月刊陸上競技が発信する国内初の陸上競技総合Webメディア

【日本ICサイドストーリー】最後のインカレを戦い抜いた日大の闘将・丸山優真


日大を支えた4年生の丸山、橋岡、江島
 9月11日から13日、新潟・デンカビッグスワンスタジアムで行われた日本インカレで、日大が男子総合優勝を果たした。2年ぶり22回目の栄冠。その中心にいたのは、橋岡優輝、江島雅紀、そして主将の丸山優真だった。入学時から大きな期待を寄せられた3人が戦った最後の日本インカレ。チームをまとめたのは、1年3ヵ月ぶりに競技場に戻ってきた丸山だった。

橋岡、江島が頂点に立つ

 これまで数々の実績を残してきた日大が誇る“三本柱”にとって、これが最後のインカレだった。「うれしいの一言です。一人ひとりが自分の目標に向かって頑張ってくれたと思います」。男子総合優勝を果たした日大の主将・丸山優真は感慨に浸った。

 初日の男子走幅跳。橋岡優輝が8m29(-0.6)という自身2番目となる記録をマークし、大会新で優勝。無観客の中で行われたインカレだったが、これで会場の雰囲気はガラッと変わった。
日本ICクローズアップ/走幅跳・橋岡優輝が見せた世界への助走

 最終日の棒高跳では、江島雅紀が5m40を跳んで優勝。実は左脚を痛めており、満身創痍の状況だった。だが、最後のインカレに臨み、そして勝ち切った。

「うれしいのと、記録面で悔しいのと両方。日本インカレに4回出させてもらって、最後はこのタスキ(がかかるユニフォーム)を着て連覇できたのはうれしかったです」

 棄権も考えたというが、「前日まで悩んでいたのですが、橋岡や丸山ががんばっているのを見て、総合優勝のために8点を取りたかったです」。同期の吉田賢明も3位入賞。最後のインカレで一緒に表彰台に上った。学生で競技から離れるつもりの吉田は「江島はやっぱりすごい奴です」と、高校時代から戦ってきた仲間を称えた。

棒高跳は江島と吉田の2人で表彰台に上った

 喜び、重圧からの解放、安堵感。スタンドでは、橋岡、丸山が声援を送っていた。その姿を見て、江島は泣いた。

 この他にも、400mで井上大地(3年)が制し、同5位に鵜池優至(4年)が入り、院生の山本竜大が400mハードル優勝、ハンマー投では福田翔大が2年生V。だが、その中心にいたのは、間違いなく主将の丸山優真だった。

丸山が主将として戦い抜く


1年3ヵ月ぶりの実戦復帰を果たした丸山
 十種競技の若手のホープだった丸山を悲劇が襲ったのは昨年の6月の日本選手権。関東インカレでも少し痛めていた背中に強烈な痛みが襲った。「胸椎椎間板ヘルニア」を発症し、途中棄権。そこから長い闘病の日々が始まった。

「これ以上やったら危なかった」と医師に告げられるほどで、一時は競技どころか、日常生活も危ぶまれた。手術をするのも難しい部位で、何度も検討されたものの自然治癒を優先。「これからどうなるんだろう」。元通りになるかどうか、不透明だった。

 それでも丸山は、我慢、我慢、我慢。あれだけ身体を動かすことが取り柄で、大好きだった大男が、自分の将来と可能性を信じ、我慢を続けた。

「痛みが取れてから、走れる状態なのに練習を我慢するのが一番しんどかったです。毎朝、起きてから『無理するな』と言い聞かせていましたね」

 戦線離脱している丸山に、名門・日大は主将という大役を託す。

 丸山の背中は奇跡的に症状が改善。今年1月から少しずつ練習を再開し、合間を縫ってピラティスに通って体幹や身体の使い方を見直した。

「今回の目標はケガなく終えること」

 始まる前、そう笑顔を見せていたが、それは半分かなって、半分かなわなかった。

 1年3ヵ月ぶりに復帰戦。まだスプリント練習もしていない状況であることと、投てきや跳躍種目は背中への負荷を考慮して本数を絞った。加えて、左ハムストリングスを肉離れした影響と足首の痛みもある状態。初日の最終種目の400mでは「痛みも出て無理してしまった」と言い、途中で辞めることも考えたが、どうしても最後まで戦いたかった理由がある。

「去年の日本インカレで、4点差で(順大に)負けて総合連覇が7で途切れてしまいました。僕が出られていれば」

 その思いは丸山だけでなく、江島も、橋岡も、日大の誰もが抱いていた共通のもの。

 ハムストリングスと足首は種目をこなすごとに痛みを増した。加藤弘一部長から「お前の将来のためにやめよう」と説得を試みたが、「主将として戦いたかった」。

 結果は7278点で3位。400mでは十種競技でのベストとなる49秒96をマークした。「総合優勝に懸けていた思いが強かったので、3位で点数を取ることができたと思います」。2年ぶり22回目の総合優勝。仲間を誇るように、表彰式に出席した。

「大きなケガもなく、悪化しなくてよかった。十種競技はタフな競技だと改めて実感しました。まだまだ初心者ですし、課題しかないです。本当だったらインカレも、日本選手権も出られない予定だった。率直に楽しかったです。出られただけで、幸せです」

 まだ万全な状態でないのは自分が一番わかっているはず。それでも、「ボルトになる」と豪語していた中学時代から絶対に変わることのない“根拠のない自信”が、いつも丸山を突き動かしてきた。

「日本選手権で2番になってアジア選手権につながるようにしたい。右代(啓祐)さんと(中村)明彦さんと勝負して勝つ」

 期待を一身に背負って名門の扉を開け、想像以上の結果を残し続けてきた4年生世代。その目に見える実績以上に、同期や後輩たちの「当たり前」のレベルを高く引き上げた功績は計り知れない。

 華やかさも、強さも、苦しみを乗り越える泥臭さも見せた3人が、一緒のチームで戦う姿が見られなくなるのは一抹の寂しさを感じる。次に同じユニフォームを着て“チーム”として戦うのは、きっと「JAPAN」を背負う時。きっと、そんなに遠い将来の話ではないだろう。

文/向永拓史



月刊陸上競技最新号

WordPress Theme NATURAL PRESS by WEB-JOZU.com