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2020.10.27

クローズアップ/愛されし中距離ランナー・三武潤 最後の2LAPS
クローズアップ/愛されし中距離ランナー・三武潤 最後の2LAPS


 10月27日に東京・駒沢陸上競技場で、一人の男がスパイクを脱いだ。三武潤、26歳。生まれ育った東京の、何度も走った駒沢のトラックでのラストラン。先輩、後輩、仲間、家族に囲まれた。三武の周りはいつも笑顔が溢れていた。

今も残る大会記録でインターハイ制覇

 2012年、夏の新潟。インターハイ男子800mを三武潤が大会新記録1分48秒62をマークして優勝した。当時、東京・城西高3年。その風貌、堂々たる姿に、師である山村貴彦を重ねた人も多い。「いつも似ているって言われます。親子とか、兄弟って」。そう言って三武は笑う。

 三武は同世代のスーパースターだった。東京・練馬東中時代に全国中学校選手権800mで日本一。城西高では、山村先生の下でさらにスピードと強さに磨きをかけた。1年目から4位に入ると、2年目は予選で失格の憂き目を合い、後十字靱帯を痛める大ケガを負ったが、3年目に再び日本一。新潟インターハイでは、ライバル・村上昂輝(須磨学園高・兵庫)が52秒を切るハイラップを刻むも、最後は冷静に差し切った。

「将来は世界で戦える選手になりたい」。そのキャリアは順調そのものだった。

インターハイを大会新記録で制した三武
 400mの学生記録を持ち、オリンピアンとして活躍した山村先生にとっては、指導者として初めてのインターハイ・タイトル。「全中チャンピオンである彼が城西に来てくれたことに感謝しています。その頃はまだ陸上では無名のチーム。1年目から4位になってくれて、インターハイも勝ってくれて。出会えたことに、選んでくれたことに感謝です」。山村先生にも似ていることを伝えると、「よく言われますよ。最後は走り方まで似ているって言われましたね」と笑った。

「気持ち的には浮き沈みもありました」と吐露する三武。日大に進学してからは、なかなかビッグタイトルに届かなかった。日大の先輩には現日本記録保持者の川元奨(現・スズキAC)がおり、オリンピアンで東京の大先輩・横田真人(現・TWOLAPS TCコーチ)らに揉まれ、「結構、ガツンと現実を突きつけられました」。

 中学から常にタイトルを取ってきた者にとって、必ずつきまとう“早熟”の声。「やっぱり苦しい部分はありました。勝って当たり前という立場でした」。時には予選で落ちることもあり「三武は終わったと言われたこともあった」と振り返る。

 だが、「その悔しい思いが頑張れた一つの理由」でもあった。大学ラストイヤー。日本インカレで、三武はみたび日本一のタイトルを獲得する。

東京五輪への挑戦で引退すると決意

 大学卒業後は、アスリートの就職支援「アスナビ」を通してTSP太陽に入社。再び山村先生の下で高校生たちとともに練習を積んだ。実業団1年目の日本選手権では、予選で1分47秒40のベストをマークし、決勝も1分47秒97で3位。だが、18~19年シーズンはなかなか思うような走りができず、昨年の秋に「来年で引退しようと思います」と山村先生に伝えたという。

「自分としては東京五輪に挑戦して引退しようと思っていました」。だが、その矢先、東京五輪の延期が決まる。加えて、右アキレス腱を痛めてしまう。だまし、だまし練習したが、「これが限界か」と一線を退く決意をした。

 新型コロナウイルスの影響で6月に大阪で予定されていた日本選手権も延期。「日本選手権で引退しよう」。その日程が10月上旬に決まり、会場の場所を聞いた時、「なんか不思議な感じがしました」と三武。ラストレースが新潟に決まった。

 インターハイから8年後の日本選手権。舞台は同じ新潟・デンカビッグスワンだった。予選3組に登場した三武は1分53秒61の組8着。走れないことはわかっていた。最後の場所が新潟だったのは何かの縁だろうか。

