2026.01.29
両親もスプリンター
――他のスポーツの経験はありますか。
秋澤 元々は小学1年生から6年生までダンスをやっていて、最初はヒップホップ系、他にもロックダンスをやっていました。
――ご両親が元短距離選手だったということは小さい頃から知っていましたか。
秋澤 はい。でも、何となくです。
――陸上を始めたのはいつですか。
秋澤 小学4年生から6年生まで年に1回、(燕)市内の大会に100mやリレーで出ていました。陸上の練習はほとんどやっていません。本格的に始めたのは中学からです。自分から陸上を選びました。
――練習をしていく中で記録が次々と自己ベストが出て、2年生の時には茨城全中200mを制しました。
秋澤 向かい風のなか、自己ベスト(予選24秒62/-1.5、決勝24秒72/-3.1)で優勝してビックリしました。大会前はそれほど意識していませんでしたが、予選を走って行けるかなと思いました。
――100mでも2年生で11秒台を出しています。
秋澤 北信越大会の100m(予選)で母(絵理さん)が持っていた新潟県中学記録(12秒1)を更新(11秒96/+1.2)できたのもうれしかったです。秋のU16大会では2位(11秒87/+0.9)に入ることができました。
――3年生は全中2連覇を狙っていましたか。
秋澤 3年のシーズンは春から順調で、7月の県中学総体で自己ベスト(24秒38/現・中学歴代9位)も出ていたのですが、8月の北信越大会100m決勝で右ハムストリングスを肉離れしてしまいました。全中も会場には行ったのですが、痛みがあり、棄権しました。
――連覇を狙っていた中で辛かったですね。
秋澤 はい。その後の国体(少年B100m)には出たのですが、正直に言うとまだ痛みがありました。ケガの影響で、その冬季練習もほとんどできませんでした。
――高校はお父さんが顧問を務める東京学館新潟高に進学しました。
秋澤 父は自分のことをしっかりわかってくれる存在。競技の面では打ち込みやすいと思いました。
――学校内ではお父さんを何と呼んでいましたか。「田村先生」とか。
秋澤 いえ、特に呼び名はなかったです(笑)。伝えたいことがあれば、直接話していました。

25年U20日本選手権200mを制した秋澤理沙
――高校1年生のシーズンを振り返ってみていかがでしたか。
秋澤 中3の故障で、力を出す怖さもありました。国体(少年B100m)で7位に入りましたが、本調子ではなかったです。ただ、その後の冬季練習からしっかりできるようになりました。
――その順調なトレーニングが高校2年生のシーズンにつながってきたわけですね。
秋澤 調子が良かったですし、地元・新潟開催だったU20日本選手権で克樹君が200mで優勝したのを見て「私も」と思いました。インターハイは最初に行われた100mで4位に入り、それが良い刺激となって200mの優勝につながりました。
――ケガもあって辛い時期もありましたが、さまざまな大会でタイトルを取ってきました。重圧を感じることはありますか。
秋澤 プレッシャーを感じることはあまりありません。ただ、真剣勝負を楽しんで勝ちたいということだけです。
――陸上以外で高校生活を振り返っていかがですか。
秋澤 とても充実していました。私のクラスには陸上部ではマネージャーしかいなかったので、陸上部以外の友達もできましたし、たわいのない話で盛り上がり、楽しい3年間でした。
――今、興味のあることはありますか。
秋澤 M!LKにハマっていて、イチ押しメンバーは佐野勇斗さん。2月に東京・代々木体育館で行われるライブに姉と一緒に行きます。
――卒業後は中大に進学されます。中大を志望した理由を教えてもらえますか。
秋澤 中大は母の母校で、中村(哲郎)監督は母の恩師(当時はコーチ)でもあります。中村監督とは私が小学生の頃から面識があり、中学時代からずっと応援してくれていました。私の性格や走りの特徴を理解してくださる指導者のもと、伝統ある中大で競技力を高めていきたいと思いました。
――大学1年生の目標は。
秋澤 まずは1年生から関東インカレや日本インカレで頑張りたいです。また、今年はU20のアジア選手権(5月下旬/香港)やU20世界選手権(8月上旬/米・オレゴン)が行われるので、代表に選ばれて出場したいです。
――大学4年間でどんな選手を目指したいですか。
秋澤 シニアのレベルでまず戦えるようになって、そこで実績を残して国際大会の舞台に立ちたいです。卒業後も競技を続けられるような成績を残すことを考えています。
――陸上以外で、将来就きたい職業はありますか。
秋澤 遊園地で働いてみたいです。
構成/井上敦
秋澤選手のプロフィールをチェック!
