2025.03.25
女子100mハードル日本記録保持者の福部真子(日本建設工業)がインタビューに応じ、昨年末に公表した「菊池病」と発覚した時の状況や、今の調子、復帰に向けた思いを聞いた。
「元気です!見てもらった通り!」。オンラインで画面越しに見た福部はいつもの笑顔だった。
パリ五輪にも出場した福部が、昨年12月3日にSNSで綴った長文。「11月19日に菊池病(組織球性壊死性リンパ節炎)と診断されました」。菊池病は発熱と頸部(首)のリンパ節腫脹という、良性なリンパ節炎とされ、東洋人、特に20~30代の女性に多く見られるという。原因不明の病気で、現代医学でも確立された治療法はない。1ヵ月から1年で自然軽快するとされるが、対症療法で経過を見るしかないという。
「10月中旬、朝起きたら首の辺りが激痛で、首を動かすのも痛かったんです。でも、最初は熱もなかったし、筋肉痛くらいかな、と普通に過ごしていたんです。その後は週1回ほど発熱を繰り返していたのですが、1日で熱は下がるし、だんだん痛みも引きました。新型コロナウイルスでもインフルエンザでもなかったです」
ただ、11月上旬にまた体調が悪化。再び39度の高熱が出たことで血液検査をしたが、最初は「異常なし」と診断。それでも熱が続き、もう一度血液検査をし、「菊池病の疑いがある」と精密検査した結果、11月19日に正式に菊池病と診断された。
「解熱剤を使えば下がるのですが、6時間くらいは空けないといけないじゃないですか。24時間のうち3時間は元気なんです。でも寒気が1時間半くらい続いて、暖房をつけて、毛布もかぶって、お腹と背中にカイロを貼っても寒気が収まらなかった。寒気が収まったらさらに熱が上がって、そこでようやく解熱剤です」
福部の言葉を借りれば、「地獄の日々」だと振り返る。
しかも、大会前には12秒69まで日本記録を更新して臨んだ。にもかかわらず、世界の壁に跳ね返された。「これ以上、何をすればいいのか」とショックを受けた。それでも、帰国後は陸上競技の“原点”に立ち返り、「アジア記録の12秒44」だけを目指して再スタート。気持ちを新たに、意気揚々と冬季練習に突入したばかりの出来事だった。
「やる気に満ちあふれていたんです。シーズン最終戦も調子が上がらず12秒81だったので、アベレージも上がって、身体の状態も悪くなかった。だから、マジか…って。3週間前にはあんなに動けて元気だったのに。引退しないといけないのかなっていうのは思いました。選手である以前に、1人の人間。競技なんてしている場合じゃないかもって」
救われたのは、同じ病気の人の体験談だった。「何がなんやらわからなかったのですが、Instagramで出てきた菊池病の体験談を見ると、徐々に良くなってくるという声が多かったんです」。ドーピング検査のための治療目的の申請をしてステロイドを服用。ようやく熱も収まった。
福部はこれまで、ケガや不調があっても、それを公言することはなかった。弱い部分をさらけ出すことはしない。ずっとそうやって戦ってきた。それでも、病のことを公表した。
「アスリートとしての葛藤はありました。でも、自分も体験談に救われましたし、やっぱり同じ病気になった人の助けになれば、と思ったんです。菊池病は診断されにくい病気。私は疑いを持ってくれて、精密検査までしてもらえたのでラッキーでした。同じ症状なのに診断してもらえないという声もあったので、公表したことで病気のことが認知されればと思いました」
その反響は大きく、特に子供が菊池病を患ったという保護者から多くのメッセージが届いた。「子供が福部さんも頑張っているから、今日も学校に行ってくると言っていました」という声が届いた時には「泣きそうになりました」と照れ笑いを浮かべた。
「生きてきて2週間もベッド生活をしたことがなかった。前と同じように動けない現実を受け入れる作業からでした。体重が3㎏減で済んだのは良かったほう。5分くらいしたら息切れするし、鉄棒を握るのも必死でした」
しばらくは高熱の後遺症とも言える関節痛や、手のしびれやめまいも残り、「地に足がついていない、ふわふわした感じ」だった。再開から1ヵ月ほど経った12月中旬くらいにようやく「目がぱきっとしはじめました」。ただ、一番怖いのが再び熱が出ること。「完治、というのはないみたいです。死ぬまで発症しなければいいな、という感じです」。再発する条件が明確ではないが、「熱が出ないように頑張り過ぎないようにコントロールしています。ハードな練習や月経前の高体温期になると微熱が出るので、うまく休むようにしています」。
