2020.01.14
日本の希望。~Hope of Japan~
Olympic Year Special Cross Talk
橋岡優輝 & 江島雅紀 & 北口榛花
いよいよ幕を開けたオリンピックイヤー。「日本の希望」とも言える走幅跳・橋岡優輝、棒高跳・江島雅紀、やり投・北口榛花というドーハ世界選手権に出場した日大の3人が語る、それぞれの想いとは――。
構成/向永拓史
写真/船越陽一郎、樋口俊秀
東京五輪決定時は中高生
2013年9月。7年後に2度目の東京でのオリンピック開催が決まった。その時、北口榛花は初めてのインターハイを終えたばかり。橋岡優輝、江島雅紀はまだ中学生だった。
それから6年後。そろって日本選手権を制した3人は、灼熱の地、カタール・ドーハに立った。初の世界選手権は、悔しさ、充実感。さまざまな想いが交錯するものだった。
年が明け、「TOKYO2020」がすぐそこまで迫る。ぼんやりと思い描いていた夢舞台が現実的な目標となるまで、3人はどのように成長を遂げてきたのだろうか。
橋岡 シーズンが終わると早かったって思うけど、試合が続くと曜日感覚がなくなるから、「今、何年」とかあまり意識できない。
北口 シーズン中は長いよね。
江島 いつも通り「年が明けたなぁ」って感じで、特別感はないかな。
北口 東京オリンピックが決まったのは2013年だから、私は高1だった。
橋岡 僕らは中3です。
江島 決定した瞬間の「TOKYO!」からもう7年か。そう考えると早かったな。当時、僕は陸上を続けるか迷っていた。
橋岡 僕は全中の四種競技で3位になったあと、ジュニア五輪に出るために必死で走高跳を跳んでいたかな。
江島 「オリンピックが日本で開催されるんだ」くらい。興味はあったけど、そこまで真剣に考えていなかったですよね?
北口 そもそも、私はまだ陸上を始めたばっかりだった。
橋岡 でも陸上でオリンピックに出たいな、とは思っていたかな。友達に「オリンピック目指してがんばって」と言われて、「おっしゃ、出るぞ!」って感じ。
北口 陸上強豪校ではなかったから、私もすごく応援してもらった。
橋岡 何の種目とかはまったく考えていなかったですけど。オリンピックに四種競技はないから。今ほど具体的ではなくて、めちゃくちゃ漠然としたものでしたね。
江島 卒業アルバムに、「オリンピックに出てね」とメッセージをもらったのを覚えている。橋岡と一緒で、その時は口だけで「がんばる!」としか言えなかったけど。
橋岡 中学生だったし。
江島 あれから6年。2019年には3人で世界選手権に行けた。先に2人が決めていたから、8月末の記録会が参加標準記録を切る最後のチャンスで、「やるしかない」って。しかも先に澤野さん(大地/富士通、日大コーチ)が(参加標準の)5m71を跳んだ。
昨年は8月末の記録会で自己新の5m71を成功させ、初の世界選手権出場を果たした男子棒高跳の江島雅紀
橋岡 澤野さんがクリアしたのは驚いた。やっぱり〝レジェンド〟だよ。
江島 本当に鳥肌が立ったし、自分も跳ばないといけないって思った。
橋岡 江島も普通に跳べれば、(5m71は)行けると思っていた。さすが!
