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2026.03.13

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厳しい世界でトップクラスを維持するために『O2Room®』は欠かせない!! 50歳を超えてもS級競輪選手として活躍する渡邉晴智
厳しい世界でトップクラスを維持するために『O2Room®』は欠かせない!! 50歳を超えてもS級競輪選手として活躍する渡邉晴智

日本気圧バルク工業の高気圧酸素ルーム『O2Room®』をコンディショニングにフル活用している渡邉晴智さん。2022年6月に2台目として導入したのは幅100cm、高さ160cm、奥行き225cmの「ブレッドAタイプS」で、2人~4人で同時に使用できる

〝安心・安全〟が持ち味、日本気圧バルク工業の酸素ルーム

静岡県富士市出身の渡邉晴智さんは、日本競輪界において長年にわたり南関東地区を支えてきた名〝追込(おいこみ)〟選手である。2度のGⅠ制覇や通算獲得賞金10億円突破といった数々の偉業を経て、52歳の今なお実力者がそろうS級の舞台でしのぎを削っている。強靭な肉体と精神を支える秘密兵器が、日本気圧バルク工業の高気圧酸素ルーム『O2Room®』だ。過酷な勝負の世界で走り続ける不屈のアスリートの素顔と、そのコンディショニングの真髄に迫る。

「稼げる仕事」を求めて競輪の世界へ

渡邉さんの自転車人生は、意外なほど現実的な理由から始まった。
「父の友人が競輪好きで、『競輪選手は稼げるぞ』と小さい頃から刷り込まれていましたから」

家庭はそこまで裕福ではなかった。稼ぐための手段、それが「競輪」だった。幼い頃からスポーツが好きだった渡邉さんは、小学生時代はサッカー、中学ではバレーボールに取り組んだ。ただ、「高校からは自転車をやる」と決めており、特にバレーボールは「(競輪選手を目指して)バネを鍛えるため」に選んだに過ぎなかった。

高校は隣の富士宮市にある自転車競技の強豪・星陵高へ進学。現在までに30~40名ものプロ選手を輩出している名門だが、当時の渡邉さんは「県大会で5位くらい」と、決してエリートではなかった。しかし、その眼は常に強い先輩たちの背中、さらにその先にあるプロの世界を見据えていた。

高校卒業後、すんなりとプロになれたわけではない。日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)の試験には2度失敗している。
「約1年半、浪人生活をしていました。働かずに、ただひたすら自転車に乗っていました」。退路を断ち、自転車と向き合った孤独な時間は、その後の渡邉さんの強靭なメンタルの礎となったのかもしれない。

1994年4月、73期生として競輪界にデビューして以来、30年以上にわたり第一線で走り続けてきた。追込を得意とする選手の中でも、位置取りの巧みさ、車間の詰め方、コース取りの判断力に優れる渡邉さんは、〝南関(南関東地区)ラインの要〟として多くの選手から信頼を寄せられてきた存在だ。

追込を得意とする渡邉さん(右)。その中でも位置取りの巧みさ、車間の詰め方、コース取りの判断力の高さに定評がある存在だ〔提供写真〕

静岡が生んだ「伝説」、脈々と受け継がれるDNA

デビュー後は着実に力をつけ、1999年頃からはGⅠやGⅡといったビッグレースの常連となっていく。そして2008年、地元・静岡競輪場で行われた日本選手権で、渡邉さんは悲願のGⅠ初制覇を成し遂げた。静岡県勢としても初の快挙を「これまでで一番会心だったレース」に挙げ、「地元ですしね。やり遂げた感がすごすぎて、ちょっと気持ちが緩んだくらいです」と振り返る。

続く高松宮記念杯も制し、GⅠ連覇は渡邉さんの名を一気に全国区に押し上げ、成績上位者9名しか出場できないシーズン最終戦の競輪グランプリで優勝できず惜しくも「賞金王」の座を逃したものの、賞金ランキング2位となった。

トップスターが集まる「S級S班」には2008年から2010年まで在籍。2018年には史上26人目となる通算獲得賞金10億円を突破した。現在までの総獲得賞金はおよそ11億4000万円にも上る。

数々の苦難を乗り越え、52歳の今もなお競輪界のトップが集うS級の舞台でしのぎを削っている渡邉さん

しかし、渡邉さんの特筆すべき点は過去の栄光だけではない。50歳を超えた2024年には全国各地で年間100レース以上を走破した。通常の選手が年間80レース前後であることを考えれば、そのタフネスぶりは驚異的だ。原動力は並外れた練習量にある。

