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2025.02.14

最後の箱根路/中大・園木大斗 左膝の痛みで5区しかなかった舞台 「後悔は少しもありません」
最後の箱根路/中大・園木大斗 左膝の痛みで5区しかなかった舞台 「後悔は少しもありません」

5区で区間6位と力走した中大の園木大斗

第101回箱根駅伝で力走した選手たちがいる。日の目を見た選手以外もそれぞれの思いを胸に秘め、必死でタスキをつないだ。毎年行われる箱根路でも「第101回」は一度のみ。そんな“最後”の舞台を駆け抜けた選手たちの奮闘を紹介する。

初の箱根駅伝で粘りの力走

小田原中継所で中大・園木大斗(4年)はそわそわしていた。初めての箱根駅伝を前にした喜びや、トップを走れる高揚感はなかった。あったのは、押しつぶされそうな重圧と緊張感。1区の吉居駿恭(3年)が序盤で飛び出した瞬間からそれは始まり、後輩たちの快走が続くほど、ネガティブな思いは強くなっていた。

4区の白川陽大(3年)からトップでタスキを受けたとき、2位の青学大とは45秒差。レース前の「チーム目標が7位だったので、5位くらいで来るかな」という想定とは全く違った展開だった。

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「まずまずの状態で当日を迎えましたが、1番脅威だった若林君(宏樹、青学大4)がすぐ後ろにいるというのが絶望的で、正直、スタート前から緊張と焦りがやばかったです」

設定タイムは1時間10分30秒だったものの、「逃げなきゃ」という必死の思いがレースプランを狂わせた。「突っ込み過ぎました。上りに入ってから露骨に失速してしまいました」。9.5kmで青学大に首位を譲った場面は、「きつすぎてあまり覚えていない」と言う。

ただ、「あそこで無理をしてついて行ったら、さらに失速していた。つかずに自分の走りをしたのは良かったです」と振り返るように、そこから持ち前の粘りを発揮。区間6位の力走で2位のポジションを死守し、芦ノ湖の往路フィニッシュを果たした。

それでも悔いは残る。「監督も『100点満点の走りだった』と言ってくれましたし、チームの順位も悪くはなかったと思います。でも、個人的にはあの順位でタスキをもらったら、1位で持っていくのが仕事だったので、どうしても後悔は残ります。たった1回の箱根のチャンスでしたから、完全に後悔なく終わらせたかったです」。

園木は幼少の頃に陸上競技と出合った。箱根駅伝のテレビ中継を見ていたとき、かつて中大で主務をしていた父が「俺は箱根を走ることができなかったんだ」と口にした。自身の記憶はおぼろげだが、「じゃあ、俺が代わりに走る」と言ったらしい。

小学6年まで熱中したサッカーとともに、週1回は地元の陸上クラブチームに通い始め、中学からは陸上一本の生活に。熊本・開新高3年時にはインターハイの5000mに出場し、全国高校駅伝ではエース区間の1区を走った。

2020年春、中大に進んだのは「せっかくなら、父と同じユニフォームを着て箱根で 走りたい」と思ったからだ。当初は「自分の陸上人生は大学4年まで。4年間で1回、箱根に出られれば満足」と考えていた。そんな矢先にコロナ禍が始まり、部は一時解散。自宅に帰っても寮に残っても良いということになった。

「先輩たちはほとんど帰りましたが、1年生は自分も含め、新しい環境に慣れたいからと残った人が多かったです。そのあいだ、(藤原正和)監督がつきっきりで1年生を見てくださって、試合がなかった3ヵ月でしっかり練習を積むことができました」

入学前の3月の中大記録会で29分48秒64だった10000mのタイムは、6月に29分11秒台に短縮し、11月に29分06秒35まで伸ばした。さらに1年生ながら箱根駅伝予選会に出場。本戦のエントリーメンバーにも名を連ねている。

その本戦は「合宿中の一番大事なポイント練習を外してしまった」ことで出走はならなかったが、園木は「さすがに来年は走れるだろう」と悲観することはなかった。

第101回箱根駅伝で力走した選手たちがいる。日の目を見た選手以外もそれぞれの思いを胸に秘め、必死でタスキをつないだ。毎年行われる箱根路でも「第101回」は一度のみ。そんな“最後”の舞台を駆け抜けた選手たちの奮闘を紹介する。

