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2023.12.12

【竹澤健介の視点】塩尻和也の「レース巧者」ぶりと世界見据える廣中璃梨佳の「強さ」光る 次の段階は「勝負」/日本選手権10000m
【竹澤健介の視点】塩尻和也の「レース巧者」ぶりと世界見据える廣中璃梨佳の「強さ」光る 次の段階は「勝負」/日本選手権10000m

23年日本選手権10000mで健闘を称え合う塩尻和也(富士通、左)、太田智樹(トヨタ自動車、右)、相澤晃(旭化成)

東京・国立競技場を舞台に開催された第107回日本選手権10000m。男子は塩尻和也(富士通)が27分09秒80で日本新で制したほか、日本歴代1~4位が一気に誕生する超高速バトルに。女子も上位4選手が30分台突入のハイレベルのレースとなり、廣中璃梨佳(日本郵政グループ)が30分55秒29で3連覇を飾った。歴史的な一戦を、2008年北京五輪5000m、10000m代表の竹澤健介さん(摂南大ヘッドコーチ)に振り返ってもらった。

◇ ◇ ◇

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男子については、塩尻和也選手の日本新Vはもちろん、2位の太田智樹選手(トヨタ自動車)が27分12秒53、3位の相澤晃(旭化成)が27分13秒04、4位の田澤廉選手が27分22秒31と、日本歴代1~4位の記録が一気に誕生する素晴らしいレースとなりました。パリ五輪の参加標準記録(27分00秒00)には届きませんでしたが、ワールドランキングのポイントも着実に積み重ねることができました。

日本選手権で初導入された電子ペーサーを含め、完璧なペースメイクも好記録につながった要因でしょう。これまでなら前半で貯金を稼いでおくパターンが多いのですが、電子ペーサーのお陰でペースの「基準」が把握でき、それがオーバーペースにならずに余裕へとつながります。

前半に余計な力を使わないぶん、前半5000mが13分40秒、後半5000mは13分29秒に上がるネガティブ・スプリット。最も速い設定を「27分15秒」とし、後半にペースアップさせる狙いもバッチリでした。日本陸連の強化スタッフ、実業団の指導者の方々を含め、選手のために、今、でき得る最大のことをやった成果だと思います。

日本新ペースの中でも、前半から最も余裕を持っているように見えたのが塩尻選手と相澤選手。集団の中でムダな動きがほとんどなかったことで、勝負どころでしっかりと上がってきました。太田選手は相当に自信があったのでしょう。ペースメーカーのすぐ後ろにつけいましたが、ペースの変化に敏感に反応してしまう位置という影響は、ラストに出てしまったかもしれません。

とはいえ、今回は塩尻選手が盤石だったということに尽きるでしょう。6月の日本選手権(5000m)もそうでしたが、上手に、滑らかに速度を上げて、自分の勝ちパターンに持ち込んでいます。

残り1000mも一気に上げるのではなく、徐々にアクセルを踏み込むように上げていく流れから抜け出しました。独特な間で、他の選手からすると、気がついたら離されていたという感覚だったのではないでしょうか。これがラスト400mで一気に上げるようなかたちだと、誰かに対応されていたでしょう。まさに「レース巧者」と言えます。

優勝争いを演じた太田選手、相澤選手、田澤選手も、今出せる最大限のものを出したと思います。積極的にペースメーカーの後ろを走り続けた太田選手、ケガから復調した相澤選手、今年7本目の10000mレースの中で自己新を出した田澤選手、それぞれにこの先が楽しみな走りでした。

また、27分28秒13で5位に入った小林歩選手(NTT西日本)の走りにも、多くの選手が刺激を受けたのではないでしょうか。股関節を痛めていたという伊藤達彦選手(Honda)も、本調子を取り戻せば上がってくるはず。彼らができるなら、自分にもできる。今大会で「26分台」に対しての心理的な障壁は取れたと感じました。