筋力の回復は早かった。ただ、そのぶん、「膝や腰がついてこない」。ただ、尾﨑雄祐コーチが言うように「やらないと戻らない」。最近はようやく身体とうまく付き合えるようになった。練習はやりたい量の「半分以下」だが、「走りの感覚も悪くないし、タイムも例年の冬季より良い」。ここまで培ってきた土台がある。
「1回目は頑張ろうかなって思ったんです。もし、また再発して積み上げたものがゼロになったら、頑張れないかもしれない。もう厳しいな、と思ったら、その時は潔く辞めると思う。でも、潔く辞めるためにも、頑張れる時に頑張っておきたい。あとで後悔したくないなって」
焦らずに4月29日、地元・広島での織田記念に「間に合えばいいな」。もちろん、東京世界選手権も頭の中にちゃんとある。ただ、「そこだけを目指すとしんどくなる」と、ちょっとだけベールを掛けておく。
「もし再発したら、その時はその時。わからないから1年単位で考えています。やっぱり陸上が好きなんだと思います。じゃないと続けていないだろうし。シンプルに足が速くなりたい」
12秒69の日本記録を持つ福部真子[/caption]
日本選手権の準決勝で参加標準記録を突破し、2年ぶりに優勝したことでパリ五輪に内定した。2021年に地元に帰り、引退を翻意してからずっと目指してきた舞台。23年ブダペスト世界選手権には、日本でただ1人参加標準記録を突破しながら日本選手権で4位となって出場できなかったこともあり、パリ五輪に立てたのは感慨深かった。
しかも、大会前には12秒69まで日本記録を更新して臨んだ。にもかかわらず、世界の壁に跳ね返された。「これ以上、何をすればいいのか」とショックを受けた。それでも、帰国後は陸上競技の“原点”に立ち返り、「アジア記録の12秒44」だけを目指して再スタート。気持ちを新たに、意気揚々と冬季練習に突入したばかりの出来事だった。
「やる気に満ちあふれていたんです。シーズン最終戦も調子が上がらず12秒81だったので、アベレージも上がって、身体の状態も悪くなかった。だから、マジか…って。3週間前にはあんなに動けて元気だったのに。引退しないといけないのかなっていうのは思いました。選手である以前に、1人の人間。競技なんてしている場合じゃないかもって」
救われたのは、同じ病気の人の体験談だった。「何がなんやらわからなかったのですが、Instagramで出てきた菊池病の体験談を見ると、徐々に良くなってくるという声が多かったんです」。ドーピング検査のための治療目的の申請をしてステロイドを服用。ようやく熱も収まった。
福部はこれまで、ケガや不調があっても、それを公言することはなかった。弱い部分をさらけ出すことはしない。ずっとそうやって戦ってきた。それでも、病のことを公表した。
「アスリートとしての葛藤はありました。でも、自分も体験談に救われましたし、やっぱり同じ病気になった人の助けになれば、と思ったんです。菊池病は診断されにくい病気。私は疑いを持ってくれて、精密検査までしてもらえたのでラッキーでした。同じ症状なのに診断してもらえないという声もあったので、公表したことで病気のことが認知されればと思いました」
その反響は大きく、特に子供が菊池病を患ったという保護者から多くのメッセージが届いた。「子供が福部さんも頑張っているから、今日も学校に行ってくると言っていました」という声が届いた時には「泣きそうになりました」と照れ笑いを浮かべた。
[caption id="attachment_164866" align="alignnone" width="800"]
パリ五輪では準決勝に駒を進めている福部[/caption]
ステロイドを服用し3日が立って熱が安定してからはすぐに練習を再開。「早くみんなと練習したい」。ただ、そこからも苦闘の連続。「動ける喜びよりも、自分の身体じゃないみたいに、動けない現実のほうが大きかった」と言う。
「生きてきて2週間もベッド生活をしたことがなかった。前と同じように動けない現実を受け入れる作業からでした。体重が3㎏減で済んだのは良かったほう。5分くらいしたら息切れするし、鉄棒を握るのも必死でした」
