2024.11.02
走高跳の浮遊感に「スッキリします」
――何の種目を始められたのですか? やっぱり得意な中長距離?
山口 最初は棒高跳をやりたかったです。陸上部に入ると決まってから調べると、楽しそうだなって興味がありました。でも、中学の女子は棒高跳がなかったので、できませんでした。先生に勧められたのが走高跳です。当時から身長が高くて165㎝くらいあったと思います。170cmあったケイドロメンバーのうちの1人と一緒に跳躍ブロックで走高跳をしていました。
――中学だと背面跳びですよね。
山口 はい! 最初ははさみ跳びからスタートしました。最初に苦労したのが助走です。私、実はリズム感がなくて…。助走はリズムが大事じゃないですか?
――それは今のお仕事にも影響していそうな…。
山口 そうなんです(苦笑)。助走が狂って、踏み切る位置を間違えて一度マットからダイナミックに落ちたことがあります。まだ傷も残っているのですが、そのことがあって怖くなって跳べない時期もありました。先生から「恐怖心を取るために、ぶつかるつもりで行け!」と言われて、勇気を出してスタートしたら、本当にバーにぶつかりました(笑)
――走高跳で楽しい瞬間は?
山口 やっぱり浮遊感です。バーを越えた瞬間がスッキリします。記録が良い時は、助走から踏み切った段階でパッと上に跳べて「いつもと違う!」「行ける!」と感じました。1m35くらいがベストだったと思います。
――ずっと走高跳ですか。
山口 四種競技(100mハードル、砲丸投、走高跳、200m)にも出場しました。専門でやるかどうかではなく、「1回チャレンジしてみよう」と先生に言われて挑戦しました。砲丸投が飛ばなくて…。もともと、球技が苦手でボール投げも弱かったので全然ダメでした。

陸上部時代を振り返る山口さん
――ハードルもありますね。
山口 ここでもやっぱりリズム感が…(苦笑)。種目別練習でハードルの先輩に教えてもらったり、先生にマンツーマンで教えてもらったりしたのですが難しかったです。
――陸上部の練習はきついと思いますが、走るのが好きだから大丈夫…?
山口 いえ、もう大変でした! 精神的にもきました。きつかったのは200mを何本も走るメニューです。でも、体力だけは人一倍あって、休憩したら「よし、行ける」と回復しました。これだけは唯一、自慢できるところです!
――リレーにも出場した経験はありますか。
山口 はい、それこそケイドロメンバーの同級生と一緒に出ました。1走だったのですが、緊張してセットの時は手が“ぷるぷる”しました。今も同じで、写真を撮る時など緊張でぷるぷるしてしまいます…。
――結構、緊張するタイプなのですね。
山口 昔から心配性で“緊張しぃ”でした。陸上でも試合で練習通りにできないのが本当に悔しくて。緊張しないように自主練習をして自信をつけられるようにしていたのですが…。覚えているのが地区の新人戦。他の選手が跳んだのを見ると「絶対に跳ばなきゃ」って自分にプレッシャーをかけてしまうタイプでした。
“緊張しぃ”からアイドルになるまで
――そんな山口さんがこのお仕事を始めたのは?
山口 緊張する自分を変えたいという思いもありました。大学に入って吹奏楽も一段落して、これから何をしようかなと悩んでいる時に『僕青』のオーディション募集の情報を見ました。高校時代にアイドル好きの同級生がいて、私も少し興味を持ったのが乃木坂46さんでした。遠藤さくらさんや大園桃子さんが好きです。
――オーディションは大変だったのではないですか。
山口 ずっと緊張で毎回、脚がガクガク震えていました。選考が進んで、最終段階で東京会場に行くかどうか悩んだのですが、母が「新幹線代を出すから行っておいで」と背中を押してもらいました。
――デビューされて1年と少しが経ちました。
山口 いろいろな経験をさせていただき、今も緊張はしますが楽しめるようになってきました。私はこれといった特技もないので、メンバー23人の中でどうしたら自分が輝けるだろうっていつも考えています。