代表争いは、これからますます激しくなると思います。どこで標準記録を狙い、ワールドランキングのポイントをいかに獲得していくか。選手個人だけでなく、各チームの「戦略」がとても大事になってくるでしょう。これまでのセオリー通りではない、独自路線を行く選手が出てくるかもしれません。さまざまなアプローチで誰がパリ五輪代表をつかむのか、これからが楽しみです。

ただ、この記録で「世界と戦える」と言えるかというと、そこはまだ違うでしょう。世界大会では、ペースの上げ下げが、映像で観る以上に壮絶に繰り返されている中で、26分台が出ます。

日本としてはまだ「出場」が目標で、「戦う」と両立させることはまだまだ難しいというのが現実。今はポイント獲得、標準記録突破が優先されるので、勝負よりもタイム。しかし、世界との「勝負」を目指すのであれば、私としては日本一を決めるレースで、勝負の経験を積んでほしいと感じています。

10000mをイーブンで走り、記録を狙う素地はできてきました。であるならば、五輪や世界選手権を見据えた、ヒリヒリするような勝負も見てみたい。いきなり誰かが仕掛ける、誰かがリズムを崩す。そういったレースはやはり、日本一を懸けた勝負でしか生まれないでしょう。

そういった意味で、女子の廣中璃梨佳選手は、世界を常に見据えたレースをやっていると感じました。中盤で一度抜け出すなど、レース全体をコントロールしていた印象。その中で、ラスト200mのスパートは見事でしたし、頭一つ抜けている存在だと感じます。

2位の高島由香選手(資生堂)が30分57秒26、3位の小海遥選手(第一生命グループ)が30分57秒67、4位の五島莉乃選手(資生堂)が30分58秒83で日本歴代6~8位。クイーンズ駅伝から2週間という流れの中で難しさはあったと思いますが、その中でも自分たちでレースを動かしながら、これだけの勝負を繰り広げたという点は、男子よりも評価できるところかもしれません。

◎竹澤健介(たけざわ・けんすけ)
摂南大陸上競技部ヘッドコーチ。早大3年時の2007年に大阪世界選手権10000m、同4年時の08年北京五輪5000m、10000mに出場。箱根駅伝では2年時から3年連続区間賞を獲得した。日本選手権はエスビー食品時代の10年に10000mで優勝している。自己ベストは500m13分19秒00(日本人学生最高)、10000m27分45秒59。

