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2024.12.30

【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第52回「師走の空に輝く星たち~故・横溝三郎氏との会話から~」


山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第52回「師走の空に輝く星たち~故・横溝三郎氏との会話から~」

冬至を過ぎると、殊更に寒さが身に染みてくる。それでも、これを境に陽が長くなってくるという思いが少し心を軽くしてくれる。クリスマスの定番ソングがラジオから流れてくるかと思いきや、一気に年の瀬が見える頃となった。

箱根駅伝の100回記念大会がついこの前であったような錯覚を覚えるほど、この1年は迅速に過ぎていった。

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いよいよ101回大会である。箱根駅伝のレース予想や各チームのコメントなどは専門誌や特集号をはじめ、各種メディアが事細かに報道している。スタートを待たずして、箱根駅伝の大きな波のうねりに飲み込まれてゆきそうでもある。

辰年の背を越え、巳年を迎えるためにもしばし立ち止まって、この1年を振り返りたい。誰もが悲喜こもごものできごとに一喜一憂してきたことと思う。

そのような中で、年末の紙面には毎年“追悼”と書かれた記事が掲載される。2024年は能登半島地震から始まり、多くの犠牲者や被災者を出す甚大な被害をもたらした。そのような状況下にあって、箱根駅伝は100回大会を開催させていただいた。

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新たな一歩を踏み出す大会を迎えるにあたり、犠牲になられた方々へ心からの哀悼と、被害に遭われた方々にとって箱根駅伝が少しでも心の励みになる大会であればと願っている。

そのうえで箱根駅伝に長らくかかわってきた身として、11月14日に84歳でお亡くなりになられた横溝三郎氏を追悼したい。訃報の知らせは、冬枯れの枝を夕暮れ時に見上げるようで寂しさを感じた。

24年11月に84歳で亡くなった横溝三郎氏。10月の箱根駅伝予選会では現地に駆けつけていた

横溝氏は1939年、横浜市生まれ。この年の第20回箱根駅伝は出場6回目の専大が初優勝した年でもある。幼少期は戦時下ということもあり、箱根駅伝は5回中止を余儀なくされている(戦時下の1941年、42年、44年、45年、終戦後の46年)。

7歳の時に23回大会か開催されその後は連続開催されてきた。中学1年時の53年の28回大会からNHKラジオで移動型スポーツイベントの中継がされるようになっている。

横浜高時代の56年、57年にインターハイで5000m2連覇、57年は1500mとの2冠を達成。その秋には高校生で当時初となる14分台達成(14分47秒6)などの実績と、スーパー高校生としての期待を背負い、中大に入学している。

筆者の私が生まれた59年の35回大会からは4年連続で箱根を走り、在学中に4連覇を達成。その後の優勝を合わせ中大は不滅の箱根駅伝6連勝を飾っている。

トラックでは5000mと3000m障害で日本記録を樹立。実業団で競技を続け、64年の東京五輪に3000m障害で出場を果たしている。

私との出会いは横溝氏がNHKの第1中継車で解説をされた82年~87年(58回~63回)の中で、当時香川で中学教員だった頃の58回、59回大会、山梨学大の監督1年目だった86年の62回大会でゲスト解説として第2中継車に搭乗させていただいた時である。

箱根駅伝のレジェンド的存在であり、五輪選手、元日本記録保持者でもあった横溝氏と解説をご一緒させていただけることは光栄であった。そのような方が、箱根駅伝をどのような視点で俯瞰し、戦況や選手の状態、心情をどのように表現するのか。自分の解説を忘れるほど、聞き入っていたことを思い出す。

その後、87年の日本テレビの完全生中継が始まる年に山梨学大も創部2年目で初出場。以後88年(64回)から2006年(82回)までは日本テレビの中継をとおして、解説者としてレースを見守っていただき、適切な解説を多くしていただいた。

私以上に関わりが深く、親交があった方がおられる。横溝氏と同じ学年で、東農大で箱根駅伝を4回走った秋山勉氏だ。秋山氏は山梨県甲府市在住であり、私が香川から山梨に来るきっかけを作っていただいた方である。さらに山梨学大創部時から顧問として私たちを支えていただいてきた。