「若い頃は人が休んでいる間に練習していました。根性論です。寝ているか食事している以外は、自転車に乗っているか、ウエイトトレーニングをしていました」

ベテランとなった今は量より質、そして、ケアを重視するようになったという。それでも1日4時間のトレーニングを欠かさない。

そんな渡邉さんは今、単なる一選手ではない。長男の雅也さん(25歳)、長女の栞奈さん(29歳)、さらに2人の甥、長女の夫も競輪選手という、まさに〝競輪一家〟の旗頭である。

「子供たちもやっていて、弟子もいるのは自分にとって大プラスです。精神面も支えられるし、練習では自分より彼らの方が全然強いですから」

弟子たちに背中を見せ、指導しながら、自らも「まだ負けない」と刺激を受ける。その思いが50代のペダルを重くさせない力になっている。家族であり、ライバルであり、弟子である彼らとともに、渡邉さんは今日もトレーニングへと向かう。

渡邉さん(中央)の影響を受けて長男・雅也さん(左)、長女・栞奈さんも競輪選手になって活躍中〔提供写真〕

ハードな練習のリカバリーに「O2Room®」は欠かせないパートナー

競輪のレースは、男子は約2000mの距離で行われるのが基本。バンクと呼ばれる走路の周長によって周回数が異なり、最も主流の400mバンクでは5周、333mバンクでは6周、500mバンクでは4周を走って競う。

全国43の競輪場でほぼ毎日開催されており、1開催は多くが3~4日制。選手は1日1レース、つまり1開催で3~4レースを走る。渡邉さんも月2~3回、各地に遠征している。

レース以外は、本番に向けてトレーニングを重ねる地道な日々だ。かつては「街道練習」と呼ばれる公道を利用した実戦的なトレーニングが多かったが、自転車の交通ルールが厳しくなった昨今、それをメインにするのは難しくなった。

「今はウエイトトレーニング3割、室内でロードバイクを漕ぐのが5割、そして富士川の堤防を使った街道練習が2割という感じです」

寝る間を惜しんで練習していた頃に比べれば、トレーニング時間はだいぶ減ったとはいえ、50歳を超えた肉体にかかる負担は計り知れない。そんな渡邉さんが「リカバリーのために、これなしでは考えられない」と語るパートナーが、日本気圧バルク工業の酸素ルーム『O2Room®』である。

練習日のルーティンはほぼ決まっている。午前中の2時間の練習を終え、昼食をとった後、午後の練習までの間に高気圧酸素ルームに入る。「中で1時間から1時間半、昼寝をする」のが日課だ。

「寝れば疲れが取れるのは当たり前ですが、酸素ルームで寝ると、よく眠れてその質が違います。起きた後、『よし、午後もやるぞ』という気持ちになれるんです」

渡邉さんは午前練習と午後練習の間、『O2Room®』の中で昼寝をするのが日課。日本気圧バルク工業の酸素ルームに対して、「何よりも〝安全性〟に惹かれた」と話す

実際、高気圧の環境下で酸素を取り入れることで、肉体疲労の回復、ケガや傷の治癒促進、代謝改善、肥満防止、アンチエイジング、免疫改善、集中力向上や睡眠の質の改善といった効果が期待される。酸素ルーム内での濃密な休息こそが、年間100近いレースを走り抜き、その基礎となる激しいトレーニングを支えている。

日本気圧バルク工業製の〝安全性〟に絶対的な信頼

渡邉さんが最初に酸素ルームを導入したのが2011年。酸素が疲労回復などに効果的と耳にし、インターネットで調べると、自宅のある静岡県内にトップメーカーの日本気圧バルク工業があることを知る。直接足を運び、「試しに酸素ルームに入らせてもらいましたが、本当によく寝られたんです」と話す。酸素カプセルではなく、酸素ルームを選んだのにも理由があった。

「閉所恐怖症な部分もあるので、酸素カプセルはちょっと……。でも、酸素ルームなら中でテレビも見られますし、エアコンも効く。快適に過ごせるのがいいなと思いました」

それに渡邉さんは、「何より安全性に惹かれた」と言う。酸素ルーム業界のパイオニアである日本気圧バルク工業は「安心・安全」がモットーで、酸素を活用した機器を初めて販売した1995年以降、事故や大きな故障が一度もなく、ユーザーから高い信頼を得ている。