東京・国立競技場を舞台に開催された第107回日本選手権10000m。男子は塩尻和也(富士通)が27分09秒80で日本新で制したほか、日本歴代1~4位が一気に誕生する超高速バトルに。女子も上位4選手が30分台突入のハイレベルのレースとなり、廣中璃梨佳(日本郵政グループ)が30分55秒29で3連覇を飾った。歴史的な一戦を、2008年北京五輪5000m、10000m代表の竹澤健介さん(摂南大ヘッドコーチ)に振り返ってもらった。 ◇ ◇ ◇ 男子については、塩尻和也選手の日本新Vはもちろん、2位の太田智樹選手(トヨタ自動車)が27分12秒53、3位の相澤晃(旭化成)が27分13秒04、4位の田澤廉選手が27分22秒31と、日本歴代1~4位の記録が一気に誕生する素晴らしいレースとなりました。パリ五輪の参加標準記録(27分00秒00)には届きませんでしたが、ワールドランキングのポイントも着実に積み重ねることができました。 日本選手権で初導入された電子ペーサーを含め、完璧なペースメイクも好記録につながった要因でしょう。これまでなら前半で貯金を稼いでおくパターンが多いのですが、電子ペーサーのお陰でペースの「基準」が把握でき、それがオーバーペースにならずに余裕へとつながります。 前半に余計な力を使わないぶん、前半5000mが13分40秒、後半5000mは13分29秒に上がるネガティブ・スプリット。最も速い設定を「27分15秒」とし、後半にペースアップさせる狙いもバッチリでした。日本陸連の強化スタッフ、実業団の指導者の方々を含め、選手のために、今、でき得る最大のことをやった成果だと思います。 日本新ペースの中でも、前半から最も余裕を持っているように見えたのが塩尻選手と相澤選手。集団の中でムダな動きがほとんどなかったことで、勝負どころでしっかりと上がってきました。太田選手は相当に自信があったのでしょう。ペースメーカーのすぐ後ろにつけいましたが、ペースの変化に敏感に反応してしまう位置という影響は、ラストに出てしまったかもしれません。 とはいえ、今回は塩尻選手が盤石だったということに尽きるでしょう。6月の日本選手権(5000m)もそうでしたが、上手に、滑らかに速度を上げて、自分の勝ちパターンに持ち込んでいます。 残り1000mも一気に上げるのではなく、徐々にアクセルを踏み込むように上げていく流れから抜け出しました。独特な間で、他の選手からすると、気がついたら離されていたという感覚だったのではないでしょうか。これがラスト400mで一気に上げるようなかたちだと、誰かに対応されていたでしょう。まさに「レース巧者」と言えます。 優勝争いを演じた太田選手、相澤選手、田澤選手も、今出せる最大限のものを出したと思います。積極的にペースメーカーの後ろを走り続けた太田選手、ケガから復調した相澤選手、今年7本目の10000mレースの中で自己新を出した田澤選手、それぞれにこの先が楽しみな走りでした。 また、27分28秒13で5位に入った小林歩選手(NTT西日本)の走りにも、多くの選手が刺激を受けたのではないでしょうか。股関節を痛めていたという伊藤達彦選手(Honda)も、本調子を取り戻せば上がってくるはず。彼らができるなら、自分にもできる。今大会で「26分台」に対しての心理的な障壁は取れたと感じました。 代表争いは、これからますます激しくなると思います。どこで標準記録を狙い、ワールドランキングのポイントをいかに獲得していくか。選手個人だけでなく、各チームの「戦略」がとても大事になってくるでしょう。これまでのセオリー通りではない、独自路線を行く選手が出てくるかもしれません。さまざまなアプローチで誰がパリ五輪代表をつかむのか、これからが楽しみです。 ただ、この記録で「世界と戦える」と言えるかというと、そこはまだ違うでしょう。世界大会では、ペースの上げ下げが、映像で観る以上に壮絶に繰り返されている中で、26分台が出ます。 日本としてはまだ「出場」が目標で、「戦う」と両立させることはまだまだ難しいというのが現実。今はポイント獲得、標準記録突破が優先されるので、勝負よりもタイム。しかし、世界との「勝負」を目指すのであれば、私としては日本一を決めるレースで、勝負の経験を積んでほしいと感じています。 10000mをイーブンで走り、記録を狙う素地はできてきました。であるならば、五輪や世界選手権を見据えた、ヒリヒリするような勝負も見てみたい。いきなり誰かが仕掛ける、誰かがリズムを崩す。そういったレースはやはり、日本一を懸けた勝負でしか生まれないでしょう。 そういった意味で、女子の廣中璃梨佳選手は、世界を常に見据えたレースをやっていると感じました。中盤で一度抜け出すなど、レース全体をコントロールしていた印象。その中で、ラスト200mのスパートは見事でしたし、頭一つ抜けている存在だと感じます。 2位の高島由香選手(資生堂)が30分57秒26、3位の小海遥選手(第一生命グループ)が30分57秒67、4位の五島莉乃選手(資生堂)が30分58秒83で日本歴代6~8位。クイーンズ駅伝から2週間という流れの中で難しさはあったと思いますが、その中でも自分たちでレースを動かしながら、これだけの勝負を繰り広げたという点は、男子よりも評価できるところかもしれません。 ◎竹澤健介(たけざわ・けんすけ) 摂南大陸上競技部ヘッドコーチ。早大3年時の2007年に大阪世界選手権10000m、同4年時の08年北京五輪5000m、10000mに出場。箱根駅伝では2年時から3年連続区間賞を獲得した。日本選手権はエスビー食品時代の10年に10000mで優勝している。自己ベストは500m13分19秒00(日本人学生最高)、10000m27分45秒59。

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