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【コラム】望月次朗の取材記~「雑ネタ」「裏話」を気の向くままに~(3)

望月次朗
2020世界ハーフマラソン
~「雑ネタ」「裏話」を気の向くままに~
世界中を飛び回るカメラマン・望月次朗(Agence SHOT)による取材記!
望月次朗(Agence SHOT)

ジェイコブ・キプリモの才能と契約を最小にしたエージェントの医者の肩書を持つを持つ/Jiro Mochizuki(Agence SHOT)

PCR検査から申請まで

 10月17日、ポーランド・グディニャで世界ハーフマラソン選手権大会が開催された。日本陸連は当初、選手派遣を公表したが、欧州の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大状況を考慮して中止した。筆者は取材について、早い段階で世界陸連(WA)への申請を終えていたが、大会まで1週間を切って、PCR検査の有無、医者の診断書など、諸々の手続きなど時間に猶予がなく、グディニャ行きを躊躇していた。

 10月に入ると、取材申請のみならず、医者からCOVID-19の徴候の有無の診断証明書、PCR検査証明書(血液検査は不可)、例の綿棒を鼻か口の中に入れて掻き回して粘液を採集して検査する「SWAB」の結果の証明書をWAに送らなければならなかった。さらに、ポーランドのグダニスク空港到着後、迎えのバスに乗車して所定のPCR検査所に直行して、WAの派遣した医者によるPCR検査を受けることなどが義務づけられていた。今後のWA主催の国際大会は、おそらくこのようなコロナ対策基準システム導入して、選手、役員、取材者ら全員をチェック。過剰までの安全を確認、対策を取るようになるだろう。

 パリ市内のクリニック、保健所などに一報を入れると、PCR検査の予約を取るのが2週間先とか、結果待ちでも早くて数日後になるので、規定された期間に証明書を手に入れるのが難しく、間に合いそうもないので、ほぼ取材に行くのはあきらめていたのが正直の話だ。その状況から、時間的にすべての準備が整える可能性が低いので取材をあきらめるだろう、と編集のほうにも一報を入れておいた。

 10月11日、取材仲間のフランス人カメラマンのジャン・ピエール(JP)と電話で「パリでPCR検査を受けるのは時間的に無理だから、グディニャに行くのは止めるよ」と伝えた。彼の住んでいるドルドーニャア県の田舎での検査状況を訊ねると、彼は「人口が少ない田舎ではPCR検査は予約が簡単で、検査結果は翌日にメールで知らせてくれるし、無料だよ!」と、電話の向こうで話している時、パッとアイディアが閃いた!

 すかさず、「もし、村外の住民でも予約を今日入れて明日に検査を実施してくれるならば、明日にTGVで行くから予約を入れてくれないか」と話すと、小生の事情を知っているJPだけに詳しい説明もいらず「30分待っていろ。これから行って予約を取ってくる。たぶん大丈夫だろう」と、頼もしく引き受けてくれた。

 心配なのは、村外からの検査申し込みを扱ってくれるかだった。TGVで行く、と簡単に言ったが、フランスのへそに当たるドルドーニャア県にある人口30人の「ラ・ブルース」村まで、パリからおよそ往復1000km、車で約7時間かかる。でも、せっかくの取材のチャンスを逃すことは、なんとなく何かに屈したような気がして、最後のチャンスに懸けずにはいられなかった。

 JPはフランス人の同業者で、ドーハ世界選手権大会で「フォトチーフ」を務めた、やはり陸上競技を専門に取材するカメラマンだ。欧州の陸上競技大会のメディアは年々減少の傾向にある。10年ぐらい前まで、欧州、アメリカにも陸上競技専門のカメラマン、ジャーナリストらがいて、伝統的な大きな国際大会には必ず顔を出していたものだが、ベテランが引退すると、若い世代の後継者がすっかりいなくなってしまった。欧州でも陸上競技取材専門のカメラマンは、小生が知っているのは4、5人だけの少数になってしまった。