「自分は良い物はすぐに取り入れたいタイプ。日本気圧バルク工業の天野(英紀)社長がとても良い方で、いろいろと親身になって説明していただきました。京都大学、名古屋大学、神戸大学などの教育・研究機関や数々の病院とも共同研究をして製品を開発していると聞き、安全面でも間違いないと確信できたので導入しようと決めました」

天野社長の人柄と製品への真摯な姿勢が決断の決め手になった。

その後、渡邉さんは自宅の隣で米ぬか酵素風呂「しずく」の経営を始め、奥さんが運営を担当しているが、2022年6月には酸素ルームを買い替えるかたちで、そこに最新型の『O2Room®』を導入した。来店するお客様に提供しつつ、自身もそれまでと変わらず愛用している。

「自分が体感して、2台も買ったわけですから。効果を実感していなければ、決して安くない買い物を2回もしません」

その言葉には、実体験に裏打ちされた絶対的な信頼が込められている。

新型の『O2Room®』は、自宅の横で開業した米ぬか酵素風呂「しずく」の2階に設置されていた

渡邉さんのもう一つのコンディショニング設備である米ぬか酵素風呂は午後練習の後に活用。70度近い高温でカラダを芯から温めている

ケガが日常茶飯事の世界、治癒促進にも〝酸素〟が貢献

ケガや傷の治癒促進の面でも、渡邉さんにとって酸素ルームの存在は欠かせない。

競輪は、レース全体としては時速60km前後で進み、ゴール直前では時速70km以上に達する。そうした極限状況の中で、自転車に乗った生身の人間同士が接触するなど、格闘技にも似た要素がある。肉離れのような筋肉系のトラブルはそれほど多くないものの、落車すれば骨折や打撲、擦過傷(擦り傷)は当たり前。渡邉さん自身、これまでの骨折箇所は60ヵ所に及ぶという。

「肋骨だけで50ヵ所は折っています。2024年の4月にも高知で落車して、肋骨18ヵ所と鎖骨の骨折、肺挫傷をやりました。年を取ってからは毎回ではありませんが、折れやすくなっているのは事実です」

壮絶な経験について、まるで他人の出来事かのように淡々と語る。そうした競輪選手にとって避けられないケガからの復帰においても、酸素ルームは絶大な威力を発揮している。高気圧酸素は、溶解型酸素を血液中に増やし、末梢の細胞まで酸素を行き渡らせる。これにより、損傷した組織の修復スピードが格段に上がることは、多くの研究で示唆されている。

「酸素ルームに入ると、骨折の治りはものすごく早いと感じます。擦過傷の治りも早い。使い始めて15年くらい経ちますが、こうして長い間、プロとしてやっていけているのは、酸素ルームのおかげという部分も大きいと思います」

数々の苦難を乗り越え、52歳でS級を張る渡邉さんの言葉は重い。

自宅の離れにあるトレーニングルーム内でロードバイクを漕ぐ渡邉さん。これが練習全体の5割を占めるという

尽きない勝利への思い、「大事なのは強さ。今でも勝ちたい」

渡邉さんにとっての酸素ルームは、もはや疲労回復や治療のための器具というより、生活の一部、あるいは自転車のパーツの一部にすら感じられる。

「自宅にあれば、好きなタイミングで好きなだけケアができる。使わない理由が見当たりません。レースで地方に遠征した時に使えないのが辛いくらいです」

今では長男や長女、弟子たちもレース前に利用しており、酸素ルームは渡邉家の〝心臓部〟の役割を担うと言っていい。

弟子たちや近隣の若手選手と富士川河川敷の堤防で「街道練習」をすることも多い渡邉さん(中央)。ここは年末に開催される富士山女子駅伝の第4中継所付近で、背後には富士山が見える

日本気圧バルク工業の製品には、低圧低酸素ルームもあり、高地トレーニングのように使うことができたり、高気圧酸素を併用することでケガの治癒促進がさらに加速するというエビデンスが出ていたりもする。

さらに同社では1台で高気圧酸素、低圧低酸素の2つの環境を実現する特許製品『2way酸素ルーム』も販売しているが、渡邉さんはそれに強い関心を持っており、導入を検討している。

競輪選手の平均引退年齢は40代前半。さまざまなプロスポーツ競技の中でも現役選手でいられる期間が長い業界だが、渡邉さんには「日本一になると、どこかで区切りをつけて引退してしまう選手が多い」という感覚がある。自身はまだまだ第一線から退くつもりはない。

