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2025.04.30

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【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第56回「昭和100年とスポーツ用具の進化」


山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第56回「昭和100年とスポーツ用具の進化」

昨年は記念大会となる第100回箱根駅伝が開催され、第二次世界大戦による4回の開催中止を含む104年間の歴史を振り返ってみたのだが、今年はなんと昭和100年と言われているようだ。

1926年12月25日から元号が大正から昭和へと変わり、平成そして令和へと時代が移り変わり今日に至っている。

日本テレビの箱根駅伝ホームページにも書かせていただいたが、第1回箱根駅伝が開催された年に発売された「日本乃日本人」と1927年(昭和2年)発売の「科学画報」という雑誌に、この時代の文化人や著名人が100年後の未来を想像して発表している内容が興味深い。

100年後には「太陽エネルギーを蓄電可能」と予測し、現在は太陽光発電パネルなどが利用されている。また、雑誌の代わりに「畜音畜映装置」を使って様々な映像や雑誌の購読が可能となると予測しており、インターネットによるニュースや動画配信など様々なシステムが生活に浸透する時代となっている。

さらにはいちいち会議に集まらなくとも世界各地から「離身電波」によって遠隔会議が可能になると予測されている。まさに現在のZoomやTeamsなどにより世界中どこにいてもネット環境さえ整っていれば誰とでもつながり会議や会話ができる時代となっている。

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便利で簡単、サクサクと何でも検索の時代となっている。とはいうものの1959年生まれで現在66歳の私にとって、PCと携帯の進化についてゆくのには苦戦を強いられることがしばしばである。過去を振り返っているうちに時代ははるか先へと進み、その波に飲み込まれぬよう何とか乗りこなさなければならないとじたばたしているのが現状である。

今年は近未来の夢と希望を膨らませる大阪・関西万博が開催されている。100年後の未来を予測するパビリオンはあるのだろうか? 今の進歩のペースからすれば20年後の未来であるかもしれない。

1970年、私が小学6年生の時に大阪万博が太陽の塔を囲むようにして開催された。アメリカ館の月の石が見たくて何時間も並んで待ったことが思い出される。剣道少年だった私は、その年から陸上競技に足を踏み入れたこととなる。

初めて走るために購入したシューズは、スポーツ店ではなく普通の靴屋さんで、「運動靴をください」と言って購入したことが思い起こされた。紐付きではあったが薄っぺらなソール(5mm程度)であった。

中学3年生ごろにマラソン専用シューズがあるのを知り、スポーツ店で取り寄せてもらったのがオニツカタイガーのマジックランナーである。今まで履いていた運動靴とは違い、路面のグリップや衝撃の吸収・通気性の良さなど感動したものだった。

今は化学繊維がポピュラーであり、軽量で足のフィット感も高いのだが、マジックランナーは帆布と呼ばれるキャンパスを裁断して作られていた。試しに陸上経験者ではないゼミ生にこのシューズを持たせ、「何のシューズだと思いますか?」と尋ねたところ「昔の体育の授業で使った体育館シューズですか?」との返答だった。

近年の箱根駅伝やオリンピックなどでほぼ100%使用されているいわゆる圧底シューズと比較しても、マジックランナーははるかに重く現在の最新シューズと比べれば機能的に劣っているかもしれない。

しかし、1964年の東京マラソンで円谷幸吉選手が銅メダルを獲得し、メキシコオリンピックでは君原健二選手が銀メダルを獲得した時はこのシューズで走破してのことである。

もっと時代をさかのぼれば、日本で初めてオリンピックに参加した金栗四三氏(1912年ストックホルムオリンピック)はマラソンで途中棄権となっている。失意の中で帰国する道中で、「日本が世界で戦うためには」という問いに対する答えを見つけようと思案し、箱根駅伝が創設されることとなった。

そして硬い路面に苦しめられた経験から座敷足袋の裏にゴムを張り付けた金栗足袋を考案するに至っている。

オリンピックは座敷用の黒足袋の裏に丈夫な布を何重にも縫い付けたものであったそうだ。海外の選手がゴム底のシューズで走るのを見て、帰国後にハリマヤ足袋店の黒坂幸作氏と試行錯誤を重ねて試作し、自らが履いて走り、改良を重ねたという。

やがて大正末期には足袋独特の留め具であるハゼをやめて、甲の部分をひもで結ぶ現在のシューズ型にまで進化させている。

この型のマラソンシューズを履いて1953年のボストンマラソンで山田敬蔵選手が優勝している。オニツカタイガー創始者鬼塚喜八郎氏がマラソン足袋を発売したのもこの年である。スポーツ用具変遷の歴史は様々な創意工夫と知恵が積み重なっており、テクノロジーの進化はさらに拍車をかけてゆくと思われる。