最後の日本選手権は予選敗退。序盤は積極的に川元らにくらいついた
 レース後、山村先生と対面すると、顔を上げられないほど感情が溢れたという。恩師からは心のこもったプレゼントを贈られた。「まだまだやれたと思うし、社会人になってからもう少しやれることもあったと思います。もったいないですね」(山村先生)。一番近くで見てきたからこそ、厳しくも温かい言葉。「素直で良い子で、求めていることをすぐに理解して成長できる選手でした」と苦楽をともにした愛弟子を労った。三武にとっては「恩師であり、父であり、お兄ちゃんでもあり……一言では表せない存在」だ。きっと、それはこれからも変わらない。

 三武は、昨年9月の全日本実業団対抗で、久しぶりの日本一。中学、高校、大学、そして実業団とすべてのカテゴリーでタイトルを手にした。「これは横田さんも川元さんも、(クレイ)アーロン(竜波)にもできていないこと。日本選手権は勝てなかったのは少し悔しいですが、誇りに思います」と胸を張った。

「一つひとつが良い思い出」と言うが、やはり印象に残っているのは新潟インターハイ。「今でも付き合いのあるメンバーと走ったのは財産です」。今も残る大会記録。それよりも深いものが、あの時に走ったメンバー、そして見届けた人たちに刻まれている。そういえば、後に世界へ羽ばたくことになるサニブラウン・アブデル・ハキームが初めて見たインターハイがこの大会。城西中だったサニブラウンにもまた、先輩の勇姿が刻まれている。

インターハイを制した後の取材で、山村先生とツーショット

笑顔で駒沢を駆け抜ける

 新潟での日本選手権から1ヵ月弱、横田氏は、自身が発案した中距離競技会の男子800m最終組を「三武潤引退レース」に設定。「たぶん、一番走ってきた場所」である駒沢陸上競技場が、本当の最後の800mになった。「引退するとSNSで発信したら、何か大きな大会で優勝したかのようにすごく反響があって、いろんな人がコメントをくれて。それがすごくうれしかったんです」。多くの人が惜しんだことがわかる反応だった。

「酸いも甘いも味わった競技場。何度もあそこらへんで山村先生に怒られました」と、笑みを浮かべて遠くを見つめる。最後の2周には、横田氏もユニフォーム姿でエントリー。川元や、女子中距離のトップ選手たちもかけつけた。家族、中学時代の先輩、後輩、たくさんの仲間が会場にいた。その中には死闘を繰り広げた村上の姿もあった。

 たくさんの仲間に見届けられた800m。1周目は果敢にペースメイクした田母神一喜(阿見AC)につくが、2周目は一気に遅れた。「脚の状態もあったので、こうなるのはわかっていました」。1分59秒92。最後は笑顔だった。

三武にとって最後の舞台は何度も走った駒沢
「しんどい、つらい」。三武にとっての800m。「でも、楽しいこともあって」。

 800mは“トラックの格闘技”と言われるほど、過酷だ。肘がぶつかり、相手のスパイクが脚に当たって血だらけになることもよくある。転倒だって日常茶飯事だ。その中で、自分のスピードと残っている体力と、相手の息づかい、ポジショニング、レースプラン、特徴、さまざまな要素をトップスピードで走りながら、考えて、考えて、考え抜く。

「月並みですが、人生みたいなものですね。最初はセパレートレーンで決められた場所を走って、オープンレーンで激しい争いになる。飛ばし過ぎても、サボり過ぎてもダメで。自分のペースを見つけていきます。競技人生を振り返ると、“感謝”しかありません。こうして応援してもらって、笑顔で走り切れて。悔いはありません」

 今後は社業に専念し、イベント運営などに携わっていく予定だという。三武潤が駆け抜けた2LAPS。競技生活が1周目だとすれば、第二の人生は2周目か。「1周目はいい通過ができました」。駒沢に鳴り響いた鐘を合図に、次の道へと走り出す。

多くの人に見届けられて三武はトラックを去った

みたけ・じゅん/1994年10月1日生まれ。東京都出身。練馬東中→城西高→日大→TSP太陽。全中、インターハイ、日本インカレ、全日本実業団で日本一を経験。インターハイの大会記録1分48秒62(高校歴代5位)は今も残る。自己記録1分47秒40。