昨年のU20日本選手権で“念願”かなう
――高校生最後の冬季練習の最中ですが、順調ですか。 秋澤 体力作りなどが中心で、一つひとつしっかりこなしています。新潟はこの時期、天気があまり良くないので、校内での練習が多いのですが、週1回は海岸の砂浜でダッシュをしたりして、キツいです(苦笑)。 ――冬季練習は進路が決まった他の3年生と一緒ですか? 秋澤 男子は3年生が参加していますが、女子は私だけで、後輩と頑張っています。 ――日本陸連のU20オリンピック育成競技者研修合宿に12月、1月と参加しました。 秋澤 測定では固定式自転車を漕ぐハイパワーの数値は良かったのですが、他は平均的な値でした。トレーニング以外にも講習会がいくつかあり、パフォーマンスを向上させるための知識や意識を高めることが出来ました。世界で戦いたいという気持ちが一層強くなりました。 ――高校生もあと2ヵ月となりました。3年間を振り返っていかがですか。 秋澤 大きく成長できたと実感しています。競技力はもちろんですが、ケガをしたことで気持ち、メンタル面での成長は大きかったです。故障で苦しんだ時期は自分と向き合うことが多かったです。高校最後のインターハイには出ていませんが、自分の身体の状態、心の状態と向き合い、秋の結果につながったと思います。 ――高校ラストシーズンだった昨年前半は苦しかったですね。 秋澤 冬季練習はしっかり詰めていたのですが、5月上旬の地区大会(新潟・下越・佐渡支部大会)の後に、左ハムストリングスを痛めて(筋膜炎)、県大会は200mだけ出ました。あの時、顧問である父(田村和宏先生※戸籍上は秋澤)からは「6位で良いから」と言われていて、優勝しましたが、走り切れてホッとして泣いてしまいました。 ――県大会後のインターハイ北信越大会は4×100mリレーの準決勝に出ています。 秋澤 4継の準決勝のあと、200mの予選直前のウォーミングアップで左ハムストリングスに痛みが出て、父と相談して「止めようか」と棄権しました。あの時は涙が止まらなかったです。 ――インターハイでは2年生で200m優勝。それだけに3年生で出られず、感情が抑え切れなかったですね。 秋澤 インターハイでは2連覇と、200mで克樹君(佐藤/3年)との男女優勝が目標でした。100mも優勝を目指していたので……。 ――インターハイはリレーで出られる権利はありましたが、結局回避しました。 秋澤 走れないことはなかったのですが、万全な状態にすることを優先しました。その時には秋のシーズンで頑張ろうと思っていました。ハムストリングスのケガをしないように内転筋を強化したり、夏の妙高合宿でしっかり走り込みができたと思います。 ――秋シーズンはどんな目標を立てましたか。 秋澤 9月下旬のU20日本選手権で、インターハイではできなかった男女優勝しようと2人で克樹と話していました。 ――見事に目標を達成しましたね(秋澤→23秒72/+1.6=高校歴代10位で優勝、佐藤→20秒78/+2.3で2連覇)。 秋澤 勝つことができましたし、2年生のインターハイ決勝以来となる自己新でうれしかったです。 ――レースでは勝負を意識するタイプですか、それとも、タイムを意識するタイプですか。 秋澤 レースでは勝つことを意識します。また、状況にもよりますが、勝てばタイムもついてくるものと思っています。父からは中学時代から「楽しんで勝つ」ということを言われてきました。 ――U20日本選手権の後に行われた国民スポーツ大会(少年A100m)でも、雨のなか、中盤あたりで前に出て高校歴代10位タイの11秒56(+0.8)で優勝しました。 秋澤 100mは5月の地区大会(支部大会)以来で不安もありましたし、楽しみでもありました。新潟県のみなさんに少しでも喜んでもらえるような成績を出せればと思っていました。当日は予選から「行けるかな」と感じていましたが、まさか、優勝するとは思いませんでした。自分の動きだけに集中していたので何位でフィニッシュしたのかわからず、スクリーンに自分が映っている姿を見て優勝がわかりました。ビックリもしたし、苦しんだぶん、うれしさも大きかったです。両親もスプリンター
――他のスポーツの経験はありますか。 秋澤 元々は小学1年生から6年生までダンスをやっていて、最初はヒップホップ系、他にもロックダンスをやっていました。 ――ご両親が元短距離選手だったということは小さい頃から知っていましたか。 秋澤 はい。でも、何となくです。 ――陸上を始めたのはいつですか。 秋澤 小学4年生から6年生まで年に1回、(燕)市内の大会に100mやリレーで出ていました。陸上の練習はほとんどやっていません。本格的に始めたのは中学からです。自分から陸上を選びました。 ――練習をしていく中で記録が次々と自己ベストが出て、2年生の時には茨城全中200mを制しました。 秋澤 向かい風のなか、自己ベスト(予選24秒62/-1.5、決勝24秒72/-3.1)で優勝してビックリしました。大会前はそれほど意識していませんでしたが、予選を走って行けるかなと思いました。 ――100mでも2年生で11秒台を出しています。 秋澤 北信越大会の100m(予選)で母(絵理さん)が持っていた新潟県中学記録(12秒1)を更新(11秒96/+1.2)できたのもうれしかったです。