2020.05.15
紆余曲折を経て再び五輪の舞台へ
「1本でも多く走る姿を見せたい」

女子100mHを牽引してきた木村。日本選手権は通算6度の優勝を誇る
木村文子(エディオン)の競技人生は決して順風満帆ではなかった。高校時代にインターハイを制したのは走幅跳。ハードラーとしては、若くして華々しい実績を残してきたわけではない。それでも、自分らしく突き進んできた道は世界へとつながっていた。ケガ、慣れない海外生活、先を越された悔しさ。さまざまな想いが交錯しながら、女子スプリントハードルを牽引してきた。先の見えない日々にも焦りはない。これまで通り「コツコツ積み上げて」いけば、その道は再び世界へつながると信じている。
◎文/花木 雫
初の五輪は予選敗退
2012年ロンドン。木村文子(エディオン)は初めて五輪の舞台に立った。当時24歳。女子100mハードルの日本代表は1996年アトランタ、00年シドニーと金沢イボンヌ(佐田建設)が出場して以来、12年ぶりのことだった。
「自分では緊張していないつもりでした。でも、今から思えばレースでも周りの選手ばかりを気にして地に足が着いていなかった。準備段階を含めて、ずっと肩に力が入りっぱなしだったと思います」

初の世界大会となった12年ロンドン五輪。世界の壁の前に力を発揮できなかった
自分の力をまったく発揮できぬまま、「気合が空回りして」13秒75(+0.6)で予選敗退。世界の壁を目の当たりにした。それから8年――。日本の女子スプリントハードル界の象徴として牽引し続けてきた。
「私がここまで長く第一線で競技を続けられるとは思っていませんでした。本当に人に恵まれてきました」
木村が高3時の大阪インターハイでは、短距離の髙橋萌木子(埼玉栄高、現・ワールドウィング)、中村宝子(浜松西高)、福島千里(帯広南商高、現・セイコー)、中長距離に小林祐梨子など、すでに日本トップクラスの記録を持つ面々がそろっていた。さらに100mハードルでは1年後輩に寺田明日香(恵庭北高、現・パソナグループ)。木村自身も走幅跳で優勝、100mハードル8位と活躍したが、「みんな雑誌で見る雲の上の存在でした」と回想する。
それから月日が流れた。昨年のドーハ世界選手権に同期の姿はなかった。
走幅跳でインターハイ優勝
木村が陸上を始めたのは小学4年生から。もともとはテレビで観たバレーボール選手にあこがれており、地域のスポーツクラブでもバレーボールチームに入るつもりだったという。広島・可部中でも一度はバレー部に仮入部するも、陸上を勧めてくれた周囲の人たちの悲しむ顔が目に浮かんで翻意。以来、陸上一筋に打ち込んできた。
中3時に走幅跳と三種競技B(走幅跳・100mハードル・砲丸投)で全中に出場。祇園北高に進学し、小学校時代から取り組んでいるハードルと走幅跳を軸に競技を続けた。
「当時は跳躍やハードルが専門の先生がいなくて、専門練習は自分たちでメニューを考えて決めていました。誰かにやらされるのではなく、楽しみながら自分たちで前向きに取り組めたこと。それが現在にも役立っていると思います」
全国の上位を意識し始めたのは高2の時。インターハイの100mハードルはランキングトップで臨んだ。しかし、本番は準決勝で敗退。「他の種目で同じ広島の選手が優勝したので、それによって私も次の年に一緒に優勝を目指すと決意しました。ちなみに走幅跳も予選落ちと散々な結果でとても悔しかったです」。周囲の期待に応えられなかったことで、「来年は絶対に活躍すると誓いました。そこからですね、それまで以上に真剣に取り組むようになったのは」と木村。この悔しさが3年時の大阪インターハイでの活躍につながった。

