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2026.03.07

久保凛インタビュー「ここなら強くなれる」全中女王が日本記録保持者になった3年間 「世界は遠くない」
久保凛インタビュー「ここなら強くなれる」全中女王が日本記録保持者になった3年間 「世界は遠くない」

高校卒業前にインタビューに応えてくれた久保凛

女子800mの日本記録保持者、そして世界陸上日本代表となった久保凛が3年間過ごした東大阪大敬愛高を卒業した。

全中チャンピオンと注目を集める存在だったが、入学当初の目標は「2分07秒を切る」。そこから描いた成長曲線はどんなものだったのだろうか。卒業前のロングインタビューを発売中の月刊陸上競技3月号に掲載。その一部を再編集してお届けする。

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サッカー少女から全中V、そして名門へ

制服姿での写真撮影。「リボンはスタンダードの物とは別に、購買で何種類かデザインが違うのも売っているんです。こっちのほうがいいかな」と、学校指定のリボンに替えた。

「卒業する実感が、まだ全然湧かなくて……。でも、振り返ると、すごく濃密な3年間でした」

サッカー一家に育ち、久保自身もサッカー少女。ただ、小学校の時に祖母・浩子さんが指導していた陸上クラブに顔を出すようになり、駅伝やマラソン大会に出場して、能力のほんの一部分を垣間見せるようになった。

「自分にはサッカーは向いていない」と感じるようにもなり、中学から陸上部に入ったが、サッカー部の練習に羨望の眼差しを向けていたという。

「中学時代はそんなに走ることが好きじゃなかったんです。祖母にも『試合に出たくない』と言っていたくらい。陸上のことは何も知らなかったと思います。高校でも陸上をやると決めて、それなら自分の可能性を見てみたい、ちゃんとやって強くなりたい、と思うようになりました」

800mの全中チャンピオンという肩書きを背負い、高校陸上界屈指の名門・東大阪大敬愛高の門をくぐったのは2023年だ。

「ここなら強くなれるかもしれない」

野口雅嗣先生から「もっと強くなれる。日本のトップで活躍して、世界に羽ばたこう」と声をかけられたのを覚えているという。

入学時の目標は「2分07秒を切る」

顔馴染みばかりだった中学と違い、いろいろな中学から集まる名門校。練習は質、量ともにアップし、環境の変化に「心身のストレスが最初はありました」と振り返る。ただ、日を追うごとに、「レベルの高い練習ができている」と感じるようにもなっていった。

野口先生は久保の才能と「感覚」を見抜き、ジョグなども1人で行うようにし、ペースは細かく設定しなかった。走っていくうちに、「このペースで走ると楽、これだとしんどい、というのがわかるようになってきたんです」。例えば2つのメニューを提案すると、久保は必ず苦しいほうを選択。課題を伝えたら、徹底してそこを意識しながら取り組むそうで、「自分の力を引き出そうとする力が優れている」と野口先生は表現する。

3年間の目標として掲げた2分07秒切りは、入学して2ヵ月ほどのインターハイ近畿大会の決勝(2分06秒17)であっさり達成。インターハイでは高1で優勝し、3月末に小林祐梨子(須磨学園高・兵庫)が持っていた高1最高(2分05秒84)を20年ぶりに塗り替える2分05秒13まで高めた。

この4ヵ月後に日本女子初の1分台に到達するとは、当時は思いもしなかった。ただ、野口先生は「1年生でインターハイを勝った時に、日本記録を目指せると思いました」とも。

久保にとって、一つのターニングポイントであり、思い出のレースに挙げるのが、高2の4月の金栗記念。あこがれだった田中希実(New Balance)と走り、田中は専門外とはいえ、勝ちきってみせた。

