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東京マラソンで世界歴代6位! ジョガーからプロランナーへ転向したサルペーター

【Web特別記事】

東京マラソンで世界歴代6位! ジョガーからプロランナーへ転向したサルペーター


3月1日に行われた東京マラソン2020。男子は大迫傑(Nike)の日本記録に沸く一方、女子でも偉大な記録がマークされた。イスラエルのローナ・サルペーターが、2時間17分45秒をマークして優勝。大会新記録のみならず、世界歴代6位、国内最高記録で走破してみせた。

ケニア出身の31歳で、5歳の息子・ロイ君を持つ。「健康のため」に始めたジョギングだったが、いつしか世界屈指のマラソンランナーへと成長。一体、どんな経歴の選手なのだろうか。実は、本誌では2019年9月号で特集済み。当時の記事を一部修正、加筆して紹介する。

 

 2019年5月5日、プラハ・マラソンの女子でローナ・チェムタイ・サルペーター(旧姓・コルリマ)は、かなり強い風のなか、終盤独走して2時間19分46秒で圧勝した。この記録は欧州歴代3位の好記録だ。チェコ国内で初めての〝サブ20〟の大会新記録だった。当然、5月の欧州月間最優秀女子選手に選考された。

 7月6日、サルペーターは英国・ロンドンで開催された欧州10000mカップ戦でステファン・ツウェル(英国)に残り600mでトップを譲るものの、31分15秒78の自己新記録、イスラエル新記録を樹立して2位。「昨年の欧州選手権後、マラソン練習が主体だったので、スピードが落ちていないかの確認を兼ねてのレースだったけど、欧州選手権よりスピードもついたし、むしろ強くなっている自分を再確認した」というのがレース後のコメントだった。

 続く7月21日、ダイヤモンドリーグ(DL)・ロンドン大会5000mで世界トップのトラックランナーと争い、14位ながら14分59秒02のイスラエル新記録、自己新をマークした。

 サルペーターは、日本ではほとんど知られていないケニア生まれのランナー。イスラエルのケニア大使にナニー(注:保育のプロとして専門のトレーニングを受けて知識や技術を持った人が子供の見るだけではなく子供の送迎や料理、家事など、さまざまな仕事をこなす人)として雇われて首都テルアビブへ。そこで健康のために走り始めた「ジョガー」から、今年で10年目。イスラエル国内で成長してきた選手だ。

キャリアの出発は「健康のため」

東京マラソンで世界歴代6位の2時間17分45秒をマークしたサルペーター

 サルペーターの生まれ故郷は、南スーダンに近いケニア西部のカプカンヤー村。元世界記録保持者のテグラ・ロルーペと同郷の、「西ポコット」カウンティ出身だ。ケニア女性マラソンの先駆者・ロルーペと同じ町、しかも世界的なランナーの宝庫「カレンジン」出身であれば、中長距離・マラソンDNAの持ち主でも不思議ではない。

 小学校の頃からいろんなスポーツを経験してきたが、特に走ることが大好きだった。試合で勝ったり負けたり、レースも裸足で800m~10000m、時にはリレーまでも走ったという。

 2008年12月、イスラエル・テルアビブを訪れたのが初めての海外だった。ケニア大使一家を支える「ナニー」の仕事。要するに子供の送迎や料理、家事など、家庭内のさまざまな仕事のために、大使一家と一緒に母国を離れたのだ。

 初めての異国の地での生活だったが、慣れるに従って、自由時間になるとまた走りたくなったのだという。「2010年頃に、健康のために近くの公園内で他のジョガーに交じってジョギングを始めました」とサルペーターは、当時を笑顔で振り返る。

「私にとって走ることは、第一に健康のための楽しいジョギングだった。ランニングは私の日常生活のエネルギー源です。身体を動かすことを止めると気持ちが悪く、メンタルまでダメになります。走ることは肉体、精神的にも素晴らしいフィーリングをもたらしてくれます」