スタートは幼なじみの“ケイドロメンバー”
――今日はよろしくお願いします! 山口さんは陸上部だったとのことですが、小さい時からスポーツをされていたんですか? 山口 運動系の習い事はしていなかったのですが、小学校の時から活発でした。いつも集まる幼なじみ十数人と、毎日公園で“ケイドロ”をしていました。休日は約束しなくても朝9時に集まって、お昼ご飯を食べてからまた集まって…。飽きることなく、6年生になるまでずっと続きました(笑) ――上級生になっても! それだけ走っていたら、持久走も得意でしたか。 山口 毎年、冬のマラソン大会で河川敷を10km走るのですが、結構得意でした。母は運動神経こそ良くないのですが、持久走だけは得意だったみたいで受け継いだのかなと思います。 [caption id="attachment_150678" align="alignnone" width="800"]
走高跳の浮遊感に「スッキリします」
――何の種目を始められたのですか? やっぱり得意な中長距離? 山口 最初は棒高跳をやりたかったです。陸上部に入ると決まってから調べると、楽しそうだなって興味がありました。でも、中学の女子は棒高跳がなかったので、できませんでした。先生に勧められたのが走高跳です。当時から身長が高くて165㎝くらいあったと思います。170cmあったケイドロメンバーのうちの1人と一緒に跳躍ブロックで走高跳をしていました。 ――中学だと背面跳びですよね。 山口 はい! 最初ははさみ跳びからスタートしました。最初に苦労したのが助走です。私、実はリズム感がなくて…。助走はリズムが大事じゃないですか? ――それは今のお仕事にも影響していそうな…。 山口 そうなんです(苦笑)。助走が狂って、踏み切る位置を間違えて一度マットからダイナミックに落ちたことがあります。まだ傷も残っているのですが、そのことがあって怖くなって跳べない時期もありました。先生から「恐怖心を取るために、ぶつかるつもりで行け!」と言われて、勇気を出してスタートしたら、本当にバーにぶつかりました(笑) ――走高跳で楽しい瞬間は? 山口 やっぱり浮遊感です。バーを越えた瞬間がスッキリします。記録が良い時は、助走から踏み切った段階でパッと上に跳べて「いつもと違う!」「行ける!」と感じました。1m35くらいがベストだったと思います。 ――ずっと走高跳ですか。 山口 四種競技(100mハードル、砲丸投、走高跳、200m)にも出場しました。専門でやるかどうかではなく、「1回チャレンジしてみよう」と先生に言われて挑戦しました。砲丸投が飛ばなくて…。もともと、球技が苦手でボール投げも弱かったので全然ダメでした。 [caption id="attachment_150672" align="alignnone" width="800"]
“緊張しぃ”からアイドルになるまで
――そんな山口さんがこのお仕事を始めたのは? 山口 緊張する自分を変えたいという思いもありました。大学に入って吹奏楽も一段落して、これから何をしようかなと悩んでいる時に『僕青』のオーディション募集の情報を見ました。高校時代にアイドル好きの同級生がいて、私も少し興味を持ったのが乃木坂46さんでした。遠藤さくらさんや大園桃子さんが好きです。 ――オーディションは大変だったのではないですか。 山口 ずっと緊張で毎回、脚がガクガク震えていました。選考が進んで、最終段階で東京会場に行くかどうか悩んだのですが、母が「新幹線代を出すから行っておいで」と背中を押してもらいました。 ――デビューされて1年と少しが経ちました。 山口 いろいろな経験をさせていただき、今も緊張はしますが楽しめるようになってきました。私はこれといった特技もないので、メンバー23人の中でどうしたら自分が輝けるだろうっていつも考えています。東京マラソン完走を自信に
――3月には東京マラソンにも挑戦され、5時間22分46秒で完走されています! 山口 マネージャーさんからお話をいただいた時はすごく悩みました。夜に少しランニングしたくらいで走れる距離ではないのはわかっています。でも、与えてもらったせっかくのチャンスなので完走できなくてもいいから挑戦したいと思って「走ります」って自分から言いました。 ――マネージャーさんから「ふくらはぎが痛いとは言っていましたが、レッスンがあってもきついとか辞めたいとは一回も言わなかった」と聞きました。どのくらい練習されましたか。 山口 3ヵ月くらいです。最初は1km走っただけで筋肉痛になりました。お仕事やレッスンもあったので毎日は走れなかったですが、なるべく走るようにして、最高15kmを2回走ったと思います。 ――実際に42.195km走ってみていかがでしたか。 山口 15kmあたりできつくなりました。そこからは未知の世界。25~30kmでは意外と大丈夫になったのですが、その後は脚が動かなくて…。上半身や息づかいは大丈夫でも、脚が重たかったです。でも、「1回も止まりたくない」という意地もあったので、歩かずに最後まで頑張りました。ファンの方が応援に来てくださったのも支えになりました。完走できたことで自信が生まれましたし、チャレンジすることって大事なんだなって感じました。 [caption id="attachment_150677" align="alignnone" width="800"]