初の箱根駅伝で粘りの力走

小田原中継所で中大・園木大斗(4年)はそわそわしていた。初めての箱根駅伝を前にした喜びや、トップを走れる高揚感はなかった。あったのは、押しつぶされそうな重圧と緊張感。1区の吉居駿恭(3年)が序盤で飛び出した瞬間からそれは始まり、後輩たちの快走が続くほど、ネガティブな思いは強くなっていた。 4区の白川陽大(3年)からトップでタスキを受けたとき、2位の青学大とは45秒差。レース前の「チーム目標が7位だったので、5位くらいで来るかな」という想定とは全く違った展開だった。 「まずまずの状態で当日を迎えましたが、1番脅威だった若林君(宏樹、青学大4)がすぐ後ろにいるというのが絶望的で、正直、スタート前から緊張と焦りがやばかったです」 設定タイムは1時間10分30秒だったものの、「逃げなきゃ」という必死の思いがレースプランを狂わせた。「突っ込み過ぎました。上りに入ってから露骨に失速してしまいました」。9.5kmで青学大に首位を譲った場面は、「きつすぎてあまり覚えていない」と言う。 ただ、「あそこで無理をしてついて行ったら、さらに失速していた。つかずに自分の走りをしたのは良かったです」と振り返るように、そこから持ち前の粘りを発揮。区間6位の力走で2位のポジションを死守し、芦ノ湖の往路フィニッシュを果たした。 それでも悔いは残る。「監督も『100点満点の走りだった』と言ってくれましたし、チームの順位も悪くはなかったと思います。でも、個人的にはあの順位でタスキをもらったら、1位で持っていくのが仕事だったので、どうしても後悔は残ります。たった1回の箱根のチャンスでしたから、完全に後悔なく終わらせたかったです」。 園木は幼少の頃に陸上競技と出合った。箱根駅伝のテレビ中継を見ていたとき、かつて中大で主務をしていた父が「俺は箱根を走ることができなかったんだ」と口にした。自身の記憶はおぼろげだが、「じゃあ、俺が代わりに走る」と言ったらしい。 小学6年まで熱中したサッカーとともに、週1回は地元の陸上クラブチームに通い始め、中学からは陸上一本の生活に。熊本・開新高3年時にはインターハイの5000mに出場し、全国高校駅伝ではエース区間の1区を走った。 2020年春、中大に進んだのは「せっかくなら、父と同じユニフォームを着て箱根で 走りたい」と思ったからだ。当初は「自分の陸上人生は大学4年まで。4年間で1回、箱根に出られれば満足」と考えていた。そんな矢先にコロナ禍が始まり、部は一時解散。自宅に帰っても寮に残っても良いということになった。 「先輩たちはほとんど帰りましたが、1年生は自分も含め、新しい環境に慣れたいからと残った人が多かったです。そのあいだ、(藤原正和)監督がつきっきりで1年生を見てくださって、試合がなかった3ヵ月でしっかり練習を積むことができました」 入学前の3月の中大記録会で29分48秒64だった10000mのタイムは、6月に29分11秒台に短縮し、11月に29分06秒35まで伸ばした。さらに1年生ながら箱根駅伝予選会に出場。本戦のエントリーメンバーにも名を連ねている。 その本戦は「合宿中の一番大事なポイント練習を外してしまった」ことで出走はならなかったが、園木は「さすがに来年は走れるだろう」と悲観することはなかった。