 どうやら、根っからのランニング大好き人間だ。とはいえ、「正直言って、ジョギングを始めた頃は将来プロランナーになるなんて夢にも思いませんでした」とも話す。

 走り出してから数週間後のある日、公園内で「モティ」と呼ばれるコーチに声をかけられた。「1人で走るのは退屈だろう。我々のチームと一緒に走らないか?」と誘われ、そのグループのランナーと一緒に走るようになった。

 さらに数週間後、モティ・コーチが「あなたはランナーとしての素晴らしい素質がある」と言って、ナショナル・コーチのダン・サルペーター氏を紹介されたのだ。ダンは元中距離(自己ベスト:800m 1 分55秒75、1500m3分50秒64)、マウンテンレース・ランナーだった。彼は「彼女の走りを見て、徐々に長距離の競技者になるよう口説いた」と言う。

 最初から、コーチたちに「走りが良い。素質がある」など、次々と甘い褒め言葉を投げかけられ、勇気づけられたが、サルペーター自身は彼らの言うことを100%信用できなかったし、彼女自身にそんな素質があるとは思ってもいなかった。しかし、「どこまでやれるか」という挑戦の意欲を湧き起こすきっかけになった。

「彼(ダン)と同居するようになり、2014年に結婚。12月に息子のロイを出産。2ヵ月後に軽い練習を始めました。でも、2015年の1年間はトップシェイプに復帰できるよう懸命に努力しましたが、日常の生活に追われ、練習、子供の世話、家事などを手際良くできるようになるまでは大変でした。とにかく、この1年間は大変な苦労とエネルギーを消化しました」

イスラエル国籍を取得してリオ五輪へ

 2015年は、翌年にリオ五輪が控えていたが、当初は「リオ五輪出場なんて、私にとってハードルがとても高く、真剣に出場を考えたこともありません」。トラック、マラソンともにまだまだ自信を持って出場できる実力、国際レース経験などはない。その前に、イスラエル国籍を取得する必要があった。

 しかし、夫のダンをはじめ、周囲の人たちからは、「イスラエル代表として、ぜひリオ五輪に挑戦するべきだ。トラックよりはマラソンを走るほうがきつくはないだろう。あなたならマラソンのリオ五輪参加標準記録(2時間45分00秒)を破ることは難しくない。やればできる!」と説得された。

「私より周りが熱くなってうるさかったですね」と笑って冗談めかすものの、「周りの雰囲気に乗って、自分でも『走ってみるか』と思い始めました」とサルペーター。2016年2月26日、地元のテルアビブ・マラソンに出場。初マラソンは、2時間40分17秒で優勝した。リオ五輪参加標準記録を5分近く上回り、「私よりも友達が驚き、興奮して祝福してくれたのを覚えています」と振り返る。

 ただ、リオ五輪出場への〝第一難関〟を突破したものの、イスラエル国籍取得は最後の最後まで複雑な手続きを踏まなければならなかった。

「審査が慎重で遅くて……。しかし、最終的にダンの忍耐と人脈を使った支援の結果、五輪の最終エントリー期日の数日前、ほとんど五輪参加をあきらめていたころ、やっと国籍を取得できたのです。ホッとしました」

 出場がかなったリオ五輪だが、「完走することでさえ不安がいっぱいでした」とサルペーターは振り返る。レースが始まると、「母乳がたくさん出ていたので乳房が大きくなり、その重みで長い距離を走ると肩が痛くなって苦しみました」。最終的に、33km付近で途中棄権し、サルペーターの初めての五輪は終わった。

 とはいえ、「非常に有意義な貴重な体験ができたと思います」と悲観はしていない。ダンも、「決して失敗ではない。これから10年間持ち続けた素晴らしいポテンシャルを生かして、世界に飛び出す」ときっぱり語った。

ケニアでの高地トレーニングで成長

高地トレーニングでその才能がさらに輝いたという

 リオ五輪からわずか1ヵ月後、9月のベルリン・マラソンに出場して2時間40分16秒。翌年8月のロンドン世界選手権は2時間40分22秒(41位)。「世界に飛び出す」という宣言とは裏腹に、記録は低調なものだった。

 そのため、これまでのアマチュア的な手法から脱却し、基礎から徹底的に学ぶことから世界に向けてスタート。長期的な計画を立て、スピードを磨くためにトラック練習を多く取り入れた。ケニアに飛んで、イテンで初めての高地練習も行った。

