2024.08.31
山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!
第48回「パリオリンピックに寄せて~信頼関係の大切さ~」
2024パリオリンピックが華やかなスポーツの祭典を印象づけて開催された。
華の都パリを彷彿とさせる演出で、セーヌ川を舞台に繰り広げられた開会式。選手たちが通過する航路を「自由」・「平等」・「スポーツマンシップ」・「暗闇」・「連隊」・「シンクロシティー(共時性)」など12のブロックに分け、スポーツという文化が多様性の受け入れや優しさ、寛容さなどの役割を担いどのような影響があるのかを表現していた。
それを受け、今回のパリ大会は「Games Wide Open:広く開かれた大会」をテーマに17日間の熱闘が繰り広げられた。
すべての会場がアスリートや観客、テレビ視聴者にとって壮観で見応えのある舞台となり、時差と睡眠不足を感じさせぬほど熱戦を満喫させてもらった。
近代オリンピックの歴史は、さまざまな社会情勢の変節を乗り越え、その世代を担うアスリートたちの熱きパフォーマンスの舞台を提供し続けてきたこととして刻まれている。
思い起こせばコロナ禍で1年遅れの開催となった東京オリンピックとの対比がどうしても脳裏をよぎる。
スタンドを埋め尽くす大観衆の声援の中でプレーする選手と、無観客の静まり返ったスタジアムで死力を振り絞る選手に違いなどあるはずはない。そうであるならばあの国立競技場を埋め尽くす観衆の中でプレーさせてあげたかったと回顧したのは私だけではないだろう。
1年間の延期を経て開催された東京オリンピックでも、世の中はまだまだ有観客での開催ができぬほどの感染状況であった。単なる災難を乗り切ったオリンピックではなく、この運営ノウハウは今後のあらゆるリスクマネージメントの指標を提示することができた貴重な大会であったと確信している。
そのようにパリオリンピックの、選手の熱量を反映する、観衆の燃え上がるような声援を、ライブ中継で見守りつつしみじみ思った。
今となってはコロナ禍も、“喉元過ぎればなんとやら”の感が否めなくなっている。しかしながら、コロナ禍の感染症対策を乗り越え“New Normal”の時代を耐え忍んだ選手たちが、解き放たれたように盛夏の日本国内でも、全日本中学選手権や全国高校総体で熱闘を繰り広げられている。
そしてその延長線上に、今回女子やり投で金メダルを獲得した北口榛花さん(JAL)が満面の笑みと喜びを爆発させるように、オリンピックスタジアムで打ち鳴らした鐘の音がある。
コロナ禍で不自由な練習環境と大会の中止などで競技会にさえ出場の機会が与えられなかった全ての競技者に「苦難を乗り越えた先にこそこの喜びがあるんだ!」と励ますかのごとく響き渡った。
そのオリンピック終了後の山梨県内の清里にて、馬術でご活躍されている上野きりさんとお話をさせていただく機会があった。パリオリンピックでは、総合馬術団体で“初老ジャパン”の愛称で挑んだ日本代表が、オリンピック史上初となる銅メダルを獲得した後であったこともあり、話がはずんだ。
話の中で、乗馬は“人馬一体”という言葉があるように、騎手と馬がなだらかで巧みな連携が行われていることが最良である。それには騎手と馬との言葉ではないコミュニケーションが成立しなければならないこと。さらには、騎手の不安や緊張・焦りは馬に備に伝わっていることと同時に、騎手は馬のそのような感情を機敏に感じ取り手綱を裁かなければ成らないことなどお聞きした。
その話の中で、東京オリンピック近代五種でのできごとの話となった。(前日までメダル圏内にいたドイツのアニカ・シュロイ選手の騎乗する馬が、障害の飛越を拒否したことから、キム・ライスナーコーチが「馬を叩け」と指示し、コーチが自らの拳で一度、殴っている様子が映像に記録された。そのことによりコーチが追放処分を受けた事案)
近代五種の馬術で騎乗する馬は大会主催者が準備し、抽選でどの馬に騎乗するか決まる。出場するまでに馬との対面は20分と決められているそうだ。
東京オリンピックの後、その馬(セントボーイ号)には飛べない気難しい馬との評判が先行し、評価が下がってしまったという。その馬をなんとかしたいとオリンピック直後の秋に引き取り、小淵沢にある山梨県馬術競技場で再度“人馬一体”となるよう調教に取り組んだ青年がいると話された。
