2023.05.01

山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第32回「新たなる挑戦 “1985年の春”~香川から山梨へ~」
春爛漫。
麗かなる陽射しを浴び、スパイクシューズの軽やかなリズムに心が沸き立つ4月。まさに、以前のコラムで書いたヴィヴァルディの交響曲「四季」の第1楽章がピッタリのシーズンと言いたいところではあるが、後半は気温が急降下し、雨天の日々が続いた。
厳しい冬を超えてやっと回りきた春も、アスリートの天敵とも言える“春の5K”に悩まされるシーズンでもある。
“春の5K”とは「花粉・黄砂・強風・乾燥・寒暖差」のこと。いずれも屋外でトレーニングを行い、レースをする陸上競技選手にとっては厄介である。
厄介だとて避けて通れぬ関門のようなもので、あれやこれやと工夫を凝らしたり、苦手を克服したりでトラックシーズンを迎える。
花粉症の私は、今年も点眼・点鼻薬を供として春の訪れを待ち、新年度を迎えた。
この時期の甲府盆地は驚くほどの勢いで山が萌えてくる。山々の麓から新緑の色合いが湧き上がるように色づいてくるからだ。
桜が咲く頃には桃の開花も始まり、南アルプスから富士山に向かう三坂峠あたりまでぐるりと視線を走らせると、ピンクの絨毯を敷き詰めたような景色が心を和ませてくれる。時には黄砂の影響でその観景が霞む日も多々あるが、雨で洗われた翌朝は、紺碧の空と残雪を光らせる富士山、そして新緑の山々が桃の花で彩られた眺望は春の醍醐味でもある。
ランナーにとっては春夏秋冬、花鳥風月が友であり、豊かな自然の中に身を投じられるのが苦しいトレーニングの合間の楽しみの一つでもある。
この季節が来れば、毎年“1985年の春”を思い起こす。香川県の中学教員(丸亀市立本島中学)で離職の挨拶を済ませ、山梨学院大学に着任した創部初年度の頃のことだ。
まだ香川ナンバーのままの自家用車に、積み込めるだけ荷物を積んで、高松の港からフェリーに乗船した。夜中の出港にもかかわらず、教員の同僚や陸上仲間が見送ってくれた。神戸港で下船し、始めての高速道路を運転し、甲府へと向かったことなどをキーボードに向かいつつ思い起こした。
一年の計は元旦にありと言いつつも、日本の歳時記は年度の始まりが新たな節目となる。4月の新入生や新社会人は、新天地での生活に心躍らせながらも、不安と不慣れな生活リズムに苦慮を重ねているに違いない。
私も、山梨の地に根を下ろそうと意気込んでやってきたものの、つまずいたり滑ったりの連続だった。こんなことで箱根駅伝の舞台が見えてくるのだろうかと不安な日々を過ごしていた。
初年度は8人の新入部員と、既にあった陸上同好会から押しかけるように入部希望してきた3年生1名(現・茨城県中学教員)、2年生1名(現・静岡県警察官)が加わり10名で集合住宅を借り、仮の合宿所としてスタートを切った。
(とは言うものの、秋には6人となっていた)
今でこそスポーツ科学部の講義でコーチングやマネージメント・トレーニング論など語ってはいるが、あの頃は選手の不平、不満、愚痴、文句に、自分自身の心の熱量で向き合うことしかできない日々であったと思う。
創部のこの年に最後までついてきてくれた彼らがいなければ、その後のチームを作り上げることはできなかったと、今更ながらに頭の下がる思いである。

葡萄畑の上り坂を走る創部当初の陸上部員。前列中央は監督就任直後の上田氏

甲府市内で開業している今井整形外科でお借りしたマシーンでトレーニングに励む
この2年ほど前のことである。福島県郡山で開催されていた東日本30kmロードレースに参加した時、順大時代の恩師である沢木啓祐先生から「話があるから一緒に新幹線で上野まで行こう」と誘われた。
何事だろうと思いつつ、車中で沢木先生から「山梨学院大学が箱根駅伝出場を目指して監督を探している。お前を推薦しようと思う。どうだ!」と言われた。即答などできるはずもなく、「山梨は関東ですか?」などと今では笑い話にもならないような質問をしてしまったことが恥ずかしいほどであった。
大学卒業と同時に地元・香川に帰り、1年間の非常勤講師を務めた後に中学校教員として採用されたばかりの時である。父子家庭で育った私にとって、希望通り地元の教員採用が叶って勤務を始めたことや、すでに身体を患っていた父のことを思えば、おいそれと「山梨に行きます」とも言えずにいた。