「ケニア人ランナーがどのような練習環境で日常の練習に取り組んでいるか、自分の目で確かめたかったのです。彼らと同じ環境で生活、合同練習を経験し、情報を交換することで、多くのことを学びました。レナト・カノヴァ・コーチから最初にアドバイスをもらったのは、私たちが初めてイテンで合宿した時です。彼は、私に『欧州選手権はマラソンが最適だろうが、10000mでメダル獲得のチャンスはゼロだ』とアドバイスをくれました。でも、その時点で10000mへの出場を決めていたので、彼のアドバイスを無視して出場しました。その後、彼からマラソンのアイデア、アドバイスを受けて助かりました」

 2018年に掲げた2人の目標は、ドイツ・ベルリンで開催される欧州選手権5000m、10000mのメダル獲得。あわよくば金メダルに照準を合わせた。ケニア選手らとの厳しい合同練習を繰り返すと、サルペーターは急激に力をつけた。そして、欧州選手権の10000mで、イスラエル女性史上初の優勝を果たした。

「欧州選手権の優勝は、何度も夢に見ました。いまだに現実と信じることができないほど、夢のようなことでした。国の誇り、家族の誇りですし、厳しい練習に耐え抜いたことが私の誇りです」

この時のイスラエル国民の関心は非常に高く、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は、SNSで「優勝おめでとう! 国の誇りだ!」と彼女の活躍を称えた。

 5000m決勝では最後の1周まで2位につけていたものの、最終周を間違えた影響で4位まで後退(最終的に失格)するという大失敗をしたが、「国民が私の悔しさをよく理解してくれました。温かい応援のお陰で悔しさを忘れ、一層強くなり、もっとイスラエルのためにがんばろうと大きなモチベーションになりました」とサルペーター。この功績によって、国から賞金約1100万円が与えられたが、それ以上に大きな自信を得た。

マラソンで東京五輪へ

現在は世界トップランナーの一人として認められるようになった

 2019年に入っても、サルペーターの勢いは止まらない。4月のプラハ・ハーフで1時間6分09秒をマークすると、5月のプラハ・マラソンでは初の〝サブ20〟となる2時間19分46秒で優勝した。

 プラハ・マラソンでは、スタート時は曇りで日が差すこともあったが、気温5度と低く、風も少しあった。前半からハイペースで進み、ハーフを1時間10分12秒で通過。後半は独走となり、終盤に向かい風が強くなったが、最後までスピードは衰えなかった。後半はネガティブスプリットの1時間9分34秒。2位に約3分の大差をつけた。

 ドーハ世界選手権は途中棄権に終わったが、10月にはドイツ・フランクフルトで2時間23分11秒をマークしている。東京五輪に向けては、「今の私は〝マラソンランナー〟です」とマラソンでの出場を目指している。

「これまでのマラソンは、トラックと比較すると準備が楽で、レースが楽しめます。イスラエル国内では、東京五輪で陸上競技初のメダル獲得、あわよくば金メダルの可能性も出てきたとメディアに取り上げられるようになりました。人々が私を信用し、応援してくれるのは、私の大きなモチベーションになります。しっかりと練習に集中し、ハードな練習を積んで期待に応えたいと思います。

 思えば、18年秋のリスボン・ハーフ(1時間7分55秒)でレース関係者から『近い将来2時間20分を切れる』と太鼓判を押され、それが翌年に現実となってハーフ、マラソンで走るたびに自己記録を大きく更新でき、大きな自信を持つことができました。努力次第で不可能なことはありません」

 ダン・コーチも、「ローナはこれまでの努力が実り、大きくブレイクしたと思います。特に、リオ五輪後から飛躍的にタイムが短縮でき、好結果が得られました。走るたびに自己記録を更新する驚くべき進歩です。我々の方向性は間違っていないと確信しています。失うものはありません。ローナとともに、東京五輪に向けてベストを尽くします」と話す。

 30歳を超えて急速に進化し続けるサルペーター。さらに世界を驚かせる結果を出すかもしれない。

(2019年9月号より一部修正・加筆して転載)



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