銀メダル、17年ロンドン、19年ドーハ両世界選手権で銅メダルを獲得している。

 

構成/小川雅生

 2021年、東京五輪という日本のスポーツ界にとって大きな、大きな目標だった大会が開催された節目の年となった。陸上競技は競歩や中長距離を中心にメダル2、入賞7という戦後最高成績を収め、地元五輪で確かな足跡を残している。  ただ、2016年リオ五輪の男子4×100mリレーで銀メダルを獲得して以降、常に日本陸上界をリードしてきた男子スプリント勢は、厳しい現実を突きつけられた。4継決勝の途中棄権をはじめ、100m、200mともに3人のフルエントリーをしながらもラウンド突破者はゼロ。近いと思っていたはずの世界との距離は、思いのほか遠かった。  その中でも、東京五輪開催が決まってからフラッグシップとして日本陸上界をリードしてきた桐生祥秀(日本生命)は、思い描いていた1年とは程遠いものとなった。決勝進出を目指していたはずの100mではその舞台に立つことすらできず、リレーの決勝では3走で待つ自分のところまでバトンが届かなかった。  それでも、五輪後の8月末には再始動し、この冬は陸上教室や、自身が手掛けるプロジェクト「Sprint 50 Challenge」など活発に活動している。アシックスが展開する「アシックス未来チャレンジキャンペーン キッズレポーターコースオンラインイベント」で、小学生たちに運動を教え、直撃インタビューにも応じた桐生に、東京までの思い、来季への意気込みを聞いた。 アシックス未来チャレンジキャンペーン キッズレポーターコースオンラインイベントで小学生たちと交流するなど、積極的に普及活動を進める桐生

「現役の間にやりたいことを全部やりたい」

「アシックス未来チャレンジキャンペーン」は、トップアスリートがそのすごさや身体を動かす楽しさを子供たちに伝えるイベント。そこで桐生は、5人の小学生とオンラインで自身がウォーミングアップなどで取り組むバランストレーニングを伝授し、「どうやったらそんなに足が速くなれますか?」「好きなスポーツを見つけるにはどうしたらいいですか?」といった質問に時に笑顔で、時に真剣なまなざしで答えた。 オンライン上でのやり取りがスムーズにできるようになって、東京じゃなくてもいろんな人たちに出会えるというのは僕たちが子供の頃にはなかったこと。すごくいい企画だったと思います。小学生たちとこうやって密に話すことってなかなかないので、すごく楽しかったです。 (陸上教室やイベントなど)現役の間にやりたいことを全部やる、というのが僕の陸上生活。これからもいろんなことをやっていくと思いますし、今、それを実現できているという実感があります。 こういった活動は、東京五輪の前から考えていました。陸上教室を定期的にやりたいと思っていましたし、大会を自分で作ることも考えていました。それをどこでやったらインパクトがあるのかをみんなで考えた結果、今年の8月末に福井(Athlete Night Games in FUKUI)で「Sprint 50 Challenge」を実現することができました。 やっぱり東京五輪が終わったら、(陸上界は)変わっていかないといけないと思っていましたし、そこは自分がやらないといけないことだと思っています。 日本選手権で5位にとどまり、大きな目標だった東京五輪100mファイナルへの道を絶たれたが、「次」へと気持ちを切り替えた

「次にできることは何だろう」という思考

 1年延期で迎えた東京五輪イヤーは、桐生にとっては苦難の道のりだった。3月の日本選手権室内60mの決勝を左膝裏の違和感で回避した影響から本格的なシーズンインが遅れ、5月9日のREADY STEADY TOKYOは予選でフライング失格。そして6月末の日本選手権は直前に右アキレス腱を痛めたことも響き、100mで5位にとどまった。レース後、「東京が決まってからの8年、そこを目指してきた中でそこまでいろいろありました。(その目標がこれで)ひと区切りかなと思います」と話したその言葉に、背負ってきたものの大きさが垣間見えた。 今季は、ケガなく出られた試合が1試合もありません。何も東京の年に……と思いましたけど、それを思ったところでどうしようもない。じゃあ、次にできることは何だろう、という気持ちのほうが大きかったですね。気持ちを切り替えていくのは慣れています。これまで順風満帆に来たわけじゃないので、勝手にそういう思考になっているのかもしれませんね。 だから、東京五輪は、自分の中では完全に「終わったもの」となっています。それはもしかしたら、(個人と、4×100mリレー決勝を)走っていないからかもしれないですね。もし決勝を走って順位がついていたら、どうなっていたかわかりませんが、個人だけで見ると何もできなかった部分が大きいので、それを振り返ることもなかったです。 それこそ(洛南高3年だった2013年に)10秒01を出してから、プレッシャーがない大会なんてありません。10秒0台でも(観客からは)ため息が聞こえます。たぶん、そうじゃなかったのは9秒台(9秒98)を出した日本インカレ(2017年9月)と、4×100mリレーで銀メダルを取ったリオ五輪ぐらいしかなかったかもしれません。東京が終わったからといって、プレッシャーがなくなるというわけではない。競技を続けていく限りは、プレッシャーを感じながら走っていくことになります。