山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第56回「昭和100年とスポーツ用具の進化」

昨年は記念大会となる第100回箱根駅伝が開催され、第二次世界大戦による4回の開催中止を含む104年間の歴史を振り返ってみたのだが、今年はなんと昭和100年と言われているようだ。 1926年12月25日から元号が大正から昭和へと変わり、平成そして令和へと時代が移り変わり今日に至っている。 日本テレビの箱根駅伝ホームページにも書かせていただいたが、第1回箱根駅伝が開催された年に発売された「日本乃日本人」と1927年(昭和2年)発売の「科学画報」という雑誌に、この時代の文化人や著名人が100年後の未来を想像して発表している内容が興味深い。 100年後には「太陽エネルギーを蓄電可能」と予測し、現在は太陽光発電パネルなどが利用されている。また、雑誌の代わりに「畜音畜映装置」を使って様々な映像や雑誌の購読が可能となると予測しており、インターネットによるニュースや動画配信など様々なシステムが生活に浸透する時代となっている。 さらにはいちいち会議に集まらなくとも世界各地から「離身電波」によって遠隔会議が可能になると予測されている。まさに現在のZoomやTeamsなどにより世界中どこにいてもネット環境さえ整っていれば誰とでもつながり会議や会話ができる時代となっている。 便利で簡単、サクサクと何でも検索の時代となっている。とはいうものの1959年生まれで現在66歳の私にとって、PCと携帯の進化についてゆくのには苦戦を強いられることがしばしばである。過去を振り返っているうちに時代ははるか先へと進み、その波に飲み込まれぬよう何とか乗りこなさなければならないとじたばたしているのが現状である。 今年は近未来の夢と希望を膨らませる大阪・関西万博が開催されている。100年後の未来を予測するパビリオンはあるのだろうか? 今の進歩のペースからすれば20年後の未来であるかもしれない。 1970年、私が小学6年生の時に大阪万博が太陽の塔を囲むようにして開催された。アメリカ館の月の石が見たくて何時間も並んで待ったことが思い出される。剣道少年だった私は、その年から陸上競技に足を踏み入れたこととなる。 初めて走るために購入したシューズは、スポーツ店ではなく普通の靴屋さんで、「運動靴をください」と言って購入したことが思い起こされた。紐付きではあったが薄っぺらなソール(5mm程度)であった。 中学3年生ごろにマラソン専用シューズがあるのを知り、スポーツ店で取り寄せてもらったのがオニツカタイガーのマジックランナーである。今まで履いていた運動靴とは違い、路面のグリップや衝撃の吸収・通気性の良さなど感動したものだった。 今は化学繊維がポピュラーであり、軽量で足のフィット感も高いのだが、マジックランナーは帆布と呼ばれるキャンパスを裁断して作られていた。試しに陸上経験者ではないゼミ生にこのシューズを持たせ、「何のシューズだと思いますか?」と尋ねたところ「昔の体育の授業で使った体育館シューズですか?」との返答だった。 近年の箱根駅伝やオリンピックなどでほぼ100%使用されているいわゆる圧底シューズと比較しても、マジックランナーははるかに重く現在の最新シューズと比べれば機能的に劣っているかもしれない。 しかし、1964年の東京マラソンで円谷幸吉選手が銅メダルを獲得し、メキシコオリンピックでは君原健二選手が銀メダルを獲得した時はこのシューズで走破してのことである。 もっと時代をさかのぼれば、日本で初めてオリンピックに参加した金栗四三氏(1912年ストックホルムオリンピック)はマラソンで途中棄権となっている。失意の中で帰国する道中で、「日本が世界で戦うためには」という問いに対する答えを見つけようと思案し、箱根駅伝が創設されることとなった。 そして硬い路面に苦しめられた経験から座敷足袋の裏にゴムを張り付けた金栗足袋を考案するに至っている。 オリンピックは座敷用の黒足袋の裏に丈夫な布を何重にも縫い付けたものであったそうだ。海外の選手がゴム底のシューズで走るのを見て、帰国後にハリマヤ足袋店の黒坂幸作氏と試行錯誤を重ねて試作し、自らが履いて走り、改良を重ねたという。 やがて大正末期には足袋独特の留め具であるハゼをやめて、甲の部分をひもで結ぶ現在のシューズ型にまで進化させている。 この型のマラソンシューズを履いて1953年のボストンマラソンで山田敬蔵選手が優勝している。オニツカタイガー創始者鬼塚喜八郎氏がマラソン足袋を発売したのもこの年である。スポーツ用具変遷の歴史は様々な創意工夫と知恵が積み重なっており、テクノロジーの進化はさらに拍車をかけてゆくと思われる。