お互いが戦中・戦後の激動の時代を生き、戦後復興の時代に箱根路を駆けた者同士ということで親交があり、たびたび秋山宅を訪れていた。そのような縁もあり、親しく話す機会をたびたび得ることができた。

箱根駅伝の時代背景やその時代のご苦労、そして指導者として選手とどう向き合ってゆくのかなど、興味深い話のキャッチボールだった。まさに箱根駅伝中継時に放映される今昔物語をリアルタイムに聞けるかのような楽しさがあった。

大正時代に始まった箱根駅伝は100回を超える開催ともなると、開催当時の時代を昔話として当事者からお話を聞くことはほぼ不可能と思える。戦中戦後を生き、その後の時代を駆け抜けた方も今は80歳~90歳となっている。

私が1985年~2019年まで34年間駅伝監督として指導してこられたのも、今年の3月までの10年間、関東学生陸上競技連盟で駅伝対策委員長として箱根駅伝などに携わらせていただいたことも、過去を知る機会に恵まれたからこそではないかと我が身を振り返った。

このような思いを横溝氏の生前に、直接語ることができなかったことが悔やまれる。

横溝氏とこのような会話をしたことを思い出した。

「上田さん、夜空の星を英語でなんて言うの?」と聞かれたので、「スターです」と返答すると、横溝氏は「どの星がスターなの?」となぞかけのように聞き返してきた。

この話の流れは箱根駅伝を走るすべての学生ランナーたちや、走ることがかなわなかった部員たちにとっての箱根駅伝とはどういうものか――と、秋山氏を交えて談義した時であった。話の真意は “夜空に瞬く星たちは箱根駅伝を目指すすべてのランナーであり、箱根駅伝にかかわったすべての人たちなんだよ”という意味で私は受け止めた。

そのような思いで箱根路を駆け抜け、世界と勝負し、箱根駅伝を慈しむ解説に終始した足跡に敬意を表しつつ、新年を迎える師走の空に輝く星に向かい手を合わせたい。合掌。

第100回箱根駅伝でスタートの構えをする1区の選手たち

上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。
山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第52回「師走の空に輝く星たち~故・横溝三郎氏との会話から~」