ターニングポイントとして挙げた高2の金栗記念。あこがれの田中希実と一緒に走った

「あそこがスタートだったと思います。自分より速いタイムを持っている方々ばかりのグランプリに挑戦できるのが楽しみでした。少人数での遠征というのもワクワクしました。すごく覚えていることがあって、招集所で田中選手がスパイクを履いた後に、ピンがすり減らないようにスパイクの上からシューズを履いて移動されていたんです。プロ意識がすごいなと思いました。田中選手たちと走れたこと、勝てたことで、自分の殻が破れて、その後の成長につながったと思っています」

陸上界では期待の新星も、一般メディアにとってはパリ五輪イヤーに突如表れたニューヒロイン。加えて、それがサッカー日本代表のエース・久保建英(レアル・ソシエダ)の従姉妹とあっては、放っておくわけがなかった。

たちまちメディアを騒がせるようになり、その見出しには自分の名前よりも先に必ずと言っていいほど『久保建英の従姉妹』の文字が載った。

「小学校の頃からいろんなところで『従姉妹なんてすごいね』と言われていましたし、私も世界で活躍している姿にあこがれていました。実際に日本代表の試合も観に行ったこともあります。だから、名前が並んで載ると。少しは近づけたかなってうれしさのほうが大きかったです。なかには、『そんな肩書きはいらないだろう』と言ってくださっている方もいますし、それもとってもうれしいこと。まだまだ遠い存在なので、追いつけるように一緒にがんばっていきたいって思っています。注目されたり、応援されたりするのはそんなに嫌いじゃないんです。移動中は気になるので『集中しないといけない』と思うこともありますが、ありがたいことです」

日本記録保持者になってからは2分前半でフィニッシュしてもスタンドから「あぁー」というため息交じりの声が聞こえることもある。「自分でも、あぁ……と思ってしまいます。負けず嫌いでネガティブな方向に行きそうになるのですが、それだけ応援、期待されているからこそ。次は頑張ろうって切り替えています」。

レースの後はサインを求められる姿が恒例だが、高校の間はサインがなく漢字フルネームでしたためる。画数が多く時間もかかるが、一人ひとり丁寧に対応するのも印象的だった。

2年時の久保は連戦連勝。6月の日本選手権を制すると、2週間後の記録会で1分59秒93の日本記録を樹立。「全然、思っていなかったところで出ちゃった記録」。インターハイの決勝でも2分00秒81という好記録で連覇を達成した。

子どもたちに丁寧にサインをする久保

女子800mの日本記録保持者、そして世界陸上日本代表となった久保凛が3年間過ごした東大阪大敬愛高を卒業した。 全中チャンピオンと注目を集める存在だったが、入学当初の目標は「2分07秒を切る」。そこから描いた成長曲線はどんなものだったのだろうか。卒業前のロングインタビューを発売中の月刊陸上競技3月号に掲載。その一部を再編集してお届けする。

サッカー少女から全中V、そして名門へ

制服姿での写真撮影。「リボンはスタンダードの物とは別に、購買で何種類かデザインが違うのも売っているんです。こっちのほうがいいかな」と、学校指定のリボンに替えた。 「卒業する実感が、まだ全然湧かなくて……。でも、振り返ると、すごく濃密な3年間でした」 サッカー一家に育ち、久保自身もサッカー少女。ただ、小学校の時に祖母・浩子さんが指導していた陸上クラブに顔を出すようになり、駅伝やマラソン大会に出場して、能力のほんの一部分を垣間見せるようになった。 「自分にはサッカーは向いていない」と感じるようにもなり、中学から陸上部に入ったが、サッカー部の練習に羨望の眼差しを向けていたという。 「中学時代はそんなに走ることが好きじゃなかったんです。祖母にも『試合に出たくない』と言っていたくらい。陸上のことは何も知らなかったと思います。高校でも陸上をやると決めて、それなら自分の可能性を見てみたい、ちゃんとやって強くなりたい、と思うようになりました」 800mの全中チャンピオンという肩書きを背負い、高校陸上界屈指の名門・東大阪大敬愛高の門をくぐったのは2023年だ。 「ここなら強くなれるかもしれない」 野口雅嗣先生から「もっと強くなれる。日本のトップで活躍して、世界に羽ばたこう」と声をかけられたのを覚えているという。