「最後の最後、『もういいでしょう』と言われるまで選手であり続けたいです。そのためには、日本気圧バルク工業さんに協力してもらわないと」

そう言って笑う渡邉さんの表情は、明るく若々しい。現在のS級選手の最年長は58歳。渡邉さんは「仮にこれから負け続けても、57歳まで選手でいられることは確定しています。だから最年長を目指したい」と力強く宣言する。

もともと「稼げるぞ」と言われて飛び込んだ競輪の世界だった。しかし、長く勝負の世界に身を置き、「お金はたまたまついてきているだけ。一番大事なのは強さ。だから今でも勝ちたいんです」と勝利への貪欲さは尽きない。

頼れる酸素ルームを味方に、将来有望な弟子たちとともに戦い続ける渡邉さんの走りは、まだゴールラインを迎えない。

現役にこだわり続ける渡邉さんは、『O2Room®』の効果を支えにS級競輪選手最年長(58歳)の更新を目指している

文/小野哲史、撮影/望月公雄

※この記事は『月刊陸上競技』2026年4月号に掲載しています

〝安心・安全〟が持ち味、日本気圧バルク工業の酸素ルーム 静岡県富士市出身の渡邉晴智さんは、日本競輪界において長年にわたり南関東地区を支えてきた名〝追込(おいこみ)〟選手である。2度のGⅠ制覇や通算獲得賞金10億円突破といった数々の偉業を経て、52歳の今なお実力者がそろうS級の舞台でしのぎを削っている。強靭な肉体と精神を支える秘密兵器が、日本気圧バルク工業の高気圧酸素ルーム『O2Room®』だ。過酷な勝負の世界で走り続ける不屈のアスリートの素顔と、そのコンディショニングの真髄に迫る。 「稼げる仕事」を求めて競輪の世界へ 渡邉さんの自転車人生は、意外なほど現実的な理由から始まった。 「父の友人が競輪好きで、『競輪選手は稼げるぞ』と小さい頃から刷り込まれていましたから」 家庭はそこまで裕福ではなかった。稼ぐための手段、それが「競輪」だった。幼い頃からスポーツが好きだった渡邉さんは、小学生時代はサッカー、中学ではバレーボールに取り組んだ。ただ、「高校からは自転車をやる」と決めており、特にバレーボールは「(競輪選手を目指して)バネを鍛えるため」に選んだに過ぎなかった。 高校は隣の富士宮市にある自転車競技の強豪・星陵高へ進学。現在までに30~40名ものプロ選手を輩出している名門だが、当時の渡邉さんは「県大会で5位くらい」と、決してエリートではなかった。しかし、その眼は常に強い先輩たちの背中、さらにその先にあるプロの世界を見据えていた。 高校卒業後、すんなりとプロになれたわけではない。日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)の試験には2度失敗している。 「約1年半、浪人生活をしていました。働かずに、ただひたすら自転車に乗っていました」。退路を断ち、自転車と向き合った孤独な時間は、その後の渡邉さんの強靭なメンタルの礎となったのかもしれない。 1994年4月、73期生として競輪界にデビューして以来、30年以上にわたり第一線で走り続けてきた。追込を得意とする選手の中でも、位置取りの巧みさ、車間の詰め方、コース取りの判断力に優れる渡邉さんは、〝南関(南関東地区)ラインの要〟として多くの選手から信頼を寄せられてきた存在だ。 [caption id="attachment_201535" align="alignnone" width="800"] 追込を得意とする渡邉さん(右)。その中でも位置取りの巧みさ、車間の詰め方、コース取りの判断力の高さに定評がある存在だ〔提供写真〕[/caption] 静岡が生んだ「伝説」、脈々と受け継がれるDNA デビュー後は着実に力をつけ、1999年頃からはGⅠやGⅡといったビッグレースの常連となっていく。そして2008年、地元・静岡競輪場で行われた日本選手権で、渡邉さんは悲願のGⅠ初制覇を成し遂げた。静岡県勢としても初の快挙を「これまでで一番会心だったレース」に挙げ、「地元ですしね。やり遂げた感がすごすぎて、ちょっと気持ちが緩んだくらいです」と振り返る。 続く高松宮記念杯も制し、GⅠ連覇は渡邉さんの名を一気に全国区に押し上げ、成績上位者9名しか出場できないシーズン最終戦の競輪グランプリで優勝できず惜しくも「賞金王」の座を逃したものの、賞金ランキング2位となった。 トップスターが集まる「S級S班」には2008年から2010年まで在籍。2018年には史上26人目となる通算獲得賞金10億円を突破した。現在までの総獲得賞金はおよそ11億4000万円にも上る。 [caption id="attachment_201532" align="alignnone" width="800"] 数々の苦難を乗り越え、52歳の今もなお競輪界のトップが集うS級の舞台でしのぎを削っている渡邉さん[/caption] しかし、渡邉さんの特筆すべき点は過去の栄光だけではない。50歳を超えた2024年には全国各地で年間100レース以上を走破した。通常の選手が年間80レース前後であることを考えれば、そのタフネスぶりは驚異的だ。原動力は並外れた練習量にある。 「若い頃は人が休んでいる間に練習していました。根性論です。寝ているか食事している以外は、自転車に乗っているか、ウエイトトレーニングをしていました」 ベテランとなった今は量より質、そして、ケアを重視するようになったという。それでも1日4時間のトレーニングを欠かさない。 そんな渡邉さんは今、単なる一選手ではない。長男の雅也さん(25歳)、長女の栞奈さん(29歳)、さらに2人の甥、長女の夫も競輪選手という、まさに〝競輪一家〟の旗頭である。 「子供たちもやっていて、弟子もいるのは自分にとって大プラスです。精神面も支えられるし、練習では自分より彼らの方が全然強いですから」 弟子たちに背中を見せ、指導しながら、自らも「まだ負けない」と刺激を受ける。その思いが50代のペダルを重くさせない力になっている。家族であり、ライバルであり、弟子である彼らとともに、渡邉さんは今日もトレーニングへと向かう。 [caption id="attachment_201533" align="alignnone" width="800"] 渡邉さん(中央)の影響を受けて長男・雅也さん(左)、長女・栞奈さんも競輪選手になって活躍中〔提供写真〕[/caption] ハードな練習のリカバリーに「O2Room®」は欠かせないパートナー 競輪のレースは、男子は約2000mの距離で行われるのが基本。バンクと呼ばれる走路の周長によって周回数が異なり、最も主流の400mバンクでは5周、333mバンクでは6周、500mバンクでは4周を走って競う。 全国43の競輪場でほぼ毎日開催されており、1開催は多くが3~4日制。選手は1日1レース、つまり1開催で3~4レースを走る。渡邉さんも月2~3回、各地に遠征している。 レース以外は、本番に向けてトレーニングを重ねる地道な日々だ。かつては「街道練習」と呼ばれる公道を利用した実戦的なトレーニングが多かったが、自転車の交通ルールが厳しくなった昨今、それをメインにするのは難しくなった。 「今はウエイトトレーニング3割、室内でロードバイクを漕ぐのが5割、そして富士川の堤防を使った街道練習が2割という感じです」 寝る間を惜しんで練習していた頃に比べれば、トレーニング時間はだいぶ減ったとはいえ、50歳を超えた肉体にかかる負担は計り知れない。そんな渡邉さんが「リカバリーのために、これなしでは考えられない」と語るパートナーが、日本気圧バルク工業の酸素ルーム『O2Room®』である。 練習日のルーティンはほぼ決まっている。午前中の2時間の練習を終え、昼食をとった後、午後の練習までの間に高気圧酸素ルームに入る。「中で1時間から1時間半、昼寝をする」のが日課だ。 「寝れば疲れが取れるのは当たり前ですが、酸素ルームで寝ると、よく眠れてその質が違います。起きた後、『よし、午後もやるぞ』という気持ちになれるんです」 [caption 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その後、渡邉さんは自宅の隣で米ぬか酵素風呂「しずく」の経営を始め、奥さんが運営を担当しているが、2022年6月には酸素ルームを買い替えるかたちで、そこに最新型の『O2Room®』を導入した。来店するお客様に提供しつつ、自身もそれまでと変わらず愛用している。 「自分が体感して、2台も買ったわけですから。効果を実感していなければ、決して安くない買い物を2回もしません」 その言葉には、実体験に裏打ちされた絶対的な信頼が込められている。 [caption id="attachment_201543" align="alignnone" width="800"] 新型の『O2Room®』は、自宅の横で開業した米ぬか酵素風呂「しずく」の2階に設置されていた[/caption] [caption id="attachment_201544" align="alignnone" width="800"] 渡邉さんのもう一つのコンディショニング設備である米ぬか酵素風呂は午後練習の後に活用。70度近い高温でカラダを芯から温めている[/caption] ケガが日常茶飯事の世界、治癒促進にも〝酸素〟が貢献 ケガや傷の治癒促進の面でも、渡邉さんにとって酸素ルームの存在は欠かせない。 