テクノロジーとパフォーマンスの向上

[caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] シューズの変遷によってパフォーマンスも向上してきた[/caption] 典型的な例が2008年北京オリンピック水泳競技で25個の世界記録更新のうち23個が同じ水着(レーザーレーサー)を着用した選手によって樹立されたことは大きく注目された。 2009年の世界選手権ではさらに新型の水着の登場により、レーザーレーサーを凌駕する世界記録が樹立されるに至っている。世界水泳連盟は2010年以降の競泳用意水着に対するルールが制定され、生地・縫い目・覆う範囲等が細かく規定されるに至っている。 当時のマスメディアの論調が「記録の達成は革新的な水着の登場のおかげ」という見方に偏り、身体一つで泳ぎのパフォーマンスを競うはずの「競泳の本質」からそれてしまったことは残念であった。 逆に棒高跳はテクノロジーの変遷とともに脅威のパフォーマンスを目の当たりにできるようになった。木製ポール(3m台)から竹(4m台)・金属そしてグラスファイバーなどの化学製品を利用したポール(6m台)へと変化を追うように世界記録は更新されていった。 1936年のベルリンオリンピックにおいて西田修平・大江孝雄の両選手が長時間にわたる熱戦の末、2位と3位に入賞し。両選手は帰国後に銀メダルと銅メダルを2つに切断してつなぎ合わせ、互いの健闘をたたえ合う記念としたことは語り継がれている(この時使用したのは竹製ポール)。 棒高跳びのポールの進化と同じく長距離ランナーにとって2017年の厚底マラソンシューズの登場は瞬く間に世界に拡散していった。厚底のミッドソールは今までのマラソンシューズの概念を180度転換させるものでありランニング中のエネルギーリターン率を高め接地の衝撃を和らげ、なおかつランナーの推進力をサポートする形状となっている。 内蔵されているカーボンプレートによってシューズ自体の剛性を高め、ランニング時の前方向への推進力をサポートするといわれている。使われている材質も宇宙工学研究の産物で超軽量かつ衝撃の吸収率も高くランナーの生み出す推進力をサポートしている。 世界陸連は爆発的なブームにより、シューズの規定を設けたほどである。(WA規定:マラソン・ロード種目の場合ソールの厚さは40㎜以下・カーボンプレートは1枚まで可能、複数枚使用は不可) 最近は競歩選手の使用率も上がってきており、東京オリンピックでは厚底マラソンシューズの使用選手は少数であったが、パリオリンピックではほとんどの選手が使用するに至っている。競歩用シューズとして開発されたにもかかわらず、これだけの高い使用率はなぜかという疑問にゼミ生が競歩選手の実証実験に取り組んだ。 従来の薄底マラソンシューズと、その薄底シューズにカーボンインソール(バクソール社製)を装着したもの、そして現在の厚底カーボンソール内蔵シューズで比較検討してみた。薄底シューズよりもカーボンインソールを装着したものは約2センチストライドが伸び、圧底カーボンソール内臓はさらに2センチストライドを伸ばすことができていた。 長距離・駅伝・マラソン競技の記録はペース配分や気象条件など様々な要素が複雑に絡み合うことは承知している。なんといっても日々の精進と研鑽の成果であると信じて疑わない。その鍛えられた肉体がスポーツ用器具の進化によって支えられ、公平性を保てるのであれば、これからの20年後や100年後を想像してみる空想の世界もまた楽しい。 およそ100年前に金栗四三氏が黒足袋に布を縫い付けて走り、半世紀後にはエチオピアのアベベ・ビキラ選手がローマオリンピックの石畳を素足で駆け抜けた。そして、また半世紀後、最新のテクノロジーシューズが世界中のロードレースを席巻するに至っている。 シューズについて論じてはみたが、足袋をはいて走っていた時代の金栗四三氏は、マラソン普及のために下関から東京間・樺太から東京間・九州一周などを含めて生涯に走った距離は25万キロ(地球6周と4分の1)と言われている。 100年前を想像すればするほどに、すさまじい走行距離であることがひしひしと感じれられる。ただただ脱帽、低頭するのみである。 そういえば江崎グリコの創業製品である「グリコ」キャラメルのパッケージに描かれている両腕を高々と上げたゴールインマークは、大正11年から始まり現在は7代目となっている。その2代目のモデルが金栗四三氏だったそうだ。復刻版が販売されれば一粒食べる前に300m走って買いに行きたいと想像してみた。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。

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