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連覇逃した北口榛花「世界大会の借りは世界大会でしか返せない」これまでと同じように涙を糧に/東京世界陸上
連覇逃した北口榛花「世界大会の借りは世界大会でしか返せない」これまでと同じように涙を糧に/東京世界陸上

まさかの予選落ちとなった北口榛花。グラウンドを去る際には涙をこらえきれなかった

◇東京世界陸上(9月13日~21日/国立競技場) 7日目

東京世界陸上7日目のイブニングセッションが行われ、女子やり投予選に連覇を狙う北口榛花(JAL)が出場。A組に入った北口は60m38で組8位で試技を終えた。B組の結果、決勝に進む12人に入れない全体14位。連覇を逃し、19年ドーハ大会以来の予選敗退となった。

1投目に60m31を投げた後は笑顔も見せ、「少しホッとした」と安堵感があった。2投目は「昔の自分の投げに近い」と振り返り、60m38をマーク。記録を伸ばせそうな手応えはあったという。しかい、3回目は「投げ急いでしまった」と、58m80にとどまった。

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スタンドには、地元・旭川から高齢になる祖母も含めた家族たち、JALの大応援団、トレーナー、栄養士、チェコからディヴィッド・セケラック・コーチ一家も駆けつけて見守ってくれた。さらに、満員のスタンドの観客が、大きな拍手を世界女王に送っていた。

「今シーズン、最初から厳しかったけど、東京世界陸上という“ゴール”があったから頑張れた」

3回の試技を終えると、全体が終わるまでベンチで待った。時折、タオルで涙を拭い、いつも戦っているライバルが慰めてくれる。涙を浮かべ、下を向いたり、天を仰いだり。ピットを離れると、スタンドから拍手。ケガを乗り越えてこの舞台に立ったことをみなが理解している。

23年ブダペスト優勝、24年パリ五輪金メダル。この種目初の“3連勝”を懸けたシーズンは苦しい船出だった。初戦だったダイヤモンドリーグ(DL)上海・紹興は60m88の4位。本調子でないのは明らかだった。

パリ五輪のあと、鍛錬期が始まってからは、これまでやってきたスイミングやバドミントン、クロスカントリースキー、スケートなどに加え、柔道やダンス、オペラの発声など、新しい感覚を得るためにさまざまなことに取り組んだ。もちろん、従来のやり投のトレーニングもフルメニューこなして。“熟練者”に習いにいくために、早朝をトレーニング時間に充てるなど工夫した。

昨年、シーズン直前にトレーニング過多になった影響もあり、今年は国内合宿を組むなど、これまでと違ったアプローチ。チームスタッフも少し手を加えて再構築し、世界大会3連覇への準備を整えた。

5月のセイコーゴールデングランプリ(64m16)、6月にもDLオスロで64m63、ゴールデンスパイクで63m88と順調に見えたが、実はセイコーの後のDLラバトを見送った際、体調不良に加えて左足首の痛みが出た。さらに、ゴールデンスパイクで右肘に違和感があり、帰国後にすぐ診察へ。「右肘内側上顆炎」と診断され、2ヵ月半試合から遠ざかった。シーズン中の“離脱”は、16年の右肘、21年の東京五輪での左脇腹肉離れに続いて3度目だ。

日本選手権を見送り、しばらくは様子を見ながら、「課題だった下半身など」を中心にトレーニングを再開。肘は順調に回復したが、「痛みが出たらと思うと怖くて、練習でもなかなか投げられなかった。もう一度ケガをすると戻れないというのが怖かったです。練習だと安全に投げてしまっていました」。

過去、コーチが不在となって体重が激減した日大時代に苦しくてもグラウンドに顔を出したように、今回も目の前の現実から逃げなかった。「東京世界陸上があったから、やっぱり練習に戻ろうっていう気持ちになれた。素敵なゴールを作ってくださったみなさんに感謝したい」。

8月のDL2連戦で復帰すると、ファイナルでは60m台まで戻し、「やっと振り切れた」。トルコで最終合宿を行い、セケラック・コーチも「準備は整った。コンディションはブダペストと同じかそれ以上」と語っていた。北口自身も「腕以外のコンディションはパリ五輪前よりも仕上がっています」と、あとはどれだけ恐怖心に打ち勝つかだけだった。

