2020.09.17
9月11日から13日に新潟・デンカビッグスワンで行われた日本インカレ男子走幅跳で、橋岡優輝(日大4)が8m29(-0.6)を跳んで優勝した。おそらくこれが最後のインカレ。その舞台で見せた自己2番目の好記録は、その数字よりも大きなものを得るジャンプだった。
「やっと世界で戦える」
これほどまでに充実感と高揚感を漂わせるのは珍しい。インターハイを勝ち、日本選手権を連覇し、U20と学生のカテゴリーでは世界一にもなった。橋岡優輝は勝っても負けても冷静。常に自分を客観視し、有言実行してきた。
「やっと自分が思っていた跳躍ができた。これで世界と戦える」
その表情は落ち着きながらも、自信と手応えを確かにつかんだのがわかるほど、昂ぶっていた。
1回目は7m92(+1.1)。「ゴールデングランプリでは、助走の重心が少し浮いていて乱れていました」。走幅跳と始めてから、常に意識してきた地面を捉える助走。だが、スピードが上がったことも影響してなかなか感覚がかみ合わない。渋い表情だった。
しかし、2回目。8m06(-0.2)の大きなジャンプを見せた。直後、スタンドに向かってこう話した。
「やっと助走を思い出しました」
3回目はファウル。だが、動きは明らかに良くなった。
通常、前半3回、後半3回の合計6回の試技で行われるが、新型コロナウイルスの影響により前後半2回ずつで実施されたため、これが橋岡にとって日本インカレ最後の跳躍となる。
普段から仲が良い1学年上の津波響樹(東洋大→大塚製薬)から、試合前にこんな言葉をかけられていた。
「大会記録(8m09)を塗り替えてきてよ」
最後の跳躍がスタート。助走の出だしから、1歩、1歩、スケールがケタ違いだった。まるで海外の選手を見ているようにグイグイと加速し、そのスピードを維持したまま大きく跳び上がる。
8mを超えて着地。これまで空中動作で傾き気味だった軸も耐えた。橋岡らしい美しい流れの跳躍に、力強さが加わった大きなジャンプ。記録は8m29(-0.6)。最後の跳躍で大会記録を塗り替えるあたり、さすが千両役者だ。
この記録は自身のセカンドベスト。1年前のAthlete Night Games(福井)で跳んだ8m32(当時日本新)に迫った。その時と違うのは、跳んだ直後の表情。福井では首を傾げながら「あの悪い流れでそこまで跳べたのか」と感じていたが、この日は「助走の流れもよく、スムーズに跳躍にいけた」。記録を確認すると、拳を握りしめた。大喜びというよりも、今の跳躍を噛みしめている表情。
400mを制した、かわいがっている日大の後輩・井上大地を見つけると、「一緒に写真撮ってもらおう」とおどける。だが、照れた井上には逃げられてしまい苦笑いだった。
「助走は練習でも試行錯誤していて、ゴールデングランプリからまだ引きずっていたのですが、試合の雰囲気の中で噛み合ったと思います」
最後の日本インカレで2年ぶり優勝を果たし、チームの総合優勝奪還にも貢献した。
ワールドリーダーとして2021年を
橋岡のキャリアを振り返れば、順調そのものだ。八王子高校時代には、トップジャンパーだった渡邉大輔先生の薫陶を受け、日大に進んでからは元日本記録保持者の森長正樹コーチに師事。高3時にインターハイを制し、日本選手権では大学入学以降3連覇を達成している。
国際舞台でも無類の強さを誇る。大学2年時のU20世界選手権では、同大会において日本史上初となるフィールド種目で金メダルを獲得。さらに、昨年はアジア選手権、ユニバーシアードを制し、ドーハ世界選手権では8位入賞を果たした。
記録も順調に伸びている。一方で、アクシデントや悔しさも同じように経験してきた。
大学1年時の秋は脚を痛めて試合に出られず、踵を痛めたり、体調を崩したりといった危機もあった。ドーハでは入賞を果たしたものの、雰囲気にのまれた悔しさが募ったという。
跳躍のイメージも、レベルが上がるにつれて求めるものが高くなっていく。昨年、ユニバーシアードでファウルながら跳んだ1本はある程度、満足のいくものだったというが、それを超える跳躍はなかなか現れなかった。
それでも、焦ることなく、自分のやるべきことを明確に4年間取り組んできた。
コロナ禍の自粛期間中は「最低限の筋力が落ちないようにしていました」と言い、時には両親を“負荷”代わりにしてウエイトトレーニング。「父を担いでから母を担いで、重さを変えるイメージで」と笑う。
その両親は、ともに元日本記録保持者というトップアスリート。そのことばかりに注目が集まり「サラブレッド」と言われることも多い。以前、それについて聞いた時には「それも自分の特徴の一つ。“血”で強くなれるわけじゃないんで」と意に介する様子はない。多くの選手と同様、自分を磨き、成長してきた。
日本選手権で無敵を誇っている橋岡だが、実はインカレのタイトルは簡単に勝たせてもらえていない。
1年時は関東インカレ優勝、日本インカレ欠場。2年時は関東インカレ2位、日本インカレ優勝。昨年は関東インカレ3位、日本インカレ2位。津波をはじめ、多くのライバルがいたからで、橋岡を持ってしてもインカレを勝ち続けられないところも、走幅跳のレベルが高いことを証明している。
「今日の跳躍はユニバーシアードの時より良かったと思います。やっと自分が思っていた助走ができました。一段階上がった感じ。これでようやく世界と戦える」
この記録で、橋岡は今季の世界ランキングトップに立った。来年、東京五輪イヤーに「世界ランキング1位」として迎えたらどう? そんなことを聞いてみた。