やまぐち・ゆあん/2004年10月14日生まれ。20歳。兵庫県出身。中学時代に走高跳や四種競技に出場。大学進学後に乃木坂46公式ライバルのオーディションに応募し、『僕が見たかった青空』のメンバーとして2023年8月「青空について考える」でCDデビュー。2024年3月には東京マラソンに出場して完走した。関西人らしいトークとスタイルを生かしたパフォーマンスで今後の活躍に注目が集まる。4thシングル「好きすぎてUp and down」が 2024年11月13日に発売。11月15日には山口さんも出演する「雲組単独公演 #11」が開催 公式HP、X(Twitter)、Instagram、TikTok |

|
|
RECOMMENDED おすすめの記事
Ranking
人気記事ランキング
2025.04.30
26年ブダペスト開催の「世界陸上アルティメット選手権」やり投・北口榛花が出場権獲得
2025.04.30
100mH寺田明日香 恩師の訃報に「熱意と愛情を少しでも次の世代へ引き継げるように」
2025.04.30
9月の東京世界陸上に都内の子どもを無料招待 引率含め40,000人 6月から応募スタート
-
2025.04.30
-
2025.04.29
2025.04.29
100mH田中佑美が予選トップ通過も決勝棄権「故障ではない」昨年の結婚も明かす/織田記念
2025.04.28
100mH田中佑美が国内初戦「ここから毎週のように緊張する」/織田記念
-
2025.04.26
2025.04.12
3位の吉居大和は涙「想像していなかったくらい悔しい」/日本選手権10000m
-
2025.04.01
-
2025.04.12
-
2025.04.12
2022.04.14
【フォト】U18・16陸上大会
2021.11.06
【フォト】全国高校総体(福井インターハイ)
-
2022.05.18
-
2022.12.20
-
2023.04.01
-
2023.06.17
-
2022.12.27
-
2021.12.28
Latest articles 最新の記事
2025.04.30
26年ブダペスト開催の「世界陸上アルティメット選手権」やり投・北口榛花が出場権獲得
世界陸連(WA)は4月29日、2026年に新設する「世界陸上アルティメット選手権」の大会500日前を受け、昨年のパリ五輪の金メダリストに出場資格を与えることを発表した。女子やり投で金メダルを獲得した北口榛花(JAL)も含 […]
2025.04.30
100mH寺田明日香 恩師の訃報に「熱意と愛情を少しでも次の世代へ引き継げるように」
自身のSNSに思いを綴った寺田明日香 pic.twitter.com/k4AjTVEvHW — 寺田明日香(てらだあすか) (@terasu114) April 30, 2025
2025.04.30
9月の東京世界陸上に都内の子どもを無料招待 引率含め40,000人 6月から応募スタート
東京都は今年9月に国立競技場をメイン会場として開かれる世界選手権に都内の子どもたちを無料招待すると発表した。 「臨場感あふれる会場での観戦を通じて、都内の子供たちにスポーツの素晴らしさや夢と希望を届ける」というのが目的。 […]
2025.04.30
新しい形の競技会「THE GAME」が9月14日 大阪・万博記念競技場で開催決定!
「陸上競技の魅力を最大限に引き出し、観客と選手の双方にとって忘れられない体験を」をコンセプトに、三重県で開催されてきた『THE GAME』。今年は会場を大阪府。万博記念競技場を移して、9月14日に行われることが決まった。 […]
2025.04.30
中村宏之氏が79歳で死去 福島千里、寺田明日香、伊藤佳奈恵ら女子短距離日本記録保持者を育成
女子短距離で数々のトップ選手を育成した北海道ハイテクアスリートクラブ前監督の中村宏之氏が4月29日に逝去した。享年79。 中村氏は1945年6月9日生まれ。北海道・札幌東高,日体大で三段跳、走幅跳選手として活躍し、卒業後 […]
Latest Issue
最新号

2025年4月号 (3月14日発売)
東京世界選手権シーズン開幕特集
Re:Tokyo25―東京世界陸上への道―
北口榛花(JAL)
三浦龍司(SUBARU)
赤松諒一×真野友博
豊田 兼(トヨタ自動車)×高野大樹コーチ
Revenge
泉谷駿介(住友電工)