大会前、最後の投てき練習。ケガをして以降、初めて保護テープを外し、「感覚が良かった」。16年に肘を痛めた後も長くサポーターを巻いていたが、19年春に初めて外して投げた試合で当時日本新の64m36。リミッターを外す準備は整ったように思えた。

女王としてプレッシャーは「感じなかった」。競技場に「入るまで緊張」し、「入ってからは世界大会だなって」と思ったのはいつも通り。だが、重圧がゼロかと言えば、そんなはずはない。この2年間、常にそれと戦ってきた。

今回、肘の痛みに屈したのではなかったが、練習で力を入れられない状況に、「正直、どこまで飛んでいくか想像できないまま練習していたという不安があった」。戻すには、ほんの少しだけ時間が足りなかった。

ファンの間では笑顔の印象が強いだろう。だが、北口はいつも涙を流して強くなってきた。スイミングに夢中だった時は、ゴーグルに涙を溜めながら泳いでいた。バドミントンで負けた時は、大の字にうつ伏せて泣き続けたという。そうやって強くなり、世界一に上り詰めた。

「ここで決勝に残れなかったからって人生が終わりだなんて思いません」。勝つときもあれば、負けるときもある。元アスリートである母が幼い頃の北口に贈った言葉。それがずっと心に刻まれている。自国開催は確かに特別な舞台だが、予選落ちに終わったからといって、2度の世界一と金メダル、ここまで陸上界を盛り上げ続けてきた功績が霞むことはない。

まずは休養が必要だ。今年だけじゃない。ここ数年、ずっと心と身体を犠牲にしてきた。

「自分の頭が絶対に肘を考えないで、すべての練習をできるのが一番。ちょっと長い休みは必要かもしれませんが、強くなってちゃんと戻ってきたい。世界大会の借りは世界大会でしか返せない」

