東京世界陸上の男子400m予選で44秒44の日本新を樹立し、準決勝でも2位となって決勝に進んだ中島佑気ジョセフ(富士通)。34年ぶりファイナルを果たした中島の、大会直前の本誌特集記事を特別に月陸Onlineで公開する。
苦しみ抜いてつかんだ記録と世界への切符だった。体調不良とケガで出遅れたが、本番を前に待望の44秒台へと突入。上り調子で聖地へと向かう。生まれ育った故郷であり、日本男子ロングスプリントにとって特別な場所。伝説を塗り替える準備が整った。
出鼻をくじかれたシーズンイン
東洋大時代にブレークスルーを果たし、23年に日本選手権で初優勝、45秒1台を連発した時は、まさか“45秒の壁”を破るまでこれだけの時間を要するとは本人も、周囲も思っていなかった。だからこそ、富士北麓ワールドトライアルの44秒84は「やっと出た」という思いが大きい。
「44秒台だけではダメだったので、すぐには喜べなくて……。飛んでいた虫に(判定器が)反応していたらどうしよう、と」
有効期間の8月24日までに出られる残り試合数を考えれば、欲しいのは44秒台ではなく、東京世界選手権の参加標準記録『44秒85』以上だった。「走っていた感触もそんなにタイムが出ている感じがしなかったんです」。祈るように待ち、確定した。重く、固く閉ざされていた扉が一気に開いた。「こんなことってあるんだなって」。もう一つ、“やっと”超えられたものがある。城西高(東京)時代の恩師でもある山村貴彦先生の生涯記録である45秒03。「早く抜いていいよ」と言われていたが、0.01秒に迫ってから2年かかった。立派な恩返しだ。
自国開催、しかも生まれ育った東京での世界選手権への道のりは険しいものだった。昨年のパリ五輪後は少し燃え尽きた部分もあり、400mは1レースのみ。「アジア選手権にも出場できそうでしたし、日本選手権までにしっかり記録もポイントも狙っていこうというプラン」で世界選手権を見据えていた。だが、「散々なスタート」になってしまう。
2月に両脚の脛の疲労骨折が見つかり1ヵ月ほど練習をストップ。その後、前年度に続いて米国に渡り、南カリフォルニア大でトレーニングとなったが、またも出鼻をくじかれる。「4月10日頃に熱が出て、異常なほど咳が止まらなくなったんです」。病院に行くと肺炎だと診断され、初戦の予定だったマウントサックリレー(200m)も出られなかった。1週間は寝たきりで「何をしにアメリカに来たんだろう」と落ち込んだ。
帰国してからは母校・東洋大で練習を再開したが「静岡国際もあって、少し焦って出力上げてしまったんです」。4月27日の練習で右脚が悲鳴を上げた。「急に筋肉がグッと引っ張られました。あまり肉離れはしないタイプだったので信じられなかったです」。振り返ると、米国遠征は“諸刃の剣”だった。日々、「試合のような質の高さ」で自らを追い込み、国内では得がたいスピード感を肌身で覚えられる。一方で、走りのバランスを見失うリスクもある。加えて、「肺炎の影響で筋力も弱っていた」ところで負担がかかった。「ケガの原因は一つではなくて、いろんな要素があります」。5月末のアジア選手権も「厳しいだろう」とドクターに説得されて辞退することとなる。
「途方に暮れました。自分の陸上選手としてのキャリアの中で、地元開催の世界大会は2度とないだろうと思います。もう絶望的でしたし、陸上が嫌になりました」
ケガで焦りつつ「根拠のない自信」
日本選手権には何とか間に合ったものの、「全然ダメ。本来の走りができませんでした」と、45秒81の5位。東洋大監督の梶原道明コーチは「脚は良くなったのですが、どうしても腰が落ちて、ハムストリングスに頼りがちな動きになっていました」と見ていた。中島自身も「痛みはなくても、違和感があって右脚で力が発揮できなかったです。良い時と悪い時の差が激しかった」と当時を振り返る。
持ち味でもある、臀部をしっかり使ったリズムの良い走りを取り戻すべく、スキップやミニハードルを使ったドリルなどに精力的に取り組んだ。そうすると、300mでも「32秒くらい出て、タイムは上がってきた」が、「ちょっと力を使い過ぎていた」と梶原コーチ。それでも、状態は着実に良くなっていった。
「身体は大きいけど、大きく使おうとすると失敗します。良い時は効率良く使って、そうすれば自然とストライドが伸びるんです。少しずつ良くなっていきましたね」
中島は「レースを重ねて良くなっていくタイプ」と自認しているが、心のどこかで、日本選手権後最初のレースとなる富士北麓で「(標準を)切るならここ」と思っていたという。「日本選手権の45秒81から、1ヵ月弱で44秒85は現実的ではないとわかっていましたが、根拠のない自信がありました。それは、『ここ最近、練習で走れてきたから』とかではない。やっぱり、自分は個人で世界選手権に出なければいけないという使命がある、と。だから、焦りはありましたが、どっしりと構えて、やるべきことをすれば大丈夫だと言い聞かせていました」