「それ、いいッスね。ワールドリーダーとして来年か。この後、世界ってどれくらい試合残ってるかな……。そんなに多くないですよね」
数日後、中国選手権でワールドリーダーの座は譲った。だが、元々8m29のままでいるつもりはみじんもない。
「うまく準備してきたことが出せました。8m32の更新も近いと思いますし、日本記録(8m40)にも挑戦できる」
10月の日本選手権。舞台は同じ新潟。
「気分良く戻ってこられますね。約1ヵ月前に同じ場所で競技会が開かれてありがたい。僕の記録で他の選手も闘志を燃やしてくると思うので、それに負けじと準備していきたいです」
橋岡は有言実行の男だ。そして、自分自身を決して過大評価も、過小評価もしない。最後の日本インカレは、世界へとつながる大いなる助走だった。日本選手権4連覇、日本記録の更新、そしてワールドリーダーとして“オリンピックイヤー”を迎え、世界と戦う。そのすべてを実現する準備は整った。
文/向永拓史

「やっと世界で戦える」
これほどまでに充実感と高揚感を漂わせるのは珍しい。インターハイを勝ち、日本選手権を連覇し、U20と学生のカテゴリーでは世界一にもなった。橋岡優輝は勝っても負けても冷静。常に自分を客観視し、有言実行してきた。 「やっと自分が思っていた跳躍ができた。これで世界と戦える」 その表情は落ち着きながらも、自信と手応えを確かにつかんだのがわかるほど、昂ぶっていた。 1回目は7m92(+1.1)。「ゴールデングランプリでは、助走の重心が少し浮いていて乱れていました」。走幅跳と始めてから、常に意識してきた地面を捉える助走。だが、スピードが上がったことも影響してなかなか感覚がかみ合わない。渋い表情だった。 しかし、2回目。8m06(-0.2)の大きなジャンプを見せた。直後、スタンドに向かってこう話した。 「やっと助走を思い出しました」 3回目はファウル。だが、動きは明らかに良くなった。 通常、前半3回、後半3回の合計6回の試技で行われるが、新型コロナウイルスの影響により前後半2回ずつで実施されたため、これが橋岡にとって日本インカレ最後の跳躍となる。 普段から仲が良い1学年上の津波響樹(東洋大→大塚製薬)から、試合前にこんな言葉をかけられていた。 「大会記録(8m09)を塗り替えてきてよ」 最後の跳躍がスタート。助走の出だしから、1歩、1歩、スケールがケタ違いだった。まるで海外の選手を見ているようにグイグイと加速し、そのスピードを維持したまま大きく跳び上がる。 8mを超えて着地。これまで空中動作で傾き気味だった軸も耐えた。橋岡らしい美しい流れの跳躍に、力強さが加わった大きなジャンプ。記録は8m29(-0.6)。最後の跳躍で大会記録を塗り替えるあたり、さすが千両役者だ。 この記録は自身のセカンドベスト。1年前のAthlete Night Games(福井)で跳んだ8m32(当時日本新)に迫った。その時と違うのは、跳んだ直後の表情。福井では首を傾げながら「あの悪い流れでそこまで跳べたのか」と感じていたが、この日は「助走の流れもよく、スムーズに跳躍にいけた」。記録を確認すると、拳を握りしめた。大喜びというよりも、今の跳躍を噛みしめている表情。 400mを制した、かわいがっている日大の後輩・井上大地を見つけると、「一緒に写真撮ってもらおう」とおどける。だが、照れた井上には逃げられてしまい苦笑いだった。 「助走は練習でも試行錯誤していて、ゴールデングランプリからまだ引きずっていたのですが、試合の雰囲気の中で噛み合ったと思います」 最後の日本インカレで2年ぶり優勝を果たし、チームの総合優勝奪還にも貢献した。ワールドリーダーとして2021年を
橋岡のキャリアを振り返れば、順調そのものだ。八王子高校時代には、トップジャンパーだった渡邉大輔先生の薫陶を受け、日大に進んでからは元日本記録保持者の森長正樹コーチに師事。高3時にインターハイを制し、日本選手権では大学入学以降3連覇を達成している。 国際舞台でも無類の強さを誇る。大学2年時のU20世界選手権では、同大会において日本史上初となるフィールド種目で金メダルを獲得。さらに、昨年はアジア選手権、ユニバーシアードを制し、ドーハ世界選手権では8位入賞を果たした。 記録も順調に伸びている。一方で、アクシデントや悔しさも同じように経験してきた。 大学1年時の秋は脚を痛めて試合に出られず、踵を痛めたり、体調を崩したりといった危機もあった。ドーハでは入賞を果たしたものの、雰囲気にのまれた悔しさが募ったという。 跳躍のイメージも、レベルが上がるにつれて求めるものが高くなっていく。昨年、ユニバーシアードでファウルながら跳んだ1本はある程度、満足のいくものだったというが、それを超える跳躍はなかなか現れなかった。 それでも、焦ることなく、自分のやるべきことを明確に4年間取り組んできた。 コロナ禍の自粛期間中は「最低限の筋力が落ちないようにしていました」と言い、時には両親を“負荷”代わりにしてウエイトトレーニング。「父を担いでから母を担いで、重さを変えるイメージで」と笑う。 その両親は、ともに元日本記録保持者というトップアスリート。そのことばかりに注目が集まり「サラブレッド」と言われることも多い。以前、それについて聞いた時には「それも自分の特徴の一つ。“血”で強くなれるわけじゃないんで」と意に介する様子はない。多くの選手と同様、自分を磨き、成長してきた。
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