北口 よかったーってホッとしたよ。
橋岡 3人で世界選手権を決められたけど、日程がほとんどかぶっていなかったよね。
江島 僕はどっちの試合も観られたけど、2人はお互いに……。
北口 観られなかったね。
橋岡 ぱるさん(北口)がドーハに来て2日くらいしか顔を合わさず、「お先に失礼します」って感じ。家のテレビで応援していました。
北口 橋岡はちゃんと入賞。ここって場面でしっかり跳ぶ。
昨年は男子走幅跳で日本選手権3連覇、学生新となる8m32を跳び、ドーハ世界選手権では日本史上初の8位入賞を果たした橋岡優輝
江島 でも、予選のほうが橋岡の記録は良かったんだよね? 4月に同じドーハでやったアジア選手権でも8m22を跳んでいるし。現地で観ているとすごく悔しがっていた。
橋岡 めちゃくちゃ悔しかったよ。
江島 8位はすごいことだけど、橋岡の能力や性格を知っているから「そうだよな、悔しいよな」って。
橋岡 もっと上で戦えたと思う。やっぱりメダルを取って国旗を持ちたかったな。ぱるさんはもう少しで決勝でしたね。
北口 悔しかったけど、終わったことだし仕方がない。
橋岡 そのあとに66m00の日本新!
江島 世界選手権で試合は終わりだと思っていました。僕は1ヵ月休養しましたから。
北口 私だってそのつもりでがんばっていたんだよ。そうしたら「もう1試合出るぞ」って言われて、北九州カーニバルに出た。
橋岡 ドーハは気温が40度近かった。さすがに疲れもあったのに、普通に練習をしていたら誰かが「66m投げた!」って。
北口 7月からずっと海外にいて、その疲れもあった。だから、私もまさか投げられると思っていなかったよ。
世界選手権では惜しくも決勝進出を逃したものの、10月下旬の北九州カーニバルで66m00の特大日本新を樹立した女子やり投の北口榛花
橋岡 世界選手権で一緒になっても、そんなに特別じゃなかったですよね。大学も同じで、これまでも海外の大会や遠征も一緒。接しやすい存在がいるだけという感じ。
北口 2人とも私を同期だと思っているんじゃない?
江島 そんなことはないです!
橋岡 海外って良い意味で、年の差とか気にしないじゃないですか(笑)。
江島 普段、遠征とか試合の予定を聞くくらいで、陸上や技術的な話はほとんどしない。
北口 2人が最初に会ったのはいつ頃?
江島 高2の日本ユース選手権だよね。
橋岡 うん、同じホテルだった。
江島 たまたま風呂の時間が同じで。「あ、走幅跳ですごい記録を出した〝ヤバイ奴〟だ」って。
橋岡 最初から裸の付き合い! それ以前から存在は知っていたけど、あらためてすれ違うと、背が高くて威圧感がすごかった。
江島 最初は話しかけられないオーラがあったよ。その冬にダイヤモンドアスリートに選ばれてから話すようになった。
橋岡 多分、最初はお互いに〝怖いな〟って思っていたんじゃない?
江島 僕とぱるさんとは世界ユース選手権で一緒。確かキャプテンでしたよね?
北口 そうだよ。どの大会でもキャプテン。
江島 優しい人という印象で、接しやすいし、話しやすかった。
北口 私は橋岡のことをずっと知らなかったんだ。ダイヤモンドアスリートに選ばれた時も、「誰なんだろう」って。何の種目の人かもわからなかった。
江島 2人はU20世界選手権(16年)から話すようになった?
橋岡 そうだね。ぱるさんに「がんばってください」って言ったら、「肘が痛いから無理」って返ってきた。あ、すみません……って。
北口 だって本当に痛かったんだもん!