しばらくは高熱の後遺症とも言える関節痛や、手のしびれやめまいも残り、「地に足がついていない、ふわふわした感じ」だった。再開から1ヵ月ほど経った12月中旬くらいにようやく「目がぱきっとしはじめました」。ただ、一番怖いのが再び熱が出ること。「完治、というのはないみたいです。死ぬまで発症しなければいいな、という感じです」。再発する条件が明確ではないが、「熱が出ないように頑張り過ぎないようにコントロールしています。ハードな練習や月経前の高体温期になると微熱が出るので、うまく休むようにしています」。
筋力の回復は早かった。ただ、そのぶん、「膝や腰がついてこない」。ただ、尾﨑雄祐コーチが言うように「やらないと戻らない」。最近はようやく身体とうまく付き合えるようになった。練習はやりたい量の「半分以下」だが、「走りの感覚も悪くないし、タイムも例年の冬季より良い」。ここまで培ってきた土台がある。
「1回目は頑張ろうかなって思ったんです。もし、また再発して積み上げたものがゼロになったら、頑張れないかもしれない。もう厳しいな、と思ったら、その時は潔く辞めると思う。でも、潔く辞めるためにも、頑張れる時に頑張っておきたい。あとで後悔したくないなって」
焦らずに4月29日、地元・広島での織田記念に「間に合えばいいな」。もちろん、東京世界選手権も頭の中にちゃんとある。ただ、「そこだけを目指すとしんどくなる」と、ちょっとだけベールを掛けておく。
「もし再発したら、その時はその時。わからないから1年単位で考えています。やっぱり陸上が好きなんだと思います。じゃないと続けていないだろうし。シンプルに足が速くなりたい」
文/向永拓史
RECOMMENDED おすすめの記事
Ranking
人気記事ランキング
2025.12.13
編集部コラム「あっという間の2025年」
-
2025.12.13
-
2025.12.13
-
2025.12.13
-
2025.12.07
-
2025.11.20
2022.04.14
【フォト】U18・16陸上大会
2021.11.06
【フォト】全国高校総体(福井インターハイ)
-
2022.05.18
-
2023.04.01
-
2022.12.20
-
2023.06.17
-
2022.12.27
-
2021.12.28
Latest articles 最新の記事
2025.12.13
編集部コラム「あっという間の2025年」
攻め(?)のアンダーハンド リレーコラム?? 毎週金曜日(できる限り!)、月刊陸上競技の編集部員がコラムをアップ! 陸上界への熱い想い、日頃抱いている独り言、取材の裏話、どーでもいいことetc…。 編集スタッフが週替りで […]
2025.12.13
箱根駅伝15年ぶりV狙う早大が合同取材会 花田勝彦駅伝監督「状態上がっている」 山口智規「大手町を楽しみにしてほしい」
箱根駅伝で15年ぶりの総合優勝を狙う早大が12月13日、埼玉・所沢キャンパスで合同取材会を開いた。 この日は撮影と共通取材、個別取材を実施。共通取材で花田勝彦駅伝監督は「今年もかなり良いかたちで準備ができたと思っています […]
2025.12.13
連覇か、V奪回か?「ニューイヤー駅伝2026」に挑む強豪3チームの意気込み/旭化成・トヨタ自動車・富士通
2026年の幕開けを飾る全日本実業団対抗駅伝(通称・ニューイヤー駅伝)は、第70回の記念大会として1月1日、前橋市にある群馬県庁前をスタートし、上州路をぐるりと回って県庁に戻る7区間・総距離100kmのコースで行われる。 […]
2025.12.13
ロス瑚花アディアが60m7秒48のユタ州立大新記録 東京・城西高出身で今秋から留学中
12月10日に米国・ユタ州でブリガム・ヤング大で行われた同大学招待競技会室内女子60mで、ロス瑚花アディア(ユタ州立大)が7秒48で4位に入った。従来のユタ州立大記録38年ぶりの更新となる。 ロスは東京・駒沢中から城西高 […]
Latest Issue
最新号
2025年12月号 (11月14日発売)
EKIDEN REVIEW
全日本大学駅伝
箱根駅伝予選会
高校駅伝&実業団駅伝予選
Follow-up Tokyo 2025