冬至を過ぎると、殊更に寒さが身に染みてくる。それでも、これを境に陽が長くなってくるという思いが少し心を軽くしてくれる。クリスマスの定番ソングがラジオから流れてくるかと思いきや、一気に年の瀬が見える頃となった。 箱根駅伝の100回記念大会がついこの前であったような錯覚を覚えるほど、この1年は迅速に過ぎていった。 いよいよ101回大会である。箱根駅伝のレース予想や各チームのコメントなどは専門誌や特集号をはじめ、各種メディアが事細かに報道している。スタートを待たずして、箱根駅伝の大きな波のうねりに飲み込まれてゆきそうでもある。 辰年の背を越え、巳年を迎えるためにもしばし立ち止まって、この1年を振り返りたい。誰もが悲喜こもごものできごとに一喜一憂してきたことと思う。 そのような中で、年末の紙面には毎年“追悼”と書かれた記事が掲載される。2024年は能登半島地震から始まり、多くの犠牲者や被災者を出す甚大な被害をもたらした。そのような状況下にあって、箱根駅伝は100回大会を開催させていただいた。 新たな一歩を踏み出す大会を迎えるにあたり、犠牲になられた方々へ心からの哀悼と、被害に遭われた方々にとって箱根駅伝が少しでも心の励みになる大会であればと願っている。 そのうえで箱根駅伝に長らくかかわってきた身として、11月14日に84歳でお亡くなりになられた横溝三郎氏を追悼したい。訃報の知らせは、冬枯れの枝を夕暮れ時に見上げるようで寂しさを感じた。 [caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] 24年11月に84歳で亡くなった横溝三郎氏。10月の箱根駅伝予選会では現地に駆けつけていた[/caption] 横溝氏は1939年、横浜市生まれ。この年の第20回箱根駅伝は出場6回目の専大が初優勝した年でもある。幼少期は戦時下ということもあり、箱根駅伝は5回中止を余儀なくされている(戦時下の1941年、42年、44年、45年、終戦後の46年)。 7歳の時に23回大会か開催されその後は連続開催されてきた。中学1年時の53年の28回大会からNHKラジオで移動型スポーツイベントの中継がされるようになっている。 横浜高時代の56年、57年にインターハイで5000m2連覇、57年は1500mとの2冠を達成。その秋には高校生で当時初となる14分台達成(14分47秒6)などの実績と、スーパー高校生としての期待を背負い、中大に入学している。 筆者の私が生まれた59年の35回大会からは4年連続で箱根を走り、在学中に4連覇を達成。その後の優勝を合わせ中大は不滅の箱根駅伝6連勝を飾っている。 トラックでは5000mと3000m障害で日本記録を樹立。実業団で競技を続け、64年の東京五輪に3000m障害で出場を果たしている。 私との出会いは横溝氏がNHKの第1中継車で解説をされた82年~87年(58回~63回)の中で、当時香川で中学教員だった頃の58回、59回大会、山梨学大の監督1年目だった86年の62回大会でゲスト解説として第2中継車に搭乗させていただいた時である。 箱根駅伝のレジェンド的存在であり、五輪選手、元日本記録保持者でもあった横溝氏と解説をご一緒させていただけることは光栄であった。そのような方が、箱根駅伝をどのような視点で俯瞰し、戦況や選手の状態、心情をどのように表現するのか。自分の解説を忘れるほど、聞き入っていたことを思い出す。 その後、87年の日本テレビの完全生中継が始まる年に山梨学大も創部2年目で初出場。以後88年(64回)から2006年(82回)までは日本テレビの中継をとおして、解説者としてレースを見守っていただき、適切な解説を多くしていただいた。 私以上に関わりが深く、親交があった方がおられる。横溝氏と同じ学年で、東農大で箱根駅伝を4回走った秋山勉氏だ。秋山氏は山梨県甲府市在住であり、私が香川から山梨に来るきっかけを作っていただいた方である。さらに山梨学大創部時から顧問として私たちを支えていただいてきた。 お互いが戦中・戦後の激動の時代を生き、戦後復興の時代に箱根路を駆けた者同士ということで親交があり、たびたび秋山宅を訪れていた。そのような縁もあり、親しく話す機会をたびたび得ることができた。 箱根駅伝の時代背景やその時代のご苦労、そして指導者として選手とどう向き合ってゆくのかなど、興味深い話のキャッチボールだった。まさに箱根駅伝中継時に放映される今昔物語をリアルタイムに聞けるかのような楽しさがあった。 大正時代に始まった箱根駅伝は100回を超える開催ともなると、開催当時の時代を昔話として当事者からお話を聞くことはほぼ不可能と思える。戦中戦後を生き、その後の時代を駆け抜けた方も今は80歳~90歳となっている。 私が1985年~2019年まで34年間駅伝監督として指導してこられたのも、今年の3月までの10年間、関東学生陸上競技連盟で駅伝対策委員長として箱根駅伝などに携わらせていただいたことも、過去を知る機会に恵まれたからこそではないかと我が身を振り返った。 このような思いを横溝氏の生前に、直接語ることができなかったことが悔やまれる。 横溝氏とこのような会話をしたことを思い出した。 「上田さん、夜空の星を英語でなんて言うの?」と聞かれたので、「スターです」と返答すると、横溝氏は「どの星がスターなの?」となぞかけのように聞き返してきた。 この話の流れは箱根駅伝を走るすべての学生ランナーたちや、走ることがかなわなかった部員たちにとっての箱根駅伝とはどういうものか――と、秋山氏を交えて談義した時であった。話の真意は “夜空に瞬く星たちは箱根駅伝を目指すすべてのランナーであり、箱根駅伝にかかわったすべての人たちなんだよ”という意味で私は受け止めた。 そのような思いで箱根路を駆け抜け、世界と勝負し、箱根駅伝を慈しむ解説に終始した足跡に敬意を表しつつ、新年を迎える師走の空に輝く星に向かい手を合わせたい。合掌。 [caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] 第100回箱根駅伝でスタートの構えをする1区の選手たち[/caption]
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。

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