橋岡 U20世界選手権(10位)に出た経験が、「世界」を意識するきっかけになりました。
北口 私も世界ユースで「世界を相手にできるんだ」っていう気持ちになったかな。
江島 世界ユースでは、ぱるさんと(サニブラウン・アブデル・)ハキームが世界一。「日本人でも勝てる」という新しい感覚が芽生えました。1人じゃなくて2人も金メダル。
北口 500gのやりに苦戦していて予選もひどかったから、1人だけ60mを投げて優勝できるなんてビックリ。うれし過ぎて、今みたいに冷静に話せなかった。
江島 ぱるさんは競技歴もまだ浅かったのに。でも、それに伴う努力もしていた。このまま、次の世代も一緒に戦っていくんだろうなと思っていました。
※この続きは2020年1月14日発売の『月刊陸上競技2月号』をご覧ください。
日本の希望。~Hope of Japan~
Olympic Year Special Cross Talk 橋岡優輝 & 江島雅紀 & 北口榛花
いよいよ幕を開けたオリンピックイヤー。「日本の希望」とも言える走幅跳・橋岡優輝、棒高跳・江島雅紀、やり投・北口榛花というドーハ世界選手権に出場した日大の3人が語る、それぞれの想いとは――。
構成/向永拓史
写真/船越陽一郎、樋口俊秀
東京五輪決定時は中高生
2013年9月。7年後に2度目の東京でのオリンピック開催が決まった。その時、北口榛花は初めてのインターハイを終えたばかり。橋岡優輝、江島雅紀はまだ中学生だった。 それから6年後。そろって日本選手権を制した3人は、灼熱の地、カタール・ドーハに立った。初の世界選手権は、悔しさ、充実感。さまざまな想いが交錯するものだった。 年が明け、「TOKYO2020」がすぐそこまで迫る。ぼんやりと思い描いていた夢舞台が現実的な目標となるまで、3人はどのように成長を遂げてきたのだろうか。 橋岡 シーズンが終わると早かったって思うけど、試合が続くと曜日感覚がなくなるから、「今、何年」とかあまり意識できない。 北口 シーズン中は長いよね。 江島 いつも通り「年が明けたなぁ」って感じで、特別感はないかな。 北口 東京オリンピックが決まったのは2013年だから、私は高1だった。 橋岡 僕らは中3です。 江島 決定した瞬間の「TOKYO!」からもう7年か。そう考えると早かったな。当時、僕は陸上を続けるか迷っていた。 橋岡 僕は全中の四種競技で3位になったあと、ジュニア五輪に出るために必死で走高跳を跳んでいたかな。 江島 「オリンピックが日本で開催されるんだ」くらい。興味はあったけど、そこまで真剣に考えていなかったですよね? 北口 そもそも、私はまだ陸上を始めたばっかりだった。 橋岡 でも陸上でオリンピックに出たいな、とは思っていたかな。友達に「オリンピック目指してがんばって」と言われて、「おっしゃ、出るぞ!」って感じ。 北口 陸上強豪校ではなかったから、私もすごく応援してもらった。 橋岡 何の種目とかはまったく考えていなかったですけど。オリンピックに四種競技はないから。今ほど具体的ではなくて、めちゃくちゃ漠然としたものでしたね。 江島 卒業アルバムに、「オリンピックに出てね」とメッセージをもらったのを覚えている。橋岡と一緒で、その時は口だけで「がんばる!」としか言えなかったけど。 橋岡 中学生だったし。 江島 あれから6年。2019年には3人で世界選手権に行けた。先に2人が決めていたから、8月末の記録会が参加標準記録を切る最後のチャンスで、「やるしかない」って。しかも先に澤野さん(大地/富士通、日大コーチ)が(参加標準の)5m71を跳んだ。
昨年は8月末の記録会で自己新の5m71を成功させ、初の世界選手権出場を果たした男子棒高跳の江島雅紀
橋岡 澤野さんがクリアしたのは驚いた。やっぱり〝レジェンド〟だよ。
江島 本当に鳥肌が立ったし、自分も跳ばないといけないって思った。
橋岡 江島も普通に跳べれば、(5m71は)行けると思っていた。さすが!