富士北麓は大学3年だった2022年に当時自己新だった45秒51を出しており、良いイメージもあった。「記録を意識しつつも執着するのではなく、すごく冷静で、自分の動きに集中しました」。前半から良い意味で力感もなく、スーッと加速していき、ラストまで脚が動いた。「23年の一番パフォーマンスが安定していた時も力感があるのが拭えなくて……。今思うと、ずっと記録に追われていたところがあったと思います」。動きに集中したことで、日本人4人目の44秒台突入を果たした。
400mのレースの作り方も変化。「前はスピードを切り替えようとしてがんばってしまっていました。今はスピード低下を無理に抑えるより、どれだけリラックスして流れを崩さないか。スタートからフィニッシュまで、よどみなく進められるかをポイントにしています」。ラストでがむしゃらに走った時の強さは特徴でもあったが、「タイミングを合わせて走る」意識でいると、低減率を抑えられると考えている。
出鼻をくじかれたシーズンイン
東洋大時代にブレークスルーを果たし、23年に日本選手権で初優勝、45秒1台を連発した時は、まさか“45秒の壁”を破るまでこれだけの時間を要するとは本人も、周囲も思っていなかった。だからこそ、富士北麓ワールドトライアルの44秒84は「やっと出た」という思いが大きい。 「44秒台だけではダメだったので、すぐには喜べなくて……。飛んでいた虫に(判定器が)反応していたらどうしよう、と」 有効期間の8月24日までに出られる残り試合数を考えれば、欲しいのは44秒台ではなく、東京世界選手権の参加標準記録『44秒85』以上だった。「走っていた感触もそんなにタイムが出ている感じがしなかったんです」。祈るように待ち、確定した。重く、固く閉ざされていた扉が一気に開いた。「こんなことってあるんだなって」。もう一つ、“やっと”超えられたものがある。城西高(東京)時代の恩師でもある山村貴彦先生の生涯記録である45秒03。「早く抜いていいよ」と言われていたが、0.01秒に迫ってから2年かかった。立派な恩返しだ。 [caption id="attachment_183678" align="alignnone" width="800"]
 富士北麓ワールドトライアルで44秒台に突入。大学の先輩で今もともに練習する吉津拓歩(ミキハウス)と喜びを分かち合った[/caption]
自国開催、しかも生まれ育った東京での世界選手権への道のりは険しいものだった。昨年のパリ五輪後は少し燃え尽きた部分もあり、400mは1レースのみ。「アジア選手権にも出場できそうでしたし、日本選手権までにしっかり記録もポイントも狙っていこうというプラン」で世界選手権を見据えていた。だが、「散々なスタート」になってしまう。
2月に両脚の脛の疲労骨折が見つかり1ヵ月ほど練習をストップ。その後、前年度に続いて米国に渡り、南カリフォルニア大でトレーニングとなったが、またも出鼻をくじかれる。「4月10日頃に熱が出て、異常なほど咳が止まらなくなったんです」。病院に行くと肺炎だと診断され、初戦の予定だったマウントサックリレー(200m)も出られなかった。1週間は寝たきりで「何をしにアメリカに来たんだろう」と落ち込んだ。
帰国してからは母校・東洋大で練習を再開したが「静岡国際もあって、少し焦って出力上げてしまったんです」。4月27日の練習で右脚が悲鳴を上げた。「急に筋肉がグッと引っ張られました。あまり肉離れはしないタイプだったので信じられなかったです」。振り返ると、米国遠征は“諸刃の剣”だった。日々、「試合のような質の高さ」で自らを追い込み、国内では得がたいスピード感を肌身で覚えられる。一方で、走りのバランスを見失うリスクもある。加えて、「肺炎の影響で筋力も弱っていた」ところで負担がかかった。「ケガの原因は一つではなくて、いろんな要素があります」。5月末のアジア選手権も「厳しいだろう」とドクターに説得されて辞退することとなる。
「途方に暮れました。自分の陸上選手としてのキャリアの中で、地元開催の世界大会は2度とないだろうと思います。もう絶望的でしたし、陸上が嫌になりました」
ケガで焦りつつ「根拠のない自信」
日本選手権には何とか間に合ったものの、「全然ダメ。本来の走りができませんでした」と、45秒81の5位。東洋大監督の梶原道明コーチは「脚は良くなったのですが、どうしても腰が落ちて、ハムストリングスに頼りがちな動きになっていました」と見ていた。中島自身も「痛みはなくても、違和感があって右脚で力が発揮できなかったです。良い時と悪い時の差が激しかった」と当時を振り返る。
持ち味でもある、臀部をしっかり使ったリズムの良い走りを取り戻すべく、スキップやミニハードルを使ったドリルなどに精力的に取り組んだ。そうすると、300mでも「32秒くらい出て、タイムは上がってきた」が、「ちょっと力を使い過ぎていた」と梶原コーチ。それでも、状態は着実に良くなっていった。