競輪は、レース全体としては時速60km前後で進み、ゴール直前では時速70km以上に達する。そうした極限状況の中で、自転車に乗った生身の人間同士が接触するなど、格闘技にも似た要素がある。肉離れのような筋肉系のトラブルはそれほど多くないものの、落車すれば骨折や打撲、擦過傷(擦り傷)は当たり前。渡邉さん自身、これまでの骨折箇所は60ヵ所に及ぶという。 「肋骨だけで50ヵ所は折っています。2024年の4月にも高知で落車して、肋骨18ヵ所と鎖骨の骨折、肺挫傷をやりました。年を取ってからは毎回ではありませんが、折れやすくなっているのは事実です」 壮絶な経験について、まるで他人の出来事かのように淡々と語る。そうした競輪選手にとって避けられないケガからの復帰においても、酸素ルームは絶大な威力を発揮している。高気圧酸素は、溶解型酸素を血液中に増やし、末梢の細胞まで酸素を行き渡らせる。これにより、損傷した組織の修復スピードが格段に上がることは、多くの研究で示唆されている。 「酸素ルームに入ると、骨折の治りはものすごく早いと感じます。擦過傷の治りも早い。使い始めて15年くらい経ちますが、こうして長い間、プロとしてやっていけているのは、酸素ルームのおかげという部分も大きいと思います」 数々の苦難を乗り越え、52歳でS級を張る渡邉さんの言葉は重い。 [caption id="attachment_201546" align="alignnone" width="800"] 自宅の離れにあるトレーニングルーム内でロードバイクを漕ぐ渡邉さん。これが練習全体の5割を占めるという[/caption] 尽きない勝利への思い、「大事なのは強さ。今でも勝ちたい」 渡邉さんにとっての酸素ルームは、もはや疲労回復や治療のための器具というより、生活の一部、あるいは自転車のパーツの一部にすら感じられる。 「自宅にあれば、好きなタイミングで好きなだけケアができる。使わない理由が見当たりません。レースで地方に遠征した時に使えないのが辛いくらいです」 今では長男や長女、弟子たちもレース前に利用しており、酸素ルームは渡邉家の〝心臓部〟の役割を担うと言っていい。 [caption id="attachment_201548" align="alignnone" width="800"] 弟子たちや近隣の若手選手と富士川河川敷の堤防で「街道練習」をすることも多い渡邉さん(中央)。ここは年末に開催される富士山女子駅伝の第4中継所付近で、背後には富士山が見える[/caption] 日本気圧バルク工業の製品には、低圧低酸素ルームもあり、高地トレーニングのように使うことができたり、高気圧酸素を併用することでケガの治癒促進がさらに加速するというエビデンスが出ていたりもする。 さらに同社では1台で高気圧酸素、低圧低酸素の2つの環境を実現する特許製品『2way酸素ルーム』も販売しているが、渡邉さんはそれに強い関心を持っており、導入を検討している。 競輪選手の平均引退年齢は40代前半。さまざまなプロスポーツ競技の中でも現役選手でいられる期間が長い業界だが、渡邉さんには「日本一になると、どこかで区切りをつけて引退してしまう選手が多い」という感覚がある。自身はまだまだ第一線から退くつもりはない。 「最後の最後、『もういいでしょう』と言われるまで選手であり続けたいです。そのためには、日本気圧バルク工業さんに協力してもらわないと」 そう言って笑う渡邉さんの表情は、明るく若々しい。現在のS級選手の最年長は58歳。渡邉さんは「仮にこれから負け続けても、57歳まで選手でいられることは確定しています。だから最年長を目指したい」と力強く宣言する。 もともと「稼げるぞ」と言われて飛び込んだ競輪の世界だった。しかし、長く勝負の世界に身を置き、「お金はたまたまついてきているだけ。一番大事なのは強さ。だから今でも勝ちたいんです」と勝利への貪欲さは尽きない。 頼れる酸素ルームを味方に、将来有望な弟子たちとともに戦い続ける渡邉さんの走りは、まだゴールラインを迎えない。 [caption id="attachment_201550" align="alignnone" width="800"] 現役にこだわり続ける渡邉さんは、『O2Room®』の効果を支えにS級競輪選手最年長(58歳)の更新を目指している[/caption] 文/小野哲史、撮影/望月公雄 ※この記事は『月刊陸上競技』2026年4月号に掲載しています

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