北口 よかったーってホッとしたよ。
橋岡 3人で世界選手権を決められたけど、日程がほとんどかぶっていなかったよね。
江島 僕はどっちの試合も観られたけど、2人はお互いに……。
北口 観られなかったね。
橋岡 ぱるさん(北口)がドーハに来て2日くらいしか顔を合わさず、「お先に失礼します」って感じ。家のテレビで応援していました。
北口 橋岡はちゃんと入賞。ここって場面でしっかり跳ぶ。
昨年は男子走幅跳で日本選手権3連覇、学生新となる8m32を跳び、ドーハ世界選手権では日本史上初の8位入賞を果たした橋岡優輝
江島 でも、予選のほうが橋岡の記録は良かったんだよね? 4月に同じドーハでやったアジア選手権でも8m22を跳んでいるし。現地で観ているとすごく悔しがっていた。
橋岡 めちゃくちゃ悔しかったよ。
江島 8位はすごいことだけど、橋岡の能力や性格を知っているから「そうだよな、悔しいよな」って。
橋岡 もっと上で戦えたと思う。やっぱりメダルを取って国旗を持ちたかったな。ぱるさんはもう少しで決勝でしたね。
北口 悔しかったけど、終わったことだし仕方がない。
橋岡 そのあとに66m00の日本新!
江島 世界選手権で試合は終わりだと思っていました。僕は1ヵ月休養しましたから。
北口 私だってそのつもりでがんばっていたんだよ。そうしたら「もう1試合出るぞ」って言われて、北九州カーニバルに出た。
橋岡 ドーハは気温が40度近かった。さすがに疲れもあったのに、普通に練習をしていたら誰かが「66m投げた!」って。
北口 7月からずっと海外にいて、その疲れもあった。だから、私もまさか投げられると思っていなかったよ。
世界選手権では惜しくも決勝進出を逃したものの、10月下旬の北九州カーニバルで66m00の特大日本新を樹立した女子やり投の北口榛花
橋岡 世界選手権で一緒になっても、そんなに特別じゃなかったですよね。大学も同じで、これまでも海外の大会や遠征も一緒。接しやすい存在がいるだけという感じ。
北口 2人とも私を同期だと思っているんじゃない?
江島 そんなことはないです!
橋岡 海外って良い意味で、年の差とか気にしないじゃないですか(笑)。
江島 普段、遠征とか試合の予定を聞くくらいで、陸上や技術的な話はほとんどしない。
北口 2人が最初に会ったのはいつ頃?
江島 高2の日本ユース選手権だよね。
橋岡 うん、同じホテルだった。
江島 たまたま風呂の時間が同じで。「あ、走幅跳ですごい記録を出した〝ヤバイ奴〟だ」って。
橋岡 最初から裸の付き合い! それ以前から存在は知っていたけど、あらためてすれ違うと、背が高くて威圧感がすごかった。
江島 最初は話しかけられないオーラがあったよ。その冬にダイヤモンドアスリートに選ばれてから話すようになった。
橋岡 多分、最初はお互いに〝怖いな〟って思っていたんじゃない?
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江島 僕とぱるさんとは世界ユース選手権で一緒。確かキャプテンでしたよね?
北口 そうだよ。どの大会でもキャプテン。
江島 優しい人という印象で、接しやすいし、話しやすかった。
北口 私は橋岡のことをずっと知らなかったんだ。ダイヤモンドアスリートに選ばれた時も、「誰なんだろう」って。何の種目の人かもわからなかった。
江島 2人はU20世界選手権(16年)から話すようになった?
橋岡 そうだね。ぱるさんに「がんばってください」って言ったら、「肘が痛いから無理」って返ってきた。あ、すみません……って。
北口 だって本当に痛かったんだもん!
橋岡 U20世界選手権(10位)に出た経験が、「世界」を意識するきっかけになりました。
北口 私も世界ユースで「世界を相手にできるんだ」っていう気持ちになったかな。
江島 世界ユースでは、ぱるさんと(サニブラウン・アブデル・)ハキームが世界一。「日本人でも勝てる」という新しい感覚が芽生えました。1人じゃなくて2人も金メダル。
北口 500gのやりに苦戦していて予選もひどかったから、1人だけ60mを投げて優勝できるなんてビックリ。うれし過ぎて、今みたいに冷静に話せなかった。
江島 ぱるさんは競技歴もまだ浅かったのに。でも、それに伴う努力もしていた。このまま、次の世代も一緒に戦っていくんだろうなと思っていました。
※この続きは2020年1月14日発売の『月刊陸上競技2月号』をご覧ください。
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