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追跡箱根駅伝予選会 駿河台大学 徳本監督が振り返る紆余曲折の10年間
追跡箱根駅伝予選会 駿河台大学 徳本監督が振り返る紆余曲折の10年間

10月23日の箱根駅伝予選会を総合8位で通過し、本戦初出場を決めた駿河台大。2011年に駅伝部の本格強化が始まり、予選会では19年の12位がこれまでの最高順位だったが、ようやく重い扉をこじ開け、悲願を達成した。

チームを率いる徳本一善監督は、法大時代の1999 ~ 2002年に4度の箱根駅伝で活躍し、ユニバーシアード(現・ワールドユニバーシティゲームズ)にも出場した学生長距離界を代表する選手だった。11年に駿河台大のコーチに就任し、翌年4月からは監督を務めてきたこれまでの約10年間で、どのような苦悩や葛藤を抱え、チームを強化してきたのか。42歳の指揮官にこれまでの歩みを振り返ってもらった。
構成/小野哲史

史上44校目の「箱根初出場校」に

「本戦初出場」の最有力校として注目が集まった箱根駅伝予選会では、日本インカレ10000mで2連覇したジェームズ・ブヌカ(4年)が先頭集団で他大学の留学生と競り合い、10000m28分台を持つ清野太成と町田康誠(ともに3年)らも上位で積極的な姿勢を見せた。5㎞で総合7位、10㎞で5位と通過圏内でレースを進め、10 ~ 15㎞は順位を落としてやや苦しんだが、終盤はチーム一丸で粘り抜いた。結果発表の瞬間、選手たちは喜びを爆発させ、徳本監督は「彼らのあの顔が見たかった」と安堵の表情を浮かべた。

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「私自身の目標は、誰も故障せずに、みんなが『このメンバーで俺たちは思い切り行くだけだ』というモチベーションで、予選会のスタートラインに立たせることでした。3日前の3000mの刺激で良くなかった池原悠月(1年)を外すなど、そこで予選会に出場させるメンバーが私の中で固まりました。当日は朝から暑く、テントの中と外に置かせた温度計を見たら10度も違っていました。『これは絶対に何か起こる』と思いましたし、日頃から選手には暑い時や寒い時の対策法を口酸っぱく言ってきたので、何となく『行けるな』と感じました。スタートラインに立つ時には、これ以上ないくらい自信がありました。

ただ、厳しい気象条件の中で、選手たちは去年と変わらないぐらいの入りで突っ込んだんです。流れに乗るしかなかったようですが、さすがに私も不安になりました。10㎞通過時の5位から15㎞で一気に10位まで落ちた時は本当に気が気でなかった。終盤は生きた心地がしなかったです。

それでも18㎞で9位に再浮上し、チーム5~7番手だった田尻健(4年)、小泉謙、永井竜二(ともに3年)が私の指示にしっかり応えたのを見て、これは行けるかもしれないと思い直しました。

レース直後は9~ 11番ぐらいかな、と。8位と発表された時は、喜びよりホッとしたという心境でした。その瞬間に兵庫・西脇工高の足立幸永先生から電話があり、一言だけ『おめでとう』と言われたのはうれしかったです。その後、実感がじわじわ湧いてきた感じで、多くの取材を受ける中でこれまでの10年間の印象深い思い出が、映画でも観ているように蘇ってきました」

タバコ、サボりが当たり前からのスタート

2011年11月、徳本監督は当時所属していた日清食品グループの選手兼任で、コーチとして駿河台大にやってきた。学生たちは思っていた以上に走れなかったが、競技力向上よりも先に着手しなければならなかったのが、私生活をきちんとさせることだった。タバコや飲酒、パチンコは当たり前。そんな姿勢では箱根駅伝など目指せるはずもない。まるで青春ドラマのような世界に身を置いた徳本監督は、それこそ一つずつ目の前の課題を地道にクリアしていくしかなかった。

「初めの4年は本当にひどかったです。タバコを吸っている者が平気でいましたから。やるのが当たり前と思っていた朝練習では、集合して送り出したら、押しボタン式の信号機で、ボタンを押さずに赤信号の所でたむろしていた。時間を見て『そろそろ帰ろうぜ』という感じなので、実際は20分くらいしか走っていません。それを知ってからは、私が後ろから自転車でついていくようになりました。そういう状況からのスタートだったのです。 私が就任した2年目にタバコはピタッとなくなりましたが、5年目まではどこに行っているのか、夜に勝手に抜け出す選手が何人かいました。一昨年までは、月曜が休みだからと日曜日に集まって飲みに行く者がいましたし、お菓子をたくさん食べて、顔をパンパンにして練習に来る者もいました。

不思議だったのは、そういう先輩を冷めた目で見たり、『ついていけない』と文句を言ったりする下級生も、自分が上級生になると、いつの間にか同じことをしていたことです。将来の不安がストレスとなり、『どうせ箱根になんて出られない』というあきらめが、そういう行動に出ていた気がします。