 一緒にかれこれ25年ぐらい五輪、世界選手権、欧州選手権、ダイヤモンドリーグ(DL)など、数々の取材旅行を共にしているが、フランスでも同じような状況だ。彼は生まれが田舎でパリ育ち。最近、老いた母親の近くに住居を構え、生まれ故郷に引っ越した。故郷の町長は同級生で、村の無給理事メンバーを務めている。JPから連絡が入り、わざわざ車でPCR検査所に出向き、事情を説明して、10月13日の朝10時半から12時半までの2時間に検査を受けるように予約を取ってくれた、と。

 モンパルナス駅から「TGVアトランティック」に乗り、約2時間半でアングレーム市に着く。ここから目的地のアブジエット・スール・バンディアット町(人口625人)までの距離は約70㎞あるとか。バスもあるが1日に数本しかないので、JPがアングレーム駅まで迎えに来てくれることになったのはありがたい。早速、インターネットでTGVを予約すると、コロナ禍の影響で人の動きが少ないらしく、通常価格の半値以下の往復70ユーロだった。

 4時半に起床。朝食を取ってからタクシーでモンパルナス駅に到着。6時15分発のボルドー行きのTGVに乗った。車内はガラガラだった。ちょっと本を読んでいたら、アッと言う間にアングレーム駅に到着。駅の外に出ると、今にも雨が降り出しそうなどんよりした空模様だった。5分と待たないで、JPが駅前の駐車場に到着した。時計を見ると、8時45分だった。ここから目的地のアブジエット・スール・バンディアットまで約70㎞の田舎道を走り出した。

 JPは県道を南に向けて走った。高い山などは見えないが、フランス北部のように肥えた豊かな農業地帯でもなく、時々、年代物の石造りの小さな集落を通過した。平坦な土地は少なく、起伏の多い灌木林が広がっている。起伏のある緑の丘に放牧された牛の数が多かった。

JPの故郷の村/Jiro Mochizuki(Agence SHOT)

 これまで訪れたこともないJPの故郷をドライブしながら、予定より早く目的地に到着した。保健所の脇に仮設テントの「ドライブスルーPCR検査所」で身分証を見せ、本人確認をした後、わずか数分で検査完了。係員の女性から翌日の17時頃に検査結果をメールで報告すると知らされた。検査所はアブジエット・スール・バンディアット町の中心部だった。JPの住居はここから車で10分ほど離れた「ラ・ブルース」という、日本で言う「字」に該当するような地域にある。

 ここの住民は30人ほどの集落だ。JPが自力で古い石造りの家畜小屋を二階建ての住居に改装した、自慢の家を見せてくれた。2階は写真集、機材のコレクション、骨董家具などが詰まった屋根裏が一間のリラックスできるスペースだ。1階が寝室、台所、トイレ、シャワールームなど、完成するにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 もちろん、田舎の敷地なのでテニスコートが数面できそうな広さだが、果物の苗木を植えただけでまだまったく手がつけられていない。そうこうしているうちに、JPが約70㎞先のアングレーム駅まで車で送ってくれた。そこからTVGに乗り、終点のモンパルナス駅に定時に到着。バスで18時過ぎに帰宅した。

 翌日の10月14日、17時にメールで陰性の結果を受け取った。すぐにPCR陰性証明書、WAから送られてきた書類3枚を返送したが、これですべての難関が解決されたわけではない。問題は16日、アムステルダム経由でポーランドのグダニスク・レフ・ワレサ空港着後のPCR検査の結果如何によって、取材拒否され、10日間隔離される可能性が十分にあることだ。それが新型コロナウイルスの目に見えない不気味な怖さだった。

現地では厳重な取材受付が

 JPはボルドーからパリに飛んできた。CDGパリ空港で合流。パリからアムステルダム経由で雨の降るグダニスク・レフ・ワレサ空港に到着した。ポーランド各地の空港は、その土地名と著名人の名前をつけていることが多い。土地名グダニスクと、元造船所で電気技師として働き、ポーランドを自由民主主義に導いた「連帯」の指導者、後のポーランド大統領にまで上り詰め、1983年ノーベル平和賞を受賞したレフ・ワレサのように、ワルシャワ空港名は「ワルシャワ・ショパン」、トルンは「トルン・コペルニクス」などがある。