さらに、いろんな方と相談しても「箱根駅伝出場なんか無理だ。やめとけ!」と言われることがほとんどであった。
そのような状況のなか、「挑戦してみたら」と勧めていただいたのが、最初の1年間、時間講師として勤務した三豊工業(現・観音寺総合)高校陸上部顧問・詫間茂先生(棒高跳でオリンピアンやインターハイ優勝者を輩出)と、明善(現・英明)高校陸上部顧問の真部卓一先生(女子でインターハイ優勝・入賞者を輩出/現・理事長)だった。
ある程度時も経ち、そろそろ返事をせねばならない頃が来ていた頃。ある日の夕食の席で父から「お前、そろそろ沢木先生に返事しなければならないと思うが、どうするんだ?」と尋ねられた。
答えを少し渋っていると、父が「お前の顔には山梨に行って挑戦してみたいと書いてあるぞ!」と言い切った。さらに、こう言って背中を押してくれた。
「俺のことは気にしなくていい。ただし、挑戦すると決めたならば何があろうとも、その夢に向かってつま先をきちんと向けて頑張れ。何かにつまずいて泥水に顔から突っ込むことや、冷たい向かい風でうずくまるようなことがあるかもしれない。そんなつらい時こそ、自分のつま先が夢の方向に向かっているか確認して、さらなる一歩を踏み出すんだぞ。その覚悟があるなら山梨に行って頑張ってこい!」
山梨に来て最初の歩み出しは厳しいことだらけだろうと覚悟はしていたものの、この言葉を受けて香川を後にしたことは、私のその後を支えてもらった事実である。
この言葉の意味を噛み締めたとき、その思いを選手たちに伝え、そのような選手を育成してゆきたいと誓った。
普段朴訥で多くを語らない父ではあったが、あの日のあの言葉は心に深く刻まれている。
手を合わせ、心で念じたい。
「ありがとう」
| 上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。 |
山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第32回「新たなる挑戦 “1985年の春”~香川から山梨へ~」
春爛漫。 麗かなる陽射しを浴び、スパイクシューズの軽やかなリズムに心が沸き立つ4月。まさに、以前のコラムで書いたヴィヴァルディの交響曲「四季」の第1楽章がピッタリのシーズンと言いたいところではあるが、後半は気温が急降下し、雨天の日々が続いた。 厳しい冬を超えてやっと回りきた春も、アスリートの天敵とも言える“春の5K”に悩まされるシーズンでもある。 “春の5K”とは「花粉・黄砂・強風・乾燥・寒暖差」のこと。いずれも屋外でトレーニングを行い、レースをする陸上競技選手にとっては厄介である。 厄介だとて避けて通れぬ関門のようなもので、あれやこれやと工夫を凝らしたり、苦手を克服したりでトラックシーズンを迎える。 花粉症の私は、今年も点眼・点鼻薬を供として春の訪れを待ち、新年度を迎えた。 この時期の甲府盆地は驚くほどの勢いで山が萌えてくる。山々の麓から新緑の色合いが湧き上がるように色づいてくるからだ。 桜が咲く頃には桃の開花も始まり、南アルプスから富士山に向かう三坂峠あたりまでぐるりと視線を走らせると、ピンクの絨毯を敷き詰めたような景色が心を和ませてくれる。時には黄砂の影響でその観景が霞む日も多々あるが、雨で洗われた翌朝は、紺碧の空と残雪を光らせる富士山、そして新緑の山々が桃の花で彩られた眺望は春の醍醐味でもある。 ランナーにとっては春夏秋冬、花鳥風月が友であり、豊かな自然の中に身を投じられるのが苦しいトレーニングの合間の楽しみの一つでもある。 この季節が来れば、毎年“1985年の春”を思い起こす。香川県の中学教員(丸亀市立本島中学)で離職の挨拶を済ませ、山梨学院大学に着任した創部初年度の頃のことだ。 まだ香川ナンバーのままの自家用車に、積み込めるだけ荷物を積んで、高松の港からフェリーに乗船した。夜中の出港にもかかわらず、教員の同僚や陸上仲間が見送ってくれた。神戸港で下船し、始めての高速道路を運転し、甲府へと向かったことなどをキーボードに向かいつつ思い起こした。 一年の計は元旦にありと言いつつも、日本の歳時記は年度の始まりが新たな節目となる。4月の新入生や新社会人は、新天地での生活に心躍らせながらも、不安と不慣れな生活リズムに苦慮を重ねているに違いない。 