入学時の目標は「2分07秒を切る」

顔馴染みばかりだった中学と違い、いろいろな中学から集まる名門校。練習は質、量ともにアップし、環境の変化に「心身のストレスが最初はありました」と振り返る。ただ、日を追うごとに、「レベルの高い練習ができている」と感じるようにもなっていった。 野口先生は久保の才能と「感覚」を見抜き、ジョグなども1人で行うようにし、ペースは細かく設定しなかった。走っていくうちに、「このペースで走ると楽、これだとしんどい、というのがわかるようになってきたんです」。例えば2つのメニューを提案すると、久保は必ず苦しいほうを選択。課題を伝えたら、徹底してそこを意識しながら取り組むそうで、「自分の力を引き出そうとする力が優れている」と野口先生は表現する。 3年間の目標として掲げた2分07秒切りは、入学して2ヵ月ほどのインターハイ近畿大会の決勝(2分06秒17)であっさり達成。インターハイでは高1で優勝し、3月末に小林祐梨子(須磨学園高・兵庫)が持っていた高1最高(2分05秒84)を20年ぶりに塗り替える2分05秒13まで高めた。 この4ヵ月後に日本女子初の1分台に到達するとは、当時は思いもしなかった。ただ、野口先生は「1年生でインターハイを勝った時に、日本記録を目指せると思いました」とも。 久保にとって、一つのターニングポイントであり、思い出のレースに挙げるのが、高2の4月の金栗記念。あこがれだった田中希実(New Balance)と走り、田中は専門外とはいえ、勝ちきってみせた。 [caption id="attachment_201241" align="alignnone" width="800"] ターニングポイントとして挙げた高2の金栗記念。あこがれの田中希実と一緒に走った[/caption] 「あそこがスタートだったと思います。自分より速いタイムを持っている方々ばかりのグランプリに挑戦できるのが楽しみでした。少人数での遠征というのもワクワクしました。すごく覚えていることがあって、招集所で田中選手がスパイクを履いた後に、ピンがすり減らないようにスパイクの上からシューズを履いて移動されていたんです。プロ意識がすごいなと思いました。田中選手たちと走れたこと、勝てたことで、自分の殻が破れて、その後の成長につながったと思っています」 陸上界では期待の新星も、一般メディアにとってはパリ五輪イヤーに突如表れたニューヒロイン。加えて、それがサッカー日本代表のエース・久保建英(レアル・ソシエダ)の従姉妹とあっては、放っておくわけがなかった。 たちまちメディアを騒がせるようになり、その見出しには自分の名前よりも先に必ずと言っていいほど『久保建英の従姉妹』の文字が載った。 「小学校の頃からいろんなところで『従姉妹なんてすごいね』と言われていましたし、私も世界で活躍している姿にあこがれていました。実際に日本代表の試合も観に行ったこともあります。だから、名前が並んで載ると。少しは近づけたかなってうれしさのほうが大きかったです。なかには、『そんな肩書きはいらないだろう』と言ってくださっている方もいますし、それもとってもうれしいこと。まだまだ遠い存在なので、追いつけるように一緒にがんばっていきたいって思っています。注目されたり、応援されたりするのはそんなに嫌いじゃないんです。移動中は気になるので『集中しないといけない』と思うこともありますが、ありがたいことです」 日本記録保持者になってからは2分前半でフィニッシュしてもスタンドから「あぁー」というため息交じりの声が聞こえることもある。「自分でも、あぁ……と思ってしまいます。負けず嫌いでネガティブな方向に行きそうになるのですが、それだけ応援、期待されているからこそ。次は頑張ろうって切り替えています」。 レースの後はサインを求められる姿が恒例だが、高校の間はサインがなく漢字フルネームでしたためる。画数が多く時間もかかるが、一人ひとり丁寧に対応するのも印象的だった。 2年時の久保は連戦連勝。6月の日本選手権を制すると、2週間後の記録会で1分59秒93の日本記録を樹立。「全然、思っていなかったところで出ちゃった記録」。インターハイの決勝でも2分00秒81という好記録で連覇を達成した。 [caption id="attachment_201243" align="alignnone" width="800"] 子どもたちに丁寧にサインをする久保[/caption]