「実はその青年は上田先生の講義を受講していたんですよ」と言われてビックリ仰天した。
「アッ!堀田駿(ほった・しゅん)ですよね」と返答すると、「エッ覚えていらっしゃったのですか!」と驚かれた。(現在はドイツより帰国し青森県競技力向上対策本部スポーツ専門委員:馬術)
山梨学院大学スポーツ科学部の講義に、スポーツキャリア演習という科目がある。2年生約25名前後がランダムに割り当てられ、将来のキャリアスキル向上のため講義を担当する。
そういえば馬のことをやたらと熱く語って、卒業後はドイツへ行って世界に挑んでいる杉谷泰三氏の元へ修行に行く――と夢を語っていたことが記憶に刻まれていた。さらに名前が「ほりた」ではなく「ほった」。馬にちなんだのか“駿“ということもあり印象に残っていたからだ。
後日、彼に連絡をしたところ、「オリンピックに参加させる馬は決して飛べない馬ではない。何かしらの原因で騎手との信頼を損ねたり、障害への余計な恐怖が芽生えたりさまざまな原因がある、馬は言葉が話せません、それでも日々接しているとたくさんのことが伝わり分かってきます。それを日々の騎乗で、馬とのコミュニケーションを取ることによって、自信と本来の勇気を取り戻してあげることができると信じてやってきています。」と答えてくれた。
今は11月の日本選手権に向けて練習に励んでいるとのことだった。
この話を聞き、選手とコーチとの関係もかくあらんことを願うばかりであり、まだまだ自己研鑽せねば成らぬと自戒した。
きっと北口選手とチェコ人コーチのデービッド・スケラックさんもそのような師弟関係で歩んで来られたのかなと思ったりもした。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。 |
第48回「パリオリンピックに寄せて~信頼関係の大切さ~」
[caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] パリ五輪では17日間に及ぶ熱戦が繰り広げられた[/caption] 2024パリオリンピックが華やかなスポーツの祭典を印象づけて開催された。 華の都パリを彷彿とさせる演出で、セーヌ川を舞台に繰り広げられた開会式。選手たちが通過する航路を「自由」・「平等」・「スポーツマンシップ」・「暗闇」・「連隊」・「シンクロシティー(共時性)」など12のブロックに分け、スポーツという文化が多様性の受け入れや優しさ、寛容さなどの役割を担いどのような影響があるのかを表現していた。 それを受け、今回のパリ大会は「Games Wide Open:広く開かれた大会」をテーマに17日間の熱闘が繰り広げられた。 すべての会場がアスリートや観客、テレビ視聴者にとって壮観で見応えのある舞台となり、時差と睡眠不足を感じさせぬほど熱戦を満喫させてもらった。 近代オリンピックの歴史は、さまざまな社会情勢の変節を乗り越え、その世代を担うアスリートたちの熱きパフォーマンスの舞台を提供し続けてきたこととして刻まれている。 思い起こせばコロナ禍で1年遅れの開催となった東京オリンピックとの対比がどうしても脳裏をよぎる。 スタンドを埋め尽くす大観衆の声援の中でプレーする選手と、無観客の静まり返ったスタジアムで死力を振り絞る選手に違いなどあるはずはない。そうであるならばあの国立競技場を埋め尽くす観衆の中でプレーさせてあげたかったと回顧したのは私だけではないだろう。 1年間の延期を経て開催された東京オリンピックでも、世の中はまだまだ有観客での開催ができぬほどの感染状況であった。単なる災難を乗り切ったオリンピックではなく、この運営ノウハウは今後のあらゆるリスクマネージメントの指標を提示することができた貴重な大会であったと確信している。 そのようにパリオリンピックの、選手の熱量を反映する、観衆の燃え上がるような声援を、ライブ中継で見守りつつしみじみ思った。 今となってはコロナ禍も、“喉元過ぎればなんとやら”の感が否めなくなっている。