私も、山梨の地に根を下ろそうと意気込んでやってきたものの、つまずいたり滑ったりの連続だった。こんなことで箱根駅伝の舞台が見えてくるのだろうかと不安な日々を過ごしていた。 初年度は8人の新入部員と、既にあった陸上同好会から押しかけるように入部希望してきた3年生1名(現・茨城県中学教員)、2年生1名(現・静岡県警察官)が加わり10名で集合住宅を借り、仮の合宿所としてスタートを切った。 (とは言うものの、秋には6人となっていた) 今でこそスポーツ科学部の講義でコーチングやマネージメント・トレーニング論など語ってはいるが、あの頃は選手の不平、不満、愚痴、文句に、自分自身の心の熱量で向き合うことしかできない日々であったと思う。 創部のこの年に最後までついてきてくれた彼らがいなければ、その後のチームを作り上げることはできなかったと、今更ながらに頭の下がる思いである。 [caption id="attachment_100488" align="alignnone" width="2560"]
葡萄畑の上り坂を走る創部当初の陸上部員。前列中央は監督就任直後の上田氏[/caption]
[caption id="attachment_100489" align="alignnone" width="925"]
甲府市内で開業している今井整形外科でお借りしたマシーンでトレーニングに励む[/caption]
この2年ほど前のことである。福島県郡山で開催されていた東日本30kmロードレースに参加した時、順大時代の恩師である沢木啓祐先生から「話があるから一緒に新幹線で上野まで行こう」と誘われた。
何事だろうと思いつつ、車中で沢木先生から「山梨学院大学が箱根駅伝出場を目指して監督を探している。お前を推薦しようと思う。どうだ!」と言われた。即答などできるはずもなく、「山梨は関東ですか?」などと今では笑い話にもならないような質問をしてしまったことが恥ずかしいほどであった。
大学卒業と同時に地元・香川に帰り、1年間の非常勤講師を務めた後に中学校教員として採用されたばかりの時である。父子家庭で育った私にとって、希望通り地元の教員採用が叶って勤務を始めたことや、すでに身体を患っていた父のことを思えば、おいそれと「山梨に行きます」とも言えずにいた。
さらに、いろんな方と相談しても「箱根駅伝出場なんか無理だ。やめとけ!」と言われることがほとんどであった。
そのような状況のなか、「挑戦してみたら」と勧めていただいたのが、最初の1年間、時間講師として勤務した三豊工業(現・観音寺総合)高校陸上部顧問・詫間茂先生(棒高跳でオリンピアンやインターハイ優勝者を輩出)と、明善(現・英明)高校陸上部顧問の真部卓一先生(女子でインターハイ優勝・入賞者を輩出/現・理事長)だった。
ある程度時も経ち、そろそろ返事をせねばならない頃が来ていた頃。ある日の夕食の席で父から「お前、そろそろ沢木先生に返事しなければならないと思うが、どうするんだ?」と尋ねられた。
答えを少し渋っていると、父が「お前の顔には山梨に行って挑戦してみたいと書いてあるぞ!」と言い切った。さらに、こう言って背中を押してくれた。
「俺のことは気にしなくていい。ただし、挑戦すると決めたならば何があろうとも、その夢に向かってつま先をきちんと向けて頑張れ。何かにつまずいて泥水に顔から突っ込むことや、冷たい向かい風でうずくまるようなことがあるかもしれない。そんなつらい時こそ、自分のつま先が夢の方向に向かっているか確認して、さらなる一歩を踏み出すんだぞ。その覚悟があるなら山梨に行って頑張ってこい!」
山梨に来て最初の歩み出しは厳しいことだらけだろうと覚悟はしていたものの、この言葉を受けて香川を後にしたことは、私のその後を支えてもらった事実である。
この言葉の意味を噛み締めたとき、その思いを選手たちに伝え、そのような選手を育成してゆきたいと誓った。
普段朴訥で多くを語らない父ではあったが、あの日のあの言葉は心に深く刻まれている。
手を合わせ、心で念じたい。
「ありがとう」
| 上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。 |
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