卒業を1年延長し、念願の箱根路へ

2年目も6月の全日本大学駅伝選考会で最終組を任され、7月には5000mで初の13分台突入(13分59秒86)と、トラックシーズンは順調だった。 しかし、夏に故障したことに加え、原因不明の慢性的な横腹の痛みが続き、箱根予選会や全日本大学駅伝はエントリー漏れした。箱根本戦はなんとかエントリーされたものの、出走は叶わず、園木は「夏の取り組みが大事だということを痛感しました」と振り返る。 園木が本当に苦しむのは3年目の秋からだった。前年同様、トラックシーズンは10000mで初の28分台(28分52秒35)をマークするなど好調だったが、9月の山形・蔵王合宿中に右膝を痛め、それが長引くことになる。 「なかなか治らなかったので、病院でレントゲンやMRIを撮りましたが、膝に異常はないという診断しか出なくて……。何か原因が分かれば対処法もあるのですが、炎症もなく、何で痛いのかずっと原因が分かりませんでした」 駅伝シーズンはおろか、4年目のシーズンに入ってもトレーニングルームでトレーニングをしたり、バイクを漕ぐだけの状況は変わらない。6月に藤原監督から「外に出て日光を浴びた方が良い」と言われ、サイクリングを始めたが、園木は当時の自身を「陸上部員じゃないみたいでした」と自嘲気味に笑う。 「他の部員とはトレーニングルームで一緒になることはありましたが、その後、みんなが元気に外に走りに行く姿が、見ていて本当に辛かったです」 さらに8月には、内定が決まっていた実業団から内定取り消しの連絡が入る。単位は4年生の前期にすべて取得し終わり、「このままでは自動的に卒業になってしまう。本当にどうしようという感じで、お先真っ暗でした」というのは素直な気持ちだっただろう。 「トレーニングルームに来て、ただトレーニングをして帰るだけ」と言う園木の言葉を借りれば、「暗黒時代」は突如として終わりを迎える。9月に何の前触れもなく、右膝の痛みが急になくなったのだ。 内定取り消しを受けたとき、藤原監督からは「卒業延長という制度がある。もう1年残って競技を続けないか」と持ち掛けられていた。もう1年残るとなれば、お金がかかることを心配したが、両親と相談した上で卒業延長を決めた。箱根駅伝を走りたい思いもなくはなかったが、それ以上に就職先を見つけることのほうが重要だった。 大学5年目が始まると、藤原監督が親身になって動いてくれたこともあり、就職先は春に決まった。ようやく競技に集中できる環境を手にし、7月には10000mで28分29秒78をマークする。しかし、再び9月に今度は左膝を痛めてしまう。 「症状が右膝の時と同じ感じでした。だから、病院に行っても意味ないし、このまま治るのを待っていたら今シーズンも終わるなと。そんな状況で、平地や下りは走れなかったですが、上りだけなら痛みが軽減されて辛うじて走れる。そこからはひたすら上りだけを走っていました」 入学当初、箱根でどの区間を走りたいかと聞かれれば、決まって「5区か6区以外」と答えていた。しかし、平地や下りを走るのが難しいいま、箱根を目指すなら5区しかなかった。そのようにして園木は、最初で最後の箱根を5区で挑むことになった。 5年間の大学生活を改めて振り返ると、苦しい時期のほうが長かった。そこで学んだのは、「どんな状況に陥っても、諦めなければいつか夢はかなえられる」という思いだ。卒業を1年伸ばしたことも、両親や藤原監督など支えてくれた人たちに感謝の気持ちこそあれど、「後悔は少しもありません」と笑顔で話す。 卒業後は大阪ガスに入社する。「自分の陸上のゴールはもともと箱根駅伝だったので、今はまだ先の目標を見つけられていません。モチベーションを高める意味でも、そろそろ目標を再設定しないといけませんが、とりあえずマラソンには挑戦したいと思っています」。 業務もフル勤務に近いかたちを求められているが、園木は「引退した後に会社に残ったとき、仕事をわからなくて困るという状況になりたくないです」と意欲も高い。 思い描いていた大学生活ではなかった。「暗黒時代」は心も身体も苦しく、歩むべき道を何度も見失いそうになった。しかし、決して競技を辞めなかったことが、園木の夢の実現につながった。今後の競技人生でうまくいかない場面が来たとしても、大学5年間の経験がそれを乗り越えるための糧になるに違いない。 [caption id="attachment_127554" align="alignnone" width="800"] 青学大には逆転を許したが、園木は2位でフィニッシュして名門校としての存在感を示した[/caption] 園木大斗(そのき・だいと:中大)/2002年1月15日生まれ。熊本市出身。開新高卒。自己ベストは5000m13分59秒86、10000m28分29秒78、ハーフ1時間3分40秒。 文/小野哲史

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