しかしながら、コロナ禍の感染症対策を乗り越え“New Normal”の時代を耐え忍んだ選手たちが、解き放たれたように盛夏の日本国内でも、全日本中学選手権や全国高校総体で熱闘を繰り広げられている。 そしてその延長線上に、今回女子やり投で金メダルを獲得した北口榛花さん(JAL)が満面の笑みと喜びを爆発させるように、オリンピックスタジアムで打ち鳴らした鐘の音がある。 コロナ禍で不自由な練習環境と大会の中止などで競技会にさえ出場の機会が与えられなかった全ての競技者に「苦難を乗り越えた先にこそこの喜びがあるんだ!」と励ますかのごとく響き渡った。 [caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] スタジアム内に設置された鐘[/caption] そのオリンピック終了後の山梨県内の清里にて、馬術でご活躍されている上野きりさんとお話をさせていただく機会があった。パリオリンピックでは、総合馬術団体で“初老ジャパン”の愛称で挑んだ日本代表が、オリンピック史上初となる銅メダルを獲得した後であったこともあり、話がはずんだ。 話の中で、乗馬は“人馬一体”という言葉があるように、騎手と馬がなだらかで巧みな連携が行われていることが最良である。それには騎手と馬との言葉ではないコミュニケーションが成立しなければならないこと。さらには、騎手の不安や緊張・焦りは馬に備に伝わっていることと同時に、騎手は馬のそのような感情を機敏に感じ取り手綱を裁かなければ成らないことなどお聞きした。 その話の中で、東京オリンピック近代五種でのできごとの話となった。(前日までメダル圏内にいたドイツのアニカ・シュロイ選手の騎乗する馬が、障害の飛越を拒否したことから、キム・ライスナーコーチが「馬を叩け」と指示し、コーチが自らの拳で一度、殴っている様子が映像に記録された。そのことによりコーチが追放処分を受けた事案) 近代五種の馬術で騎乗する馬は大会主催者が準備し、抽選でどの馬に騎乗するか決まる。出場するまでに馬との対面は20分と決められているそうだ。 東京オリンピックの後、その馬(セントボーイ号)には飛べない気難しい馬との評判が先行し、評価が下がってしまったという。その馬をなんとかしたいとオリンピック直後の秋に引き取り、小淵沢にある山梨県馬術競技場で再度“人馬一体”となるよう調教に取り組んだ青年がいると話された。 「実はその青年は上田先生の講義を受講していたんですよ」と言われてビックリ仰天した。 「アッ!堀田駿(ほった・しゅん)ですよね」と返答すると、「エッ覚えていらっしゃったのですか!」と驚かれた。(現在はドイツより帰国し青森県競技力向上対策本部スポーツ専門委員:馬術) 山梨学院大学スポーツ科学部の講義に、スポーツキャリア演習という科目がある。2年生約25名前後がランダムに割り当てられ、将来のキャリアスキル向上のため講義を担当する。 そういえば馬のことをやたらと熱く語って、卒業後はドイツへ行って世界に挑んでいる杉谷泰三氏の元へ修行に行く――と夢を語っていたことが記憶に刻まれていた。さらに名前が「ほりた」ではなく「ほった」。馬にちなんだのか“駿“ということもあり印象に残っていたからだ。 後日、彼に連絡をしたところ、「オリンピックに参加させる馬は決して飛べない馬ではない。何かしらの原因で騎手との信頼を損ねたり、障害への余計な恐怖が芽生えたりさまざまな原因がある、馬は言葉が話せません、それでも日々接しているとたくさんのことが伝わり分かってきます。それを日々の騎乗で、馬とのコミュニケーションを取ることによって、自信と本来の勇気を取り戻してあげることができると信じてやってきています。」と答えてくれた。 今は11月の日本選手権に向けて練習に励んでいるとのことだった。 この話を聞き、選手とコーチとの関係もかくあらんことを願うばかりであり、まだまだ自己研鑽せねば成らぬと自戒した。 きっと北口選手とチェコ人コーチのデービッド・スケラックさんもそのような師弟関係で歩んで来られたのかなと思ったりもした。上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。 |
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