悔し涙を何度もこぼしたラストシーズン

飛ぶ鳥を落とす勢いだった2年目だが、高校ラストシーズンは自身初の挫折とも言える苦しいものとなる。東京世界選手権の参加標準記録(1分59秒00)をクリアするためにチャレンジを繰り返した。 「日本記録を出した後も、全然実感が湧きませんでした。当時は特にプレッシャーもなかったです。ただ、3年生が近づくにつれて、『うまくいくかな』という不安は少しずつ感じ始めました。どこかで背負ってしまっていた部分があったと思います。一番うまくいかなかった時期は5月です。静岡国際を2分00秒28(当時セカンドベスト)で勝てたのですが、そこからうまく走れなくなりました。1週間後の木南記念で、グランプリでは初めて負けたんです(※2分02秒29で、海外選手に敗れて2位)。ラスト200mで今までにないくらい走れなくて、『もう無理や』と思ってしまいました」 負けたこと自体も悔しかったが、調子が良かっただけに、「これでダメならどうしたらいいんだろう」という思いが襲ってきた。この日は母の日。大阪ということもあり、たくさんの応援があっただけに、「優勝して母に花束を渡したかった」とレース直後に初めて号泣した。 「『絶対に今日、出さないといけない』と思い過ぎていました。ウォーミングアップでも、もっとリラックスできたんじゃないかなって思います。どれだけ調子が良くても、気持ちが追いついていませんでした。心と身体が整った時に記録が出るというのを学びました」 [caption id="attachment_169595" align="alignnone" width="800"] レース後には涙をながした久保凛[/caption] こうした経験だったが、「うまくいかなくて良かった」と言う強さがある。アジア選手権ではチャレンジャーとして挑んだことで気持ちも上向きに。日本選手権では日本記録を更新する1分59秒52)を連覇も果たした。 「3年目は今までで一番泣いたシーズンでした。泣きたくなくても勝手に泣いてしまっていました。やっぱり楽しんで走れている時が一番良いですね」 こぼれる涙を何度も堪えようと我慢しても溢れ出てくる。その姿は9月の国立競技場でもあった。インターハイを3連覇したが、実は日本選手権頃から左膝裏を痛めていた。野口先生は「ギリギリの状態」だったと明かす。 「スタート直後は『少し速いな』くらいだったのですが、オープンレーンになった時に、自分が入りたいところに行かれちゃいました。やっぱり、多くの選手が2番手くらいに入りたいですし、自分も準決勝に行くためには、そこに入るしかないと思っていました。本当はついていかないといけなかったのですが、さらに外から被せられてしまったんです。経験の足りない自分にとって難しいのはわかっていたのですが……」 [caption id="attachment_183981" align="alignnone" width="800"] 東京世界陸上女子800m予選に出場した久保凛[/caption] 17歳の挑戦は2分02秒84の7着。「何もできなかった」と唇を噛んだ。今、久保の脳裏にどんなことが焼きついているのだろうか。 「終わった瞬間は悔しくて何も考えられなかったです。終わってしばらくは、周囲には普通に接しているつもりでも、心のどこかで『あぁ、終わったんだな』という感覚は残っていました。今でも自分からはレース動画を見よう、とは思えていないんです。振り返らないといけないのはわかっているんですが……。SNSで流れてくるのを見て、『こんな感じだったんだな』って思うくらいです。何もできなかったけど、今思えば高校生のうちに出場できたのはすごく大きな経験です。あの悔しさは絶対に忘れてはいけないと思っています」 レース後、目を腫らしながら、スタンドで野口先生と合流した。「家族と一緒にいてもいい」と野口先生が伝えると、久保は「ナショナルトレーニングセンターに残ります」と言い、こう続けたという。 「明日の練習はどうすればいいですか?」 久保は代表チームに最後まで残った。田中希実や北口榛花(JAL)らとの交流の時間はかけがえのない思い出の一つ。心に刻まれているのは男子1500m代表の飯澤千翔(住友電工)の姿だった。「試合の後にすごい速いペースで練習されていたんです」。この光景で感じ取れることがあったからこそ、レース後のあの言葉につながったのだろう。 満員のスタンドと大声援は今もハッキリと思い出せる。「たぶん、これから先もこれ以上の応援はないんだろうなって思います」。約6万人のほとんどのエールが自分に向けられていた。これから先、苦しい時はあの声援を思い出せばいい。