蘇炳添を参考に、「知らない世界」で再びインパクトを

 幸いなことにアキレス腱の痛みはもうなく、冬季練習も本格的にスタートした。次なる一歩を踏み出した桐生は、12月15日に26歳の誕生日を迎えた。アスリートして、心身ともに充実を迎える時期。この先のキャリアについてどんなイメージを持っているのだろうか。 まずは来年、ケガがないようにという気持ちです。年齢のことを考えると、今後はそのケガが引退へと結びつくかもしれないので。「今年はケガをしたから、来年がんばろう」は、30歳を超えると厳しくなってきますよね。ケガをしない。どんな先輩も、ケガで辞めている人も多いので、そこは気をつけないとなと思っています。 身体のケアもそうですし、身体の内部も大切。食事など身体の中に入れるものは、学生の頃よりもかなり気をつけています。食事は妻が「こういうのがいい」と勉強して作ってくれています。 身体を大事にして、トレーニングもちょっと変えたりしながら、来年のオレゴン世界選手権に向けてという気持ちになっています。 走練習では本数を多く、スピードを落とし過ぎないようにやっています。昨年までは質をちょっと落とし過ぎた感じがあったので。ある程度のスピードでやっています。まだ冬季練習を始めて1ヵ月なので、本当に変えたい部分、変えなくていい部分を、ショートダッシュなどをしながらすり合わせている段階です。 筋力トレーニングはやり方を変えました。ざっくり言うと臀部をどうやって鍛えるか、それをどうやって使うかということがポイント。トレーニングをやった後に、これもショートダッシュなどで(使えているかを)確認しながらやっています。 五輪では海外勢との筋力の差を感じましたが、それを埋めるために、単に身体を大きくすることは考えていません。根本的な身体の作りが違うので、単純に真似をしようとは思わなかった。でも、五輪の準決勝で9秒83のアジア新記録を出した蘇炳添選手(中国)は体格は似ているけど、臀部の大きさがまるで違います。だから、そこは参考にしよう、と。 蘇炳添選手は、日本のみんなが目標に置いていると思います。あそこで(日本人も世界と戦える)可能性を感じた面もありますし、「あそこまで行かれたか」という思いもあります。9秒9前半はちょっと見えていたけど、9秒8台はまだ公認では見えていませんでした。 大学2年の春に追い風参考で9秒8台を1度出していますが(9秒87/2015年3月)、感覚はそれほど覚えていません。でも、あのタイムを風なしで、もっと速くとなると今までとは変えていかないといけないと思っています。 イベントでは26歳の誕生日のお祝いとしてスパイク型のケーキをプレゼントされた桐生。東京五輪後の陸上界を盛り上げるべく、「インパクトのある走り」を誓う 東京五輪の前から考えてきたことですが、東京五輪後に日本のスポーツや陸上競技がどうなるのか、ど真ん中にいる時はわからなかったり、目をそらしがちなものですが、やっぱり危機感を持っていました。 僕は、「東京ブーム」しか知らないんです。開催が決まった2013年は高3で、10秒01を出した年。そこからは、すべての話は東京がらみで、「東京はどうしたいか」が最後の決め文句。東京に向けてスポンサーがサポートしてくださるようになったり、取材をしてくださったりしました。 でも、東京が終わったら取材に来てくださる人の数もどうなるかわかりませんし、顔ぶれもガラリと変わると思います。そうすると、競技はもちろん続けていくのですが、いろんなやり方で陸上を広げていかないといけないと感じているんです。今まで通りの、陸上だけやっていればいいという「東京ブーム」は終わりました。ここから先は、知らない世界が始まるんです。 だから、まずは来年にインパクトを与える走りをしないといけないと思っています。僕が今やっている活動も、僕が活躍することが一番のPRになるので。 来年から世界選手権が2年続くので、まだ3年後のパリ五輪のことは考えられていないというのが正直なところです。2025年の世界選手権までを考えると、これから4年連続で世界大会がある。だから、1年1年やっていくという感じです。 来シーズン、どこからスタートするかについては、コロナ禍の状況次第なので、具体的にはまだ決まっていません。いつも通りであれば3月にオーストラリアから始動という感じですが、国内になるかもしれません。でも、世界選手権とアジア大会を目指していくことに変わりはありません。日本選手権も含めてシーズン全体が早くなりますが、僕は梅雨が好きじゃないから、ちょうどいいかもしれませんね。 ◎きりゅう よしひで 1995年12月15日生まれ、26歳。彦根南中(滋賀)→洛南高(京都)→東洋大→日本生命 中学時代から全国に名を馳せ、高3の春に100mで10秒01をマークして世界に衝撃を与えた。大学4年だった17年9月に日本人初の9秒台(9秒98)突入を果たす。 4×100mリレーではいずれも3走として2016年リオ五輪で銀メダル、17年ロンドン、19年ドーハ両世界選手権で銅メダルを獲得している。   構成/小川雅生

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