 出迎えた人たちから小さな紙袋が全員に手渡された。中に手洗い用のジェル、数枚のマスクが入っていた。全員が指定されたバスで空港から約1時間半後、グディニャに到着。早速、WAから派遣された医者からPCR検査を受けなければならなかった。検査所はコンクリート打ちっぱなしの、シュールリアルな不思議な空間だった。ケニアの男女のランナー、役員、中南米、南フリカから飛んできたランナー、知り合いの南アフリカのエージェントらが、無言で検査官から名前を呼ばれるのを待っていた。

グディニャの港。軍艦は博物館のひとつだ/Jiro Mochizuki(Agence SHOT)

 イタリア人の同業者も3日前からグディニャ入りしていた。一人ひとり名前を呼ばれ、パスポートで本人確認してから、階上に呼ばれて検査を受ける。検査が終わると、階下で結果が出るまで1時間以上待機しなければならない。階下で検査結果を神妙に待っている間、名前を呼ばれるとパッと明るい笑顔で立ち上がり、陰性結果を受けると、うれしそうな表情だがまだ待機中の人たちに気を使って申し訳なさそうにそっと外に出て行く、という人たちを何人も見た。もちろん小生も……。メディア関係者は、陰性結果の者だけが初めて取材証を受け取り、ホテルへのチェックインを認められる。陽性の人は、ただちに別ホテルに移動。10日間隔離が始まり、外出禁止。これらの費用はすべて個人負担になる。

 この日、最後に我々のグループの検査結果が発表された。小生、JPも、他の空港からバスで一緒だった人たち全員が陰性と出た。21時を過ぎていた。取材証を取りに行くが、事務所は閉鎖され、明朝8時に開くと指示があった。荷物を持って1kmほど離れたホテルにチェックイン。夜食を抜いてそのままベッドに入った。ア~! 長い1日だった。

 10月17日、カメラマンブリーフィングがフィニッシュ付近に建てられた仮設テント内で行われた。カメラマンの数は13~14人と、人数を厳しく限定したらしい。知り合いのポーランド人のフォトチーフからコース上、フィニッシュ周辺、表彰式の各カメラポジションからの撮影注意を受けた。まだ少し雨が降っていたが、10時頃になると雨は止んだ。

 WAの主催する世界選手権のマラソン、世界ハーフマラソン選手権、五輪のマラソンなどのロードレースには、経験豊かな「メジャー・マラソン」主催者が協力している。コース内を歩いていると、元ロンドン・マラソンのレースディレクターだったかつての男子10000m世界記録保持者デヴィット・ベッドフォード(英国)に会った。彼いわく、「3、4日前から連日豪雨だった。一部のコースが冠水した。これじゃあレースは中止だろうと思っていたが、奇跡的に今朝は雨が止んだよ!」と驚いていた。

WAのセバスチャン・コー会長はメダルを渡すごとにジェルで除菌していた/Jiro Mochizuki(Agence SHOT)

 レースは19歳のジェイコブ・キプリモ(ウガンダ)が、初ハーフに世界歴代15位の58分49秒で優勝。女子はペレス・ジェプチルチル(ケニア)が、彼女自身の持つ女子単独レース世界記録を18秒更新する1時間5分14秒で優勝した。仕事が終わり、翌日は6時15分発の早朝便のため、近くの中央駅まで歩いてグダニスク市中央駅まで電車で40分ほどの距離を移動した。

 次の朝、少なくとも4時半に駅前から空港行きのバスに乗る必要があった。幸いJPが予約したホテルは駅の近くだった。チェックインを済ませると、JP好みのポーランドの国民的な食べ物「ピエロギ」(小生はポーランドの水・焼き餃子と呼んでいるが……)のうまいレストランをホテルで聞いてから、旧市街のレストラントに向かった。今日も長い1日が終わった。明日の朝は早い。

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