世界は「遠くない」

日本記録を出そうと、日本一になり、日の丸を背負っても、久保は変わらない。 「みんなすごい、と言ってくださるのはうれしいのですが、自分よりももっと速い人、強い人はたくさんいます。ここで自分のことを『すごい』と思ってしまったらダメ。まだ全然、世界にも羽ばたけていないですから」 同級生は変わらず接してくれた。野口先生も時に厳しく道を正してくれた。家族はいつも温かく、愛犬の「ふうた」は心を癒やしてくれた。 その「ふうた」も連れて、春からは新しい環境で、新しい挑戦の日々が始まる。積水化学に入社し、横田真人氏が代表・コーチを務めるTWOLAPS TCが練習拠点だ。「強い選手がたくさんいて、横田さんも元日本記録保持者で、オリンピックに出られています。一緒になって練習すれば頑張れます」。視線の先には〝世界〟がある。 「世界が『遠い』とは思っていません。遠いと決めつけてしまうと、たどり着くまでしんどいと思うんです。差はあるけど、別に遠くはない。でも、そこに行くまでは世界中の誰よりもがんばらないといけないと思っています」 今季は「1分台を安定して出せるようにする」の目標。そのためには「400mで少なくとも53秒台で走れるような」スピードと、「持久力の面でも1000mや1500mを上げてきたい」と見据え、「スピード強化と持久力。このバランスが難しいと思うので考えながら強化していきたいです」と明確だ。 「世界選手権で最も感じたのは経験不足です。負けてもいいから、どんどん海外レースに出て経験を積んでいきたい。田中希実選手も海外でトレーニングをして、転戦されて、勝負しています。いずれはそんなふうになれたらと思っています」 2026年は、U20世界選手権(オレゴン・ユージン)と名古屋アジア大会が目標。U20世界選手権は前回、体調不良で6位と悔しい思いをしているだけに、「次は自分よりも年下ばかり。優勝したい」と、田中希実(3000m)のにようにジュニア世代の世界一を目指す。 インターハイ総合優勝の石碑が並ぶ横を抜けて帰路に就く。いつの間にか誰も「久保建英の従姉妹」とは呼ばなくなった。全中チャンピオンの肩書きを日本記録保持者に上書きして、ここを巣立った。これから先は、久保にあこがれた少女たちが、この道を通い、その背中を追いかけていく。 1月20日に18歳の誕生日を迎えた。これからは「走ることが仕事になる」と覚悟している。「さすがにサインを考えないといけないですよね。関西弁は……消えへんかもしれません!」と照れ笑いを浮かべた。 国立競技場で涙をこぼしながら誓ったことがある。「また強くなって帰ってきたい。もっと強い久保凛を見せたい」。壁に跳ね返され、道に迷うかもしれない。時に立ち止まり、回り道しても、もっと強くなってあの場所へ。久保凛の物語はまだまだ始まったばかり――。 [caption id="attachment_201242" align="alignnone" width="800"] 何度も練習で走った高校のグラウンドを巣立って世界へ羽ばたく[/caption] 文/向永拓史 <ロングインタビューは発売中の月刊陸上競技3月号に掲載。一部を再編集したものです>

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