文/向永拓史

 10月27日に東京・駒沢陸上競技場で、一人の男がスパイクを脱いだ。三武潤、26歳。生まれ育った東京の、何度も走った駒沢のトラックでのラストラン。先輩、後輩、仲間、家族に囲まれた。三武の周りはいつも笑顔が溢れていた。

今も残る大会記録でインターハイ制覇

 2012年、夏の新潟。インターハイ男子800mを三武潤が大会新記録1分48秒62をマークして優勝した。当時、東京・城西高3年。その風貌、堂々たる姿に、師である山村貴彦を重ねた人も多い。「いつも似ているって言われます。親子とか、兄弟って」。そう言って三武は笑う。  三武は同世代のスーパースターだった。東京・練馬東中時代に全国中学校選手権800mで日本一。城西高では、山村先生の下でさらにスピードと強さに磨きをかけた。1年目から4位に入ると、2年目は予選で失格の憂き目を合い、後十字靱帯を痛める大ケガを負ったが、3年目に再び日本一。新潟インターハイでは、ライバル・村上昂輝(須磨学園高・兵庫)が52秒を切るハイラップを刻むも、最後は冷静に差し切った。 「将来は世界で戦える選手になりたい」。そのキャリアは順調そのものだった。 インターハイを大会新記録で制した三武  400mの学生記録を持ち、オリンピアンとして活躍した山村先生にとっては、指導者として初めてのインターハイ・タイトル。「全中チャンピオンである彼が城西に来てくれたことに感謝しています。その頃はまだ陸上では無名のチーム。1年目から4位になってくれて、インターハイも勝ってくれて。出会えたことに、選んでくれたことに感謝です」。山村先生にも似ていることを伝えると、「よく言われますよ。最後は走り方まで似ているって言われましたね」と笑った。 「気持ち的には浮き沈みもありました」と吐露する三武。日大に進学してからは、なかなかビッグタイトルに届かなかった。日大の先輩には現日本記録保持者の川元奨(現・スズキAC)がおり、オリンピアンで東京の大先輩・横田真人(現・TWOLAPS TCコーチ)らに揉まれ、「結構、ガツンと現実を突きつけられました」。  中学から常にタイトルを取ってきた者にとって、必ずつきまとう“早熟”の声。「やっぱり苦しい部分はありました。勝って当たり前という立場でした」。時には予選で落ちることもあり「三武は終わったと言われたこともあった」と振り返る。  だが、「その悔しい思いが頑張れた一つの理由」でもあった。大学ラストイヤー。日本インカレで、三武はみたび日本一のタイトルを獲得する。