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 前半を意識し、同じ力感でストライドを少しずつ広げるイメージでミニハードルを使って練習[/caption]
「身体は大きいけど、大きく使おうとすると失敗します。良い時は効率良く使って、そうすれば自然とストライドが伸びるんです。少しずつ良くなっていきましたね」
中島は「レースを重ねて良くなっていくタイプ」と自認しているが、心のどこかで、日本選手権後最初のレースとなる富士北麓で「(標準を)切るならここ」と思っていたという。「日本選手権の45秒81から、1ヵ月弱で44秒85は現実的ではないとわかっていましたが、根拠のない自信がありました。それは、『ここ最近、練習で走れてきたから』とかではない。やっぱり、自分は個人で世界選手権に出なければいけないという使命がある、と。だから、焦りはありましたが、どっしりと構えて、やるべきことをすれば大丈夫だと言い聞かせていました」
富士北麓は大学3年だった2022年に当時自己新だった45秒51を出しており、良いイメージもあった。「記録を意識しつつも執着するのではなく、すごく冷静で、自分の動きに集中しました」。前半から良い意味で力感もなく、スーッと加速していき、ラストまで脚が動いた。「23年の一番パフォーマンスが安定していた時も力感があるのが拭えなくて……。今思うと、ずっと記録に追われていたところがあったと思います」。動きに集中したことで、日本人4人目の44秒台突入を果たした。
400mのレースの作り方も変化。「前はスピードを切り替えようとしてがんばってしまっていました。今はスピード低下を無理に抑えるより、どれだけリラックスして流れを崩さないか。スタートからフィニッシュまで、よどみなく進められるかをポイントにしています」。ラストでがむしゃらに走った時の強さは特徴でもあったが、「タイミングを合わせて走る」意識でいると、低減率を抑えられると考えている。
日本人34年ぶりファイナルを目指して
ブダペスト、パリ五輪に続いて、3度目の個人代表で、初めて『44秒台スプリンター』として挑む。「大会の1ヵ月半前にステップを踏めたのは大きい」と自信を深めつつ、「まだまだやりたいことはある」とも。「前半、もうちょっとスピードを高めて、同じエネルギー消費で速くできれば、あと0.2~0.3秒は上がると思います。海外勢と並ぶと、勝手に力も出ると考えると、0.5秒は縮められる」。決勝をしっかり目指せる44秒3という数字が見えてきた。 [caption id="attachment_183682" align="alignnone" width="800"]
 男子4×400mRのエースにも成長。昨年のパリ五輪(6位)では1走を務めて流れを作った[/caption]
「停滞感をようやく打ち破れたので、ワールドクラス、トップ層に食い込めるビジョンが現実的になってきました」
22年オレゴン大会で4位、24年パリ五輪で6位に入った4×400mリレーへの思い入れも強い。「近年はメンバーもある程度は固定されていましたが、若い層も台頭してきました。継続して決勝の常連国になって、表彰台に上れるような国になるためには必要なこと。僕が入ったばかりの時の先輩たちがそうだったように、経験の少ない選手が安心して走れるように、僕がチームを引っ張っていく立場になりたい」と言い、「コーチ陣も含めて、世代を超えてチームが形成されています。自国開催でメダルが取れれば、何物にも代えがたい喜びです」と表彰台を見据えている。
“東京と400m”は日本陸上界にとって特別なものだ。1991年、1回目の東京世界選手権で高野進が初の決勝進出。その髙野が作った44秒78の日本記録は32年も止まっていた。それを動かしたのが、佐藤拳太郎(富士通)であり、近づいたのが佐藤風雅(ミズノ)と中島だった。
「今の44秒8と、当時の44秒7とは差があると思っています。偉大な髙野先生に並んで、超えるには、やっぱりタイムだけじゃなく、決勝に行って初めて少し肩を並べられると思います。同じ東京での世界選手権で、もう一度400mの決勝に日本人が行ったらおもしろいですよね。しっかり受け継いでいきたい」
34年ぶりの東京開催で、34年ぶりの日本人ファイナルへ。ポイントに置くのは「予選は力を出し切らずに着順通過すること」だという。「タイムや結果を出さないといけないというプレッシャーは感じず、自分の思うままに走りたい」。本能を解き放ち、いざ――。
文/向永拓史
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 「ワールドクラス、トップ層に食い込めるビジョンが現実的になってきた」と語る中島[/caption]
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