来年は21年東京五輪から続いた連続での世界大会が一区切り。再びの世界一、北口らしい笑顔とビッグスロー、夢見る世界記録へ――。この日の涙がきっと大きな糧になる。

文/向永拓史

◇東京世界陸上(9月13日~21日/国立競技場) 7日目 東京世界陸上7日目のイブニングセッションが行われ、女子やり投予選に連覇を狙う北口榛花(JAL)が出場。A組に入った北口は60m38で組8位で試技を終えた。B組の結果、決勝に進む12人に入れない全体14位。連覇を逃し、19年ドーハ大会以来の予選敗退となった。 1投目に60m31を投げた後は笑顔も見せ、「少しホッとした」と安堵感があった。2投目は「昔の自分の投げに近い」と振り返り、60m38をマーク。記録を伸ばせそうな手応えはあったという。しかい、3回目は「投げ急いでしまった」と、58m80にとどまった。 スタンドには、地元・旭川から高齢になる祖母も含めた家族たち、JALの大応援団、トレーナー、栄養士、チェコからディヴィッド・セケラック・コーチ一家も駆けつけて見守ってくれた。さらに、満員のスタンドの観客が、大きな拍手を世界女王に送っていた。 「今シーズン、最初から厳しかったけど、東京世界陸上という“ゴール”があったから頑張れた」 3回の試技を終えると、全体が終わるまでベンチで待った。時折、タオルで涙を拭い、いつも戦っているライバルが慰めてくれる。涙を浮かべ、下を向いたり、天を仰いだり。ピットを離れると、スタンドから拍手。ケガを乗り越えてこの舞台に立ったことをみなが理解している。 23年ブダペスト優勝、24年パリ五輪金メダル。この種目初の“3連勝”を懸けたシーズンは苦しい船出だった。初戦だったダイヤモンドリーグ(DL)上海・紹興は60m88の4位。本調子でないのは明らかだった。 パリ五輪のあと、鍛錬期が始まってからは、これまでやってきたスイミングやバドミントン、クロスカントリースキー、スケートなどに加え、柔道やダンス、オペラの発声など、新しい感覚を得るためにさまざまなことに取り組んだ。もちろん、従来のやり投のトレーニングもフルメニューこなして。“熟練者”に習いにいくために、早朝をトレーニング時間に充てるなど工夫した。 昨年、シーズン直前にトレーニング過多になった影響もあり、今年は国内合宿を組むなど、これまでと違ったアプローチ。チームスタッフも少し手を加えて再構築し、世界大会3連覇への準備を整えた。 5月のセイコーゴールデングランプリ(64m16)、6月にもDLオスロで64m63、ゴールデンスパイクで63m88と順調に見えたが、実はセイコーの後のDLラバトを見送った際、体調不良に加えて左足首の痛みが出た。さらに、ゴールデンスパイクで右肘に違和感があり、帰国後にすぐ診察へ。「右肘内側上顆炎」と診断され、2ヵ月半試合から遠ざかった。シーズン中の“離脱”は、16年の右肘、21年の東京五輪での左脇腹肉離れに続いて3度目だ。 日本選手権を見送り、しばらくは様子を見ながら、「課題だった下半身など」を中心にトレーニングを再開。肘は順調に回復したが、「痛みが出たらと思うと怖くて、練習でもなかなか投げられなかった。もう一度ケガをすると戻れないというのが怖かったです。練習だと安全に投げてしまっていました」。 過去、コーチが不在となって体重が激減した日大時代に苦しくてもグラウンドに顔を出したように、今回も目の前の現実から逃げなかった。「東京世界陸上があったから、やっぱり練習に戻ろうっていう気持ちになれた。素敵なゴールを作ってくださったみなさんに感謝したい」。 8月のDL2連戦で復帰すると、ファイナルでは60m台まで戻し、「やっと振り切れた」。トルコで最終合宿を行い、セケラック・コーチも「準備は整った。コンディションはブダペストと同じかそれ以上」と語っていた。北口自身も「腕以外のコンディションはパリ五輪前よりも仕上がっています」と、あとはどれだけ恐怖心に打ち勝つかだけだった。 大会前、最後の投てき練習。ケガをして以降、初めて保護テープを外し、「感覚が良かった」。16年に肘を痛めた後も長くサポーターを巻いていたが、19年春に初めて外して投げた試合で当時日本新の64m36。リミッターを外す準備は整ったように思えた。 女王としてプレッシャーは「感じなかった」。競技場に「入るまで緊張」し、「入ってからは世界大会だなって」と思ったのはいつも通り。だが、重圧がゼロかと言えば、そんなはずはない。この2年間、常にそれと戦ってきた。 今回、肘の痛みに屈したのではなかったが、練習で力を入れられない状況に、「正直、どこまで飛んでいくか想像できないまま練習していたという不安があった」。戻すには、ほんの少しだけ時間が足りなかった。 ファンの間では笑顔の印象が強いだろう。だが、北口はいつも涙を流して強くなってきた。スイミングに夢中だった時は、ゴーグルに涙を溜めながら泳いでいた。バドミントンで負けた時は、大の字にうつ伏せて泣き続けたという。そうやって強くなり、世界一に上り詰めた。 「ここで決勝に残れなかったからって人生が終わりだなんて思いません」。勝つときもあれば、負けるときもある。元アスリートである母が幼い頃の北口に贈った言葉。それがずっと心に刻まれている。自国開催は確かに特別な舞台だが、予選落ちに終わったからといって、2度の世界一と金メダル、ここまで陸上界を盛り上げ続けてきた功績が霞むことはない。 まずは休養が必要だ。今年だけじゃない。ここ数年、ずっと心と身体を犠牲にしてきた。 「自分の頭が絶対に肘を考えないで、すべての練習をできるのが一番。ちょっと長い休みは必要かもしれませんが、強くなってちゃんと戻ってきたい。世界大会の借りは世界大会でしか返せない」 来年は21年東京五輪から続いた連続での世界大会が一区切り。再びの世界一、北口らしい笑顔とビッグスロー、夢見る世界記録へ――。この日の涙がきっと大きな糧になる。 文/向永拓史

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