この続きは2021年11月12日発売の『月刊陸上競技12月号』をご覧ください。

 

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10月23日の箱根駅伝予選会を総合8位で通過し、本戦初出場を決めた駿河台大。2011年に駅伝部の本格強化が始まり、予選会では19年の12位がこれまでの最高順位だったが、ようやく重い扉をこじ開け、悲願を達成した。 チームを率いる徳本一善監督は、法大時代の1999 ~ 2002年に4度の箱根駅伝で活躍し、ユニバーシアード(現・ワールドユニバーシティゲームズ)にも出場した学生長距離界を代表する選手だった。11年に駿河台大のコーチに就任し、翌年4月からは監督を務めてきたこれまでの約10年間で、どのような苦悩や葛藤を抱え、チームを強化してきたのか。42歳の指揮官にこれまでの歩みを振り返ってもらった。 構成/小野哲史

史上44校目の「箱根初出場校」に

「本戦初出場」の最有力校として注目が集まった箱根駅伝予選会では、日本インカレ10000mで2連覇したジェームズ・ブヌカ(4年)が先頭集団で他大学の留学生と競り合い、10000m28分台を持つ清野太成と町田康誠(ともに3年)らも上位で積極的な姿勢を見せた。5㎞で総合7位、10㎞で5位と通過圏内でレースを進め、10 ~ 15㎞は順位を落としてやや苦しんだが、終盤はチーム一丸で粘り抜いた。結果発表の瞬間、選手たちは喜びを爆発させ、徳本監督は「彼らのあの顔が見たかった」と安堵の表情を浮かべた。 「私自身の目標は、誰も故障せずに、みんなが『このメンバーで俺たちは思い切り行くだけだ』というモチベーションで、予選会のスタートラインに立たせることでした。3日前の3000mの刺激で良くなかった池原悠月(1年)を外すなど、そこで予選会に出場させるメンバーが私の中で固まりました。当日は朝から暑く、テントの中と外に置かせた温度計を見たら10度も違っていました。『これは絶対に何か起こる』と思いましたし、日頃から選手には暑い時や寒い時の対策法を口酸っぱく言ってきたので、何となく『行けるな』と感じました。スタートラインに立つ時には、これ以上ないくらい自信がありました。 ただ、厳しい気象条件の中で、選手たちは去年と変わらないぐらいの入りで突っ込んだんです。流れに乗るしかなかったようですが、さすがに私も不安になりました。10㎞通過時の5位から15㎞で一気に10位まで落ちた時は本当に気が気でなかった。終盤は生きた心地がしなかったです。 それでも18㎞で9位に再浮上し、チーム5~7番手だった田尻健(4年)、小泉謙、永井竜二(ともに3年)が私の指示にしっかり応えたのを見て、これは行けるかもしれないと思い直しました。 レース直後は9~ 11番ぐらいかな、と。8位と発表された時は、喜びよりホッとしたという心境でした。その瞬間に兵庫・西脇工高の足立幸永先生から電話があり、一言だけ『おめでとう』と言われたのはうれしかったです。その後、実感がじわじわ湧いてきた感じで、多くの取材を受ける中でこれまでの10年間の印象深い思い出が、映画でも観ているように蘇ってきました」

タバコ、サボりが当たり前からのスタート

2011年11月、徳本監督は当時所属していた日清食品グループの選手兼任で、コーチとして駿河台大にやってきた。学生たちは思っていた以上に走れなかったが、競技力向上よりも先に着手しなければならなかったのが、私生活をきちんとさせることだった。タバコや飲酒、パチンコは当たり前。そんな姿勢では箱根駅伝など目指せるはずもない。まるで青春ドラマのような世界に身を置いた徳本監督は、それこそ一つずつ目の前の課題を地道にクリアしていくしかなかった。 「初めの4年は本当にひどかったです。タバコを吸っている者が平気でいましたから。やるのが当たり前と思っていた朝練習では、集合して送り出したら、押しボタン式の信号機で、ボタンを押さずに赤信号の所でたむろしていた。時間を見て『そろそろ帰ろうぜ』という感じなので、実際は20分くらいしか走っていません。それを知ってからは、私が後ろから自転車でついていくようになりました。そういう状況からのスタートだったのです。 私が就任した2年目にタバコはピタッとなくなりましたが、5年目まではどこに行っているのか、夜に勝手に抜け出す選手が何人かいました。一昨年までは、月曜が休みだからと日曜日に集まって飲みに行く者がいましたし、お菓子をたくさん食べて、顔をパンパンにして練習に来る者もいました。 不思議だったのは、そういう先輩を冷めた目で見たり、『ついていけない』と文句を言ったりする下級生も、自分が上級生になると、いつの間にか同じことをしていたことです。将来の不安がストレスとなり、『どうせ箱根になんて出られない』というあきらめが、そういう行動に出ていた気がします。 この続きは2021年11月12日発売の『月刊陸上競技12月号』をご覧ください。  
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