秋のU16大会では2位(11秒87/+0.9)に入ることができました。 ――3年生は全中2連覇を狙っていましたか。 秋澤 3年のシーズンは春から順調で、7月の県中学総体で自己ベスト(24秒38/現・中学歴代9位)も出ていたのですが、8月の北信越大会100m決勝で右ハムストリングスを肉離れしてしまいました。全中も会場には行ったのですが、痛みがあり、棄権しました。 ――連覇を狙っていた中で辛かったですね。 秋澤 はい。その後の国体(少年B100m)には出たのですが、正直に言うとまだ痛みがありました。ケガの影響で、その冬季練習もほとんどできませんでした。 ――高校はお父さんが顧問を務める東京学館新潟高に進学しました。 秋澤 父は自分のことをしっかりわかってくれる存在。競技の面では打ち込みやすいと思いました。 ――学校内ではお父さんを何と呼んでいましたか。「田村先生」とか。 秋澤 いえ、特に呼び名はなかったです(笑)。伝えたいことがあれば、直接話していました。 [caption id="attachment_197892" align="alignnone" width="800"]
25年U20日本選手権200mを制した秋澤理沙[/caption]
――高校1年生のシーズンを振り返ってみていかがでしたか。
秋澤 中3の故障で、力を出す怖さもありました。国体(少年B100m)で7位に入りましたが、本調子ではなかったです。ただ、その後の冬季練習からしっかりできるようになりました。
――その順調なトレーニングが高校2年生のシーズンにつながってきたわけですね。
秋澤 調子が良かったですし、地元・新潟開催だったU20日本選手権で克樹君が200mで優勝したのを見て「私も」と思いました。インターハイは最初に行われた100mで4位に入り、それが良い刺激となって200mの優勝につながりました。
――ケガもあって辛い時期もありましたが、さまざまな大会でタイトルを取ってきました。重圧を感じることはありますか。
秋澤 プレッシャーを感じることはあまりありません。ただ、真剣勝負を楽しんで勝ちたいということだけです。
――陸上以外で高校生活を振り返っていかがですか。
秋澤 とても充実していました。私のクラスには陸上部ではマネージャーしかいなかったので、陸上部以外の友達もできましたし、たわいのない話で盛り上がり、楽しい3年間でした。
――今、興味のあることはありますか。
秋澤 M!LKにハマっていて、イチ押しメンバーは佐野勇斗さん。2月に東京・代々木体育館で行われるライブに姉と一緒に行きます。
――卒業後は中大に進学されます。中大を志望した理由を教えてもらえますか。
秋澤 中大は母の母校で、中村(哲郎)監督は母の恩師(当時はコーチ)でもあります。中村監督とは私が小学生の頃から面識があり、中学時代からずっと応援してくれていました。私の性格や走りの特徴を理解してくださる指導者のもと、伝統ある中大で競技力を高めていきたいと思いました。
――大学1年生の目標は。
秋澤 まずは1年生から関東インカレや日本インカレで頑張りたいです。また、今年はU20のアジア選手権(5月下旬/香港)やU20世界選手権(8月上旬/米・オレゴン)が行われるので、代表に選ばれて出場したいです。
――大学4年間でどんな選手を目指したいですか。
秋澤 シニアのレベルでまず戦えるようになって、そこで実績を残して国際大会の舞台に立ちたいです。卒業後も競技を続けられるような成績を残すことを考えています。
――陸上以外で、将来就きたい職業はありますか。
秋澤 遊園地で働いてみたいです。
構成/井上敦
秋澤選手のプロフィールをチェック!
◎あきざわ・りさ/2007年8月4日生まれ。新潟県出身。燕吉田中―東京学館新潟高。初の全国大会は2年時の21年茨城全中で200mを制覇。同年U16大会100mでは2位に入っている。高校1年からインターハイに出場(個人種目では200mで準決勝進出)。秋の鹿児島特別国体少年B100mで7位に入り、2年ぶりの全国大会入賞を果たすと、翌24年の高校2年シーズンはさらに実績を重ねていく。6月のU20日本選手権200mで7位。福岡インターハイは100m4位を経て、200mVを達成。秋は100mで佐賀国民スポーツ大会少年A4位、U18大会5位に入った。高3シーズンは故障でインターハイを断念したが、9月のU20日本選手権200mを制し、10月の滋賀国スポ少年A100mでも優勝を遂げた。自己記録は100m11秒56(25年/高校歴代10位タイ)、200m23秒72(25年/高校歴代10位)。父の和宏さんは高校の先輩にもあたり、早大時代は4×100mリレーの3走として日本インカレや日本選手権など主要大会で何度も優勝を経験。1997年に出した100mの新潟県記録は26年間残った。また、母の絵理さんも巻高時代の1993年に打ち立てた200mの県記録が11年間残るなど、両親そろって新潟を代表するスプリンター。 [caption id="attachment_186089" align="alignnone" width="800"]
25年滋賀国スポ少年女子A100mを制した秋澤理沙[/caption] RECOMMENDED おすすめの記事
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