東京五輪への挑戦で引退すると決意

 大学卒業後は、アスリートの就職支援「アスナビ」を通してTSP太陽に入社。再び山村先生の下で高校生たちとともに練習を積んだ。実業団1年目の日本選手権では、予選で1分47秒40のベストをマークし、決勝も1分47秒97で3位。だが、18~19年シーズンはなかなか思うような走りができず、昨年の秋に「来年で引退しようと思います」と山村先生に伝えたという。 「自分としては東京五輪に挑戦して引退しようと思っていました」。だが、その矢先、東京五輪の延期が決まる。加えて、右アキレス腱を痛めてしまう。だまし、だまし練習したが、「これが限界か」と一線を退く決意をした。  新型コロナウイルスの影響で6月に大阪で予定されていた日本選手権も延期。「日本選手権で引退しよう」。その日程が10月上旬に決まり、会場の場所を聞いた時、「なんか不思議な感じがしました」と三武。ラストレースが新潟に決まった。  インターハイから8年後の日本選手権。舞台は同じ新潟・デンカビッグスワンだった。予選3組に登場した三武は1分53秒61の組8着。走れないことはわかっていた。最後の場所が新潟だったのは何かの縁だろうか。 最後の日本選手権は予選敗退。序盤は積極的に川元らにくらいついた  レース後、山村先生と対面すると、顔を上げられないほど感情が溢れたという。恩師からは心のこもったプレゼントを贈られた。「まだまだやれたと思うし、社会人になってからもう少しやれることもあったと思います。もったいないですね」(山村先生)。一番近くで見てきたからこそ、厳しくも温かい言葉。「素直で良い子で、求めていることをすぐに理解して成長できる選手でした」と苦楽をともにした愛弟子を労った。三武にとっては「恩師であり、父であり、お兄ちゃんでもあり……一言では表せない存在」だ。きっと、それはこれからも変わらない。  三武は、昨年9月の全日本実業団対抗で、久しぶりの日本一。中学、高校、大学、そして実業団とすべてのカテゴリーでタイトルを手にした。「これは横田さんも川元さんも、(クレイ)アーロン(竜波)にもできていないこと。日本選手権は勝てなかったのは少し悔しいですが、誇りに思います」と胸を張った。 「一つひとつが良い思い出」と言うが、やはり印象に残っているのは新潟インターハイ。「今でも付き合いのあるメンバーと走ったのは財産です」。今も残る大会記録。それよりも深いものが、あの時に走ったメンバー、そして見届けた人たちに刻まれている。そういえば、後に世界へ羽ばたくことになるサニブラウン・アブデル・ハキームが初めて見たインターハイがこの大会。城西中だったサニブラウンにもまた、先輩の勇姿が刻まれている。 インターハイを制した後の取材で、山村先生とツーショット

笑顔で駒沢を駆け抜ける

 新潟での日本選手権から1ヵ月弱、横田氏は、自身が発案した中距離競技会の男子800m最終組を「三武潤引退レース」に設定。「たぶん、一番走ってきた場所」である駒沢陸上競技場が、本当の最後の800mになった。「引退するとSNSで発信したら、何か大きな大会で優勝したかのようにすごく反響があって、いろんな人がコメントをくれて。それがすごくうれしかったんです」。多くの人が惜しんだことがわかる反応だった。 「酸いも甘いも味わった競技場。何度もあそこらへんで山村先生に怒られました」と、笑みを浮かべて遠くを見つめる。最後の2周には、横田氏もユニフォーム姿でエントリー。川元や、女子中距離のトップ選手たちもかけつけた。家族、中学時代の先輩、後輩、たくさんの仲間が会場にいた。その中には死闘を繰り広げた村上の姿もあった。  たくさんの仲間に見届けられた800m。1周目は果敢にペースメイクした田母神一喜(阿見AC)につくが、2周目は一気に遅れた。「脚の状態もあったので、こうなるのはわかっていました」。1分59秒92。最後は笑顔だった。 三武にとって最後の舞台は何度も走った駒沢 「しんどい、つらい」。三武にとっての800m。「でも、楽しいこともあって」。  800mは“トラックの格闘技”と言われるほど、過酷だ。肘がぶつかり、相手のスパイクが脚に当たって血だらけになることもよくある。転倒だって日常茶飯事だ。その中で、自分のスピードと残っている体力と、相手の息づかい、ポジショニング、レースプラン、特徴、さまざまな要素をトップスピードで走りながら、考えて、考えて、考え抜く。 「月並みですが、人生みたいなものですね。最初はセパレートレーンで決められた場所を走って、オープンレーンで激しい争いになる。飛ばし過ぎても、サボり過ぎてもダメで。自分のペースを見つけていきます。競技人生を振り返ると、“感謝”しかありません。こうして応援してもらって、笑顔で走り切れて。悔いはありません」  今後は社業に専念し、イベント運営などに携わっていく予定だという。三武潤が駆け抜けた2LAPS。競技生活が1周目だとすれば、第二の人生は2周目か。「1周目はいい通過ができました」。駒沢に鳴り響いた鐘を合図に、次の道へと走り出す。 多くの人に見届けられて三武はトラックを去った みたけ・じゅん/1994年10月1日生まれ。東京都出身。練馬東中→城西高→日大→TSP太陽。全中、インターハイ、日本インカレ、全日本実業団で日本一を経験。インターハイの大会記録1分48秒62(高校歴代5位)は今も残る。自己記録1分47秒40。 文/向永拓史

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