2023.12.24
新春の風物詩・箱根駅伝の100回大会に挑む出場全23校の選手やチームを取り上げる「箱根駅伝Stories」。それぞれが歩んできた1年間の足跡をたどった。
中3の市大会優勝がターニングポイントに
愛知県出身の日大・西村翔太(4年)は、いわゆる箱根駅伝を夢見た少年ではなかった。
「小学生時代は本当に運動が苦手で、だいぶ今よりもぽっちゃりしていた子どもでした。運動と言っても免疫力を高めるとか、身体を強くするという意味でスイミングクラブに通っていたくらいで、逆に勉強ばかりで走ることとは全く無縁の小学生時代でした」
それが、いつしか箱根駅伝における伝統校に入学し、10000mでチーム日本人トップの28分34秒38を叩き出すまでに成長するとは、人生はおもしろい。
勉強ばかりだったという小学校時代を経て、運動の世界に足を踏み入れたのは中学生の時だった。西村が通っていた中学では、必ず部に所属しないといけない決まりがあった。そうなると、小学校時代のことを考えると文化部に入る、という選択肢が生まれそうだったが、そうではなかった。
「周りの友達に文化部がいなかったんですよ。それで、じゃあ僕も何か運動しようかな、と」
消去法で選んだのが、剣道部だった。
「最初は卓球部に入ろうと思ったんです。でもいきなり学校の外周を走らされてしまって……。当時は本当に走るのが苦手だったのですぐにやめました(笑)」
いろいろ体験したなかで、結果的に楽しいと思えた剣道部を選んだのだが、それが西村の運命を大きく変えることになる。
剣道としては県大会に進むくらいの成績を残して引退。ただ、剣道に3年間取り組む中で体力がつき、少しずつ陸上競技への適性を目覚めさせていった。
3年時に市の陸上大会に出る機会があり、800mで優勝。そこで「高校で剣道を続けるよりは、陸上のほうが結果が出せるのかな」と思ったという。結果的に、この経験が今の西村を作り上げる大きなターニングポイントとなった。
中3の市大会優勝がターニングポイントに
愛知県出身の日大・西村翔太(4年)は、いわゆる箱根駅伝を夢見た少年ではなかった。 「小学生時代は本当に運動が苦手で、だいぶ今よりもぽっちゃりしていた子どもでした。運動と言っても免疫力を高めるとか、身体を強くするという意味でスイミングクラブに通っていたくらいで、逆に勉強ばかりで走ることとは全く無縁の小学生時代でした」 それが、いつしか箱根駅伝における伝統校に入学し、10000mでチーム日本人トップの28分34秒38を叩き出すまでに成長するとは、人生はおもしろい。 勉強ばかりだったという小学校時代を経て、運動の世界に足を踏み入れたのは中学生の時だった。西村が通っていた中学では、必ず部に所属しないといけない決まりがあった。そうなると、小学校時代のことを考えると文化部に入る、という選択肢が生まれそうだったが、そうではなかった。 「周りの友達に文化部がいなかったんですよ。それで、じゃあ僕も何か運動しようかな、と」 消去法で選んだのが、剣道部だった。 「最初は卓球部に入ろうと思ったんです。でもいきなり学校の外周を走らされてしまって……。当時は本当に走るのが苦手だったのですぐにやめました(笑)」 いろいろ体験したなかで、結果的に楽しいと思えた剣道部を選んだのだが、それが西村の運命を大きく変えることになる。 剣道としては県大会に進むくらいの成績を残して引退。ただ、剣道に3年間取り組む中で体力がつき、少しずつ陸上競技への適性を目覚めさせていった。 3年時に市の陸上大会に出る機会があり、800mで優勝。そこで「高校で剣道を続けるよりは、陸上のほうが結果が出せるのかな」と思ったという。結果的に、この経験が今の西村を作り上げる大きなターニングポイントとなった。日大には一般入試で入学
[caption id="attachment_124301" align="alignnone" width="800"] 23年箱根駅伝予選会ではチーム日本人トップの力走で4年ぶり本戦出場の立役者になった日大の西村翔太(中央)[/caption] 高校も公立高校の中で陸上を真剣にやれるところを探し、志望校を変えた。そうして選んだ千種高では真剣に陸上に取り組む中で、顧問の先生と『大学まで続けて、箱根を目指して頑張ろう』を合い言葉に取り組んだ。 ただ、今や日大の日本人エースとして、箱根本戦でも主要区間を任されるであろう実力を有する西村は、いまだその才能を開花していなかった。 大学は一般入試で進学。日大以外にも受かっていた大学はあったのだが、高校時代の顧問の先生が日大のOBだったこともあり、日大への進学を決める。 「1年生のとき、チームの雰囲気もあまり良くはありませんでした。やる人はしっかりやりますけど、やらない人は全然やらないというか。“やらない側”に一度でも入ってしまったら飲まれてしまうは思っていましたから、最初の1年目は結構キツかったですね」 それでもコツコツ努力を続けた西村は、2年時の全日本大学駅伝の地区選考会に出走した。「自分にとって、このできごとが大きなポイントだった」と振り返る。 「その後も箱根予選会にも走らせてもらって、チーム3位だったこともって、チームの中でも自分が走らないといけない、自分が主力として走っていかなければならないんだ、という責任感が出てきました」 責任感は、人を大きく成長させる。トラックでも自己記録をどんどん伸ばしていき、いつしかチームのエース格にまで成長。前回大会では走れなかったものの、オープン参加の関東学生連合チームにも選出された。最初で最後の箱根駅伝
チームは昨年10月から指揮官不在だったが、今年5月に新雅弘駅伝監督が就任。トレーニングを継続できる安心感。そして、跳ね上がる練習量。最初は西村も「こんなに走るのか」と驚いた。 「でも、箱根に出るためにはこれくらいやらないとダメなんだ、と思い直しました。自分たちの努力不足を痛感しました」 どんなに苦しくても、指揮官がいて、チーム全員が同じ目標に向かって努力する毎日は、楽しかった。その喜びがチームを底上げし、4年ぶりの本戦出場を果たせるまでになった。 「やっと、本当にやっと、今までの努力が報われた、という感じですね」 4年目にして、初出場。プレッシャーもあるが、ワクワクする気持ちのほうが大きい。なぜなら、陸上を本格的に頑張ると決めた高校時代から夢見た箱根という大舞台で走れるから。チームの主力として他校のエースたちと勝負できること。それを心待ちにしている。 「自分が柱でなければならないというプレッシャーも自分で自分に与えつつ、いろんな人に注目してもらえる箱根という空間で、今までの自分を支えて、応援してくれた人たちに向けた感謝の走りをします」 そしてもう1つ、西村には自分が箱根を走る姿を見てもらいたい人たちがいる。 「高校時代、まったく実績がなくても、自分の努力次第でここまでやれるんだ、ということを証明したいですね。きっと、僕と同じような高校生はたくさんいると思うんです。でも、目標を持って頑張れば、必ずそういう子たちが、僕の走りを見て、自分も頑張ろうって思ってもらえるような走りがしたいです」 努力の人の走りは見逃せない。 にしむら・しょうた/2001年4月26日生まれ。愛知県稲沢市出身。愛知・稲沢西中→千種高。5000m14分10秒27、10000m28分34秒38、ハーフ1時間2分53秒 文/田坂友暁
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