高校から大学の途中まで走幅跳と100mHの二刀流。高3のインターハイは走幅跳を制した
今でこそハードルのイメージが強いが、高校を卒業して横浜国大に進学してからもハードルと走幅跳の〝二足の草鞋〟が続いた。大学4年時の日本学生個人選手権では走幅跳で優勝。自己ベストも6m17を持つ。
転機となったのは社会人1年目の2011年シーズン。日本選手権で初優勝し、アジア選手権出場、全日本実業団対抗も制するなど、安定した戦いぶりが続いた。そして10月の国体で13秒19(+0.4)の好タイムで優勝。「ロンドン五輪のB標準に0秒04と迫ったので、標準を破るまではハードルに集中しようと思ったんです」。それからは世界に近いハードルに時間を割くようになった。だが、「私の持ち味でもある踏み切りの強さは走幅跳をやっていたからこそ」と、中学時代から走幅跳を含めてさまざまな種目に取り組んだことが、成長した大きな要因として捉えている。
「走幅跳をやるタイミングを失って、ここまでズルズルきてしまいました。今でもチャンスがあれば、また走幅跳にも出たいと思っています」
そんな本音ものぞかせた。
※この続きは2020年5月14日発売の『月刊陸上競技6月号』をご覧ください。
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紆余曲折を経て再び五輪の舞台へ 「1本でも多く走る姿を見せたい」
女子100mHを牽引してきた木村。日本選手権は通算6度の優勝を誇る
木村文子(エディオン)の競技人生は決して順風満帆ではなかった。高校時代にインターハイを制したのは走幅跳。ハードラーとしては、若くして華々しい実績を残してきたわけではない。それでも、自分らしく突き進んできた道は世界へとつながっていた。ケガ、慣れない海外生活、先を越された悔しさ。さまざまな想いが交錯しながら、女子スプリントハードルを牽引してきた。先の見えない日々にも焦りはない。これまで通り「コツコツ積み上げて」いけば、その道は再び世界へつながると信じている。
◎文/花木 雫
初の五輪は予選敗退
2012年ロンドン。木村文子(エディオン)は初めて五輪の舞台に立った。当時24歳。女子100mハードルの日本代表は1996年アトランタ、00年シドニーと金沢イボンヌ(佐田建設)が出場して以来、12年ぶりのことだった。 「自分では緊張していないつもりでした。でも、今から思えばレースでも周りの選手ばかりを気にして地に足が着いていなかった。準備段階を含めて、ずっと肩に力が入りっぱなしだったと思います」
初の世界大会となった12年ロンドン五輪。世界の壁の前に力を発揮できなかった
自分の力をまったく発揮できぬまま、「気合が空回りして」13秒75(+0.6)で予選敗退。世界の壁を目の当たりにした。それから8年――。日本の女子スプリントハードル界の象徴として牽引し続けてきた。
「私がここまで長く第一線で競技を続けられるとは思っていませんでした。本当に人に恵まれてきました」
木村が高3時の大阪インターハイでは、短距離の髙橋萌木子(埼玉栄高、現・ワールドウィング)、中村宝子(浜松西高)、福島千里(帯広南商高、現・セイコー)、中長距離に小林祐梨子など、すでに日本トップクラスの記録を持つ面々がそろっていた。さらに100mハードルでは1年後輩に寺田明日香(恵庭北高、現・パソナグループ)。木村自身も走幅跳で優勝、100mハードル8位と活躍したが、「みんな雑誌で見る雲の上の存在でした」と回想する。
それから月日が流れた。昨年のドーハ世界選手権に同期の姿はなかった。
走幅跳でインターハイ優勝
木村が陸上を始めたのは小学4年生から。もともとはテレビで観たバレーボール選手にあこがれており、地域のスポーツクラブでもバレーボールチームに入るつもりだったという。広島・可部中でも一度はバレー部に仮入部するも、陸上を勧めてくれた周囲の人たちの悲しむ顔が目に浮かんで翻意。以来、陸上一筋に打ち込んできた。 中3時に走幅跳と三種競技B(走幅跳・100mハードル・砲丸投)で全中に出場。祇園北高に進学し、小学校時代から取り組んでいるハードルと走幅跳を軸に競技を続けた。 「当時は跳躍やハードルが専門の先生がいなくて、専門練習は自分たちでメニューを考えて決めていました。誰かにやらされるのではなく、楽しみながら自分たちで前向きに取り組めたこと。それが現在にも役立っていると思います」 全国の上位を意識し始めたのは高2の時。インターハイの100mハードルはランキングトップで臨んだ。しかし、本番は準決勝で敗退。「他の種目で同じ広島の選手が優勝したので、それによって私も次の年に一緒に優勝を目指すと決意しました。ちなみに走幅跳も予選落ちと散々な結果でとても悔しかったです」。周囲の期待に応えられなかったことで、「来年は絶対に活躍すると誓いました。そこからですね、それまで以上に真剣に取り組むようになったのは」と木村。この悔しさが3年時の大阪インターハイでの活躍につながった。
高校から大学の途中まで走幅跳と100mHの二刀流。高3のインターハイは走幅跳を制した
今でこそハードルのイメージが強いが、高校を卒業して横浜国大に進学してからもハードルと走幅跳の〝二足の草鞋〟が続いた。大学4年時の日本学生個人選手権では走幅跳で優勝。自己ベストも6m17を持つ。
転機となったのは社会人1年目の2011年シーズン。日本選手権で初優勝し、アジア選手権出場、全日本実業団対抗も制するなど、安定した戦いぶりが続いた。そして10月の国体で13秒19(+0.4)の好タイムで優勝。「ロンドン五輪のB標準に0秒04と迫ったので、標準を破るまではハードルに集中しようと思ったんです」。それからは世界に近いハードルに時間を割くようになった。だが、「私の持ち味でもある踏み切りの強さは走幅跳をやっていたからこそ」と、中学時代から走幅跳を含めてさまざまな種目に取り組んだことが、成長した大きな要因として捉えている。
「走幅跳をやるタイミングを失って、ここまでズルズルきてしまいました。今でもチャンスがあれば、また走幅跳にも出たいと思っています」
そんな本音ものぞかせた。
※この続きは2020年5月14日発売の『月刊陸上競技6月号』をご覧ください。
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