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富士通長距離 コーチングスタッフ 誌上ミーティング 実業団駅伝「予選会落ち」からの再建のカギは?

2月末のびわ湖毎日マラソンで、鈴木健吾が2時間4分56秒の日本記録を樹立して優勝を飾ったのはまだ記憶に新しいが、1月1日の全日本実業団対抗駅伝で12年ぶりの優勝を飾ったのも富士通だった。さらに遡れば、2019年のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で中村匠吾が優勝し、富士通は男子マラソンの五輪代表を初めて送り出した。

ところが、その年の東日本実業団駅伝でまさかの17位。創部30周年を迎える記念の年に全日本大会への連続出場が「29」で途切れ、優勝経験のある名門チームはどん底に突き落とされた。このターニングポイントを経て、2020年度の富士通長距離ブロックのV字回復がある。なぜそれほど急に立て直しが図れたのか。どんなチームの再建策を講じたのか。富士通の福嶋正監督を始め長距離のコーチングスタッフに「誌上ミーティング」を開いてもらい、そのあたりを探ってみる。
●構成/小森貞子

<出席者>
福嶋 正(富士通陸上部監督)
吉川三男(富士通陸上部事務局長)
髙橋健一(長距離ブロック長兼駅伝監督)
三代直樹(長距離ブロックコーチ)
井野 洋(長距離ブロックコーチ)

悲願だった五輪のマラソン代表

──富士通は長距離だけでなく短距離やハードル、跳躍、競歩など陸上競技全般から選手を採用している日本で数少ない実業団チームですが、これまで5000m、10000m、マラソンでオリンピック代表を出せずにいました。しかし、男子マラソンで中村匠吾選手が東京五輪の代表に決まり、トラック種目でも複数で代表選手が出てきそうな勢いです。その裏側に迫りたいと思いますが、まずコーチのみなさんの業務分担を教えていただけますか。

福嶋 私と吉川で主にマラソンを見ていて、トラックは他の3人で適宜分担してやっています。練習スケジュールやメニューなどもそれぞれで立てますが、今は必ず月に1度ぐらいのスタッフ・ミーティングを開いて、そこで共有し、話し合ってから決めるようにしています。

──オリンピックの歴史を振り返ると、富士通勢はやはり伊東浩司さん(現・甲南大女子顧問)から始まる短距離選手の活躍が目を引きます。その中で、東京五輪には絶対にマラソンで代表を出すんだ、という福嶋監督の意気込みがすごかったですよね。

福嶋 そこは「何としてでも」と思っていました。それにはクリアしなければいけないハードルがあって、まず(五輪代表選考会となる)MGCのスタートラインに立たなければいけない。私はそのマラソンへの思い入れが深かったので、MGCに選手を出すということに、ものすごく力を注いだつもりです。でも、やっぱり苦労したんですよ。MGCへの参加資格が認められる1年目のシーズンに中村が1人決まりましたが、鈴木健吾と荻野皓平は2年目(2019年)になっても決められずに追い込まれて、最後のチャンスとなる4月のハンブルク・マラソン(ドイツ)まで引っ張ることになりました。

そのあたりはもう必死でした。とにかく「(MGCに)出さないとダメだ」という思いがあったので、個別の合宿をしたり、チーム全体のことよりそちらにエネルギーを注いでいましたね。

吉川 福嶋もそうですが、中村が大学時代から見てもらっているコーチの大八木(弘明)さん(駒大監督)も、まだマラソンでオリンピック選手を出していないので、それが事あるごとにボソッと出るのです。私は、中村が行ったMGC前の米国・ボルダーでの高地トレーニングにずっと同行していたのですが、大八木さんも福嶋も途中から来て、「どうしたらMGCで勝てるか」といつも話し合ってメニューを立てていました。

── 監督たちがMGCのほうに精力を注いでいる中で、留守を預かるコーチ陣はチーム状況をどう見ていましたか。

福嶋 もう一つ、「トラックでも代表を出す」という一方の目標があったので、そのあたりは井野が資料作りをしてくれたのですが、ポイントを取りに海外レースに出て行かないといけない。じゃあ、どの国のどういう試合に出て行けばいいのか。可能性のある選手には、そのアプローチもしたのです。長期的なビジョンで「ポイントを取りに行く」という考え方をしてスケジュールを組んだ。その取り組みは、チームとして早いほうだったと思います。それが積み重なって、今に生きていると思いますね。松枝(博輝)や坂東(悠汰)のポイントに反映されています。
※編集部注:4月6日時点の男子5000m世界ランキング(1ヵ国3人の換算)で松枝が日本勢トップの27位、坂東が35位で出場枠(42人)圏内にいる。

井野 もちろん2020年にオリンピックがあると思って、19年から取り組んでいましたよね。今思えば、その時期から始めたことで、世界を目指すにはどうしたらいいのかを、選手が本気で意識し始めました。代表になる、ならないは別として、駅伝やマラソンで競技力向上につながっていると思います。意識が変わりました。本当に世界を目指す選手たちと、我々スタッフとのコミュニケーションも増えて、いろいろなことを共有できました。

──19年は松枝、坂東、塩尻(和也)、潰滝(大記)の4選手が海外を転戦したのですね。

井野 行きましたけど、正直に言えば、全部はね返されて帰ってきたんですよ。試合が終わってすぐ、現地で本人たちと「これ、やっぱり全部取り組みを変えないと戦えないよな」と話した記憶があります。選手たちも現実を目の当たりにして、真剣に考えてくれましたね。「これぐらいやっていれば届くだろう」という自分たちの基準が、とにかく甘かった……。

チーム状況が悪化していった経緯

2019年はまさかの東日本予選敗退に終わったが、翌年は東日本、全日本と破竹の勢いで勝ち進んだ

──東京五輪を狙う主力選手たちが別行動をしている間、日本に残っている選手たちの様子はどうだったのでしょうか。

髙橋 チームの柱になる選手が全員海外へ行ってしまった、という状況ですよね。駅伝を目指していくには厳しいなぁ、と思っていました。さらにベナード・キメリが虫垂炎になったり、塩尻がケガをして帰国したり、どんどん選手がいなくなっていきました。

──駅伝監督としては、不安要素がいっぱいあったわけですね。

髙橋 それに追い打ちをかけるように、千葉県などを襲った台風被害です。停電も数日あったので、とにかくMGCに出る選手だけは何とかしようということでホテルに避難させましたが、寮にいる選手は練習ができない日もありました。

三代 19年は9月末からドーハ(カタール)で世界選手権がありましたからね。MGCが控えるマラソン組と、ポイントを狙って欧州に行っている世界選手権組と、国内に残っている組と、大きく3つぐらいに分かれてしまったのです。国内組は健一さんと私で見ていましたけど、ケガ明けの選手もいて、実力的にも駅伝メンバーに入れるかどうかの選手が多かったので、それなりの練習しかできなかったんですよね。

この続きは2021年4月14日発売の『月刊陸上競技5月号』をご覧ください。

 

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